強がりベルーガ

春告黎

  1. 強がりベルーガ1
  2. 強がりベルーガ2
  3. 強がりベルーガ3

強がりベルーガ1

例えば、それは長距離走の授業。
誰も、私に辿り着けないし、タイムは校内トップ。それは、短距離も同様。
例えば、それはバスケットボールの授業。
相手チームのディフェンスはもはや、ディフェンスではないし、3ポイントなんて朝飯前。ダンクシュートだって出来てしまう。
例えば、それはマット運動の授業。
マット運動なんて習ったことないけど、少し基礎を教えてもらったら、あっという間にロンダートもバック転も出来てしまった。
何が言いたいのか。
そう、つまり、この岸川 凛音という人間の運動神経は、天賦の才に恵まれているのだ。
過言と思う人もいるかもしれないけれど、実はこれが言い過ぎではないのだ。
まさしく、神の加護を受けたかのような運動神経。私は、この運動神経をとても誇りに思っている。
運動なら、何でもできてしまうのだ。……ある一つの種目を除いては。

ある日の放課後。
私は吹奏楽部の基礎練習の音が響く廊下を、かなりゆっくりと歩いた。
ちなみに私は部活動に入っていない。
一つの運動部に入ってしまったら、他の部活から妬みを買ってしまうからだ。
これは、自慢とかではなく友達に言われたことだ。しかし、自分でもその通りだと思っている。
いつもと違う速さで歩いていると、足がもつれそうになる。それなら、いつも通りの速さで歩けばいいと思うのだが、足がいうことを聞いてくれない。
今から向かおうとしているところに早く着きたいのか、着きたくないのか。自分でもわからなくなってしまった。
ただ、少しでも考える時間を確保したいと思っていた。
これは、余談だが、誰だって自分の弱点はさらしたくないものだ。
その弱点を隠すために、人は手段を選ばないと思っている。
その一例が私なんだけれど。
廊下の角を右折すると、目の前に体育館の扉が見えた。
バスケ部と、バレー部の掛け声が聞こえる。
練習、お疲れ様です。
私は、体育館を通り過ぎ、その横にある小さな部屋、体育教官室の扉の前に立った。
そのまま、扉をノックすればいいのに、私の手はそうしたくないらしい。頑固な手だ。その手を操っているのは私自身だけれど。
深呼吸をしようとしたが、逆に呼吸が乱れてしまう。
私は、さっき廊下で歩きながら考えていたセリフを頭の中で唱えた。
そして、小さく「よし」と言い、扉をノックした。
「失礼します。高校二年B組の岸川 凛音です。瀬戸先生はいらっしゃいますか」
少し声が震えてしまったが、どうにか言えた。
しかし、私が考えたセリフはこれではない。
部屋の中から「はーい」と間延びした女性の声がした。
少しして扉が開いた。
「わーお、岸川じゃん?どうした?」
その先生は無邪気な笑みを浮かべて言った。
瀬戸 心海先生といえば、生徒から人気がある先生の一人だ。
自分を着飾らず、ありのままで生徒と接し、たまに昼休みに生徒と体育館や校庭で遊んでいるところが見られる。
そういうところも好かれる要因ではあると思うのだが、もう一つ大きな要因を挙げるとするなら、その容姿だろう。
おそらく、美人の部類に入ると思われる。学生時代は数々の異性を虜にしてきただろう。
「あの……少しお話があって……」
「話?それは、あまり人に聞かれたくない感じの?」
「えっと、その……」
私が曖昧に言葉を濁すと、先生は軽く笑みを浮かべて、中に入るように言ってくれた。
体育教官室に入るのは初めてではないが、少し緊張した。
バッシュやビブスに染みついた汗の匂いが鼻につく。
嫌いな匂いではない。汗をかくのは良いことだ。達成感が得られる。
「その辺のテキトーな椅子に座って」
「はい」
私は言われた通り、近くにあった椅子を引いて座った。
少し軋んだ音がした。
まさか……太った? いや、そんなことはないだろう。家で毎日筋トレしている私が太るわけがない。きっと少し古くなっているだけだろう。
私はそう結論付けて先生の方を向いた。
「それで、話っていうのは?」
先生は机に頬杖をつき、柔らかい笑みを浮かべて聞いてきた。
私は、心臓の鼓動を抑えるように呼吸を止め、その後ゆっくり吐き出した。
心なしか、心拍数が落ち着いた気がする。
「先生、『仮に』の話なんですけどね?」
私は、用意してきたセリフを口にした。
「『仮に』の話?」
先生は、首をほんの少し傾げて言った。
「ええ、『仮に』の話です。つまり、詭弁だと思って聞いてください。……仮に私が」


