茸の葬列―茸書店物語9

茸の葬列―茸書店物語9

茸不思議物語です。縦書きでお読みください。


 今日は朝から落語を聞いた。そんな気分だったのだ。朝からなんでといわれるかも知れないが、夜中である。朝三時である。落語のDVDはいろいろもっている。一時こった時があって、好きな米朝全集のDVDは30巻もある。他にも面白い落語のDVDを買い揃えたのだが、今見ようと思うものはみつからない。
 志ん生のCDは五十巻もある。背表紙のタイトルを見ていくと、目にとまったのは「死神]である。柳家小三治が演じている。彼の枕は好きなことをしゃべりまくる。それがまたいい。
 死神は三遊亭園朝の作である。と言っても、外国にそういう話があって、それをもとにしたらしい。何でもグリム童話からのようだ。日本の童話もこれくらい大人の怖さのあるものがあってしかるべきた。
 死神が枕元にいると、その人間は死ぬ運命だ。死神が見えるようになった男は、死にそうな病人を見に行き、死神が足元に居る時には、医者の真似事をする。すると病人は生き返る。ということで名医として祭り上げられる。あるとき大金で必ず直してくれとたのまれた病人の枕元に死神がいて助からないことを知るが、死神が線香の香りで居眠りをした隙に患者の向きを逆にして、死神は足元にいることになり患者が助かる。後で死神は怒ることなくその男を洞窟に案内する。その男は洞窟の中で、死ぬべき病人を生き返らせたことで、そのかわり自分の寿命がもうすぐ燃え尽きることを知る話である。実は、小学生のころ、これを映画化したものを見た。もちろん白黒の画面だった。六十数年前のことである。タイトルは幽霊繁盛記で死神を有島一郎がやっていた。それ以外にも柳家金五郎やフランキー堺などが出演していて、とても面白かった記憶がある。
 そんなことを思い出したからだろう。死神に目がとまったのである。
 聞き終わって、朝風呂に入り、朝食をとった。そういえばいろいろな落語があるが、茸の落語は聴いたことがない。今日は神田の草片書店にいってみよう。

 ランチョンではいつもとは違ったものを食べる気になった。実は今まで食べたことがなかったものである。エビフライである。それにライス。なかなか立派な海老で、ビールをたのんでしまった。
 食べ終わって、草片書房のドアを押して中にはいると、お姉さんの笑子さんが白髪の男性としゃべっていた。私を認めると「いらっしゃいませ」と言って、またその男性と話をしている。
 地方誌コーナーにいくと、語草片の第九集がでていた。表紙は白い棒状の茸が数本描かれている。ぬぼーとしていて何か歩き出しそうである。茸の葬列とある。中をぱらぱらとめくると、最後の方で死神という文字が眼にはいった。今日は死神づいていると思っていると、脇で声がした。
 「ささくれ一夜茸ですのよ」
 いつの間にか笑子さんがそばに来ていた。手には赤っぽい四六版の本を持っている。
ぎっしり茸の本が詰まっている棚の真ん中に、特別な本を置くところがある。いつも綺麗な本があるのには気が付いていたが、参考本と書いてあり、売り物ではないので、表紙を見るだけである。
 笑子さんは手に持っていた本をその棚に置いた。薄赤いカバーの地に真っ赤な尾っぽのある茸の絵が書かれている。おかしな本だ。
 私は語草片叢書を彼女に手渡した。
 「ありがとうございます」
 「今日、夜中に落語を聞いたのですけど、茸が出てくる落語っていうのはあるのでしょうか」
 「あら、私は落語のことはよくわからないのですけど、先ほど内山さんがもってきた本は、落語そのものではないのですけど、茸の小咄です」
 「あの、特別な棚の上に置いた本ですか」
