散りゆく桜の花のようにそっと10


  ☆


「色々ありがとうございました」
 佐藤可奈はわたしが駅のロータリーで車を止めると、そう改まった口調で言って頭を下げた。
「そんなかしこまらなくていいよ」
 わたしは照れ臭くなって笑って言った。

 佐藤可奈が車を下ろして欲しいと言ったのは、まだ京都駅からだいぶ離れた、寂れた感じのする郊外の駅だった。駅前だというのに繁華街らしものは何もなく、店といえば、通りを挟んだ向かい側にコンビニが一軒立っているのが見えるだけだった。

「でも、ここまで来たんだから、ついでだし、もっと京都駅近くまでいってもいいんだよ」
 と、わたしが心配して提案すると、彼女は首を振って、
「いいんです。ここで」
 と、短く答えた。
「わたしの実家って、京都の中心からだいぶ離れたところにあるんですよ。だから、むしろここから電車に乗っていった方が近いんです」
「なるほどね」
 と、わたしは納得して頷いた。

 少しの沈黙があった。わたしも佐藤可奈も黙っていた。これから彼女がいなくなってしまうのだと思うと、比較的長い時間を一緒に過ごしたせいか、名残惜しい気持ちになった。

「大塚さんともここでお別れなんですね」
 どうやら佐藤可奈もわたしと同じことを感じてくれていたようで、わたしの顔を見ると寂しそうに微笑んで言った。
 わたしは微笑して頷いた。

「わたしに大塚さんみたいなお姉ちゃんがいたら良かったんだけどな」
 佐藤可奈は明るい笑顔で冗談めかして言った。
 わたしは苦笑して首を振った。
「だめだよ。わたしみいな品のないお姉ちゃんなんて」
「確かに品はないかも」
 佐藤可奈はわたしの科白に悪戯ぽく笑って答えた。
 いまなんて言った?と、わたしが笑って冗談で返すと、佐藤可奈は可笑しそうにクスクス笑った。

そしてそれから、
「そういえば、まだ聞いてなかったけど、大塚さんってこれから何をしにいくんですか?」
 佐藤可奈はわたしの方を振り向くと、ふと思いついた様子で尋ねて来た。

「ああ、まだ話してなかったけ?」
 わたしは彼女の問に、これから友達に会いに行く予定なのだと告げた。昔、アルバイトをしているときに知り合った、小説を書いている友達のこと。

「へー。小説家かー」
 と、佐藤可奈はわたしの話に感心したように頷いた。
「すごいですね。自分で物語が書けるなんて。わたしなんて想像力ゼロだから絶対無理ですよ」
 彼女はそう言ってから、愉快そうに少し笑った。
「わたしも物語を書くなんて無理だなぁ」
 と、わたしも軽く笑って正直な実感を述べた。

「そのひと、どんな話を書いてるんですか?」
 と、佐藤可奈は興味を惹かれたように続けて尋ねてきた。
「どんな話かぁ」
 わたしは呟いてから、引越しする直前に読んだ沢田の小説を思い起こした。
「一口で説明するのは難しいけど、静かで、優しい感じのする小説だよ。冷たく、澄んだ、穏やかな風みたいな」

「へー。面白そう」
 佐藤可奈は明るく表情を輝かせて言った。
「わたしも読んでみたいかも。その小説」
「今度、コピーして送ってあげようか?沢田もできればたくさんのひとに読んでもらいたいだろうし」
「いいんですか!?」
 彼女はわたしの提案にほんとうに嬉しそうに弾んだ声を出した。
 わたしは微笑して頷いてから、彼女に住所を教えてもらい、それを携帯電話のメモ帳に記録した。

「だけど、みんなそれぞれ目標を持って頑張ってるんですね」
 と、佐藤可奈はそれまでわたしの方に向けていた顔を正面に戻すと、いくらか眼差しを伏せるようにして小さな声で言った。

「わたしの場合は過去形だけどね」
 と、わたしは微苦笑して訂正した。

 わたしの科白に、佐藤可奈は黙ったままでいた。そしてそれから、彼女は何かに思いを巡らせるように俯いたままでいたけれど、
「わたし、何もないんですよね」
 と、やがて口を開くと静かな声で言った。

「何もない?」
 と、わたしが彼女の横顔に視線を向けて反芻すると、彼女は短く頷いてから、
「大塚さんたちみたいに、わたし、人生においてこれがやりたいっていうような具体的な目標って何もないんですよね」
 と、呟くような声で言った。

「でも、それはそれでべつにいいんじゃない?」
 わたしは彼女を慰めるでもなく微笑みかけて言った。
「わたしたちみたいにやりたいってことがあると、かえってそれが執着に変わって惨めな思いをしたりすることだってあるからね」

 佐藤可奈はわたしが口にした言葉の意味を吟味するように少しのあいだ黙っていたけれど、やがてわたしの方を振り向くと、
「でも、たとえそうだとしても、わたし、何か欲しいんですよね」
と、真剣な表情で言った。

「何か明確な目標みたいなもの。結果としてそれで苦しむことになったとしても、自分がこのために生きてるって思えるような、そういうものが欲しいなって思う」

 佐藤可奈はそこまで話すと、
「ごめんなさい。突然熱く語ったりして。こういう考えた方ってたぶん幼いですよね」
 と、恥ずかしそうに小さく微笑して謝った。

 わたしは微笑んでそんなことないよと答えた。

「とにかく」
 と、佐藤可奈はわたしの方に向けていた視線を正面に戻すと言葉を続けた。
「わたし、大塚さんたちが羨ましいなって思ったんです。具体的なやりたいことがあって。だから、わたしもこれから探してみようかなって思うんです。やりたいこと。自分が夢中になれること」

