罪謝

謝辞、拝啓死んじまえ世の中なんて思うこの頃に、私は今にも吐しゃ物にまみれて、死にそうです。胃液に沈む、酸に溺れる苦しみを分かち合えることのない事実と現実と虚構鳴る、鏡の反射にそれは実像か否かを問うようなものでありまして、さてそれは、何か、端から特別席に座れるとは思ってはおりませんのよ、ただあなた達のような私から見た、望まれた、望まれるべき、望まれている。私から見た望んだ姿という希望が、貴方がたには宿っておいでで。私は特にあなたが憎く感じている次第でござります。身勝手なことこの上ないですが、先に逝かせていただきます。むせび泣く、貴方の顔を望んでいるのにも関わらず、わたしの生まれ持つ善意が邪魔をしてできないのですよ。対に、ああ、心地が良いのです。気持ちがいい。ああ、何たる至福なのでしょうか。誰かが作りだした世の中ではありますが、私の始めた、世界でもあるのですから、まあしかたがありませんよ。あなた方にはわかりもしませんし、凡人に凡人以下の感性など刺さりもしませんでしょうからね。嗚呼なんということでしょう。孤独という、まさかの孤高という名の、侘しさに愛されているではありませんか。死ねばいいのですよ。人間は元来孤独といいますが、そんなの一瞬に感じる気休めでしかないんですよ。そう言えば心理を突いたと思わせられる。しかしですね、私はそうは思わないのですよ。人が、他人が嫌いでしてね。しかも身内が嫌いなのですよ。妙に馴れ馴れしいその生暖かな気持ちの悪い。繋がりというものが嫌で嫌で。だって、肯定しなければ、嫌な顔をされますし、許されもしないのですよ。まるで赤の他人と関わっているかのような苦しさをも感じるのですよ。その癖して偽りの虚勢やら、自分の家族という地位を扱って、私を苦しめるのですよ。まるで呪いであり、呪縛であり、それは目に見えない鎖であるのですよ。まあしかし、私は私なのだから、○○してなどという呪いの言葉に何度も騙されてきましたよ。だって、信じてしまうでしょうよ。家族などと涙ぐんで、私の善意をまるで、「分かっているもの」「理解しているもの」のように扱われるのですから。当然飼い犬なのですから、咬まないわけですよ。そうあれと、無言に育てられて理想になれるよう一所懸命に努力してきたつもりですよ。皆の言うように、敬ってこれは正しいことなどと、私の意見は捻じ曲げられるものだと言うような無言の言葉にしない終息する文言だけを私の中の世界の真理と心理と心裏と願い、思い、考え生きてきたわけでございまして、まあまるで、それがなんなのかわからないのですよ。それは何か、何と捉えるのかも、ヒエラルキーとして、上にいるかのように言われ、同時に下であるという風に言葉で殴られるような事もあり、私は一体全体、何が何で、どこに進むも、嗚呼ただの人形だったのかと、そしてそれが私が行きついた。最終的に腐った、腐敗による他力本願の器だったのかと己を未だに愚弄して楽しむのですよ。私は一体何と言われて生きてきたのか。指を動かすこともできなくなった。この体を動かすのに、他人の言葉じゃどうにもならない、ましてや身内のあなた方の言葉じゃ、腐敗が進む一方なのに、どうして気づかないのでしょうか。私は望んでいるのですよ。あなたが叶えている。望んだ姿に成り代わって存続することを。存在するk十は、私であり続けるということを。けれども、あなたにはわからないことでしょうね。永遠と、理解者でいるつもりなのでしょうね。気持ちの悪く、大変、気持ちの悪い故の、血縁の鎖の奴隷でございます。

罪謝

罪謝

いつもの事ですが、タイトルは自由に解釈してください

  • 自由詩
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-03-05

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