原発の儚 1️⃣1️⃣~2️⃣0️⃣

草也

原発の儚
 
1️⃣1️⃣ 目眩
 
 男が、「掛けてもいいですか」と、乞うと、意外な程に、女が応じた。「どうぞ。あなたがそんなに言い張るなら、詳しい話を聞きたいわ」「詳しく?」「そうよ」「そうですね。神は細部に宿るって言いますからね」「そうよ。あなたが言う、そんなに重要な部屋で、その夫婦がどんなことをしていたのか、つまびらかに言ってみてちょうだい」

 男が話し始めた。「入るなり抱き合って。キスをして。長かったな。舌を絡めて。互いの唾を飲み合って。異様なほどに……。どこにもないあの密閉された環境だ。きっと、…興奮したんだ。そうでしょ?」「キスをしながら…。ご主人があなたの乳房を揉んで…。あなたはご主人の股間を探って…。あなたがシャツのボタンを外したんだ」「自分で?」「そう」「そしたら?」「ご主人がシャツを脱がせた。ブラジャーも外して。豊かな乳房が揺れながら現れたんだ。あなたのその乳房だ。驚いた」「何が?」「乳房が痣だらけなんだ。よくよく考えたら、キスマークだった。そうでしょ?」

女は蒼白だ。「今もキスマークだらけなのかな?」女が胸を押さえる。「図星みたいですね?」「違うわよ。余りに厭らしい話だから…」「まあ、いいでしょ。その乳首を舐めて…。キスをして…。乳首を吸って。乳首は…。舌で転がして…。あなたが跪いて、ご主人のズボンを脱がせたんです。まあ、夫婦なんだから、何をしたって構わない理屈なんですが、ね」

 「ちょっと待ってちょうだい。さっきから、その決めつけた言い方は止めてちょうだい。私は否定してるんですからね」「失礼しました」「あなたが見たのは確かに私と主人だったの?」「間違いありません」女に安
堵の笑みが浮かんだ。「それから?」「パンツも脱がせて。口にくわえて?」「何を?」「股間」「股間は?
」「陰茎ですよ」「どんな?」「貧相な」「貧相?」「なかなか勃起しないんですよ。そうでしょ?」
 「その部屋は明るかったのかしら?」「今みたいに真っ昼間のようでした」 
この男は嘘をついている、女は確信した。「声は聞こえたのかしら?」「残念ながら、よくは聞き取れなかった」さらに安堵する女に、「でも、肝心なことは聞いていますよ」

 「…それからどうなったの?」「小さいから根本までくわえて。陰嚢も舐めてましたね?」「違うったら」「それでも勃起はしないんだ。驚きましたよ。女がバックからある物を取り出して。男のに塗ったんだ」
 女の顔色が変わった。男はあることを確信する。「でも、あなたじゃないんですよね?」「違うわ」「じゃあ、何だったと思う?」「私が知るわけがないでしょ?」「チョコレートだったんですよ。チューブに入った。あんなのがあるんですね?」「知らないったら…」「その男のにたっぷりと塗ったんだ。それを舐め回して。旨そうに。音をたてて。その音がベント室に反響していた。違いますか?」「またそんなこことを。私はそんな所には行ってないのよ」「まあ、いいでしょう」

 「だったら」と、言いかけた女が、「待って。もういいわ。何だか目眩がしてきたわ」「暑さのせいですよ」「そうね」「大丈夫ですか?」「決して、私たちじゃないわ」「あなたがそこまで言うなら、詳しく検証する必要がありそうですね?」「勿論だわ。あなたの言いがかりを放置したら、計り知れない被害を被るのは私ばかりなんだもの。徹底的に真相を解明したいわ」「まあ。あなたの裸を確かめれば、一瞬で明らかになることなんですがね」「どうして?」「あなたが、否、失礼。その女と言っときましょう。全裸になりましたからね」「…それを見たっていうの?」「はい。だから、あなたの裸を見せてもらえば、真実はたちどころに解明するって、言ってるんです」「馬鹿を言わないでちょうだい。そんなことに応じるわけがないでしょ」
 「それにしても、ここは暑いな」「だって、まったく風が通らないもの」「それに、こんな話をしていると目眩がしそうだ」「そうね。気が変になりそうだわ」


🎆 疑念

 妖艶に揺れる女の尻に続いて部屋に入った男が、「いい風だ」と、汗をぬぐう。「酷く喉が乾いたな」と、呟くその男を、肘掛けの椅子に座らせると、女はすっかり諦念した風情で背中を見せた。青いワンピースのあちらこちらには汗が滲んでいる。「奥さん。少しもお構いなく。氷だけをいただければ有り難いんですが…」と、ワンピースの薄い生地が張り付いて浮き立たせた、放埒な尻の割れ目を男の声が撫でる。女が振り返ると、「ウィスキーが飲みたいんです」男がバックからウィスキーのボトルを取り出した。「用意がいいのね?」「これじゃないと駄目なんだ」「あの会社のね。珍しい銘柄だわ」「ウィスキー、好きですか?」「まあ…」「グラスも頂けますか?」再び、汗を滲ませて揺れる尻に、「あなたの分も忘れないで」振り返った女の頬がわずかに怪しさを忍ばせて緩んだ。
 

1️⃣2️⃣ 思案

慌ただしくコップの水を流し飲んだ女が、台所の床に崩れ落ちて大きく息を吐いた。忌々しい闖入者だと、音をたてて舌打ちをする。
 女はこの事態の解決の方途を、未だに思い付けないでいた。真夏の真昼が、突然にいかがわしく変容してしまったのだ。不意をくらって、鳥羽口すら掴めないのである。危機は発火したばかりなのだ。