 「はい、内山さんは茸の小説を趣味で書かれていて、本になさってます。とても部数が少ないのですけど、私が個人的にいただいているので、しばらくあそこに飾っておくのです」
 「売ってはいないのですか」
 「ええ、装丁もみんな、ご自分でなさってます。本は半田の自費出版社、一粒書房がつくっていますが、どれも小口染めをした綺麗な本です、ちょっとご覧になりますか」
 彼女は今おいた赤っぽい本をとって、私に渡してくれた。「お茸さま」というタイトルである。中を開けると和紙の遊紙も入っていて、贅沢なつくりである。なかなか面白そうである。
 「その方は、欲しい人には残った本を制作費の五分の一ほどでゆずっています、ブログから申し込めます、ただ、30部前後なので、知り合いに配ってしまうと残りが少なく、購入できないかもしれませんけど」
 笑子さんは、デスクに戻ると、紙にその人のブログを書いてくれた。ブログ名は針鼠の本棚で、草片文庫という名前をつけている。
 私は本をもどして、お勧めの茸の本が無いか聞いた。
 「そういえば、加賀乙彦さんのくさびら譚はどうでした」
 そのことを言うのを忘れていた。
 「あ、面白かったですよ、限定版があるのを忘れていました、ありますか」
 「ええ、まだあります」
 「いただきます」
 「ありがとうございます、半額になっています、綺麗な装丁ですてきですよ」
 彼女が棚からその本をもってきた。二万円するがそれ以上の価値がありそうだ。
 「これは、サービスで差し上げます」
 笑子さんは、地方誌のところにおいてあった、薄い小さな本を一冊とった。
 「きのこノート、きのこ観察のすすめ」と書かれた、埼玉県立、「川の博物館」が出している小冊子である。表紙の青い茸絵がとても綺麗だ。
 「そういえば井原さんは、渡辺隆次という画家はご存知ですか」
 「ええ、若い頃は反戦の絵を書いたりしていましたが、後はシュールな絵をかかれていますね」
 「ええ、渡辺画箔は茸が好きで、甲斐に住まわれているのはご存知ですか」
 「いえ、そこまでは」
 「それで、とても素敵な、スケッチ入りの文庫本をお書きになっています」
 彼女は本棚に案内してくれた。
 そこには、きれいな表紙の文庫本が二冊つんであった。「きのこの絵本」とある。筑摩書房から出たものだ。手にとって見た。エッセイのようだが、ふんだんにこの画家の茸のスケッチがカラーで書かれていた。1990年にだされている。
 「もうでていないので、この二冊は貴重です」
 私はすぐに彼女に本を渡した。買わなければらない一冊である。
 「素敵な本です、豪華本にしたいような本です」
 笑子さんは真剣に言っていた。よほどこの画家がすきなのだろう。
  「これもあります」
  それは「花ずくし実ずくし 二、甲斐きのこ」で、三冊の中の一冊である。中を見るとそれは見事なデフォルメをされた茸の天井絵だった。四六版の本の装丁もすばらしい。
  「渡辺画箔は、武田神社の菱和殿の天井に、茸の絵を描かれました。その本です。すばらしいもので、私も見に行きましたが、是非ご覧ください」
  確かに行ってみたい神社である。
 「甲府駅からタクシーなら十分以内です。私、三度も行きました。
  ということで、渡辺隆次画箔の本を二冊買った。見るのは楽しみであるし、武田神社には行かなければならない。
 私は五冊の本を手にして、草片書店をでた。
 電車の中では、もらった「きのこノート」を開いてみた。きのこ観察の基本のことが、綺麗な絵とともに解説してある。十五ページほどのものなので、すぐ見終わってしまったが、写真も綺麗である。いい冊子である。語草片叢書は家に帰ってからにしようと思って、目を瞑ったら、眠くなり、こっくりしていると、あっというまに蘆花公園についてしまった。
