機械仕掛けの少女は心を乞う

糸遊 文

  1. 機械仕掛けの少女の懺悔
  2. 目覚め
  3. 彼の秘密
  4. 誰かの日記
  5. 少女と祈織
  6. 全ての始まり
  7. 壊された平穏
  8. 兵器へと堕ちた少女
  9. 紅い瞳を持つ女性
  10. 廃棄された遺物たち
  11. カンパネルラ号に揺られて
  12. 小さな女の子の罪
  13. 母親の懺悔
  14. 祈織と少女の離別
  15. 終着
  16. 眠り
  17. ×××の懺悔

機械仕掛けの少女の懺悔

 私はヒトたちとは違う。

 街を歩いているヒトたちと何ら変わらない容姿をしている。

 柔い肌は陶器のような白く、氷のように冷たい。

 心臓は違う形と音を奏で動き続けている。

 ヒトを模倣した機械。

 歳をとることも死ぬことも無く、美しい軀のまま存在し続ける。

 ヒトたちが願い望んだから、生まれ落ちた。

​ そんな私が。

​ ヒトたちのように感情を持つことは可笑しい事だろうか?

​ 間違っていることだろうか?

​ この世界で生きていても、赦されるだろうか?

目覚め

 鼻孔を擽る珈琲の甘美な香り。少女は重い瞼をゆっくりと上げれば、ゆらりと揺れる湯気。湯気越しに白髪 頭の老人と目があった。
「起きたかい?」
 にっこりと微笑んで、老人は視線を巨大なモニタへと移した。カタカタとキーを打ち込みながら、ぼそぼそと独り 言を零す。
「よし、異常は無いみたいだな」
 少女は上手く状況を理解することが出来なかった。微睡む思考のまま視線を周りに向けてみれば、沢山のコ ードに埋もれるように座っていた。手前にあった赤い色のコードを右手でくいっと、引っ張る。
「こらっ。むやみに引っ張ったら駄目だよ」
 老人は顔をしかめながら近づいて、あっちこっち少女の軀に繋がっているコードを一つずつ丁寧に外していく。それ 4はそれは、壊れ物を扱うかのように。少女は照れ臭そうに、擽ったそうに軀をよじる。
「暴れないでくれ……上手くコードがとれやしない」
 老人のため息混じりのその言葉に少女はピタリと動きを止めて、数回パチパチと瞬きした。沢山あったコードが 少女の軀から取り取り払われ、真っ白な布が少女を包んだ。そして、老人は白衣のポケットから鎖の付いた銀色 のプレートを取り出し、少女の首元へと宛がう。遠慮がちに首にぶら下がった銀色のプレートには、『Z_00』と刻 まれていた。どうやら、これが少女の名前らしい。ぼうっとプレートを見ている少女を老人はゆっくりと立ち上がらせた。
「君を連れて行きたい所がある。おいで」
 ゆっくりと皺だらけの手が少女の手を引いた。少女の視界がぐらり、大きく揺らいだ。怖くて咄嗟にぎゅっと老 人の手を強く握り締めてしまった。少女はふらつく足でどうにか立ち、一歩一歩足元を転ばない様に確かめなが ら老人の後を追う。老人は錆びて重そうな扉をゆっくりと開けた。

 ぎぃぃ……

 ふわっと暖かな風が少女を包み込む。重たい扉の向こうは、どこまでも蒼い空。小鳥の囀り、噎せ返る程の草木 の匂い……その全てが少女にとって新鮮だった。恐る恐る足を踏み出す少女。先ほどまでの硬く冷たい床と違う 感触。少し、柔らかく暖かい。きょろきょろと忙しなく辺りを見渡す。少女にとって、見るもの全てが珍しいものば かりで不思議だった。そんな少女の姿を見て、老人は「ふふっ」と愛おしそうに目を細め小さく微笑った。


 木々が重なり合ってできた木のトンネル。薄暗く曲がりくねった細い道は、どこか寂しげで少し怖い。木々の葉で 遮られた視界が開けるとそこは。真っ白な花が咲き乱れる、見晴らしのいい丘だった。そこにぽつん、と十字型の石 が真っ白な花に埋もれるように佇んでいた。
「アレはなに?」
 少女は指さして老人に問う。そっと少女の手を離し、少女の頭を優しく撫でながら。
「あれは、お墓だ」
「おはか?」
 首を傾げる少女を優しく、けれど、どこか寂しそうな眼差しで見下ろす。
「そうだ。ヒトは死んだらお墓の下に埋葬されるんだ。私が死んだらここに埋めて欲しいんだが、お願いできるか な?」
「うん」
  少女はこくりと頷く。
「……ありがとう」
 何かを諦めたような微笑で老人は真っ白な十字型の石を見つめていた。

――どうして、泣きそうな顔をするの?

