月影の余韻

加月ゆずみち

【黄金波の一夜】の続編です。


 その日の深夜、俺は自室で羽筆を走らせ、研究の成果をまとめていた。
 魔法師の弟子を連れてある場所へ出かけてから、魔法陣で飛んで家に戻った。すぐに風呂に入った後、部屋にこもってずっと本を書き綴っているのだ。
 依頼主に出さなければならない仕事を、なるべく早く終わらせないといけない。
 しばらく夢中になっていると、俺の感覚に気配を感じた。隣の部屋の扉が開く音がして、静かな足音が階下へ降りていく。もちろん、俺の弟子――ミント=ペンファーナの足音だ。
 手洗いかなと思いつつ、俺はすぐに洋紙へ意識を戻した。
 それからどれくらい時間が経ったのか、再び階段を上ってくる足音がして、俺の部屋の前で立ち止まった。

「師匠、入ってもいいですか?」

「どうぞ」

 扉が開いてミントが姿を現した。肩で切り揃えられた明るい茶髪に、つぶらな深緑の瞳が印象的な少女。俺から見ると小柄で華奢な身体だ。寝衣に上着を羽織った格好で、両手にはお盆を持っていた。ティーカップから湯気が立ち上っている。俺が起きているのを知っているから、わざわざ用意してくれたのだろう。

「師匠、休憩したらどうですか?」

「ありがとう。悪いけどテーブルに置いといてくれる。今、手が離せないし」

 俺は気をつかってくれることに、内心笑みを浮かべつつ、ミントにそう言った。実際、手が離せる状況ではない。
 彼女はサイドテーブルにお盆を置くと、そのまま部屋を出て行くのかと思いきや、なぜか俺のベッドに腰掛けた。テーブルの椅子に座らないのは、本が山積みされているためだろう。

「ミント、俺のことはいいからもう休みなよ。明日早いんだから」

 書き続ける手を止め、さすがに注意した。夜遅くまで起きていることも含め、この時間に師匠とはいえ、俺の部屋に留まるのはどういうことか。 

「疲れているんですけど、眠れないんです。妙に頭がさえてしまって」

 だけど、ミントは全然気にした様子がなかった。この娘には警戒心がないどころか、むしろ俺の前では無防備すぎるほどだ。
 俺は頭が痛くなるのを感じつつも、

「自分の部屋に戻って、本を読んだらどうかな。俺のところから適当に持ち出していいからさ」

 部屋に戻るように促すが、彼女は首を横に振った。

「本を読むよりも、師匠と話をしたいんです。師匠が終わるまで待ちますから」

「うーん、俺の仕事の邪魔になるんだけど……」

 実際にはミントがいても仕事に差し支えはない。単純に俺の心境の問題だった。

「わたしが小さい頃は、こうして来ればかまってくれたじゃないですか」

 すねたような口調でミントが言ってきた。
 確かに彼女が幼い頃、過去の影響から泣いて喚くのを、毎晩なだめて寝かしつけていた時期があった。彼女が成長し、眠る前に話をすることもあったが、自然とそんなことはなくなっていったのだが……。
 俺は半ば呆れつつも、ミントに少しだけ付き合うことを決める。

「わかったよ。だけどちょっと待ってて、もう少しで書き終わるから」

 素早くページをめくりながら、羽筆をとにかく走らせる。
 その間、ミントは話をすることなくただ静かに座っていた。俺の書く羽筆の音と、時々ページをめくる音だけが響く。
 こういう時間は久しくなかったのでいやな感じはしない。ただ、ミントの視線がもの珍しげに、俺の部屋を検分しているのを感じていたが。

「ふうー、ようやく終わった」

 最後の文章を書き終わると、羽筆を放り出し大きく伸びをした。首を曲げると音がする。
 席から立ち上がるとサイドテーブルに置かれたカップを手に取る。中身はホットミルクだ。一口飲むとミルクは少し冷めていたが、甘みが強く感じられた。俺の好みを考え、蜂蜜が入れられているのだ。