「泳げない、なんて言ったらどうしますか?」


先生は、その言葉を聞いて何か大きな反応はしなかった。
ただ、笑顔を少し崩しただけ。何も言ってこなかった。
私が言葉を発してから数秒しか経ってないのに、もう何時間もこの場所にいるかのような感覚に陥った。
私のその言葉が木霊しているように感じた。
心臓の鼓動が先生に伝わってしまいそうだ。
そんなとき、先生がこう言った。


「お前、泳げないのか」



その言葉も木霊しているように感じた。
「……泳げます」
私は少し間を空けて言った。
「いや、それ泳げない反応じゃん?」
「泳げるって言ったら泳げるんですよ!」
私は駄々をこねる子供のように、大きな声で言った。
「いいですか、先生。私はさっき、『仮に』の話って言いました。だから、本当の話じゃないんです。『IF』の話なんです。だから、私は、お・よ・げ・ま・す」
私は、後半の方を強調して言った。
……いや、実際泳げないんだけれど。
私は、唯一、「水泳」という競技が苦手だ。自分でも認めたくない。
しかも、泳げないというだけでなく、潜ることもできないのだ。
もはや、恥を通り越して、罪。大罪だ。
「先生、『仮に』私が泳げないって言って、泳ぎ方をすぐ泳げるように教えてほしいなんて言ったらどうしますか?」
私は、「仮に」の部分を強調して言った。そうじゃないと、また先生は「お前、泳げないのか」と言って、話がループしてしまう。
「『いいよ』って言うよ。ただ、すぐ泳げるように、っていう要望は、お前がどのくらい泳げるかにもよるけどな」
「ですよね~。あははっ」
私はそう言って笑ったあと、「しまった」と思った。
「仮に」の話が出来たとしても、私が泳げないことの解決には繋がらない。
泳げないことを悟られたくないことばかりを気にしていたから、泳ぎ方を教えてもらうことを考えていなかった。
「泳ぎ方を教えてください」って言ってしまうのは、私が泳げないのを肯定したのと同義だ。
去年はどうしたかというと、バスケ部の助っ人で試合に出た際に、捻挫をしてしまい、「運よく」水泳の授業に出ずに済んだ。
しかし、その時、友達に「来年は捻挫しないでね! 真凛の泳ぐときのフォーム綺麗なんだろうなぁ~」と言われてしまったのだ。
その期待を裏切らないためにも、私は泳げるようになっておきたい。
幸い、女子のプールの授業は夏休み明けだから、練習期間がある。その間に練習して、完璧に泳げるようになっておかないと……。
「へぇ~、真凛って泳げないんだぁ。意外~(笑)」とか、密かに私に嫉妬している子に「岸川さんって泳げないのね。しめしめ、弱点見つけちゃった♪」とか、思われるのだけは、絶対に嫌だ。
「じ、実はですね! 私の友達に泳げない子がいて、その子が私に泳ぎ方を教えてほしい
って言ってきたんですよ。でも、私って、感覚というか、なんとなくでやってるので、教えるっていうのは難しいなーって思って、それで先生に教わりたくてぇー」
「なるほど、なるほど。つまりは、自分が泳げないのを認めたくないがために、架空の『泳げない友達』を作って、私に泳ぎ方を教わろうっていう魂胆?」
「全くもって違います」
先生、大正解です。
しかし、口には絶対に出さない。
この先生こそ、私が泳げないのを、「岸川~、お前泳げるようになったか?(笑) あ、違った。潜れるようになったか?(笑)」とか言って、延々とからかってきそうだ。
「なぁんで、そんなに自分が泳げないのを認めたがらないんだろうねぇ~」
先生は、かなり速く、回転いすで回り始めた。
その後、ゆっくり止まって、「うっ……酔った」と気持ち悪そうに言った。馬鹿だ。
「泳げない、なんて言ってません」
「だったら、『仮に』の話なんてしなくても良かったでしょ?」
「うっ……あ、あれは余興です!」
「余興ねぇ~……」
そう言って先生はまたクルクル回り始めた。