 「あの男は本当に見たのだろうか…」女は混乱している。男の話には事実もあるし、誤謬もある。誇張もあるに違いない。 しかし、女自身の記憶も茫茫としているのである。半信半疑なのだ。女は堂堂を巡っているに相違ない。いずれにしても落ち着かなければならない。
 もう一度水を含んだ。「あの男はどうするつもりなのかしら?」思わず呟いた女が、即座に自らに回答した。
 「夫の出張を見越して、押し掛けたに違いないんだわ。これから三日間も留守なのも知っているんだ。このまま居座り続けて。終いには、きっと、私を犯して。飽きるまで蹂躙するんだわ。これは私が解いた答えじゃない。あの男があからさまに宣告してるんだもの。あの秘密を武器にして、私が必ず屈することを、確信しているに違いない。果たして、むざむざと餌食になってしまうのか。二人きりのこの空間で、私は籠の鳥になってしまったのかしら…」

 「そうだとしたら、今すぐにでも、その勝手口から逃げ出す手だてもあるが…。それで、どう解決するというものか…」「それにしても、あの男は本当に見たのか。だとしたら、何をどこまで知っているのか。あの時に、あの部屋は闇だったのではないか。…そうだ。証拠だ。証拠はあるのか。確たる証拠などある筈がない。若しそうなら、男の主張は原発反対派の虚言として、排斥できるではないか。しかし、この事は表沙汰には、決して、できないのだ。必定、二人の談合で解決しなければならないのだ。いずれにしても、あの事は、決して、悟られてはならない秘密なのだ」


🎆 自慰

 女の思考はさらに混迷する。男は女への思慕を赤裸々に告白した。その意図を疑いながらも、虚無な風貌を、女は嫌いではないのである。むしろ趣向なのだ。第一に、この退屈な真昼に、突然に訪れた無頼に、快感さえ感じるのである。
 乳房を掴んでみる。豊潤に熟れている。あの秘密を死守するためなら、御供などは厭うものではないが。この身体をあの男は気に入るのか。引き換えに、必ず沈黙するのか。
 異様に盛り上がった男の股間が、訳もなく脳裏から離れない。
 眼前の水屋の硝子戸に女の半身が映っている。訳もなくワンピースを捲ってしまう。真裸の半身が現れた。風はない。蒸せかえるような熱気が股間にまで流れ込んで、膚を刺すのであった。

 玄関から男の声が聞こえた時には、湯上がりの自慰の途中だったから、下着を失念していたのだ。濃密な漆黒の陰毛だ。湿っているのは陽気のせいばかりではない。赤黒い股間を両の指で開く。硝子戸で朱い肉が光っている。自己愛に酷く執着するこの女は、快楽の年輪で創られた自分の裸体が、限りもなく愛おしいのだ。油を引いた様に艶やかな白い肌は誇りすら感じる。
 股間の淵を探ると、うっすらと濡れている。この女の股間は肉食植物の様にいつでも陰湿なのだ。思わず指を入れてみる。熱い。この膣は何人かの男から名器だと囁かれたのだ。締め付けてみる。指に艶かしい圧力が残る。あの男にも充分な武器に違いないのである。
 女は四八。男とは大分の歳の差に違いないし、豊満な身体だ。疎まれはしないのか。しかし、こんな身体を欲する性向の男達が多くいることも、女は承知している。
 「あの男もその一人なのか。何れにしても、あの秘密だけは、絶対に埋葬しなければならない。その為には、この身体と瞬発の知恵だけが、私の武器なんだわ」

 戻った女が、長椅子で男と向かい合った。グラスに女が氷を入れ、男がウィスキーを注ぐ。「穏やかな風が入りますね」
 その時、女が不意に慌てた風情で、テーブルの端に乗っていた一冊の本を戸棚にしまった。
 「何かに乾杯したいな」「こうして出会えたあなたの存在に、では、いけませんか?」「出来合いの修辞を平然と言うのね?」「まあ、いいじゃないですか」二人は互いの思惑を飲み込むように、ウィスキーを含んだ。
 こうして、異様なほどに気怠い盛夏の昼下がりに、密室の猥雑な寓話の第二幕が開くのである。 

 
1️⃣3️⃣ 白昼夢 

 ベント室に入るなり、女がある男に抱きついだ。「真っ暗だわ」「この方が都合がいい。こんな所でも、誰が来るかわからないからな」圧し殺した二人の声が、分厚いコンクリートに響いた。「相変わらず用心深いのね」「官僚機構の、あざとい世渡りの要諦だよ」「でも、秘め事には格好ね。あなたの舌をちょうだい」
 二人は慌ただしく服を脱いで、真裸になった。女がしゃがみこんで男の股間を含む。未だ萎縮しているから、女は存分に含んでしゃぶり始める。すぐに隆起が始まった。 「大丈夫?出来そう?」「体位は?」「こんな場所だもの。犬になりたいわ」
 女が四つん這いになって豊満な尻をつき出すと、後ろに回った男が挿入した。女がすすり泣く。「どうだ?」「家は飽きたし。原発もそうだけど、国家を侮辱してるみたいで。普段の何倍も感じてるの」「倒錯の趣向は変わっていないんだな?」「それなら、あなたもでしょ?」「違いない」「こんな秘密の中枢でするのは、最高だわ。また、連れてきて?」「反対派の奴らの目が光ってるからな。ここの、ある労働組合は、取り分け、過激なんだ。関わったら、ろくなことにならない。そろそろ出すぞ」「もう?」「忙しいんだ。すぐに戻らなきゃならない」「慌ただしいのね?」「無理強いしたのはお前だぞ。相変わらず淫乱な女だな。昔からひとつも変わらない」「あなただって。これ。懐かしいわ」「出すからもっと締め付けてくれ」
 射精を済ませた男が、あたふたと服を着て、「帰り道はわかってるな。誰かに出会ったら、迷ったって、とぼけるんだぞ」

 「どうしたんだ?」すると、女は、今までの男の声音が変わった気がした。新たな声が、 「どうしたんですか?」と、改めて女を包んだから、やっばり、あの男ではないと、漸く女は気づいた。
僅かばかりの刹那に、女は白昼夢に陥って、夢幻を、漂ったのだった。暫く前までは甘美ばかりだったが、今となっては忌まわしく変化してしまったあの時の記憶と、突然に襲来した盛夏の気苦しい程の現実が、混濁したのである。
 「どうしたんですか?」そうして、先程までの闖入者の声が、確かに蘇ってきた。「ああ。どうかしたのかしら?」「私、何か変だった?」