「おいしいね」

 俺が言うと、ミントに素直な笑顔が浮かぶ。俺がかまうのとほめられたことが嬉しいのだろう。

「師匠は、今何を書いていたんですか?」

「依頼主に出さなきゃいけない研究成果。面倒くさいけど、書いてまとめろってうるさいからねえ」

 本当はそんなもの、切り捨てることだってできるのだが。今の状況が許さない。
 昔はずっと独りでやっていたのだ。だが、この弟子ができてからは、色々と抱えるものが増えた。仕事もその一つ。
 何しろ彼女を養っていくだけの収入が必要だ。まあ、これでも魔法師としての伝手はあるし、高額な報酬を得ているので困ったことはないが。

「……大変ですね、魔法師も」

 どこか他人ごとのような言葉に、俺は弟子を軽くにらむ。

「もちろん大変だぞ。魔法師だって依頼と仕事がなきゃ食っていけない。それに魔法には、まだ改良して発展できる部分もあるから、新しい魔法だって生み出さないと。魔法をより良いものにするのが、魔法師の役目でもあるからな。こうした日々の研究や積み重ねが大切なんだ」

 師匠として、そこは尤もらしいことを強く言っておく。ミントは背筋を伸ばして頷いた。

「はい、ちゃんと自覚を持ちます。だけどまだ先の話ですね、わたしの場合は」

「……確かにな」

 彼女の言葉には思わず苦笑いで頷いた。ミントはまだまだ見習いの弟子に過ぎないのだ。果たして魔法師としてやっていけるかは、本人の意思次第ともいえる。
 しかし俺の心のどこかで、ミントにはずっとこのままでいてほしいという、あってはいけない願望もあるのだが……。それは秘密だ。

「えっと、師匠は月が好きなんですか?」

 そこでミントが急に話題を変えてきた。どうやら今のことを突っ込まれたくないらしい。

「そうだね、月を見るのは好きだよ」

 俺は窓際に寄るとカーテンを少し引き、外の風景を見上げた。こちらの月は黄色みがかっており、今日は雲の影響かかすんで見えた。

「ここの月も、晴れている時に見るときれいだけど、あの場所の月にはかなわないな」

 そう言いながら、脳裏には残像のごとく美しい風景が浮かんでいた。一度見れば忘れられない、金のさざ波と闇の中に浮かぶ大きな満月が。
 月を見上げていると、月明かりがやさしく照らし出し、何も考えず何も浮かぶことなく、自分の中で溜まっているものを少しずつ解き放っていく。
 俺があの光景を望むのは好きということもあるが、月の満ち照らす静かな音に癒されるからだ。あらゆる猥雑さを忘れさせ、ただ真っ白になれるから。

「本当にあの月が好きなんですね。わたしも、あんなに綺麗なところは初めて見ましたけど……」

 ミントも窓を見上げ月を見ているが、実際には俺と同じあの場所で見た月と、黄金の芒穂波を浮かべているのだろう。

「俺が月を好きなのは、あの光景を見てから、というわけじゃないんだけどね。昔、嫌なことが続くことがあって、よく夜に一人で出歩いていたんだ。その時に見上げるといつも月があって、ただ見上げているだけで、俺は嫌なものから解放された。醜いもの、汚いもの、そういったものからね……。人によっては月を冷たい、不吉なものとして捉えることもあるけど、俺にとっては極上の……、そう、心を清めてくれる光、かな」

 柄にもなくミントに語ったことに内心自嘲する。彼女をあの場所へ連れて行ったのは自分なのだし、彼女なら揶揄することもなく、聞いてくれるだろうと思っていた。
 実際、ミントはじっと俺の話を聞いていた。その瞳は静謐さを湛え、俺に注がれている。奥に不思議とやわらかい銀月の光を見た気がして、俺もまた彼女の瞳を見つめた。

「……師匠の言うこと、少しだけわかる気がします。いやなことがあった時に、空を見るとなんだか吹き飛びますよね。わたしの場合は月じゃなくて、例えば雲一つない青空とか、山から見下ろす街並みを見た時にそう感じるんですけど」

 ミントはやがてそっと微笑みを浮かべ、言葉を選ぶように言った。

「師匠は月で、わたしは昼間の空、ですかね」

「ミントらしいかな。俺は夜空を見上げることが多かったから、月に感じるのかも」

 そんなことを言って自然と笑みが浮かんだ。

「師匠、絶対にあの場所へ、また連れて行ってくださいね。約束ですよ」

 ミントは約束を交わすように俺の前に手を差し出してきた。

「もちろんだよ。約束する」

 俺は頷き、彼女の手をとるとそっと指を重ね合わせ、軽く握り締めた。ミントは満足そうに頷き、同じように軽く握り締めてきた。
 手と手を重ね合わせ指を組む──約束や誓いを交わす簡単な儀式のようなものだ。
 それから二人でとりとめのない話をした。明日の朝食や、魔法の修行のこと、どんな魔法師を目指しているのか……。
 やがてミントが、あくびをかみ殺すように軽く口に手を当てた。どうやら眠くなってきたらしい。