 家にもどって、その内山さんのブログを開いてみた。針鼠の本棚ー草片文庫とある。最近出た本の構成された写真が一面に出てくる。今日草片書店で見た「お茸さま」が紹介されている。それに、次の本の出版日が書いてある。半年後である。お茸さまは確かに欲しい本でもある、一応コメント欄に、譲ってもらえないか、メイルアドレスを付記して書いた。
 渡辺隆次画伯の本はどちらもゆっくりと読むことにしよう。
 その夜、語草片9集「茸の葬列」を持ってベッドに入った。作者はと見ると、信州の諏訪郡の人である。

 茸の葬列。

 「今日山さ行ったら、ギョウレツモダシが大そう出とったで」
 男が畑を見て回っていた男に声をかけた。背負っている籠の中には滑子がたくさん入っている。
 「そんなにおったか」
 「うんだ、虚無僧もあった」
 「そりゃ、大変だな、どっかに病人がいるのかね」
 「うん、庄屋さんとこの大旦那が寝こんどる」
 「庄屋さんに知らせとくかね」
 「うーん、いや知らんことにしておいた方がいい」
 「ああ、そうする、悪いことでもないからな」
 「滑子だいぶとったで、家のほうにとどけとくから」
 「わるいな」
 そんな会話だった。
 ギョウレツモダシとは、一夜茸の仲間、ささくれ一夜茸のことである。ささくれ一夜茸は時間が経つと黒ずんできて、とろけてしまう。この村では、たまに始めから真っ黒のものがでる。それを虚無僧とよんでいる。あまり縁起が良いものとは考えられていないが、全く悪いものでもない。それは、この村にこんな話が伝わっていたからである。

 百姓の倅の杉作は茸が大好きであった。小さい頃から父親に連れられて、朝早く茸採りに行き、舞茸や鳶茸、香茸などを採ってきた。それは自分達の食事を豪華にしてくれるだけではなく、町に売りに行けば金になった。杉作はもちろん食べられる茸も好きだったが、真っ赤な毒茸や名前の分からないおかしな形をした茸を見つけるとあかずに見ていた。
 「おめえは茸が好きだのう」
 父親の平蔵は杉作が赤い茸の前でしゃがみこんでいつまでも見つめているのを好ましく思っていた。そのうちいっぱしの茸採りになるだろう。そんな風にも思っていた。
 杉作が七つになった時、危なくないところなら一人で茸採りに行かせてもらえるようになった。その頃には食べられる茸は大体見分けられるようになっていた。近くの林なので大した茸は見つからないが、それでも滑子、椎茸、木耳、猪口などはだいぶとれた。それに、近くの林のほうがいろいろな種類の茸があって、見る分には楽しかったのだ。
 ある日の朝早く、父ちゃんと爺ちゃんは畑に行っていったが、杉作は裏山に茸を見にでかけた。もちろん食える茸があれば採ってくるつもりである。
 獣が通る道を歩いていくと、林の中の、道から離れた斜面に動くものが見える。白っぽい帽子のようなものが行列をして進んでくる。先頭は黒いようだ。大きさは鼠くらいだ。なんだろうと、杉作は羊歯の生い茂る下草の中に入った。見えるところまでくると、なんと、白い帽子をかぶったような茸が、ゆらゆら揺れながら行列で歩いていた。先頭にいるのは同じ形をしているが、真っ黒である。それに、脇を白いうどんのようなものをたくさん生やした茸も歩いている。
 しばらく見ていると、行列をしてきた茸は一箇所に集まるり動かなくなった。
 杉作はそばに寄ってみた。どこかで見たことがある。ちょっと考えたが、すぐ思い出した。父親と来たときに、「これはなギョウレツモダシっていうんだ」と父親が教えてくれた茸である。「喰えないよ、黒くなって溶けちまう、気味悪りい茸だべ」とも言っていた。細いうどんがたくさん伸びている白い茸は始めて見た。