🎆 交錯

 網戸の窓から流れ込んだ一陣の風が、女の解れ毛を揺らした。気を取り直した女が、「あなたはベント室の女が私だと、あくまでも言い張るのね?」「事実ですから」「私は打ち消しているのよ?」「あなたの主張は自由です。でも、事実とは違う」「だったら、私達は真っ向から意見を闘わせるのね?」
男がウィスキーを流し込んで、「本当はそんなことはしたくないんだ。しかし、あなたがそう言うなら。不幸なことだけど。仕方ありませんね」ウィスキーのグラスを弄びながら、女が、「私とあなたの考えは交わるのかしら?」「どうなんでしょうね。あなた次第じゃないですか?」「随分と高飛車に言うのね。交わらなければ、こんなはしたない言いがかりをつけられた私だけが、酷く迷惑するだけのよ?」

 「奥さん。誤解しないで欲しいな。俺はあなたを脅してるんじゃない。思慕を告白しているんだ。あなたは大事な存在なんだ。困らせる気なんて更々ない。交わるまで努力しましょうよ?」「交わるまで?」「そう。時間はたっぷりある」
 「時間?そうだわね。こんなに誤解されたままでは、決して、あなたを帰らせられないもの。だから、夫が帰るまでには、あなたのその誤解を解きたいわ」 
「三日間、あなたと一緒か。いいんですね?」
 その時に、あの黒猫が現れて、二人の間を横切っていくのである。「仕方ないんだわ」「わかりました。長丁場ですね」男がウィスキーを含んだ。
 

1️⃣4️⃣ 性愛

 「あなた?私に恋をしたと言ったわね?」男が頷く。「でも、私は人妻。あげくに、夫はあなたの上司なのよ。そんな理不尽を突きつけるって、どういう不条理なのかしら?」「一目惚れしてしまったんです。心の働きだ。道理や理屈ではない」「でも、初めてあなたを見たのが、あんな情景だから。清らかな恋慕とまで言えるかどうか。自信はないけど…」「それに、あの落書きで散々に…」「お忘れ?ベント室の女は、あくまでも私じゃないのよ。そして、落書きはただの煽動の落書きに過ぎないわ。そうでしょ?」

 「あなたの孤独に籠った妄念ではなくて。私の、眼前の、この私に対する、今の気持ちを聞いているんだわ」「情欲というのが正確かもしれない」「情欲?」「性愛です。その思いを遂げたくて訪ねたんだ」
 「だから、どうしたいっていうことなの?」「あなたを抱きたいんだ」女の口許が微かに動くが、一片の言葉にもならない。「どうですか?」真っ白い首元がみるみる紅潮してくる。答えを待つ男が、音を立てて生唾を飲み込んだ。

 「抱くだけ?」「それから、何をしたいとおっしゃるのかしら?」「交接です」女の顔が険しく歪んで、瞳が大きく見開かれる。
 「あなた?本当に会社の方なのかしら?」男が頷く。「紳士的な風貌には似合わないわ。随分とあからさまに戯れ言を言うのね?」「戯れ言ではない」「本気だって言うの?」「はい」「あなた?真実に正気なの?」「はい。こういうことは、本心の、端的が物言いが適切じゃないかな」

 「あなたが見たこととの交換条件なのかしら?」「そんなんじゃない。だいいち、あなたは自分じゃないって言い張ってるでしょ?」「そうだわ」「交換条件なんかにはなりようがない。ただ、恋慕を遂げたいだけなんだ」

🎆 希書

 ウィスキーで唇を濡らした女が、「…あなた。お幾つ?」「三六です」「離婚したって言ったわね?」頷く男に、「でも、その容貌だもの。今、彼女はいるんでしょ?」男が頷く。「その人って、幾つなの?」「三七」「若いんだわ。だったら、こんな私などに横恋慕して。ありもしない猥褻な言いがかりをつけたり。卑猥な戯れ言をさんざんに口走るなんて。いったい、どういうことなのかしら?」

「それとこれは違いますよ。あなたの魅力に、一時に、すっかり、屈服してしまったんです。理屈じゃないんだ」「一切、違わないわ。私に背徳を迫って。恋人も裏切ろうとしてるんじゃないの?何倍もの罪だわ」
 「もちろんあれはあれで愛してます」「それって、余りに身勝手な言いぶりじゃないの?何も知らないその人が可愛そう。どんな人なのかしら?」「至極いい女ですよ」「まあ。ぬけぬけと。恋人だもの。してるんでしょ?」「してますよ」「そうやって、さんざんに女を泣かせて。その逸物が、さぞかし自慢なんでしょ?」女の瞳が濡れている。「見たいですか?」「結構よ。あなた?何を、熱に浮かされたことを言ってるの?これはみんな冗談なんでしょ?」「本気ですよ」
「信じられないわ。あなた?近頃は余りに暑かったから、少しばかり気狂いでもしたのかも知れないわね?」「恋は狂気の沙汰などと言いますから」「私に恋してるって言うの?」「はい。奥さんの魅力にすっかり狂ってしまったかも知れません。あなたへの愛欲の虜なんです」「未だ、そんなことを。人妻が他の男などと交われるわけがないもの。あなたの話は呆れ返るくらいに、不道徳なんだわ」「随分と清浄な素振りですね。今までに、誰ともしたことがないのかな?」
 「夫以外はね。当たり前だわ」「じゃあ、俺は初めての間男になるんだ。すこぶる光栄だな」「そんなこと、許してないわ」「俺の何が駄目なんですか?」「まあ。なんて傲慢な自信家だこと。あなたのこととかじゃないのよ」「じゃあ、何なんだろう?」「交接だわ。あなたとじゃなくても、夫以外と交接をするのが駄目なの。夫のある身で、他の男とだなんて、酷く背徳だわ」
 「あなたの顔も、その爛熟した身体も堪らないんだ」「爛熟?」「そう。熟れすぎた桃みたいに。甘い香りで。俺を散々に惑わせてしまうんだ。目眩がする程だ」「未だ、言ってるの。原発のあの女は、決して、私じゃないのよ」

