曇天のした

「ありがとう。参考になりました」
 カウンター中にいる店主にお礼を言った。
「またおこしください」
 思いがけずそう言われて、もちろん、またそのうちにきます、と僕は返す。機械的な返答になってしまって相手に不快感を与えてはいないだろうか、僕は元々他人と話すのは得意では無いのだ。 
 落ち着いているが、どこか不思議な雰囲気を漂わせるカフェを後にした。
 店の外へ出るともう夕方を通り越して、夜なっていることに気がついた。相変わらず空は低く、汚染された大気が手を伸ばせばすぐに届きそうな距離まで迫っている。
 人々はこの曇天の下で日々を過ごしている。
 この国は、というかこの地球上のほとんどが汚染されてしまった。先の三度目の大戦で、人類の技術はさらに発展した。戦争と科学技術はセットのようなものだ。互いが競い合い、敵国を出し抜こうとするからだ。しかし、ある致命的な欠点を見落としていたせいで、大気は汚染され、昼間でも太陽の光を遮るほど空は濁ってしまった。
 あの塵の向こう側はどうなっているのだろうか。人々は、どんよりとした空の向こうに月と星があることさえも忘れてしまっているのかも知れない。
 致命的な欠点とは環境の破壊だ。人類は自然の破壊を続けた。大地が枯れる、痩せ細ることも厭わず、ただただ人類の繁栄と自国のみの発展を理由にして、他の種の可能性を摘み取り、侵し続けた。そして今、その報いを我々の世代は受けているのだ。
 空を見上げて、帰るまでに雨は降りそうはないなと少し安心する。今日は傘を持ってくるのを忘れてしまったので、少しだけ不安だった。濁った空から落ちてくる化学物質で汚染された雨粒がどれほど危険であるかを人々は知っているのだろうか。   
 ボロボロの服を着て硬いアスファルトに直接腰をかける若人。帰る家も無く、ボロ切れを被り眠りにつく老人。この場所が特別というわけではない。一部の富裕層が暮らす中心街と一般の住宅街を除いて、そこから外へ一歩出れば世界中こんな感じだ。
 僕は裕福ではないがこの国の政府から雇われているという立場なので、ある程度の清潔感と贅沢を保証されている。
 このスラム街では盗みも暴力も日常的なものだ。政府は特にこれといった支援は行わず、それどころか軍隊を送り込んでスラム街を住人ごと消し去るつもりだという噂さえ耳にしたことがある。
 ここにいると昔の事を思い出して妙な気分になる。早く立ち去りたいという思いが行動に現れて、足が少しだけ早くなる。
 痩せ細った子供が道を歩いている。かわいそうに、穴が空いたボロボロの服と裸足。顔は俯いているのでよく見えない。悲しいがこれも見慣れた風景のひとつだった。僕たち大人が情けないばかりに何も罪の無い子供達が酷い目にあっている。
 子供はまっすぐとこちらに向かって歩いてくる。このままではぶつかると思った瞬間、子供はこちらにも向かって勢いよく駆け出してきた。手に何か銀色の光る鋭い何かが見えた。それが鋭利な刃物だとやっとわかった。
 子供と迫るナイフを避けることができずに、腹部のあたりから多量の血が黒い地面に広がる。
「父さんと母さんの仇だ」
 強く握りしめたナイフに少年の涙がこぼれ落ちた。