 ──さて、そろそろ忠告をしておくか。

 俺はすっかり空になったティーカップをテーブルに置くと、

「さて、ミント」

 改まって彼女に呼びかけた。

「はい?」

 俺が間近に迫っても警戒する様子もなく見上げてくる。やっぱり瞳に用心というものがない。

「ここで、師匠として一つ忠告」

 言いながらどんっと彼女の肩を押した。華奢な身体が抵抗もなく後方へ倒れこみ、ベッドがきしむ。俺は覆いかぶさると、ミントの顔の両側に手をつき、彼女の瞳を覗き込んだ。

「……し、師匠?」

 何をされたのかわからないまま、びっくりした様子で瞬きをしながら俺を見上げてくる。

「師匠とはいえ、夜遅くに男の部屋に来ないこと。もうミントは、子どもじゃないんだからな」

 俺はさらに間近に顔を近づけ、深緑の奥をじっくり覗き込んだ。流れ落ちる黒髪がカーテンのように周囲の景色を遮り、彼女の顔だけを浮かび上がらせる。
 ミントから空気に溶け込むように、かすかにいい匂いがした。風呂に入った後の石鹸のにおいと、熱と、彼女特有の甘い匂い。ふわりと感じるそれらは、じんわりと染み込んで、俺の意識と身体中を侵食していくようだ。
 俺は手を伸ばすと彼女の頬から耳朶、首筋へと触れていく。

「こういうことをされても、抵抗できないだろう。ミントはもっと、警戒心というものを持ちなさい」

 ようやく何をされているのか認識したのか、彼女の見上げる顔に焦りが浮かんだ。

「……わかった?」

 わざと耳元でささやくと、ミントの顔が紅色に染まる。言葉もなく何度も頷く彼女に俺は微笑んで、

「おやすみ」

 軽く額を突(つつ)いた。彼女の身体が弛緩し瞼が閉じられる。すぐに安らかな寝息が聞こえて、ふうぅと息を吐いた。これなら眠りの魔法で朝まで起きることはないだろう。
 一度ミントの身体を抱き上げ、ベッドへちゃんと寝かせると布団を被せた。寝顔はぱっと見ると、幼い頃の彼女とそう変わらない印象だった。しかしよく見れば、随分と大人びて女性的な顔立ちをしている。それはそうだ。彼女は子どもじゃない、もう一人の女性だ。だから警戒心を持てとの忠告は、身に染みてわかっただろう。……身に染みていることを願う。
 忠告――それは同時に俺自身への警告だった。

 俺は髪をかきあげ、自分の中で沸き立つ感情を押し殺す。彼女を弟子以上に大切に思っているからこそ、傷つけたくないし守りたいのは真実だ。初めて出会ったあの時、交わした誓いのままにあるためにも。
 そもそも、弟子に対してこんなこと許されるわけではない。絶対に封じ込めておかないといけない。ミントにとって、俺は魔法の師匠であり、最も信頼されている育て親なのだから。
 改めて息を吐いてミントの顔を見つめた。そこには強い疲れの色が見えており、さすがに申し訳なさがたった。彼女にとって山を登ったことはかなりきつかっただろう。
 それでも俺は、あの場所へミントを連れて行きたかったのだ。

 ――『あの、どうしてわたしをここに?』

 ミントに問われて俺はあの時『贈り物』と答えた。それは本心で間違いないし、日常の労う意味もあった。しかし本当は──

「本当は二人っきりで月が見たかった、俺の願望(わがまま)なんだけどな……」

 いつの頃か、彼女を連れて行きたいと願っていた。自分だけが知るあの場所にミントを連れて、二人きりだけの時間を、その記憶に刻みたかったのだ。
 ミントには、今日の一夜の出来事がどう映っただろうか。
 できれば良い思い出として残ることが、俺にとって心からの望みだった。

月影の余韻

月影の余韻

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-03-16

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