「そっか」
 と、わたしは彼女のことを暖かく見守るように見つめながら相槌を打った。

「だから」
 と、佐藤可奈はまたわたしの方を振り向くと、更に言葉を継いだ。
「大塚さんも音楽やめないでくださいよ。趣味でもいいから続けてください」
 と、優しい笑顔で言った。

「そうだね」
 と、わたしは少し迷ってから曖昧に微笑んだ。




 
                           ☆


 沢田の故郷まであともう少しで辿り着けそうだった。

 時刻は午前十一時を回ろうとしている。いまわたしが運転している車は海岸線の道を走っていて、窓からは濃い青色をした海を見ることができた。もうすぐ正午を向かえようとする日差しは強く、海面はその明るい光は受けて眩しく乱反射していた。まさに夏の海といった感じする。

 遠くの方には巨大な入道雲が見え、海の上にはヨットらしき船の姿がいくつか見えた。わたしはそんな夏らしい光景を軽く目を細めるようにして見つめた。そしてわたしはとなりを振り向いて、「夏らしい景色だね」と、感想を述べようとして、開きかけていた口を閉ざした。もうとなりの助手席には誰も座っていないのだ。

 佐藤可奈とは駅の改札の前で別れた。彼女はべつに駅まで見送ってくれなくてもいいと言ったのだが、わたしが無理に駅の改札までついていったのだ。車の前で彼女とあっさりと別れてしまうのは、なんだか名残惜しかった。

「そういえば、昨日、車のなかで喧嘩した彼氏とはどうするの?」
 彼女が自働発券機で切符を買ったあと、わたしはなんとなく気になって尋ねてみた。
「このまま別れちゃうの?」

「どうしようかな」
 彼女はわたしの問に、表情を曇らせて呟くように言った。それから、彼女は鞄のなかからケータイ電話を取り出して、恋人から連絡が来ていないかどうかを確かめた。

「彼氏から、メールとか、電話来てないの?」
 と、わたしが尋ねてみると、彼女は軽くふて腐れたように唇を尖らせて首を振った。
「アイツ、わたしのことなんてどうでもいいんですよ」
「そんなことないと思うけどな」
 と、わたしは軽く笑って言った。
「きっと佐藤さんがまだ怒ってると思って連絡しづらいんだよ」

 彼女はわたしの言葉に、不審そうにもう一度ケータイ電話の画面に視線を落とした。

「ほんとはすごく気にしてると思うけどな。佐藤さんが自分と別れたあとどうしたんだろうって」
「そんなことないですよ。アイツはきっとわたしなんてどうなたっていいと思ってるんです」
 佐藤可奈は怒ったような顔で言った。

「それにもし、心配してるなら、喧嘩別れしたあと、すぐに電話かかってくるだろうし」

「でも、電話したけど、電波がなくて電話がかからなかったとか。電話しようとしたけど、ケータイの充電が切れちゃってたとかかも」
 わたしは彼女の顔を見つめて言ってみた。

「それですぐにあなたのことを向かえに別れた高速に向かったんだけど、そのときにはあなたはわたしと一緒に移動したあとであなたには会えなかったのかもしれないじゃない?」

 佐藤可奈はわたしの言ったことについて検討するように黙っていた。

「電話してみたら?」
 わたしは黙っている彼女に向かってなだめるように言った。
「まだ好きなんてしょ?彼氏のこと」

 彼女はわたしの科白に、どこか思いつめたよう表情を浮かべてしばらくのあいだ黙っていたけれど、やがて俯けていた顔をあげてわたしの顔を見ると、
「そうですね」
 と、何かを認めるように、仕方がないというふうに口元を綻ばせて頷いた。

「家に帰ったら電話してみます。それで素直に謝ります。わがまま言ってごめんって」
「そうした方がいいよ」
 わたしは微笑んで言った。
 彼女は黙って頷いた。
 
 佐藤可奈は駅の改札を抜けると、わたしの方を振り向いた。そしてわたしの顔を見ると、
「色々ありがとうございました」
 と、軽く頭を下げて改まって口調で言った。
「車のなかで眠ってばかりでごめんなさい」
「あんたの寝顔、可愛かったよ」
 わたしが微笑してからかうと、彼女は顔を赤らめて首を振った。

「元気でね」
 と、わたしは微笑んで言った。
「大塚さんも」
 彼女がそう言ったところで、唐突にケータイ電話の着信音が鳴った。一瞬、自分のケータイ電話が鳴っているのかと思ったが、どうやら鳴っているのは彼女のケータイ電話のようだった。

「もしかして彼氏から?」
 わたしが笑って冷やかすと、彼女は恥ずかしそうに微笑して頷いた。それから、彼女は着信音が鳴り続けるケータイ電話に視線を落としてから、またわたしの顔に視線を向けた。

「それじゃあね」
 わたしは彼女に向かって片手をあげると、方向転換をして歩き出した。

 そして少し進んだところで後ろを振り返ってみると、ケータイ電話を耳にあてて嬉しそうに話している彼女の顔が見えた。きっと仲直りできたのだろう。わたしはケータイ電話を片手に明るい表情で話し続ける彼女の顔を見つめながら、心のなかで良かったねと微笑むようにそっと思った。

散りゆく桜の花のようにそっと10

散りゆく桜の花のようにそっと10

散りゆく桜の花のようにそっと

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-04-11

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