 女が腰をあげた。「どうしたんです?来んな話が気に障ったんですか?」「そんなことじゃないわ。この暑さでしょ。女の事情なの。ウィスキーを飲んでて」
 女が出て行った。気配が消える。
 男が、先程、女がある本を慌てた風情でしまった戸棚に歩み寄って、戸を引くと、その本があった。包装紙でカバーがしてある。開いて確かめると、ある覆面作家が書いた、幻の存在と噂の小説だ。壮大で痛烈な御門制批判と官能に満ちた、まさしく奇書だ。好事家の間では高く評価されている。男はその本を読んでいた。
 しおりがしてある。開いてみる。つい今しがたまで、あの女はこういう世界に耽溺していたのだと思うと、男の淫情は募るばかりなのである。

 女はニ階の自分の寝室に上がり、汗と恥辱と官能の兆しに汚された衣服を脱ぎ捨てて、派手な模様の布団に裸体を横たえた。豊満だ。傍らの三面鏡に白い肌と、漆黒の股間が息づいている。はち切れる乳房を両の手で狂おしく揉みしだく。その手を広げると、夫の性癖で処理するのを禁じられた脇毛が、祭りの夜の森のように繁茂している。股間を指で探ると、思った如くに淫靡に湿っている。熟れた身体の本性が反応してしまったのか。
 

1️⃣5️⃣ 密命

 奥崇は相馬の密命も帯びていた。賢明な読者諸兄は拝読のことだろうが、あの『紫萬と磐城の儚』の、磐城の動向の把握である。磐城はF町に、密かに潜入しているのだ。
 廣山が松山事件に関与した時に、相馬も現地で重要な役回りを演じた。その相馬に、駐留軍の指示を伝えていた謎の男がいた。磐城はその男を追って、F町まで来たのである。駐留軍は本国からの密命を受けて、その男をF町に派遣していたのである。

 もう一つ、奥崇には目的があった。あの黎子を訪ねるのだ。一五年前のあの事件の後は、一度も連絡を交わしていなかった。それが二人の秘密の固い契りだった。
だから、二人の出会いはあの時、一度限りだったが、それは永遠に隠匿されなければならなかったのである。
 だが、光陰は、一五年など瞬時の程にやり過ごして、今や時効を迎えたのである。黎子の動向は調べ尽くしていたから、訪ねるのには不都合のない環境だと、奥宗は知り尽くしていたのである。

🎆 鬼畜

 大陸の戦闘で、足を引きずらなければ歩けない程の負傷を負った浪江は、除隊して四四年に帰還した。三〇歳であった。迎えた妻の零子はニ三歳。出征して一〇カ月後に産まれた娘は、ニ歳になる。

 その娘が本当に自身の所以なのか、出産の知らせを受けた戦地の浪江は、煩悶していた。
 見合いで祝言をあげた夜から、あれ程の閨を共にしたのに妊娠しないでいて、出征間際に、突然に懐妊するなどとは単なる偶然なのか。
 黎子は豊満で、いかにも夜の欲の深い女だ。時おり、多情な一面を露にする時すらあった。そして、浪江は悋気の深い男なのだった。

 浪江は戦地の大陸で横暴を重ねてきた。異人の女達を犯し、慰安婦を買った。女などは極限の交接でも、その快感を満喫していると、思い込んでいた。
それは浪江一人の所業だったのか。そうではない。正義の論理もなく、半島や大陸、南洋にまで侵略の魔の手を広げた、御門軍の兵士の隅々まで、狂気に犯されていたのである。勿論、御門を頂点とする大本営が、いち早く腐り切きっていたのだ。

 戦火の最前線で、浪江の嫉妬は果てしもないのである。
 翻ると、銃後の内地の女達はどうなのか、浪江の妄想は混乱を極める。召集されなかった男達は病人や老人だが、性欲は変わらずに備わっているのではないか。いったい、死の恐怖に直面する浪江自身が、得も知れない知れない情欲に貫かれているのである。
あの娘は俺の子なのか。黎子はその本当の父親に、今この瞬間ですら、身体を開いているのではないか。浪江の煩悶は深まるばかりだった。

 浪江が負傷したいきさつは、陰惨なものだった。
 大陸の戦闘が激化する最前線に配置されていたある部隊で、浪江は奥崇の上官だった。
 その年の盛夏に、彼らの部隊がゲリラが潜む部落を急襲した。激しい戦闘の後にゲリラは遁走した。指揮を執っていた小隊長が家宅捜索を命じたが、それは名ばかりのもので、実態は飢えた兵士達の性欲の処理であった。

 村の隅々を捜索していた浪江と奥崇の二人がある家に入ると、奥の部屋に、逃げ遅れた三人の異人の女が潜んでいた。四十半ばの母親と娘、そして、母親の妹だ。
 浪江と陸奥は命乞いをする女達を縛り上げて、次々に犯した。
 この二人に限らず、戦場に臨んだ男達は初めは戸惑ったものの、いつの間にか、数えきれない程の敵兵を殺していた。そして、残された女達を犯した。抗う者は殺しもした。母親にまとわりつく幼子を、平然と手に掛ける者すら、少なくなかったのである。
卑しい戦闘にまみれるうちに、知らず知らずのうちに、感性と神経や精神が狂って、理性が麻痺してしまうのである。それどころか、不条理の極限の状況は、死の恐怖で骨の髄まで疲弊した彼らに、快感をすらもたらすのであった。