ああ、もう、またそうやって回ると、酔って……ほら、酔った。
私は、目の前で気持ち悪そうにしている先生を冷めた目で見た。
全然、騙されてくれなさそうだし、もう自分で頑張るしかないか。
私が椅子から立ち上がろうとしたその時。
「いいよ」
「え?」
「泳ぎ方、教えてあげるよ」
「ほ、本当ですか!?」
「自分が、『泳げない』って認めるなら、ね」
先生は、にやりと笑った。
はい、そうです。私は、泳げません、なんて簡単には言えない。もちろん、プライドが邪魔しているだけ。
しかし、私にとってプライドとは、とっても大切なもので、プライドという名の壁がないと、私のちっぽけで、情けない部分が露わになってしまう。
先生が私にさせようとしていることは、プライドの壁に、さっさと大きな穴を開けて、ちっぽけで情けないお前を見せろ、ということと同義だ。
いや、無理。でも、皆の前で醜態を晒すのはもっと無理。
というわけで。
「……先生、『私に』泳ぎ方を教えてください」
「私に」の部分を少し、ほんの少し強調して言った。
ついに私は、プライドの壁に、自分で大きな穴を開けてしまったのだ。
嘲笑うだろうか、からかわれるだろうか。
私は、先生の顔をちらっと見た。
先生は、私のことを嘲笑いもせず、そして、からかうような様子もなく、先ほどと変わらない様子で、私のことを見ていた。
「ん。おっけー」
先生は指で丸を作り、いつもの笑顔で言った。
私は、ホッとして、肩の力を抜いた。
「んで、岸川はどのぐらい泳げないの?」
先生のその言葉に固まった。
しまった、盲点。
ここで、「潜ることもできません」なんて言ったら、「うわ、まじか。やっば(笑)」って言われてしまう。
でも、ここで「けのびくらいなら」なんて嘘をついたら、後々、苦しくなるのは承知済み。
というか、けのびくらいしかできないのもやばいだろうに、潜ることもできない私ってもはや、罪人だ、大罪人だ、死刑囚だ!
などと、自分のことを裁きつつ、本当のことを言うことに決めた。
「あの、潜れません」
「え?」
「潜れないんです。泳げる、泳げない以前に」
「……」
先生は、びっくりしたかのように、目を見開いて私の顔を見ていた。
「まじか……あ、いや、まじかっていうのは、馬鹿にしているわけじゃなくて」
「いいんです。もう存分に馬鹿にしてください。泳げないことを認めた時点で、私のプライドに穴は開いていますので。覚悟はできています」
「なんの覚悟!? そうじゃなくて……」
「じゃあ、あれですか?潜れないとか、まじか。教える気、失せたわ、ってやつですか?それなら、仕方ないですね。まず、お風呂で潜れるようになってから来ます。実は何回もお風呂で潜ろうとしているんですけど、失敗に終わっているんです。今日は頑張ってみます」
「ちょ、ちょっと待って!」
椅子から立ち上がろうとした私を、先生が引き留めた。
肩をぐっと押され、強制的に座らされる。
「どうした、急に。お前、そんなに喋るやつだったか?それはともかく、私が言った、まじかっていうのは、『まじか、私と同じじゃん』っていう意味」
「え」
私は心底驚いた。
目の前にいる瀬戸 心海という人物は、体育教師だ。それは間違いない。
なのに。
「先生、体育教師なのに、潜れもしないんですか?」
「……あー、違う違う。誤解させちゃったね。私が潜れなかったのは、高校生の時の話」
あ、なんだ。少し安心した。
体育教師なのに泳げないなんて言ったら、それは現代の教育の衰えの証拠となる。
いや、高校の時に泳げなかったっていうのも、驚きだけど。
「岸川」
先生が突然、真面目な顔で、真面目な声で私の声を呼んだ。
その透き通った瞳が綺麗だと思った。
しかし、少し切なくも思った。
「は、はい。なんですか?」
「お前、水に潜って水の中を見たことあるか?」
「はい。というか、それが原因で潜れないんですけど」
「やっぱり。……岸川。お前、その時」