 確かにこの茸は歩いて戻ってきたところだった。茸が動くはずは無いと思って、杉作は茸を指で突いてみた。特に何も起こらない。杉作はしゃがんでしばらく見ていたが動く気配もない。何か見違えたのかもしれん、さあ、戻ろうと立ち上がった瞬間、ギョウレツモダシが真っ黒になるととろけて、青黒いどろどろのものになってしまった。気持ちが悪りい、そう思って杉作はその場から離れた。振り返ると、一本だけあった真っ黒な茸が、青黒いどろどろの中ですっくと立っていた。行列の一番前を歩いていたやつだ。白いうどんのような茸も細くなって倒れていた。
 杉作は道に戻って、茸探しを始めた。滑子や猪口をとって、家に帰ると、庄屋さんのおじいさんがなくなったと、朝飯の用意をしていた母ちゃんが言った。父ちゃんと爺ちゃんも畑から戻ってきていた。
 「後で手伝いしに行くから、お前は遊んでいれや」
 と父ちゃんに言われた。庄屋さんのおじいさんは少し前、六十歳になったところで、急に寝込んじまった。医者が流行り病だと言ってたそうだ、なかなかよくならずに、今日なくなったのだ。
 「世話になったからなあ」
 亡くなったおじいさんが庄屋さんのご主人だった頃、じいちゃんはとてもよくしてもらったという。親切な人で、村の誰からも好かれておった。
 「じいちゃん、今日、ギョウレツモダシが行列しておった、それに白いうどんのような茸があった」
 「たくさん生えていたんか、あんの茸は春も秋もでおるでな、その白い茸はの、きっと素麺茸じゃな、線香茸ともいうけんどな」
 じいちゃんは杉作がただ生えていると言ったと思ったようだ。杉作も本当に見たのかどうか自信がなくなっていたので、歩いていたと言い直すことはしなかった。
 「黒いのもあった」
 「虚無僧か、あんまりでねえけどな、たまにある」
 朝飯を食ってから、親たちは庄屋さんの家に手伝いに行ってしまったので、杉作は隣の家に遊びに行った。隣は百姓の与助さんの家だ。与助さんのところには子供が六人もいる。杉作には兄弟がいなかったので、いつも隣の家の子供たちと遊んでいる。
 「裏山に行かねえか」
 杉作が声をかけると、男の兄弟達が「いくべ」と返事をした。隣の兄弟は男三人、女三人である。一番上の一助が杉作と同じ年で仲が良い。
 杉作は一助、二助、三助と一緒に裏山に行った。
 「朝きたときな、茸が歩いてたんだ」
 杉作がそう言っても、他の三人は「歩くわけあるめえ」と信じてはくれない。杉作はもしかすると、また茸が歩いているかもしれないと思って、三人を連れてきたのだ。
 林の中のギョウレツモダシが生えていたところに来ると、なんと、またたくさんの若いギョウレツモダシが顔を出していた。
 「こいつがよ、歩いてたんだ」
 「どうしたら歩くんだ」
 一助がまだ小さいギョウレツモダシを突っつこうと指を突き出した。
 すると、ギョウレツモダシは、傘を揺らして指をよけた。
 「あれ」
 二助も三助も兄のまねをしてギョウレツモダシを突っつこうとした。
 その茸も傘を揺らして指をよけた。
 「ほら、動くべえ」
 杉作はギョウレツモダシを掴かもうとした。すると、そいつはすぽっと土から飛びでると、後ろの方に逃げていった。
 「ほんとだあ」
 みんなはびっくりして、杉作のように、生えている子供のギョウレツモダシを引き抜こうとした。すると、そいつらは土から飛び出し、ぴょこぴょこと逃げていく。子供たちは茸を追いかけた。茸は懸命に逃げていく。それが面白くて子供たちは、生えている茸を土から追い出して追いかけた。
 しばらくすると、ギョウレツモダシの子供たちが一箇所に集まって、立ち止まった。
 杉作たちが何をするのか見ていると、集まって、一つの大きなギョウレツモダシになってしまった。そして、子どもたちに突進してきた。