 奥崇が娘を凌辱している最中に、浪江に犯されて失神していた母親が、いつの間にか手にした鉈ナタを振りかざして、妹に挿入している浪江に襲いかかったのだ。浪江の叫び声で気付いた奥崇が、咄嗟に母親を射殺したのである。首に鉈を受けて頸椎を損傷した浪江は、昏倒した。これが、浪江が黎子に語った名誉の負傷の真相なのであった。
 危うい戦場で、奥崇は、度々、浪江に助けられていたから、僅かばかりの恩返しができたと満足したのである。
 

1️⃣6️⃣ 殺害

 奥崇が初めて人を殺したのは敵兵ではない。それは同僚なのであった。
 奥崇が入隊して間もない頃、奥崇と浪江とその男は、三人でゲリラの最前線の偵察を命じられた。
浪江と男は同期の古参兵だが、平生から気が合わなかった。男は新兵の陸奥にも、憂さ晴らしに殴り付けたりしたから、郷里が同じ浪江が庇って、しばしば、いさかいになっていた。

 その時も、煙草を吸って小休止している間に、男はいつの間にか二人の視界から消えていた。「女だろうよ」と、浪江は気に止める素振りもない。
 暫くして、頓狂に女の悲鳴が流れてきたのである。浪江と奥崇が忍び寄ると、小川のほとりで、その男が異人の女を襲っているのだ。
 二人は息を呑んで修羅場を見ていた。数発殴られた女は、まともに抗う間もなく、男に組み敷かれてしまった。男は女の粗末なズボンと下着を無造作に引き裂くと、自分も慌ただしく下半身をむき出しにして、忽ちのうちに挿入したのである。

 その時に、背後に忍び寄った浪江が、男の頭を蹴りあげた。半裸の男がもんどり打って転がった。「何をしている。撃つんだ」浪江が奥崇に叫んだ。咄嗟に、陸奥はその男の頭を撃ち抜いたのであった。
 そして、浪江が女を凌辱した。終わると奥崇を呼んだ。陸奥が抱くと、三十半ばの豊満な女は舌を絡めたのだった。
 浪江はある写真を持っていた。陸奥も同じ様な写真を浪江に見せた。
 
 頸椎を負傷した浪江は性の機能を失っていた。勃起不全なのだ。雄ではなくなったのだ。その驚愕と失望が男の性格を激変させた。
 その上に、小水を垂れ流すのである。膀胱の神経も破壊されたのだ。だから、普段は殆どが横になった切りで、尿瓶に陰茎を差し込んでいるのである。起きている時にはおしめが欠かせないのだ。ニ年ぶりに夫を迎えた妻はそれを嫌悪した。
 浪江は働きにも行かずにすることもなかったから、浪江の身体を求めたが、勃起も射精もない遊戯は、女にとっては果てしのない拷問に過ぎなかったのである。
浪江は口淫を強いるが、その陰茎は小水で汚れているし、おしめの洗濯も手間だった。黎子は人に勝って情欲を秘めた女だが、考えただけでも、夫への性愛は失せるのだった。

 雷鳴の迫る真夜中に、黎子と奥崇は交わった。二人は身体ばかりではなく、浪江の殺意までも混濁した心を通わせたのである。
 やがて、豪雨になった。何事も聞こえずに寝入っている浪江の顔に、奥崇が濡れタオルを押し当てて、黎子が浪江の足を組伏せて、いとも容易く窒息させてしまったのである。
 明け方、あのオニ神社の南を流れる、増水して決壊寸前の黒磐クロイワ川に遺体を投げ込んだのであった。

🎆 火事

 ある年の盛夏。蒸し暑さが収まらないある夕まぐれに、奥崇は黎子の家を初めて訪ねた。目当ての場所に近づくと、けたたましくサイレンを鳴らしながら、警察車両が追い抜いて行った。間もなく、数台の消防車や車両と、その背後に佇む十数人の人の群れが現れた。
 警戒した奥崇は離れた脇道に車を止めて、ひっそりと現場の様子を伺った。火災は鎮火したばかりの様子で、一本のホースだけが放水している。
 その時に、人群れから抜け出して、こちらに歩き出した中年の男がいた。野次馬に違いないと奥崇は判断した。
 「通りすがりの者だ。出火の初めの頃に女が一人救出されて、救急車で運ばれたらしい。生死や怪我の程度はわからない。消防と警察が現場検証を始めたばかりだ」
 そればかりを聞くと、奥崇は、その現場を直に立ち去ったのである。

 奥崇は翌日の地方紙の朝刊に、僅かな記事を見た。あの女だった。重症とだけあった。
 
 
1️⃣7️⃣ 香
  
 髭は原発作業員である。この部屋の主のタクシー運転手を待っている。
 二人にはつい先日まで楢葉という原発で働く電気工の悪友がいたが、黎子の家のあの火災で焼死していた。あの広野が主張している、ベント室の女を目撃したのも楢葉であった。だから、原発ベント室の不祥事のただ一人の証人は、消えてしまったのである。広野は、どう対処するのか。
 だが、火傷をおって入院している黎子の容態を、髭もタクシー運転手も知らないし、関心もない。
  
 急停車の音に続いて、タクシー運転手がけたたましく飛び込んできた。
 「待たせたな。ややこしい客に手間取った」酒焼けした赤鼻の男だ。髭の男が作ったオンザロックを、せわしなく流し込んで、「稀にない代物だ。驚くぞ」「前置きはいいから始めろよ」
 赤鼻がビデオテープを装着すると、テレビに画像が浮かび上がった。

 十秒ばかりは真っ暗だ。そして、蝋燭が一本、点された。
 蝋燭が次々に点されて、やがて、長襦袢に続いて、髪の長い女がぼんやりと浮かび上がった。さらに、その女が次々に蝋燭を点すと、うっすらと映像に色が付く。赤い長襦袢が、鮮明に浮かび上がる。肩まである髪が乱れている。アイマスクをしている。
女は香を焚いているのだ。蝋燭を点しながら香を焚いた。やがて、様々な色の煙が立ち上り、漂い、その部屋に充満した。