「何を見た?」


その言葉を言われたとき、落とし穴に落とされたような感覚に陥った。
脳が、考えることを諦め、無意識の領域に限りなく近い状態。
先生「も」見たのだ。
あの、捉えどころがない曖昧な「アレ」を。

強がりベルーガ2

それは、私が、中学一年生の時の話だ。
小学校の時から、私は運動神経が良くて、そのことを他の子達も認めていた。
私自身も、運動神経が良いことをわかっていて、褒められると「当たり前。だって私だもん」という気持ちでいた。
つまり、運動に関しては、今と同じく、とっても自信があった。
そして、その中学での初めての水泳の授業の時。
お決まりの、体を水に慣らすための水浴びをし、プールの中に入った。
その時までは、プールに入ったときの体の芯を刺激するような、水の鋭い冷たさが心地よかった。
今は、大嫌いになってしまったけど。
そして、先生が、順番にけのびをしましょう、と言い、皆は順番に並んだ。
この時も私は、「けのびなんて余裕。早く、他の泳ぎ方教えてよ」と思っていた。
私の小学校のプールの授業は、ほとんど水遊びみたいなものだったから、少し退屈していた。
だから、この日の授業こそ楽しみにしていたのだ。
ついに、私の番になった。
ゴーグルをつけた。少しきついと思ったが、水が入ってくるよりまし、と思った。
両腕を前に伸ばし、両手を重ね合わせる。
息を大きく吸って、水の中に潜りこんだ。
そして、目を開き、息を全て吐き出しそうになった。
水の中は真っ暗だった。
プールの底なんて見えない。ましてや、底のラインだって見えやしない。
まるでそこは、深海だった。
私は、深海に閉じ込められたのだ、と錯覚してしまうほどにそこは真っ暗で、水泡ですら黒く見えた。
何故か、他の生徒や先生の声は聞こえず、私が息継ぎする音だけが響いていた。
完全に孤独。そのことに恐怖を感じた。
しかし、泳ぎを止めるわけにもいかず、そのまま進んだ。
その時、確かに私は聞いたのだ。
人間の声ではない、何かの声を。
姿形はわからない。しかし、そこにいるのだけはわかっている。
完全に孤独だったその空間に得体のしれない何かがいるのだ。
そのことを理解した時、恐怖心が最高潮まで達し、私は泳ぐのをやめた。
勢いよく上がったため、水を飲みこんでしまい、私は咳き込んだ。
いた、確実にいた! 今まであんなのいなかったのに!
私の脳は混乱していた。
心配した先生が、声をかけてきた。
「……先生、体調が悪いので保健室に行ってもいいですか?」
私はそう言って、プールから上がった。
制服に着替え、保健室まで走った。
あの恐怖を消し去るため、全力で走った。
しかし、あの深海のような暗闇と得体の知れない何かの声が脳裏から離れない。
私を、離さず、纏わりついてくる。
保健室のベッドで横になっている時も、怖くて眠りにつくなんて出来なかった。
夢に出てくるんじゃないか、と思うと、夜も眠れなかった。
それからだ。私が、プールで潜れなくなったのは。

あの日以来、プールの授業には一度も参加していない。
これ以上恥をかきたくないと思い、知り合いが誰もいない高校に入学した。
あの時感じた「あれ」は今でも鮮明に覚えている。
「何も、見てません……でも、確実にいたんです。私を恐怖させる何かがあのプールにいたんです。いや、あのプールだけじゃない。潜れるようになろうと、日中の市民プールに行ったんです。その時も、あれはいました。真っ暗な深海で、私のことを待ち構えていたんです。潜らなくても、いつか得体の知れない何かが、私のことを深海の奥深くまで引っ張っていってしまうんじゃないかって思うんです」
「そうか……お前も同じ経験をしたんだな。私もだよ。プールが深海のように見えた時期があった。今は普通のプールだけどね」
先生は懐かしむように言った。
この人にも、泳げない、潜れない時期があった。
それをどうやって解決したのだろうか?
知りたい。それを知ることが出来たら、潜れるようになるんじゃないか。泳げるようになるんじゃないか。
「先生。先生の泳げなかった時の話を教えてください」
私は、意を決して言った。
もしかしたら、言いたくない記憶かもしれない。そうだとしたら、潔く身を引いて、自分で努力しよう。
「いいよ。参考になるかはわからないけど。長くなるよ、いい?」
「大丈夫です。最後まで、聞きます」
「わかった」
先生はそう言って話し始めた。