 なにしろ、何十ものギョウレツモダシが一つになったので、大人の大きさになった。それが向かってきたので、子供たちは恐ろしくなって逃げた。三助が転んだ。大きなギョウレツモダシが三助の上に乗っかろうとする。あわてて杉作と一助が三助けを抱き起こし、やっと山の入口まで来ることができた。振り向くと大きなギョウレツモダシが、立ち止まってこっちを見ている。
 杉作たちが山から出ると、茸はいなくなった。
 「怖かったな」
 「杉作の言うとおりギョウレツモダシが歩いたな、だけんど、父ちゃんも母ちゃんも絶対信じないよ」
 「んだ、だまってよ」
 次の日の明け方、杉作がしょんべんをしたくなって、家の裏の山際で立ちしょんをした。
 終わって、なにげなく隣の家を見ると、裏の方から白いものがゆらゆら揺れながら行列をして出てくるのが見えた。あの動きは林の中で見たギョウレツモダシたちだ。杉作はよく見るために、隣の家の庭に入った。確かにギョウレツモダシたちが動いて林の中に向かっている。線香茸もいくつか一緒に並んでいく。一番先頭は真っ黒な虚無僧茸である。
 なんだべ。杉作は一番後ろの一つが林の中に消えていくまで眺めていた。お日様が昇り始めた。家の中に戻ると、父ちゃんと母ちゃんが起きていた。
 「なげえしょんべんだな、なにしてた」
 「うん、林を見てた、何か白いものが動いていた」
 「白兎じゃねえか、みんながよく見るいうていた、縁起いいべ」
 兎は茶色が普通だが、ときどき、真っ白な兎が出てくることがある。そう言って父ちゃんは畑に出かけた。
 「そうかあ」
 杉作は布団に入った。かあちゃんが朝飯を作るまでもう一度寝ようと思ったのだ。
 ところが、畑に行ったはずの父ちゃんがすぐ戻ってきた。
 「与助さんとこの梅婆さんが亡くなっちまったとよ」
 「えー、あんなに元気がいい梅さんがかい、ポックリかい」
 母ちゃんも驚いている。
 それを聞いた爺ちゃんが布団から出て来た。いつもなら父ちゃんと畑に行くのだが、ちょっと風邪気味だから行かなかったのだ。
 「梅さんとは同い年でな、行ってやらにゃ」
 梅婆さんの旦那さんはもうだいぶ昔に亡くなっている。
 「それで、どうして死んじまったんだい、ちょっと様子を見てくるよ、隣の家の子供たちをあずからにゃいかんかも知れんな」
 かあちゃんはそう言って、隣の家に行ってしまった。
 杉作は起きて庭に出て見た。隣の家には近所の人たちが集まっている。
 「いつも早く起きてくる梅婆さんが起きて来ないので、くめさんが見に行ったら亡くなってたそうだよ」。くめさんは一助たちのおっかさんだ。
 近所の人が話をしていた。
 「いつごろ亡くなったんだろうね」
 「分からんけど、明け方じゃなかろうか、ってくめさんは言ってたな」
 かあちゃんが隣の子供たちを連れてきた。
 「杉作、みんなと仲よくしてれや、今日と明日はうちで飯食うからな、これから用意するで、ちっとまってくれ」
 母ちゃんが、たくさんの米をといで、窯にかけた。
 「梅ばあちゃん死んじゃったんだな」
 杉作が一助に言うと、一助がうなずいて、
 「それでな、今日の朝な、変なものを見たんだ」と小さな声で答えた。
 「なんだい」
 「まだ暗いとき、ふっと枕元をみたら、白いあの茸たちが行列してばあちゃんの寝ているところに行ったんだ」
 「それでどうした」
 「ばあちゃんはちょっと離れたとこで寝てたからわかんねえ」
 「そんこと、小父さんには言ったんか」
 「言ってねえ、どうせ、夢見たんだろうとしか言われんもんな」
 「言わねえほうがいいよ」
 一助はまたうなずいた。
 その日の夕方、梅婆さんの通夜が行なわれ、次の日に埋葬となった。
 その三日後のことだった。めっきり冷え込むようになって、まだ暗いうちに杉作はしょんべんがしたくなった。しかし、寒いので布団から出たくない。我慢をしてじっとしていた。