 心臓をつかまれたみたいに少女の胸がギシリと、痛んだような気がした。胸の痛みの原因を老人に問うては駄目 だと感じ、少女はそっと胸にしまい込んだ。

 老人と少女はそっと白い花の絨毯に身を委ね、どこまでも白で埋め尽くされた丘と澄み渡る蒼い空を堪能し た。寝ころんだ花の絨毯は思った以上に固く冷たいと感じた。お互い口を開くことなく何かを忘れるように目を閉 じ、白い花の香り立つ甘い匂いに包まれた。小鳥が遠くのほうで楽しげに口遊んでいる。温かな陽射しに微睡みな がら、少女は隣に横たわる老人の息遣いと体温を感じ、心地良さを覚えた。

 ごぉぉん、ごぉぉん

 遠くの方から鐘の音が響き渡る。気づけば、辺りはオレンジ色に染まっていた。
「そろそろ、帰ろうか」
 老人が腰をだるそうに上げる。ささっと服についた土を払い、皺だらけの手を少女へ差し出した。黄昏色に染まる白髪がとても輝いて綺麗だった。その美しさに少女はしばし、見惚れていた。
「どうかしたか?」
 老人は手を差し出したまま、訝しげに首をかしげた。
「なんでもない」
 少女はぱっと視線をそらし、ためらいもなく当たり前のように手を握った。皺だらけの大きな手は大きくて温か かった。
「あったかい……」
 少女の口からこぼれ落ちた。
「そりゃぁ、生きているからね」
 老人は少女の方を見ることはなく、真っ直ぐ前を向いて言う。私と君は違う、と少女を拒絶したみたいで寂 しいと感じた。
「……そう、ね」
「さぁ、暗くなってしまう間に帰ろう」
 のっそりと歩き始めた。緩やかな下り坂に少し冷たくなった風が吹き抜ける。だんだんと陽が沈んでゆき、昏い 陰が少女と老人を追い立てる。全てが夜の色に塗り潰されてゆく。老人の横顔が少し寂しげに見えるのは気のせ いなのだろうか。なんて、少女は考えていたら、あっという間に木造の建物へと戻ってきた。
「ぁ……」
 もう少し繋いでいたかった、少女は名残惜しそうに離れてゆく老人の手を目で追った。少女と繋がっていた老人 の手は、彫刻が施された真鍮のドアノブへと移りゆく。ゆっくりとドアノブを回し扉を開き少女を中へと招く。
「これが、私と君の家だよ」
「いえ?」
「帰る場所のことだよ」
「ふぅん……」
 老人は家と言うけれど、少女にはただの木製の箱にしか見えなかった。老人に急かされ家の奥へと進む。ごちゃ ごちゃとあった機械や沢山のコードはない。テーブル、ソファ、キッチンなどがこぢんまりと収まっていた。その場に突 っ立ったまま首を傾げている少女に老人が窓を開け指差す。
「ああ、君が目を覚ましたところは作業場なんだ。隣に建っているあれだよ」
 少し冷たい風が少女の頬をするりと掠めた。視線を向けると、コンクリートで出来た箱みたいな建物が隣にあ った。しかし、蔦が絡み合い窓も少なくて、冷たく寂しげに見えたのはきっと夕暮れのせいかもしれない。少しヒビが 入ったコンクリート箱にそんなに興味もそそられず、少女はすぐに視線を部屋へと逸らした。
 ふらふらと少女は部屋の中を歩きまわる。ふと、綺麗に整頓された本棚の上にあった写真立てが目に付いた。スーツの上に白衣を着た男性とシンプルなワンピースを着た女性が、とても幸せそうに微笑んで写っている。この女 性をどこかで見たことがあるような気がすると、少女はじぃっと見つめる。
「これは私の若い頃でね。隣に居るのは妻なんだ、綺麗だろう?」
 老人は写真立てを手にとり、愛おしそうに写真を撫でながら少し照れくさそうに言う。
「きれい……」
 色褪せ黄ばんでしまった写真。それでも輝きは失っていなくて、少女は目が離せなかった。写真を愛おしそうに見つめている老人に少女は自分の事のように嬉しく思った。なぜ嬉しく思うのか、今の少女には解らなかったけれど。
「ああ、そうだ。君の部屋を教えておくのを忘れていたね。こっちへおいで」
 何事もなかったように写真立てを戻す。老人はさっさと階段の方へ行き、ちょんちょんと手招きをする。立ち 尽くしたまま動かない少女の元へ戻り、顔を覗き込む。
「どうかしたのかい?」
 眉毛をハの字に下げ困り顔な老人の顔が少女目の前にあって、
「……なんでもない」
 ふいっと少女は顔を背けてしまった。
「そうか」
 何も言おうとしない少女に小さく溜め息を吐き、少女の手を引いて狭い階段を上った。
「ここが、君の部屋だよ」
 一番奥の扉をゆっくり開いた。