 それじゃあ、私の学生時代の雑談も混ぜながら、話していこうか
私が、プールの深海を見たのは小学一年生の頃。
その頃の私はすっごく暗くてさ。今じゃ考えられないでしょ?
それに、天才肌で何でもそつなくこなせたから、孤立していたんだよね。 ……別に自慢してるわけじゃないよ。そんな目で見ないでってば。
いじめは受けていなかった。仲がいい友達がいなかったってだけ。
あと、ものすっごく大人びていたと思う。小学生が使わないような言葉を使ったり、難しいことを知ってたり、家では雑学を調べてたり。
不思議な子だったと思うよ。だから、余計に近寄り難かったんだと思う。
そして、初めてのプールの授業の時、深海を見た。
そこまで深くないはずのプールが、ものすごく深く見えて、この真っ暗な闇に捕まってしまう、なんて考えてたよ。
それに、何かいるって感じた。とてつもなく大きな何かが。
……え?私のはそこまで大きくなかったって?せいぜい、4、5メートル?
えぇ~、まじか~。お前、それはまだいい方だよ。
だって、私が感じたのは、10メートル以上はある……ちょっと、ちょっと、そんな怖がるなって。
だーいじょうぶだって。この話ハッピーエンドだから。
……ほんと?って……あのなあ、ハッピーエンドじゃなかったら、多分、私生きてないよ?
大丈夫。話続けるよ。
 そこから、私は泳ぐことも潜ることもできなくなった。
できなくなったというか、習ってもいなかったから、「泳ぐ方法を学ぶ機会を失った」が正しいね。
 小学校の六年間は、プールの授業をずっと休んでいた。
お前と同じく、あの深海が怖くて堪らなかった。もう二度と見たくないと思った。
プールなんて一生涯入ってやるもんか、と誓ったりもした。
今、バリバリに泳いでるけどね。
 中学校でも、友達は出来ず、泳げないまんま。
プールの授業も参加しなかったよ。
友達もいないし、それに人見知りが激しかったから先生にも相談できなくて。
そもそも、この話を信じられるかって話。私だったら信じないね。
それと、私が、わりとなんでもできることを憎たらしく思ってる子もかなりいてさ、裏で陰口言われてたりした。
それも、だんだんエスカレートしていき、いじめになった。
もちろん、無視はされるし、机の上にゴミとか、花瓶に入った花とか、遺影に見立てた写真を置かれたり、
先生に見つからないところで、暴力を振るわれたりしてた。
めちゃくちゃ、辛かったよ? 当たり前だけど。
ただ、自分のどこが気に食わないかっていうはわかってても、それをどうしてほしいかはわからなかった。
いじめてくる相手に聞くのもおかしいし、先生や親に聞こうという気にもなれなかった。
ただ、普通に過ごしているだけなのに、どうしてこんなに咎められなくちゃいけないんだろうと思った。
高校でも同じことが繰り返された。
運悪く私をいじめてきた人たちと同じ高校で、中学校と変わらないいじめを仕掛けてきた。
その頃の私は、だいぶ病んでたと思うし、ひねくれてたと思うよ。
……って、お前驚きすぎ。私だって悩んでた時期はあるよ。私をなんだと思ってるんだ。
「美しいゴリラ」? ……お前、今学期の体育の評価、「1」な。決まり。
……冗談だって! そんな悲しそうな瞳で見つめるな! お前が運動に対してプライドが高いのは知ってるからさ。
それで、一回、「私をいじめてる間に努力すれば、私に勝てるかもしれないのに。そしたら、優越感が得られるんじゃない?」って言って、相手の堪忍袋の緒を切ったことがある。
私は病院送り。相手は停学。
むしろ、停学で済んでよかったねって思った。
停学が明けたら、またいじめが始まった。
ああ、もう疲れたなって思って。
そうして、思いついたことは、


自殺する。


ってことだった。
 ……だから、大丈夫だって。今、生きてるし。
それに、過去のことはあんまり引きずらない主義なんだよ。今更、どうってことない。
自殺しようって思ったのが、高2の夏。
溺死しようと考えた。
自分が一番嫌な死に方で死のうとしたんだ。
あの自分の嫌いな深海の中に飛び込んで、苦しい思いをしながら死んだら、きっと来世では、神様が憐れんで、素敵な人生を与えてくれるだろう、って思ったんだ。
学校のプールに夜、忍びこんで服のまんま飛び込む。そうすれば、いじめ相手への見せしめにもなる、なんて我ながら性格の悪いことも考えたね。
そこは、きっと真っ暗で、あの得体の知れない何かがいる。
ずっと水の中にいれば、酸素がなくなり死ぬ。
その前に、得体の知れない何かが私のことを骨まで喰らってくれる可能性も考えた。
もちろん、得体の知れない何かに喰われるのは怖い。
でも、このまま生きて辛い思いをするよりかはましだ、なんて思っていた。
で、本当に実行したわけ。びっくりでしょ? 私もびっくり。
学校にどうやって忍び込んだかは覚えてない。とりあえず、プールまで歩いて行った。
私の学校のプールは屋外だった。
月が水面に映って、綺麗だったのを覚えてるよ。
どうせなら、あの月に向かって飛び込もうって思って、思い切りジャンプした。
ボチャン、と音を立てて、私は沈んでいった。
相変わらず、真っ暗だった。
底が見えなくて、このままどんどん深くまで沈んでいって、誰にも見つからず、死ぬんだろうなぁって思いながら、目を閉じようとした。
その時、聞こえた。
得体の知れない何かの鳴き声を。
私は、思わず目を開けた。更に、その声の主を探そうとした。
喰って、私を喰って殺して。
そんな思いで必死に探した。
しかし、いつの間にか、声の主を探すことに夢中になっていた。
死ぬとか、一旦後回しにして、その声の主が知りたい。
一回、顔を上げ、酸素を補給し、また潜る。
そして、見つけたんだ。
私の後ろにいるのを感じ取り、振り向いた。
それを見て、数秒、息をするのを忘れた。