 すると、すすすすと何か引きずるような音がする。何の音かと顔を上げてみると、隣で寝ている爺ちゃんの枕元に、ギョウレツボダシが行儀良く何列にも並んでいる。その脇には線香茸が並び、一番前に虚無僧がいた。
 虚無僧がお辞儀をすると、ギョウレツボタシがお辞儀をした。
 杉作は追いかけられたことを思い出して、うかつなことは出来ないと思った。爺ちゃんを起そうかと思ったのだが、ギョウレツボタシに気付かれて何をされるかわからない。それで、反対隣に寝ていた父ちゃんの布団の中に手を入れて、揺すった。
 「なんだ杉作」と目を開けた父ちゃんに、爺ちゃんの枕元を指差した。
 父ちゃんが飛び起きた。
 「なんだ」
 その時は、爺ちゃんの枕もとのギョウレツボタシがそろって帰るところだった。
 「何で茸を並べたんだ」
 父ちゃんは杉作が茸を並べたと思ったようだ。ところが、ギョウレツボタシが列をなして動いていくのを見てまたびっくりした。
 「なんだ、こいつらは」父ちゃんが立ち上がったものだから、ギョウレツボタシたちはあわてて走って外に出て行ってしまった。
 「杉作が採ってきたんと違うんか」
 「ちがうよ」
 母ちゃんが目を覚まして「なにやってんだ」と起き上がった。ところが、爺ちゃんは寝たままだった。それに父ちゃんが気がついた。
 「爺さま」
 爺ちゃんは動かなかった、まだ暗いので、母ちゃんが行灯に火をつけた。
 爺ちゃんの顔は笑っているように見えたが、息をしていなかった。
 「風邪は良くなっていたのになあ、なんてこったポックリだ」
 こうして、爺ちゃんが死んでしまった。
 自分のうちのお葬式というのをはじめてやった。数日、親は忙しく、父ちゃんも母ちゃんも爺ちゃんの枕元にいた茸のことなんか忘れていた。ばあちゃんは杉作がまだ小さい時に死んじまったんで、杉作は葬式を知らなかった。なんだか人がたくさん出入りした。本物のお坊さんも来た。
 「死ぬときは苦しいんだべな」
 父ちゃんに聰聞くと、「苦しいこともあるし、爺ちゃんや梅婆さんのようにポックリいくと苦しくねえんだ」
 「そんじゃ、ポックリでよかったんか」
 「元気で死なねえのが一番だ、だが死ぬならポックリがええ、爺ちゃんはもう寿命だからな、幸せだったろうよ」
 「死んだらどこいくだ」
 「天国に決まっているべ、爺ちゃんはいい人だっただろう」
 杉作はうなずいた。
 「悪いことすりゃあ、地獄におちるだ」
 ギョウレツボタシが天国や地獄に死んだ人を連れて行くのかな、と杉作は思った。

 この年の春はポックリで死ぬ人が多かった。ポックリの流行り病かと医者が言っていたが、夏になるとポックリは出なくなった。おさまっていたと思ったら、秋になってどうやらまたポックリ病が流行りだしたようだ。
 庄屋さんの田の稲刈りから帰ってきて、父ちゃんが母ちゃんに言っていた。
 「川向こうの吾作んちの爺さんが倒れちまってな、医者の話だとずい分苦しい病だそうだが、倒れた次の日にぽっくり死んじまった。苦しまなくて良かったなということだったな」
 「ポックリ病はどうして起きるんだべ」
 「わかってねえよ、ただ苦しくないそうだ、医者の仁生先生の話だと、何かが心の臓の動きを止めちまうそうだ」
 杉作にはポックリ病は何が起しているのか知っていた。杉作は毎日のように林の中に通って、あのギョウレツボタシの生える場所を覗いてみていたのだ。ギョウレツボタシが大きく育って、虚無僧が出ている、次の日には必ず誰かがポックリで死んでいる。
 今日もギョウレツボタシがたくさん育っていた。
 「父ちゃん、明日も誰かポックリで死ぬべ」
 「そんなこと言うでねえよ」