 そこは、白で統一された殺風景な一室だった。ベッドの上に置かれた淡いピンク色のウサギのぬいぐるみだけが、 鮮やかな色をはなっていた。
「好きなように使っていい。必要なものがあれば、私に言って」
「うん」
 そう返事する少女の視線はウサギのぬいぐるみに注がれていた。
「君は分かりやすいなぁ」
 くすくすと笑いながら、くしゃくしゃと柔らかな少女の髪を撫でた。
「さて、晩ご飯を作るとしようか」
 すっと、温もりが少女の頭から消えた。もっとして欲しいと少女の顔が寂しそうに見えたが、ぱっと楽しそうな顔で。
「私も手伝う」
 老人の服の裾をくいっくいっと引っ張る。
「わかった、わかった。じゃぁ、一緒に作ろうか?」
 くすくすと笑いながら、老人は先に階段を下りていく。その後ろ姿に少女は既視感を覚えた。
 ご飯を食べて、老人が淹れてくれた珈琲を二人でゆっくりと味わう。
「……にがい」
 少女は思いっきり顔を顰めた。
「砂糖とミルクを入れるといい」
 差し出してくれた砂糖とミルクを真っ黒な珈琲にいれる。優しい色合いになった珈琲は少し甘くなって、少女か ら笑みが零れた。老人は頬に手をつき、愛おしそうに少女を見つめていた。静かでまったりとした食後のティータイ ムはとても心地が良かった。
「明日にでも、家事のプログラムをインプットした方がいいな」
 老人は先ほどの出来事を思い出しているのか苦笑いを零した。
「……お願いします」
 手伝いをすると言ったにもかかわらず、少女は何もできず見ているだけだった。少女はしょんぼりと肩を落とし た。
「気を落とさなくてもいい。知らない事をやろうとしたのだから。ね、顔を上げて?」
 俯く少女の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「……ん」
「疲れただろう?ゆっくりおやすみ」
 やんわりと諭され、老人の言うとおりに少女は階段へ向かう。階段を上る途中、ちらりと居間の方を見た。老 人はカップを持ったまま暗くなった窓の外を……いや、もっと遠くを見つめていた。その横顔が今にも泣きだしそう で、辛そうで少女は見なかった振りをして駆け上がった。

 殺風景な自分の部屋に勢いよく入る。白で統一された部屋は、少女を拒絶するようで冷たく感じた。だから、 少女は自身の色に染めようと考えた。
「よしっ。明日は部屋の模様替えをしよう」

 ギシッ……

 少女はベッドにダイブして枕に顔を埋める。そして、この部屋に必要なものを一つ一つ挙げてゆく。
「本棚に沢山の料理の本と、机……あ、お花も飾りたいな」
 部屋を見渡していたら、ふとウサギのぬいぐるみのつぶらな瞳と目があった。そっと引き寄せ抱きしめると、すこし カビ臭い匂いがした。もう一匹ウサギのぬいぐるみを作ろう。
 ウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめたまま何色がいいかなぁと、心地良い微睡みに身を任せた。

彼の秘密

 カーテンの隙間から朝日が差し込む。小鳥の楽しげな囀りに少女は目を覚ました。ベットから起き上がりカーテンを引き、窓を開け放つ。少し冷たい風が少女の頬を撫でてゆく。窓から見える空は蒼く、今日も天気は良いようだ。クローゼットの前に立ち、服を選ぶ。色鮮やかな洋服がある中で、少女は白色のシンプルなものを選ぶ。変なところは無いか、くるりと見渡して一階へと降りる。
 ふわり、珈琲の香りが少女の鼻孔を満たす。老人ロッキングチェアに座って、ゆらりゆうらり。揺られながら珈琲を堪能している。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「ん……」
 こくりと少女は首を動かした。
「それはよかった。……どうする? すぐに必要なデータをインプットしに行くかい?」
 揺られながら老人は微笑みながら少女に問う。
「すぐ、お願いします」
「分かった。じゃぁ、行こうか?」
 ぽんっと少女の頭に手を置き、すぐに扉の方へ向かった。そのあとを追うように少女も外へ出た。