 三時間前。自宅。
 リビングのテーブルに置いてある小型の個人用通信端末が震えていることに気がついて、僕は料理の手を止める。加熱調理器で使用していた器型の鉄板を調理台に置き主人を呼ぶ端末の方へと向かう。背の低いテーブルの上から端末を手に取り、通話ボタンを押す。
「はい。英臣・バーンズです」
『バーンズ君、休暇のところ申し分けないな』
 端末越しに男性、職場の上司の声が聞こえてくる。
「いえ、丁度昼食を食べようと料理していたところだったので、特に忙しい訳でありませんでしたが」
『そうか、それならさっそく本題に入らせてもらおう。実はスラム街の入り口におかしな店がある、とある善良な一般市民からの通報があった。もしかしたら、我々が追っている密売組織の取引場所に使われている可能性が浮上してきた、というわけだ。早急に対応して貰いたい』
 スラム街と聞こえてきて、また面倒ごとを押しつけられた気がした。あの場所に行くことに大きな抵抗があるわけでないのだが、どうも職場の同僚を含める仲間達はあの場所に近づきたがらない。理由はわかっている。生まれつき富裕層の人間は極端に汚染された環境を嫌う潔癖共ばかりだ。
「了解しました。私にその場所に行けと言うんですね」
『毎度すまないねえ』
 微塵も詫びが感じられない口調に少しイライラしたが、逆らっても得にはならないので、反論の言葉をいくつか飲み込む。
『スラム街の西通りに面しているからすぐにわかるだろう。詳しい座標は君の端末に送っておこう』
「はい。それでもし本当に密売所として使われていた場合なのですが、私が独自に判断を下して構いませんか」
構わない。君の反応に任せるよという満足のいく答えを聞いて、少し口元が緩む。
『それで、今日の昼食とは何かね。この時代でも、料理をするという君は大変珍しい。一体どんな物を作っているのか興味があるのだが』
 先ほどの偉そうな口調と変わって、やや遠慮がちな上司の声が通信端末越しに聞こえてくる。
 現在、この星の環境は非常に悪い。最悪だ。大気は汚染され、空は常に汚染物質が漂うせいで日の光さえも届かず、せいぜい昼と夜が区別できるくらいの明るさしかない。
 政府の管理下にある人々のほとんどは、味よりも効率を重視した結果、自然食品を口にしなくなった。栄養の補給は科学的に合成されたゼリー状の物を一日に三度摂取するのみだ。
「私の料理は趣味の様なモノです。それから、田舎育ちの私にはこちらの方が、口に合っているのです」
『非効率だろう。そういうのは』
「効率の問題ではありませんよ。趣味とはこういうモノなのです」
 上司の言うところの効率とは、調理の手間のことか、それとも料理に使う食材の調達方法や費用のことだろうか。
 平均的に気温の下がったこの星の環境は、前時代から存在する多くの農作には適しておらず、第一に日光を浴びる量が極端に減ったので、十分な大きさまで農作物が育たない。しかし、発展した技術のおかげで、屋内農作が可能となった今日ではさほど問題ではない。もちろん、料理の手間は単純に合成食と比べれば遙かに面倒くさいと言えるので、それを指摘されたとしても間違いではない。
 食事の準備があるので、これで失礼します、と端末での会話を終えた。
 折角の休暇なので、午後からは本でも読もうと思っていたのだが、その予定が潰れてしまったと思うと残念だ。それでも多少の特別手当が出るはずなので、それで多少値段の高い紙製の本でも買って慰めとしよう。
 昼食を終え、出掛ける準備をする。今回は特に激しい戦闘は予想されないが、念には念を入れて、防弾装備も欠かさない。そして、腰には一丁の銃を挿す。
「なるべくならオマエを使わない方が良いんだけどな」
 自分の相棒ともいえる銃に語りかける。
 今でも最後に銃の引き金を引いたあの日のことを鮮明に覚えている。ある密売グループの仕切っていた夫婦をこの銃で撃った。それを夫婦の子供に見せてしまったことを後悔している。殺しが決して好きなわけではない。ただひとりでも多くの人を幸福へと導きたくて、天秤の皿が傾かなかった方へ僕は銃口を向け、引き金を引いたのだ。
 黒く短い髪に同じ色の眼鏡を掛け、外の寒さにも耐えられる様にコートを羽織る。
 休日の出勤の特別手当は、後日嫌いな上司から搾り取れるだけ搾り取ってやろうと僕は楽しそうに笑みを浮かべる。
 僕の仕事はいわゆる民間の軍事会社。国の保有する軍隊のように戦争に命令されて参加するというよりは、政府の依頼で国内の警備や治安維持を中心に行っている。今回の件もそのひとつだ。

曇天のした

曇天のした

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-03-03

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