 父ちゃんにそう言われたが、ギョウレツボタシが大きく育っていた時には必ず母ちゃんに、明日ポックリで誰かが死ぬと言った。
 母ちゃんは杉作には何も言わなかったが、父ちゃんに「杉作がへんなんよ、あれが、ポックリが出るというと必ず誰かポックリで死ぬんだ、気味わりいわ」
 「まだ、言ってるのけ」
 「ウン、だが、本当に当たっている、父ちゃん、杉作に聞いてみてくれや、怒らんでな」
 「ああ、そうする」
 それで、父ちゃんが杉作に聞いた。
 「杉作、どうして、ポックリが起きることが分かるんだ」
 「父ちゃんおぼえてねえか、爺ちゃんが死んだ時、茸が枕のとこにたんといただべ」
 「ああ、なんだかはっきりしねえが、そんな気がする」
 「裏の山の林の中に、あの茸が生えるところがあるんだ、ギョウレツボタシが大きくなって、しかも真っ黒な虚無僧が生え、線香茸が生えると次の日にはポックリがおこる」
 父ちゃんは半信半疑だったが、杉作がその場所に案内した。そうすると、杉作が言っていた通りに、虚無僧が生えているとポックリが起こる。
 「父ちゃん、あの茸を怒らすと怖いから、なんもしちゃあいけねえよ、一助たちも知ってるけど、おらもいたずらをして、追いかけられた。ただ見てる分には何もしねえ、あいつら行列作って、死ぬ人のところに行くんだ」
 父ちゃんはそのことを庄屋さんに言ったようだ。それで、枕元にギョウレツボタシが虚無僧とともに現われたら、ポックリで死ぬことが出来るという話が村に広がったというわけである。
 村のある人の家で、自分の親の枕元にギョウレツボタシが現われたので、寝ている親を布団ごと動かして別の部屋に移したそうだ。もしかすると虚無僧は死神で、そいつから離せば死なないですむのではないかと考えたわけだ。ところが、その親は三日苦しんで死んだそうだ。その家人は余計なことをして苦しませてしまいずい分悔やんだそうである。庄屋さんがなだめて、それでもその家の者たちは悲しんで、一月も満足に食事も出来なかったということだ。何とか親を助けようとした気持ちだったのだけどね。
 そんなことから、今ではギョウレツボダシが現われたら、何もせず、むしろお礼の言葉を掛けるようになったそうである。

 読み終わって、このような話が残っているとは面白い場所だと思った。行ってみよう。筆者は中央線の小淵沢から車で少し入った富士見町という、八ヶ岳の別荘地に一人で住んでいる、神峰さんという男性だった。仕事から身を引いた後、愛犬と一緒に住んでいた。
 そのあたりにホテルがあるかどうか調べると、いくつかある。しかし、ペンション通りがあって、そこが神峰さんの家に一番近い。その一つに泊まることにした。ペンション北欧である。地元で採れた山菜や茸の料理が美味しいという評判が書かれていた。
 よく考えたら、甲府で武田神社によってから行くことができる。
 中央線特急アズサで甲府に出て、バスで武田神社にいった。武田神社の菱和殿に入ると、それは見事な天井絵が描かれていた。花、実、茸が四角いマスの中に、柔らかな曲線で納まっている。色は落ち着いた色で、それこそアールヌーボーと日本画の饗宴である。あまりのすばらしさに、呆然と一時間も見てしまった。
 小淵沢は新宿から一時間半で着くところなのに、甲府によったおかげで、三時間ほどかかったことになる。小淵沢に着きペンションに電話を入れると息子さんが車で迎えに来てくれた。ペンションはこじんまりとしていて、二階に部屋が八つほどある。こぎれいな宿であった。北欧の木を用いて作られたぬくもりのある建物だ。
 荷物を置いて一階の居間に行くと、主人がいたので、語草片叢書を見せ、内容を説明し、話を知っているか聞いた。しかし、主人は三十年前に脱サラしてペンションを始めたとのことで、今こそ茸は良くわかるようになったが、伝承や民話は詳しく知らないということであった。