 窓がなく、大きな鉄の扉しかないコンクリートで出来た箱を少女は見上げる。重たい扉を開いて老人と共に足を踏み入れる。長く続く廊下には幾つかの扉があった。老人は手前右の扉を開け、少女が来るのを待っていた。
「左の部屋と左右奥の部屋は倉庫だから。工具とか服、生活に必要な物とかが色々置いてある。必要になったら持っていくといい」
「奥の朱い扉は?」
 少女は奥の朱い扉を指差した。
「あの部屋には入ってはいけないよ。少し危険な機材とか置いてあるから……いいね?」
 有無を言わさず、少女を部屋の中へと押し込んだ。強引に少女を椅子に座らせ、次々とコードを繋げ始めた。そして、カタカタとキーボードを忙しなく叩く。
「目を閉じて。データを君にインプットするから」
 沢山のデータが濁流のように少女の中へと流れ込んでくる。素直に目を少女は閉じた。

『……ずっと、ずうっと一緒。約束よ?』
『ああ、約束する。ずっと……』
『私が先に……しまっても……きっと……』

 目を閉じていた時間はほんの数十分だけれど、少女にとってはとても長く感じた。膨大なデータの濁流に飲み込まれながら夢のようなものを見た。幸せなのにどこか哀しくて寂しい、そんな夢。
「もう、目を開けてもいいよ」
 少し掠れたテノールの声が少女の意識をゆっくりと浮上させる。重たい瞼をゆっくりと開けてゆく。老人と少女の視線が交わる。老人の硝子の様な瞳が、ゆらゆらと不安げに揺らいでいる。
「気分はどうだい? 不具合はあるかい?」
「ない……と思う」
 ゆっくりと起き上がり、少女は俯いた。
「そうか、上手くいったようだな」
 老人は安心して力が抜けたのか、どかっと近くの椅子に座った。少女は服の裾を握り締めながら顔を上げる。
「これから私が身の回りの事する。あなたの役に立ちたいのだけど……だめ?」
「……いや、それは構わない。ただし、無茶だけはしないようにね」
 複雑そうな顔をしながら少女から少し、ほんの少しだけ視線を逸らした。少女はなんとなく老人の傍に居るのが息苦しくなって、ぱっと立ちあがった。
「私、洗濯物を片してくるっ」
 老人の顔もろくに見ずに駆け出して行った。少女の目から涙が溢れ始めて、頬を濡らしてゆく。流れる涙、息苦しく思うことの理由を少女は理解できなかった。
 少女は走って家へ戻り、扉の前で呼吸を整え中へ入る。目に付く衣類をかき集め、カゴに詰めて井戸がある林へ向かった。ついでに、少しかび臭いウサギのぬいぐるみも持ってきた。晴れ渡った青空の下、洗い立ての洗濯物たちとぬいぐるみが一匹。風に遊ばれ、揺らめいている。
 少し時間が経ったおかげか、少女は少し落ち着きを取り戻していた。大きく深呼吸をしてカゴを抱え、来た道をゆっくりと戻る。途中でキレイな花を見つけ、部屋に飾ろうと摘み取った。家に戻って花を生ける花びんを探す。きょろりと辺りを見渡しても老人の姿もなく、まだ作業場に居るようだ。
「んん、ここには無いのかな?」
 とりあえずコップに水を入れ、その中に摘んできた花を生けた。白で統一された殺風景な部屋がピンク、あお、きいろ、しろ……と色付いてゆく。喜んでくれるといいな、と思いながら鼻歌交じりに老人の居るであろう作業場へ向かった。
 重い鉄の扉を開き中へ入る。手前右の扉を開き、ちょこんと顔をのぞかせる。

 カタカタカタッ、カチッ、カタカタカタッ、カチッカチッ、カタタッ……

 静まり返った部屋の中で、キーボードを忙しなく叩く音とクリック音が響く。眉間に皺を寄せ、真剣な顔つきでモニタと向き合う老人がいた。グニャリ、少女の視界が歪む。既視感。高速で巡り始める少女の中にあるデータたち。データの波に溺れながら、ふらふらと部屋を出る。おぼつかない足取りで奥へ、奥へと足を運ぶ。目の前には、赤塗りされた木製の扉。「入っては駄目」と言われた部屋の扉の前に佇む。少女は老人からの忠告も忘れ、白濁した思考のままドアノブをゆっくり回して、押し開く。