クジラだ。


得体の知れない何かはクジラだった。

強がりベルーガ3

得体の知れない何かはクジラだった。10メートル以上はある、もしかしたら、20メートル近くあったかもしれない。
クジラは鳴いた。鳴いた、というかクジラの鳴き声らしきものが、水中を揺らがせたように感じた。鳴き声は水中の中で響き渡り、神秘的な空間を作り上げた。
そこで私は思ったんだ。はて、クジラの鳴き声はこんなだったかな、と。
はい、ここで問題。クジラの鳴き声は約何ヘルツから何ヘルツまででしょう?……わからないって、お前諦めんの早いな……。もっと、考えたりとか……え、答え? せっかちだなぁ……答えは15~25ヘルツ。人間が聞き取れる周波数は大体、20ヘルツ~2万ヘルツだから、ギリギリ聞き取れるって感じかな。聞こえるって言ったとしても振動を感じる程度かも。
何でそんなことを知ってるかって?言ったでしょ、雑学が好きだって。その時も雑学を調べまくってたし、今でも仕事の合間に調べるよ。意外? 脳筋だと思った? ……こら、頷くな。で? なんの話だっけ。
ああ、そうだ。クジラだ。
そのクジラは鳴いたわけなんだけど、違和感を覚えた。
それと同時に、このクジラの種類を考えた。シロナガスクジラではない。もっと大きいはずだ。ミンククジラ、ザトウクジラ、マッコウクジラ……他にも考えたが、違うと思った。
そもそも、暗い深海の中だから、姿形が定まらない。
そしてそのクジラはもう一度鳴き、ゆっくりと私の方に近づいてきた。ああ、喰われるな、って思った。なるほど、私の生涯はこのクジラに喰われて終えるのか、なんて呑気なことを考えた。
しかし、クジラは私を喰おうとしなかった。私をじっと見つめ続け、鳴いた。
それは、あまりにも切なかったよ。
子供が「お母さん」と言って泣いているような。大切な人に想いを伝えられずに終わってしまった物語のような。孤独を、誰かに訴えかけているような。
そんな鳴き声だったのを覚えている。
クジラは更に鳴き続けた。鳴いて、鳴いて、鳴いて、私に何かを訴えているように感じた。
そして、私は気づいたんだ。
「鳴いている」のではなく、「泣いている」のだと。
……ごめん、わかりづらかったね。最初の「鳴いている」は、共鳴の「鳴」の漢字。もう一つの方は、涙を流して泣く方ね。
クジラは泣いていたんだ。
実際、涙を流していたかと問われると、そうではないけれど、その「鳴き声」は確かに「泣き声」だった。
クジラは、何かに泣いていたんだよ。そして、その何かは私にも関係することだと私は思った。
よく、わかんないんだけどね。でも、このクジラがこうやって私の前に現れているのは、きっと私に何かを伝えるためなんだろう、って思ったんだ。
クジラは、今まで動かさずにいた胸びれをゆっくり動かした。
そして、私にそっと触れたんだ。ちょっとごつごつしていたけれど、不快感は全くなかった。むしら、少し安心するような感じさえした。
……なんだ、いきなり話を止めたりして。息? ……ああ、息ね。それがね、全く苦しくなかったんだよ。クジラと別れたあと、そのことに気づいたんだ。
そしてクジラはね、こう言ったんだ。いや、実際にそう言ったんじゃなくて、私にはそう聞こえた。