 「随分と念の入った趣向だな?」「この女は幾つだ?」「四〇半ばだな」「いや。五〇近い」「尻の具合は若そうだが」「肉付きがいいから、そう見えるだけだよ」「場所は?」「Fか?」「そうだ。あそこの社長がダビングしたものだ」「いや。薄暗くて良く判らないが、Fはこんな雰囲気じゃないな」「モテルで、こんなに火は焚かないか?」

 場面が変わった。ベッドに仰臥した、浴衣の男の下半身だけが映っている。やはり浴衣の女が背中を見せて屈み込んだ。
 カメラの位置が変わった。隆起した陰茎が大写しになった。女の指が延びてきて、握り締める。

==音声が入り始めた。====
 「どうだ?」「あの香が、効いたみたいだわ」「俺もだ。覿面テキメンだな」「それで?」「頼みがあるんだ」「なに?」「町長選挙だ。半月後には告示だからな」「それがどうかしたの?」「現職を追い上げて、いいところまで来てるんだが…」「良かったじゃない。さすがね」「問題はF町職員労働組合だ」「あそこは反現職で、まとまったんでしょ?」「委員長派と現職との関係が、今一つ探れないんだ。あの委員長は昼あんどんの様に見えて、したたかだからな。下手に手を出すと、こっちが危ない。切り崩しが思う様にいかないんだ」「それを私に?」「察しがいいな。もう少し確証が欲しい」「嫌よ」男は構わずに続ける。「あの委員長は好色だからな。お前がその気になれば、一発で籠絡できる」すると、テープが乱れた。
 ===やや、時間があって、「高いわよ」「分かっている」====
 
 「この二人は反町長派だよな?」「Fも表向きは現職だが。反なんだろ?」「そうでなかったら、何であの親父が、お前にこんなテープを渡したんだ?」「町長派って言ったって、保守から進歩までの寄せ集めだからな。色々な派閥があるんだ」「あの町長自身が、怪物みたいな奴だからな。権力や利益とみたら見境なしだ」「Fは何て言ってるんだ?」「選挙事務所の岡嶋に渡せって」「どういう事なんだろう?」「テープのこの男は、反町長派の裏選対の参謀だな?」「革新党か労働組合の幹部か?」「だが、やっている事は、やくざ顔負けだ」「待て、待て。これほどの乱戦だ。このテープが町長派の陰謀だったら、どうする?」「それもあるな」
 「女は?」「ここらの女じゃないだろ」「T市の飲み屋辺りか?」「そんなとこだろう」「いや。そんな浮わついた感じじゃない。随分と素人離れしているぞ」

 反町長派が色仕掛けで町長派を切り崩している、という噂が、忽ちの内に広まった。反町長派の幹部は否定したが、支持者には動揺が走った。
 とりわけ、職員組合の書記長の池田は苦虫を噛み潰した。反町長派の急先鋒で、明言はしないが
、町長派の委員長と陰湿に対立していた。職員も二分されていたのである。
 一方、弛みきっていた町長派は引き締まった。果たして、あのテープはどの陣営が、何のために作ったのか。投票日の半月前の出来事である。 
 
 
1️⃣8️⃣ 対決
 
F町の町長選は、 原発立地六市町村のリーダーといわれる、現職町長の双葉が三選を目指して出馬を表明した。
 だが、彼は、そもそもは進歩党に所属していて、原発には強硬に反対する急先鋒だったのである。
 県会議員を中途で辞して、町長選に立候補して当選した途端に、推進派に転向したのだった。沸騰する批判や、保守派の怪訝に対して、現実への転身だと言い放って憚らなかった。
 F町はいうに及ばず、原発立地自治体の政治地図に激震が走った。進歩党はもちろん保守勢力も分裂した。
 F町の原発を巡る世論は更に複雑なモザイク模様を描く事となったのである。

 こうした情勢で、二期八年の双葉町政は、三度目の審判を迎えようとしていたのだが、突然、異変がおこった。常に独自の公認候補を出してきた革新党が、初めて無所属候補を推薦したのだ。こうして、町を二分する稀に見る激突の構造になったのである。原発を誘致してからというもの、この町は様々な魑魅魍魎に取りつかれているのであった。 

 対立候補の金居カナイは五〇歳。極貧の兼業農家の生まれで、父親は出稼ぎに明け暮れていたが、原発が出来てからは、孫請の作業員だった。F町の外れの金居の集落は、半島出身が多く、金居も半島の血をひいている。
高校卒業後、電気部品製造会社に就職したが、労働組合を結成して解雇された。裁判闘争を経て和解して退職。二八歳で「全国労働組合評議会」(全労評)F県本部の専従役員に就任した。三〇歳で結婚し三七歳で離婚した。

金居には、決して、明らかにされてはならない過去があった。前町長の娘との因縁である。
ある夏の放課後、高校二年の金居がある寂れた社の前を通りかかると、女の叫声が聞こえた。朽ちた鳥居から一〇段ばかりの石段を上ると、侘しい社がある。切迫した甲高い声はそこからだった。金居が駆けつけると、社の縁で、男が馬乗りになっている。組み伏された女が拒絶して、わめき、叫んでいるのであった。
 その男は、幼い頃には隣の集落のガキ大将で、金居の好敵手だった。背後から、金居が男の後頭部を殴り付けると、男は転げ落ちた。振り向いて金居と知ると、かつて、一対一の決闘でこっぴどく痛め付けられていたから、舌打ちをしながら、引き下がって行った。
 残された女は、絞られている中途で放り出された雑巾の如くに、酷い有り様だった。そして、この同い年の女学生は、町長の娘だったのである。
この後に、この二人にどの様な因縁が生まれたか、ここでは、未だ、明らかにはしない。ただ、金居が急遽、立候補するに至ったこの選挙は、この時に、恥辱にまみれて逃げ去った執念深い男が、長年の恨みを晴らすには、願ってもない機会だったのである。