 ぎぃぃ……

 部屋の中は闇に覆われて前が見えない。手探りで照明のスイッチを探す。パッチ、蛍光灯の明かりが部屋の中を煌々と照らす。曝け出された部屋の光景に少女は目を見開いた。
「ぇ……?」
 部屋を埋め尽くさんばかりにヒト、ヒト、ヒト……いや、ヒトの形をしたモノたちが居た。少女は恐る恐る、それらに近づいてみる。
「ひっ。なにこれ……」
 少女そっくりの顔。それも数えきれないほど、沢山。首元には銀のプレートが提げられているが、錆びていて読みにくくなっている。
「A_01? こっちは……IORI_99?」
 ぐらりとまた、視界が揺らぐ。少女はとっさに、近くにあったテーブルに手をついた。バサッと何かが落ちた音がした。拾い上げて見ると、古びた一冊のノートだった。
「ん? なんだろう、これ……」
 少女は、ゆっくりページを開いた。

誰かの日記

×××年×月×日(晴れ)
 研究所が爆発した。原因は詳しくは分からないが、テスト機械の誤作動で爆発したらしい。爆発に巻き込まれたが、私は大した怪我は無かった。だが、祈織(いおり)は全身に火傷を負ってしまい、深く眠り続けている。すぐに助け出してあげられなくてごめん……
 私は祈織を失うことがとても怖い。祈織の意識と記憶をデータ化して、別の場所へ保管することにした。早く目を覚ましてくれ、祈織。

×××年×月×日(晴れ)
 ようやく、祈織が目を覚ました。全身包帯姿が痛々しくて直視できなかった。祈織を助けられなかった無力さと罪悪感で、胸が押し潰されて辛くて息苦しかった。しかし……祈織が掠れた声音でたどたどしく「あなたの所為じゃない」「あなたが罪の意識を持たなくていいの」と赦してくれるから、心が少し軽くなった。何をやっているのだろう、私は。本来なら、私が祈織を励まさなければならないのに。

×××年×月×日(雨)
 祈織の火傷も少しずつ回復はしている。だが、医者が言うには、いつ死んでもおかしくないくらいに体は衰弱しきっていると言われた。祈織には伝えてはいないが、きっと気づいてはいるのだろう。私は暫く、可能な限り祈織の傍に居た。傍に居る理由は祈織の為ではなく、私自身の為だ。祈織の傍に居なければ、自身を保つ自信がなかったから。
 今日は研究所の奴らに会った。私を待ち伏せていたらしい。忌ま忌ましい奴らだ。奴らの要件は「新しい研究施設を建てたから、戻って来て欲しい」と……全く馬鹿げている。また、同じ過ちを繰り返すつもりなのか。即答で「嫌だ」と言ってやった。口を開けて呆ける奴らの顔は愉快だったな。また奴らが来る前に祈織と共に隠れなければ。

×××年×月×日(晴れ)
 今日は祈織が退院して私の家に来る日だ。完全に怪我が回復した訳ではない。最期のひとときを好きな場所で過ごす……つまり、祈織の命がもうすぐ散ってしまうのだ。私は祈織を失う覚悟を決めなければならない。
 祈織の願い「夜空を見たい」を叶えるために、祈織を乗せた車椅子を押して丘へとゆっくり向かう。白い花に埋め尽くされた丘の上空には、幾億万もの星々が瞬いている。夜風が私達の間を抜けてゆく。静かに夜空を見上げる祈織は、今まで見たどれよりも儚くて綺麗だった。
 夜空を見ながら、ぽつりぽつりと、出会ってから今までの思い出話を懐かしみながら二人でした。それから、最後に祈織と約束をした――絶対に守るから。  

×××年×月×日(雨)
 じっとりと水分を含んだ重い空気。窓硝子を叩く雨と雷鳴が、生命の終わりを祝福するように鳴り響く。祈織は永遠の眠りについてしまった。穏やかで綺麗な顔に安堵した。
 それから私は、何かに取り憑かれたつかれたように機械工学の研究を始めた。祈織の約束を果たすために……いや、違うな。己の欲望を満たすために。

×××年 月 日( )
 今日は何日だろうか。まぁ、そんなことはどうでもいい。ようやく、祈織に似せた機械人形が出来た。「IORI」と彼女の名前を付ける。上手く起動したものの、入力したプログラム通りにしか動かず、表情も仕草もぎこちない。姿形は「祈織」なのに、彼女に似てさえいない。これは失敗だ。もっともっと祈織に関するデータを入力して、祈織に寄せなくては。

×××年 月 日( )
 前回よりも、祈織の記憶や意識のデータを沢山取り込んでみた。声音と表情の領域が少し広がり、祈織に近いものが出来上がった。これをとりあえず「IORI_01」とする。だが、まだまだ私の中の祈織には程遠い。見た目は、祈織そっくりなのにな。何かが足りない――何が足りないんだ?

