そもそも七百年前にソフトクリームは存在するのか

 こどもだけの国で、あのひとは、幾年かぶりに口にしたという、ソフトクリームのおいしさに、静かに感動していた。
 なんだか、もう、かっこつけるのがめんどうくさいなぁと思ってしまって、すなおに生きようときめた日、すこしだけ減った、インターネットのなかだけのつながりのひとびとのことを、ぼくは、すぐに忘れてしまうだろうと思った。きっと、彼らも、すぐに忘れてしまうのだろうし、おたがいさま、というか、インターネットだけのともだち、というのは、そういうお手軽さがちょうどいいのだろうと、ひとり納得して、交流サイトから退会した。あのひとは云う。ソフトクリームをたべたのは、じつに七百年ぶりだろうか。しみじみとそんなことを云うが、ぼくは、はぁ、としか答えられなかった。七百年、という歳月が、じつに非現実的であり、でも、あのひとが、七百年以上生きているひと、というのは、なんだか、しっくりきた。そんなまさか、と疑う余地はないものの、実際に、七百年、という時を生きてきたひとの言動、からだ、というものは、こんなものなのかと、ちょっと拍子抜けもした。三十代後半、という設定で、学校の先生をしていると語るので、そういうものなのかと、妙な落ち着きで、ぼくは、こどもだけの国の象徴である、こどもたちが大空を飛ぶ白い鳩に手をふる、おおきな絵画を観ていた。国の中心部の、ドーム型の資料館に、それは飾ってあって、あのひとは、いい絵だと、ひどく感心していた。こどもだけの国だけれど、国のなかでも大都市の方に、こどもはあまりいない。観光客ばかりで、つまりは、おとなが多かった。こどもは、観光客を相手に商売をする、かぎられたものしかおらず、ほかのこどもたちは、どちらかといえば国境線付近の、ちいさくも穏やかな町で暮らしているとのことだった。ぼくは、こどもだけの国にも、こどもにも、然して興味はなく(どちらかといえば、ぼくも、まだこどものようなものなので。二十歳そこそこなんぞ、は)、ただなんとなく、あのひとについてきたら、ここにやってきた感じで、故に、もう、ねむりたいくらい退屈ではあるのだが、あのひとが、ソフトクリームのようなものに、いちいち喜んでいるのが可愛くて、まぁいいか、と思ってしまう。ほんとうにこのひと、三十七才か、もとい、七百才以上なのか、と訝しんでしまうほど。おじいちゃんよりも、ひいおじいちゃんよりも、そのまたおじいちゃんよりも、もっともっと年上のひとなのに、可愛いとか。
 すなおに生きることにしたら、可愛いはずのないものも、可愛くみえてしまう。ふしぎだった。

そもそも七百年前にソフトクリームは存在するのか

そもそも七百年前にソフトクリームは存在するのか

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-03-08

CC BY-NC-ND
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