フンボルトペンギン
また来ました。来れるうちになるべく来ておきたくて。この流れを逃したくないので。
ペンギンはフンボルトペンギンが一番かわいい。
と、私は思う。もちろん個人の意見だ。これを他人に強要したりはしない。その証拠に私はその意見を誰にも言ってない。
まあ、そもそも他人とペンギンの話とかしないし。
突然、
「フンボルトペンギンっていいよね」
って言い出したら、なんかおかしくなったと思われるかもしれない。もちろん相手が水族館とかの関係の各位だったら、この話もある程度許容してもらえる可能性はある。
「え?あんたそういう系だったの?」
ってなって、まずちょっと驚かれて。いや、そら驚かれる。本当に誰にも言ったことないから。だから今までそんな事言ったことない私に対して、まあ多少は驚かれる。何せ、そういう空気も出してなかった。犬とか猫飼ってるのに犬臭も猫臭もしない、犬空気も猫空気も出てない人が、実は家で三匹くらい買ってるんだよ。って言ったら驚くでしょう?そういう感じ。ただでもその後、
「何よ、だったらもっと早く言ってよ。何?フンボルトペンギン?ああ、可愛いよねえ。わかるわかる。私はマゼランペンギン派だけど」
ってなる可能性。無い?あるでしょ?無いかな?水族館関係者各位が知り合いにいたらそうなってもおかしくはない。
んで、その後、
「いや、どっちもケープペンギン属じゃねえか!」
ってまた盛り上がる可能性。無い?そういうの?あるんじゃない?ゼロじゃない。水族館関係者各位が知り合いにいたらゼロじゃないでしょ?無いかなあ?あってほしいなあ。そう言うの。そう言うのあってもいいと思うな私。
しかしながら、現実問題私には水族館関係者各位の知り合いもいなければ、動物園関係者各位の知り合いもいない。またそういう事を研究してる人と懇意でも何でも無い。もちろん私自身そういう類を目指していたわけでもない。
「もしも私がさかなクンさんだったらなあ・・・」
そんな訳ねえ。
私はずんの飯尾さんの一発ギャグの様に平日の昼間からゴロゴロ~ゴロゴロ~。あーあ、もしもオヤジがさかなクンさんの知り合いだったらな~。程度のやつだ。飯尾さんのギャグは素晴らしい。素敵。でも私自身はこれだ。糞だ。一山いくらの有象無象だ。高望みするだけの何か、例えば努力をしたわけでもない。何でもない。糞だ!まごうことなき糞。これは私の事だ。偉大なる野球界の王貞治監督が言ったという名言に、
『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない』
というのがあるらしい。
私は何もしてない。努力とか。報われる報われない以前の問題。だって何もしてないから。
糞じゃん。
それが糞じゃなくて何が糞なのか。
と、以上の様な事を考慮して、私のフンボルトペンギンに対してのこの感情、感情の昂ぶり、昂ぶりに伴い発生した興奮を有する内面の現象については誰にも言ってない。
言ってなくて正解。
急に言い出したら頭がおかしくなったと思われる。それに軽はずみに言わないことが私自身に自制をかけている面もあると思われる。
もしも、
「フンボルトペンギン飼いたい」
と、軽はずみに言ったとする。なんか疲れて自我、例えば自分の電池がほとんど切れてるような状態でそんな事を言ったら、と、考えるとそら恐ろしい。おそらく不意に出た言葉が次の瞬間にはもう言霊となって自身の体内を駆け巡り耳朶を通じて脳に到達する。それまで言葉にしない事である種グレーゾーンとして扱ってきてたフンボルトペンギンに対しての感情。それを明確に形あるものに変えてしまう。そう言う可能性。
無い?あるんじゃない?口に出して言う事で、しっかりと確認する。遺志を明確にしてしまう可能性。あるんじゃない?指差呼称があるがゆえにヒヤリハットや労災を防ぐ。という事があるのだから。防ぐことを目的にする事が出来れば、逆に作用することだってあるように思う。殺人者になる前の人が憎しみで怒りを燃やして「殺してやる」と声に出すことで、自分の中の殺意を明確にする、その存在を明確にする事だってあるだろうから。
そして防波堤を越えてしまえばもはやその感情を防ぐ手立てはない。不倫がどれだけ悪い事でワイドショーであれだけ言われてても、今もってなおそれは無くならないのだから。
という訳で、フンボルトペンギンに関して私は一切何もしていない。
たまに海に行くくらいだ。
なんで?
いや、
フンボルトペンギンいないかなって思って。
居ないけども。フンボルトペンギンはフンボルト海流沿岸部に分布する。これがそのまま名前の由来である。ちなみにフンボルト海流というのは別名ペルー海流と言われている。
つまりペルーだね!
ペルー沿岸部だね!
そんなものが日本の海には居ない。いるわけねえ。水族館にはいるところもあるけどもでも不意の出会いも危険だ。私なんていくら準備して行っても多分不意になる。好きすぎるんだ。好きすぎて。いくら心を装甲に包んで行ったところで、愛の前にはどんなものでも些細なものになる。無いも同然になるさ。全くないも同然に。
だから海を眺めるだけだ。
それ以上の深入りは・・・、
それで、その日も海に行った。
「深入りは・・・」
その日の海の、潮だまりのタイドプールの所にフンボルトペンギンがいた。
フンボルトペンギンがいた。間違いなくフンボルトペンギン。絶対にフンボルトペンギン。こんなところにいるわけない。そんな訳ない。でも、でもどう見たってフンボルトペンギン。そらどう見たってフンボルトペンギン。だってフンボルトペンギンだもん。愛が。私のこの愛が、それを見間違えるはずがない。
「うええ」
しかもフンボルトペンギンは恐ろしく大量にいた。彼らは次から次にタイドプールから出てきた。
そうしてみるみるうちに海岸がフンボルトペンギンで溢れた。まみれた。コロナ流行以前の海開きの時の海みたいに。
そんで海岸の砂浜がフンボルトペンギンの足跡で埋め尽くされて。
「ええ?」
挙句、何羽か私の足にすがるように身を寄せてきたりして。
ああ、そうか。
でもそれでわかった。私多分もう死んだんだろうな。って。
それでわかった。
なんかあったんだろうな。ここに来るまでに事故とかにあったんだろうな。そんで死んだこともわからないんだな私。
「いいコいいコ」
足元の一羽の頭を撫でた。その子はそれが気持ちよさそうに目をつむった。泣きそうになった。
死後の世界があるかどうかは知らない。
でも、死ぬまでの、死んだとわかるまでのこのちょっとしたこの時間は最高。
フンボルトペンギン