××××年×月×日(曇り)
 祈織が亡くなって、二五年経ってしまっていた。私もずいぶん歳をとってしまった。思うように動かなくなってしまった手足、鈍ってしまった頭脳。ただ、焦燥だけが私を衝き動かす。何体造っても、「祈織」にならない。向けられた言葉も仕草も、すべて私が組み込んだプログラムをなぞっているに過ぎない。どれほど祈織に似せたところで、本物の祈織ではないのだ。彼女たちは、本物の祈織には決して成れない。分かっていたことなのに、諦めきれない。いつか……祈織が戻ってくるのじゃないかと心のどこかで期待してしまう。死んだ者が生き返る事などありはしないのに。それでも、私の弱い心が叫ぶ。「寂しい」「辛い」「哀しい」「傍に居て欲しい」と。
 そしてまた、祈織に似た偽物を造ってしまう。どれほど虚しい行為なのか解っていながら。そんな私を造られた彼女たちは、どう思っているのだろうか。いや、どうも思わないか。機械だから感情など持ち合わせていないのだから。

××××年×月×日(雨)
 今日は祈織の五〇回忌。それだというのに、あいにくの大雨だ。とうとう、死期が近くに感じる歳になった。もうすぐ、祈織の元へ逝けるのだろうか。この年になれば死ぬことも怖くなくなった。だが、誰かに看取って欲しいと思い始めるようになった。独りは寂しい。それに、死んだ私を祈織が眠る墓の隣に埋めて欲しい。
 私はこれから、その為のロボットを造る。祈織の名前は付けない。祈織の意識データも記憶データもインストールしない。必要最低限のデータのみインストールする。もうじき私は死んでしまう。「祈織のデータを持つ偽物」であっても残して逝きたくない。
 祈織は私と共に過ごして、幸せだっただろうか?
 私はとても幸せだった。今更で、遅いかもしれ無けれど。
 愛しているよ、ずっと。

少女と祈織

 少女が手にしていたのは、老人の日記だった。捲っていた頁の最後の方は文字が滲んで読めなかった。溢れ零れ落ちてゆく少女の涙で濡れてしまったから。少女は泣いていた。
 少女の中で渦巻く何かを押さえつけ、涙で濡れた頬や目元を拭いながら部屋を出る。花瓶を探しに来たこと思い出して、慌てて倉庫の部屋へと駆けだした。少女の頭の中を巡るのは、先ほどの日記の事ばかり。老人に訊きたいけれど、本当に訊ねていいのか迷ってしまう。ふらふらと、適当に見繕った花瓶を持って家へと戻る。テーブルに花を生けた花瓶を置いて、ほっと息を吐く。
「あ、洗濯物を取り込まなきゃ」
 ガタリと立ち上がってカゴを持ち、慌てて林へと駆け出す。外はすっかり黄昏色に染まっていた。遠くの方から寂しげに鐘が鳴り響く。
「私は何なんだろう……」
 きっと老人に問えば、答えが返ってくるだろう。けれど、少女が求めている答えが返ってくることはないだろう。
 家に戻った少女は取り込んだ洗濯物を畳み、夕食作りの準備に取りかかった。コトコトと煮込む鍋の中は、野菜たっぷりのシチュー。今朝、調理用のデータをインプットしたおかげで滞りなく作業をこなしていく。