あなたはひとりじゃないのにねぇ、あなたも完璧じゃないのにねぇ、と


そう言ったんだ。
岸川。私はね、その時、久しぶりに泣いたんだ。
水の中で泣くと、目が更にぼやけることを知ったよ。目の前がモザイク画のようだった。私は、何故自分で泣いているのか、ちゃんと理解した。
私は、ずっと一人だと思っていた。誰も私に目もくれず、助けてもくれないんだって勝手に思い込んでいた。相手が自分のことを拒否していたんじゃない。自分が相手のことを拒否していたんだ。自分で勝手に壁を作って、それを「孤独」と称していただけだった。この手を伸ばして、助けを乞おうとしなかった。
そして、私は知らず知らずの内に、自分を完璧だと思っていた。他の人とは違って私は、凄いんだと思ってしまっていた。その傲慢な気持ちが態度に出てしまっていたのかもしれない。それを気に食わない人たちが私のことをいじめてきたんだ。
私は大きな勘違いをしていた。
クジラは泣いている私を慰めるように、私の頬をそっと撫でてくれた。そして、クジラは「さあ、お行き。家に帰りなさい」と言わんばかりに、私を水面へ導いてくれた。
私は水から、顔を出した。まだ、外は真っ暗で月だけが光っていた。
私はもう一度潜った。
しかし、クジラはいなかった。


そして、プールはもう、深海ではなくなっていた。


それから私は、孤独ぶるのをやめた。完璧だと思うこともやめた。
自分から相手に歩み寄ってみようと努力をした。その努力が報われたのか、私へのいじめは徐々に衰退していった。
今では、いじめの主犯の子とは親友だよ。すごい変わりようだろう?
そして私は、泳げるようになっていた。泳げるとわかった途端に、私はすさまじい勢いで水泳を習得していった。
あとは、他の人たちと同じように「教師になる」という夢を見つけ、大学に進学し、今に至る、というわけだ。
……ん?ああ、クジラの種類?それね、多分正体不明の個体だと思うんだ。つまり、何の種類のクジラかわからない。
でも、私は分かった。
あのクジラは「52㎐のクジラ」だと思う。
知ってる? 52㎐のクジラ。さっき言った通り、クジラはね15~25ヘルツで鳴くんだけど、ある正体不明の種の個体のクジラは52㎐で鳴くんだ。
52㎐で鳴くクジラは、今のところこの一匹しか見つかっていない。だから、このクジラは「世界でもっとも孤独なクジラ」と呼ばれているんだ。
でも、私は思うんだよ。あのクジラは、自分のことを「孤独」だなんて思っていなかったんだ。自分と同じ特徴を持つクジラがいなかったとしても、自分がクジラである限り、自分は「孤独」ではない。全く同じクジラがいないのは当然のことなのだ、と考えているんじゃないかって。

