枯花畑
わたしは、生れてこのかた、くすんだ色の花しかみたことがありません。それは、わたしの目にふれると、たちまち凋んでしまうからです。わたしは、それが自分が関わっている現象だとは露知らず、花というものは、みんなそのような黝んだ色なのだと思っていました。ですから、あざやかな彩りの花々を図鑑でみたときは、それはたいへんに驚きました。と同時に、実際にまだそのような花々に一度として出会っていないことが、不思議でなりませんでした。わたしの描く花の画は、かたちこそ違えど、色合いはどれも似たり寄ったりで、離れてみれば、視覚に対するあまりの刺激のなさに、つまらない印象を与えたことでしょう。しかし、わたしは自分の画をつまらないと思ったり、寂しい雰囲気だと感じたりはしませんでした。「枯れた花なんか描いて、なにが楽しいの」わたしは、見頃ということばが嫌いでした。人間のために咲いているわけでも、見られるために咲いているわけでもないのに。百歩譲っても、花はいつだって見頃でしょう。わたしにとって、咲くと枯れるは同義語だったのです。きみは枯れた花ばかりみていて不思議な子だね、といわれたのを思いだします。枯れた花にも夢中になれるなんて、きみはうつくしい心をもっているよ。わたしは嬉しさなどは微塵も感じず、ただ困惑していました。ちがうんです先生、わたしはあなたたちのいう「枯れた」花しかみたことがないんです。そして、「枯れている」からみないなんて、あんまりじゃないですか。わたしは、はじめて花というものをみたとき、くすんで俯いている花をみたとき、綺麗だなって、思ったんです。いまにも吹き飛ばされてしまいそうだけれど、まだ自立している。危うさのなかの、儚さのなかのうつくしさ。あなたたちは、咲いたばかりの花をみたことがあるから、枯れた花にも抒情を見いだすことができるのかもしれないけれど、わたしは、はじめからそのうつくしさを知っていたんです。そしてわたしは、そんな自分が可哀想だとは思いません。周囲から見向きもされなくなったものが、わたしにとっての大切な存在。わたしはそれを、心から愛します。あなたたちが、咲きはじめの花に注いだ愛情以上に。わたしは、俯いている花を下から覗き込んで、顔を合わせて、話をする。対話をする。微笑みかける。摘まずに、みつめる。みつめて、愛でる。わたしは、このすがたの花を、そして、このすがたしか知らないわたしを、誰よりも愛しています。誰が何といおうと、わたしは幸せです。わたししか知らない花畑に、いつだって、何度だっていけるのですから。
枯花畑