 ぎぃぃ……

「ただいま」
 ちょうど出来上がったタイミングで、老人が帰ってきた。テーブルに置かれた暖かな晩ごはんを見て、目を見開いた。
「野菜たっぷりのシチュー。好きでしょう?」
「よく知っていたね。私がシチュー好きなこと……食べようか」
 わしわしと少女の頭をなで、椅子に座る。
「ん」
 少女もさっと、老人の向かい側に座った。
「頂きます」
「いただきます」
「昨日より、断然美味しいなぁ」
 にやにやと笑う老人に少女は頬をぷくっと膨らませて、そっぽを向いた。
「お陰様で」
「とても美味しいよ、ありがとう」
 少女は嫌味を言ったつもりなのに、どうやら老人には上手く伝わっていないみたいだった。それでも、このやり取りが少女には心地よくて。まだこの空気に浸って居たいと思ったけれど、勇気づけるように深く深呼吸した。
「あ、あのっ」
「ん?」
「あのね、訊きたいことがあるの」
「なんだい?」
「あの、その……えっと……」
 なかなか言葉にできず、もごもごしている居る少女。
「ちゃんと言わないと、何も伝わらないんだよ?」
 老人は苦笑いしながら少女の頬を優しく撫でる。温かな手が少女に勇気を与えてくれる。
「ごめんなさいっ。入ったら駄目って言われていたのに……あの部屋に入ったの」
 老人はさして驚いた風もなく、
「……そうか」
 少女の頬から手を離して、机の上に手をそっと置いた。
「それで……」
 涙を溜めて唇を噛み締めて、今にも泣きだしそうな少女。老人はそっと息を吐いて、話の先を促す。
「……それで、自分のこと知りたい?」
「えっ?」
 ぱっと少女は顔を上げる。涙目の少女と老人の視線が絡み合う。
「えっと……」
「君……君たちがどういう存在で、何のために作られたのか。知りたいんだろう?」
 硝子細工のような瞳に少女の困惑した顔が映る。全てを見透かしたような老人の瞳を少女は苦手だと思った。
「見てしまったのだろう? 君にそっくりな人形たちの残骸を……」
 老人が瞼を少し伏せて、一気に珈琲を喉に流し込んだ。少女にはその姿が、何かも一緒に腹に流し込んで、押さえつけるかのように見えた。
「……ごめんなさい、日記も……」
 息苦しそうに顔を歪める老人の顔をこれ以上見ていられないくて、少女はまた俯いてしまう。自身の胸を締め付ける痛みが何か知らないまま。
「そうか……あれも見てしまったのか」
 ふぅと、老人は小さく零す声音が少し掠れていた。また涙が零れてしまいそうで、少女は唇を強く噛みしめた。
「日記に書いてあったままだよ」
 少女は俯いたまま。老人は少女を気にするところとなく喋り続ける。
「私は弱かったんだ。弱かったが故に、祈織との約束を言い訳に君たちを造ってしまった」
「約束?」
 ゆっくりと少女が顔を上げる。ぽたり、涙が零れ落ちてテーブルに水溜まりができる。
「そう、約束。彼女と私のね」
 寂しそうな色を瞳に滲ませて微笑む老人により一層、少女は胸が締め付けられる。胸が軋む様に痛んで顔が少し歪む。無意識に少女は、ぎゅっと胸元を握りしめていた。
「さぁ……もうこんな時間だ。寝なさい」
 やんわりと、この話は終わりだというように言い放つ。少女はその言葉に背中を押されるように、のろのろと二階へ向かう。少女は部屋に戻るなり、当たり散らすようにベッドに倒れこんだ。ギシギシと抗議するようにベッドが軋む音。少女の存在を否定されたような気がして、涙が滲んでゆく。涙でぼやける視界に入ったウサギのぬいぐるみを抱きよせる。
 様々なものが絡み合って上手く処理できないままの少女は、暖かな匂いに微睡みながら意識を手放した。

全ての始まり


 ドォォンッ

 耳を劈く轟音。けたたましく鳴り響くサイレンの音に吹き上げる熱風。目の前がチカチカと赤く点滅する。私は呆気にとられて立ち尽くしたままで、あっという間に炎が私を包み込む。叫びたくても、喉が嗄れて掠れ声しかでない。
「誰かっ、誰か助けてっ!」
 私はぎゅと強く目を瞑る。ツンと鼻を刺す焦げ臭い匂い。熱風が頬を撫で上げて息苦しい、熱い。体中が痛い。もう、何も考えられない……
 ぶっつりと、私の意識はそこで途切れた。