「これで、私の話は終わりだ」
先生はそう言った後、軽くため息をついた。
「どうだ?参考になったらいいけど」
「参考とか以前に先生の過去が凄惨過ぎてびっくりしています」
「あはは、そう?」
先生は楽しそうに、しかし、ちょっと困ったように笑った。
先生は「孤独じゃないこと」「完璧じゃないこと」に気づいて、プールの深海を克服した。
なら私は? 私は、何に気づけばいいんだろう?悩み事だって、泳げないこと以外ないし、勉強に困ってるわけでもない。友達がいなくていじめられてるわけでもないし、家族の関係も良好だ。
一体、私には何が欠けている? わからない。私は何が足りないんだろう?何の意識が、考えが、あの深海を作り上げているんだろう?
私は答えを求めるように先生の目を見た。先生が、わかるわけがないとわかっているけど、先生なら何か私にアクションを起こしてくれるんじゃないかと思った。何の根拠もないけれど。
「私にはわからないよ。自分で見つけるんだ」
「自分で……でも、先生。私は何の生き物かさえ……」
「そうか、まずそこか」
先生はそう言って伸びをした。そのあと、指を鳴らした。
「そうだ、潜ればいい」
「はい?」
「岸川、今日、この後暇か?」
「まあ、暇ですけど……」
そう答えてしまったときに、私は嫌な予感を察知した。
「よし、プールに行くぞ」
「絶対に嫌です」
私は即答した。
今の話聞いただけで、泳げると思ってんの、この人。頭おかしいよ。
先生はわざとらしく頬を膨らませた。
「潜ったら、何の生き物かわかるかもしれないじゃん」
「わかるかもしれないですけど! どうするんですか、人食いザメとかだったら!」
「ホオジロザメのことか?確かにあいつらは人食いザメとか言われてるけど、実際、人間は骨が多くて消化に時間がかかるから好んで食べないし、餌とするアザラシやオットセイと間違って襲うケースが多いから大丈夫だと思うぞ」
「そういう雑学はいらないです」
「いいから、行くぞ」
「嫌です」
「逃げんのか、岸川」
「は?」
私は相手が先生であることを忘れて思い切り威嚇をした。
煽られているのは気に食わない。私のプライドが許さない。
「逃げるわけないじゃないですか、この私が」
「言ったな?じゃあ行くぞ」
先生は少し乱暴に立ち上がり、プールの方へ歩いていった。
うちの学校のプールは屋内にある。いつもきれいに整備されているから、先生の許可があれば、いつでも泳げる。今の私にとっては、とっても都合が悪い状態だ。
「水着に着替えたな?」
「はい」
「じゃあ、飛び込め」
「馬鹿なんですか?」
いやいや、いきなり飛び込めとか無理に決まってるでしょ。なんで、当たり前のように飛び込めっていうのこの人。
「無理なのか?だったら、やめても……」
「やります。やりますから待ってください」
先生は小さく、わかったと呟き、私のことをじっと見た。腹を括るしかない。
私はプールサイドに腰を下ろし、爪先でプールの水を触った。冷たい。当たり前か。私はため息をついて、プールの中に入った。体全体に水がしみ込んでいるようだ。昔はこの感覚が好きだった。
私はゴーグルをつけた。そして、意を決して水の中に潜った。
そっと、目を開いてみると、やはりそこは深海だった。上も右も左も下も、真っ暗で何もない。恐怖感に支配されて、動くことができない。早く上がろう。そう思った時。
また、聞こえてきたのだ。あの鳴き声が。
それだけではなく、少し水が波立っているような気さえする。いるのだ。私以外にこのプールの中に得体の知れない何かが。
そうわかった瞬間に、私は水から上がった。上がるときに、水を飲んでしまい、思い切りむせた。
「おー、大丈夫か」
先生が呑気な声で言った。私は顔を拭って思い切り先生を睨んだ。
「……上がっていいですか」
「どうぞ」
先生は私に手を差し伸べたが、その手を取らずプールサイドに上がった。
「何の生き物かわかった?」
「わかるわけないじゃないですか」
「……もしかして怒ってる?」
「当たり前じゃないですか」
私は、先生の方を向いた。
「いきなり、何かが変わるわけないじゃないですか。何でわかると思ったんですか。自分ができたからですか。自分がわかったからですか。だから、私にもわかると思ったんですか。一緒にしないで下さいよ。それに私は、『生き物の正体がわからない』と言っただけで『生き物の正体が知りたい』なんて一言も言ってないですよ。それなのに脅して、怖い思いをさせて、罪悪感ないんですか」
「……それは、すまなかった。それだったら断れば」
「断ったら、私のプライドがどうなるかわかって言ってるんですか!」
先生の言葉を遮って、叫んだ。私の声がプールサイドに響き渡る。プールの水面がかすかに揺れる。あの得体の知れない何かは、まだいるのだろうか。だとしたら、私の叫びを聞いて消え去れ。そして、二度と出てくるな。
「私は、泳げればよかったんですよ! 私の過去の話なんか聞かずに、すぐにでも泳ぎ方だけ教えてくれればよかったのに、先生が変な話するから、こんな怖い思いすることになったんじゃないですか! 私のプライドをどれだけボロボロにすれば済むんですか!? 私はあなたを信用して話をしたのに、結局、敵側に回るんですか!? 私の味方してくれないんですね!?」
「岸川、落ち着け。私はお前を怖い思いをさせたかったわけじゃない。お前が泳げるようになる手段として」
「手段なんかどうでもいいんですよ! 結果です! 『私は泳ぐことができる』っていう結果が欲しいんです! そんな遠回しな手段じゃなくてもっと簡単な手段だってあったでしょう!? やっぱり私の味方なんかには」
私のその言葉は、途中で途切れた。私も何が起こったかわからなかった。数秒後、自分は先生に頬をぶたれたのだ、と理解した。じわじわと頬に痛みが広がり、目に涙が溜まってくる。先生は厳しい目つきで私のことを見ていた。見たことない顔だった。
先生は私をじっと見つめたあと、ため息をついた。
「泳ぎ方だけ教えても、今のお前じゃ絶対に泳げない」
先生は冷たく言い放った。その目があまりにも鋭くて、怖くて、反論したくても出来なかった。
「もう帰りな。水着は更衣室に置いといていいから」
先生はそう言って、背を向けて歩いて行った。


「夏休み後には、その性格直しなよ」


先生はそう言って、扉を閉じた。プールサイドには残された私は、先生が去って行った方向を見つめていた。
目から涙が溢れる。
本当に見捨てられたのだ、と自覚した。
 

強がりベルーガ

強がりベルーガ

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-03-16

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