こうした事件は、青春には、しばしば、あるのである。筆者の高校時代に、ある同級生が、突然に担任に呼ばれて追求された。強姦未遂事件の犯人の嫌疑だった。彼が断固と否定したから、クラスの全員が担任に抗議した。やがて、同姓だったが為の冤罪だった事が判明した。だが、担任は真犯人の名は明かさなかった。
 後日談がある 。暫くして、放課後に真犯人と同級生が、たまたま、一緒になった。真犯人の男が、「とんだとバッチリだったな」と、白状したきりで、謝罪もしなかった。激怒した同級生が、近くの公園でこの男を制裁したのである。同級生はバンカラで、樫の下駄をはいて通学していたが、その下駄で、真犯人の歯を数本折ったというのである。
それ以後、この二人にどんな因縁が降りかかったか、知る由もないが、青春は、しばしば、混濁しているのである。従って、この三人の数十年後の選挙戦に、ただならぬ事態が勃発したとしても、さして、驚くべき事ではない。

或いは、拙著『儚』の連作でも、賢明な読者諸兄は拝読のことだろうが、『絹枝の魔性』や『戦争と鯉子の革命』などでは、主人公達の盆踊りなどの青春の暴走が、寓話や綺談の発火点になっているのである。
 
  
1️⃣9️⃣ 始子モトコ
 
 F町の激烈を極める町長の選挙戦は、投票日の一月前である。盛夏の気苦しい程に蒸し暑い、ある女の部屋だ。汗にまみれた二人が陰湿な謀略を凝らしている。
 
 男は岡嶋という。県会議員だ。現職町長の双葉の参謀でもある。四八歳で妻子がある。印刷会社の社長だ。
女は始子モトコ。豊満な五〇歳である。亡父は前町長であった。富農の一人娘だ。一九××年の原発誘致後は、大量に発生した下請けの作業員用のアパートを大規模に経営して、潤っている。
始子は首府の女子大を卒業後、父親の縁故で地元の農業法人に就職した。三〇歳で、やはり、父親の引きで、特殊法人の「原発環境整備」に転職している。現在は事務局次長だ。独身で、岡嶋と不純な交際を続けて、二年になる。

 「これを読んでみろ。実に奇っ怪な、怪文書だ」と、岡嶋が差し出した紙に、元子が視線を落とした。

=暴かれた謀略!=

ある陰謀を証言する、驚くべき情報の提示が確認された。公序良俗の観点から、以下の部分しか公開できないが、極めて卑劣な選挙戦が、ますます混迷するのは確かだろう。
現行の町政に信頼を寄せる皆さんは、賢明な判断、即ち、現職町長の言動を信頼し、必勝を確信して、最後まで、ゆるみなく、邁進しようじゃありませんか!

不正選挙を憂える良識町民一同

(女)「F町職員組合の動きはどうなの?」
(男)「町長支持の委員長派と、反町長の書記長派が拮抗していて…」
(女)「だから、私が委員長に抱かれて、切り崩すのね?」
(男)「察しがいいな」
(女)「委員長は幾つなの?」
(男)「四〇だ」
(女)「どんな風にやればいいの?」
(以下、略)

 読み終えて、ため息と嘲笑を渾然とさせた始子が、「このビラの、この男が金居で、女が私だって言うの?」と、男を睨みつけた。女の尋常ではない剣幕にたじろいだ岡嶋が、はぐらかす如くにウィスキーを含んで、煙草に火を点けた。
「そういう噂が立っているという話で。あくまでも、質の悪い噂だよ」「怪文書も随分と見たけど、呆れ返ったわ。あなたも、こんな陳腐な、子供だましを信じてるの?」「馬鹿な。だが、問題は、支持者の間に噂が広がって、酷く動揺が走っているんだ。大衆などは愚鈍の群れだよ。解るだろ?僅かばかりの煽動でも右往左往するんだ。そして、世間の口に戸は立てられない。わかるだろ?町長後援会の幹部連中も、俺に緊急な対策を要求している。手をこまねいている訳にはいかないんだ。下手したら、俺の首だって危なくなるくらいなんだぜ。だから、真相を解明したいんだ」

 女が紫煙を燻らしながら膝を組み替えて、「だいたい、この怪文書はどの陣営が出したの?」「順当に考えれば、町長派の誰かだろうな」「町長派?どうしてなの?」「意図は判らないが、反町長派が出す理由がない。自滅するだけだからな。消去法だよ」「あなたは選挙対策の参謀でしょ?町長派の誰がこんなものを出したか、探れないの?」「町長派も、実際はバラバラなんだ。この組合の委員長にしたって、町長が進歩党の頃からの付き合いだが。あの保守党の総統にも勝るほどの風見鶏で。明確な町長支持とも言えないんだ」

🎆 世子セイコ

 「投票まで一月だわ。それなのに、もう最終盤の様な過熱なんだもの。こんな選挙は初めてだわ」「買収、饗応、デマ。それに、怪文書。やりたい放題だからな。県警から公安の刑事まで出張っているらしい」「情勢はどうなの?」「マスコミは詳しい内情を知らないから、現職の再選確実か、なんて、はやしているが、実際は…」「危ないの?」「このまま、効果的な対策が打てなければ…」「だったら、どうするの?」「先ずは、この怪文書を誰が作ったかだ」「思い当たる節はないの?」
 岡島の声音が変わった。「町長夫人と、何かなかったか?」「私が?あの女と?」岡嶋の目が険しい。「あんな女。昔から、いけ好かないけど。今では、殆ど接点もないもの。あの女を疑っているの?」「最近は、特に悪い噂が立っているんだ」「どんな?」「男に決まってるだろ」

町長の後妻の現夫人は世子セイコという。県庁所在地の小さなバーのママだった女だ。類い稀な淫乱だという噂がある。五〇歳。世子と始子は同級生である。そして、世子はあの黎子の義姉であった。

