支配と依存と恋と愛
研究対象として、きみのからだが、博物館におくられる頃、ぼくらって、離れ離れになっても恋人同士だよねなんて、陳腐な恋愛ドラマみたいな台詞を思い浮かべて、それは、声にならずに消滅した。ウエハースである。きみ、というにんげんは、血肉、骨、臓器、神経など存在せず、あの、お菓子の、サクサクのウエハースであり、ぼくは一度だけ、かじったことがある。きみを。むやみに甘い、わけではなく、サクッとした食感のあと、口内を支配するのは、妙な虚しさだけで、つまりは、無味なのだった。短絡的である、ぼくは、セックスをしたら、きみは、壊れるだろうと思ったし、細胞なんてものも持ち合わせていないのだから、けがをしても治らないのではないかと、いつもしんぱいしていて、気づけば四六時中、きみのことを想っていた。いまも。宇宙のはじまりであるビッグ・バンよりも、何百年と前にはひとが住んでいた海底都市よりも、商店街のお惣菜やさんでさいきん働きはじめたパンダのことよりも、ぼくの思考回路は愚か、脳、五感も、きみ一色である。三月で。おわりとはじまりが、同時にやってくる季節で。しらないにんげんに、きみを、あばかれるのだと想うと、吐き気しかしなかった。
支配と依存と恋と愛