 「そのギョウレツボタシ、ささくれ一夜茸は喰えますよ、うまい茸ですよ」と教えてくれた。
 その夕食に、神峰さんがペンションに来てくれた。少し太り気味の赤ら顔の方だった。
 「始めまして、神峰です」と丁寧にお辞儀をして椅子に座った。名刺を渡すと、「あたしは旅はあまりしませんでしたが、引越しはしましてね、ここの土地の人間じゃありません」
 そう言って頭をかいた。
 「これ面白かったです、でも、良くこのお話をご存知でしたね」
 「いや、ごめんなさい」となぜか謝って「私は文章にしただけでよ、名前を出さないっていうことだったんだけど、手違いかもしれませんね」
 「どういうことでしょう」
 「私は別荘を借り切って十年住んでいたんですが、管理会社に進められて、今は自分の家をこの別荘地に建てました、管理事務所の人たちとは懇意になって、いろいろ相談しています。何せ不便なところですからね、そこで働いている一人の女性から相談を受けたのです。
 その女性のおばあさんのところへ、神田の本屋から茸の昔話をまとめてほしいという話がきたそうです。そのおばあさんは地元の人で、茸採りの名人として知られていたそうです。それに古いことをよく知っていました。しかし、おばあさんも娘さんも、文を書いたことがないというので、その方から私のほうに依頼がありましてね、お婆さんの話を文にして欲しいということでした。そのお婆さんの名前で出すならやってあげましょうと引き受けたのですよ、私は茸のことも知らないんです、おはずかしい」
 まじめそうな人である。
 「そのおばあさんに会えるのでしょうか」
 「あの話がきてから一年経つのですが、残念ですが、半年前亡くなりました。九十九でした。私が文を書くのが遅くて、出版が今になってしまい申し訳ないと思っています」
 神峰さんは何をやっていた人かと想像をしていると、
「私は仏蘭西文学、文化の専門でいて、日本のことはよく知りません」
 ということだった。その後、食事をしながら話をしたことは、どちらかというと、フランス文化の話になってしまった。しかし、とてもいろいろな経験をなさった方で、話は映画を見るよりも、本を読むよりも面白かった。フランスの第二次世界大戦のときのナチスに対する抵抗を研究なさっていて、フランスの少年少女小説を訳したりもしていらっしゃる、とある大学の教授をなさっていた方だったのである。
 それに、食事はいろいろな茸の料理が出てきた。唐傘茸のフォイル蒸し、天然滑子の大根おろし和え、霜降り占地や舞茸の天麩羅、それは美味しかった。
 神峰先生は、車でいらしたので、飲むことができなかったのだが、私には飲むようにすすめてくれて、ビールを二本飲んでしまった。ビールのあう美味しい料理でもあった。
 こうして、いい先生にめぐり合え、いい宿にぶつかって、とても楽しい時間をすごすことができた。帰りに管理事務所に行って、そこで働いている地元の人に、このささくれ一夜茸の話について聞いたのだが、誰も知る人はいなかった。今の時代にそのような言い伝えは残っていないようである。

茸の葬列―茸書店物語9

茸の葬列―茸書店物語9

茸書店の出している冊子のお話し。その村では、ぎょうれつもたし(ささくれひとよたけ)がでると、ぽっくりで死ぬ人がでた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-03-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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