 町長夫人の世子は駐留軍の軍属の男、日系二世のトニーと、今でも関係が続いている。このトニーは、保守党の重鎮でF県を牛耳る廣川の、腹心の相馬と通じている。松山事件を画策した進駐軍最高幹部と廣川、そして、あの児玉の、手足となって動いたのがトニーと相馬、そして、『平凡な死』に登場した石川である。
このトニーを、あの磐城が追っているのである。
 
 
2️⃣0️⃣ 謀略
  
 「いずれにしても、俺達は原発に密接に関わる運命共同体だ。その上、離れがたい痴情の絆だからな」水風呂から出たばかりの始子が、鏡台の中に豊満な裸体を晒しながら、「腐れ縁とでも、言いたげね?」と、岡嶋に淫らな視線を流した。「馬鹿な。こういう状況だからこそ、疑心暗鬼は禁物だと、言っているんだ。俺自身への戒めだよ」女は、男のつまらない媚を受け流して、「原発共同体?そうだわよね。確かに、原発は私達の生きる源だものね?」「そうだろ?いったん仕組みが出来上がると、国家の財政が、湯水の如くに流れ込んで来るんだからな。珠玉の財産だよ。原発が来る前のあの貧困が嘘みたいだ。だから、お前の親父さんの代から独占してきた町長の座が、改革党のあいつらの手に渡ったら、取り返しがつかないんだ。俺の家は零細な印刷屋だったが、原発に食い込んだから、漸く、ここまで来れたんだからな。今さら逆戻りなんて、真っ平だ」「私だって、そうだわ。父親が町長で権力をふるえたのも、原発のお陰だったんだもの。だから、後を継いでいる現職町長の再選が、私達の至上命題なんだわ」

 自身の裸体に見入っていた始子が、「面白い事を思い付いたわ」と、目を煌めかせた。「もし、私が本当に金居の女だったら、どうなるの?」岡嶋に動揺と興味が混濁した、いかにも猥雑な表情が走った。そんな思惑を知ってか知らずか、女が、「ねえ?」と、食い下がる。女の思惑の方が、もっと豪胆なのである。

 「もし、この怪文書の様なテープが、世間に明らかになったら、どうなるの?」「テープか。生身の話だからな。怪文書とは逆になるな」「そうでしょ?実際のテープが漏洩したって事になったら、反町長派が大打撃を受けるんだわ」
「このビラみたいに私は・・、いいえ、違うわ」と、話している最中に、始子に奇抜な妄想が芽生えて、「そうよ。世子よ。あの女が金居の女なのよ」「あなたが金居になって、世子になった私と、あのビラみたいにすればいいんだわ」「世子か?」女が頷く。「町長とは、間違いなく破談だな?」「当たり前よ。あんな女が町長の後妻に収まっているのが、そもそもの間違いなんだもの」「うまくいくかな?」「嫌なの?」「お前を、そんな危険に晒したくないだけだ」「殊勝なのね。見直したわ」「当たり前だろ。お前は俺だけの秘密の馳走なんだ」「だったら、あなたが世子を口説いて、一肌脱がせたら?」「あの女を?」「当たり前でしょ。亭主の難局なのよ。選挙事務所にも満足に出てこないで。日系の外人と出歩いているって聞いたわ」「知っていたのか?」「あんな女、酷く痛めつけてやりなさいよ」「俺が世子を抱いてもいいのか?」「あなたの非常事態なんでしょ?嫌も応もないんじゃないの?」
 始子と世子と金居は幼馴染みである。始子と金居は七歳の夏休みに、一人ヶ浜で交接していた。そこに世子がいたかどうかは、まだ、明らかではない。
 
 
🎆 ビデオ

 それから数日後の、やはり異様に蒸し暑い、うだる昼下がり。ある寝室である。
厚いカーテンが引かれているから薄暗い。派手な寝具で彩られたダブルベッドの脇に、テレビがある。
 「テレビを見てみろよ」三脚にビデオカメラを据え終えた男が促した。「何が映ってる?」女の漆黒の股間だ。
「もっと広げてみろよ」女の陰部が大写しになった。
「約束通り顔は写さない。これだったらいいんだろ?」「そうね。あなたのも見せて?」男が陰茎を画面に入れた。「こうして見ると、実際より淫靡だわ」

 女が思い付いた様に、「顔を映してみて」と催促した。男が三脚からカメラを外して女の顔に向ける。
 テレビの画面に写し出された女の髪は、肩まで乱れている。男が用意したかつらだ。「私じゃないみたいだわ」「さっきの眼鏡をかけてみたい」男が用意した眼鏡を手渡す。女がそれをかけて、「これだったら間違って顔が写っても、全然判らないわね」「安心したか?」「そうね」「じゃあ、撮ってもいいんだな?」
 「カーテンを全部引いて」男がカーテンを引き終わると、殆ど日光は入らない。

 男がカメラを持って構えた。赤い長襦袢を着てアイマスクをした女が、蝋燭に火を点け始めた。数本の蝋燭を点けると、薄暗がりで香を焚き始める。蝋燭と香は、町長の後妻の世子の趣味なのである。

 室内には色とりどりの香の煙が立ち上っている。横臥した女の背後から男が挿入した。結合がテレビに大写しだ。「 見えるだろ?」「凄いわ」「目隠しをしてやろうか?」「目隠し?」「したことないか?」女は答えない。男が目隠しをした。
 「私って変なのかしら」「どうして?」「こんなにして喋ってるだけで」「お前はマゾなんだ」「そうなの?」「普段は男に互して活躍している女に、多いんだ」
「金居とやったんだろ?」「やってないわ」「あいつとは同い年で近所だよな?」「そうよ」「幼馴染みなんだろ?」 
 果たしてこの二人は始子と岡嶋なのか。或いは、世子なのか。又は、男も他の誰かなのか。今、この時点では、筆者すら思い当たらないのである。
 
(続く) 

原発の儚 1️⃣1️⃣~2️⃣0️⃣

原発の儚 1️⃣1️⃣~2️⃣0️⃣

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-03-11

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