「り……おりっ。祈織っ」
 私の名を呼ぶ聞き慣れた声。ふ、と意識が浮上する。
「頼むっ……頼むから目を開けてくれっ」
 私の体を揺する大きな掌。擦れた声に鼻水をすする音。
 起きなくては、彼が泣いている、そんな気がした。重たい瞼を上げれば、子供のように泣きじゃくる彼の姿が映った。彼が泣いている姿を一度も見たことがなかったから、少し可笑しくて笑ってしまった。
「よかった……」
 彼はほっとしたのか力が抜けて、どさっとベッドに倒れ込んだ。彼に触れようとしたけれど、腕を動かすことができなくて残念に思った。
 彼の話によると。研究所爆発に私も巻き込まれ全身に火傷を負ったそうだ。そして、半年近く私は眠っていたらしい。彼は私を守れなくて怪我を負わせてしまった、と自身を責めていた。彼の所為ではないのに。
「あなた……の……所為じゃない」
 彼に伝えたいのに上手く声が出ない。喋ろうと口を動かすたびに激痛が走る。それでも、責め続ける彼に伝えたかった。
「あなたの、所為じゃない。泣かないで、ね?」
 彼に向けて、今できる精一杯の笑顔を作る。これ以上、傷ついて欲しくなかった。笑って欲しいの。彼は私にほんの少しだけ、微笑んでくれた。
 目を覚ましてからも、私はずっとベッドで寝たままの生活。彼がいつも傍に居てくれたから寂しく無かったし、退屈でもなかった。彼の前では何も知らなくて、ただただ明るく笑っていた。私の命が刻一刻と「死」へと向かっている事を知りながら。きっと彼も知っている。私の命があと一握りの時間しか残っていないことを。だって時折、彼は凄く泣きそうな顔をして微笑むから。彼に思うままに気持ちをぶちまけたら、どんなに楽だろう。そう考えても、彼の苦しそうに歪む顔を見ると何も言えなくなってしまう。彼を置いて逝ってしまう、そう考えただけで私の胸が酷く苦しくなる。
 数日経って、私は病院から彼の家へと移る事になった。きっと、私はもうすぐ死んでしまうのだろう。彼が私の車椅子をゆっくりと押してくれる。曲がりくねった森のトンネルを抜けると、見晴らしが良く、白い花で埋め尽くされた丘が見えた。私の頬を撫でる暖かな風、遠くから聞こえる鳥たちの歌声。全てが懐かしくて愛おしく、ほっと心が落ち着く。彼との思い出がいっぱい詰まった場所。最期に彼と此処へ来られて良かった。私は彼に我が侭を一つ言ってみた。
「夜空を一緒にみたい」
「いいよ」
 彼は優しく微笑んで、私の頭を撫でてくれた。優しくて暖かな彼の手、とても嬉しかった。

 その夜、雲一つなく満天の星。彼と丘へと向かった。少し肌寒い夜風が吹き抜けてゆく。零れ落ちそうな星の下で、ぽつりぽつりと思い出話をした。彼と出会ったこと、喧嘩したこと、笑い合ったこと、彼を想い泣いたこと、心に秘めて言えなかったことも、全部。最期だから、後悔しないように彼に私の全てを曝け出した。
 彼は、じっと私の声に耳を傾けていた。視線を逸らさずに、喋り終わるまで。泣かないと決めていたのに涙が溢れ、頬を伝っていた。彼はそっと私の涙を拭ってくれた。
「私ね、時雨のこと大好き。ずっと、ずうっと一緒。約束よ?」
 ぎゅっと彼に抱きついた。やんわりと彼も腕を回す。これは、鎖。彼を私に縛り付けてしまう言葉。それでも、言わずにはいられなかった。彼を縛り付けてしまうことが嬉しいと思ってしまった自分が少し嫌いになった。
「ああ、約束する。ずっと……一緒だよ」
 彼はとても嬉しそうに微笑うから、幸せすぎて涙がまた溢れる。このまま彼の腕の中で、死んでしまいたいと思った事は、内緒。

 雨と雷が降り注ぐ荒れた日。私の残り時間も、もうわずか。彼が不安そうな顔で私を覗き込む。私の手をぎゅっと、握り締める冷たくて震えた彼の手。顔は俯いたままで私を見てくれない。時折、微かに嗚咽が漏れる。これ以上泣いて欲しくなくて、彼の方に空いている方の手を伸ばす。
「私が先に逝ってしまっても……」
 彼が弾かれた様に、ばっと顔を上げる。涙で潤んだ目と私の霞みかけた目が絡む。置いていかないで、と子供のように縋る彼が愛おしく感じた。
「私が先に逝ってしまっても、ずっと愛してるから。あなたの傍に居るから……」
 ゆっくりと彼の頭を撫で、彼の瞳を覗き込みながら微笑む。彼も私から目を逸らさない。
彼の頬へ手を伸ばして、濡れそぼった頬を拭う。
「あなたの元に帰ってくるから……泣かないで……?」
 まだ彼に伝えたいこと沢山あったのに、眠気が私を誘う。だんだんと降りていく瞼。ずるりと、彼の頬を撫でていた手がベッドへと落ちる。私が最期に見たのは、泣きながらも、一生懸命微笑もうとしてくれた彼の愛おしい顔だった。

 私ね、とても幸せだった。貴方に出逢って、愛してもらえたから。

壊された平穏

 はっと、目が覚める。カーテンの隙間から、光が差し込み少女の顔を照らす。瞬きすれば、雫が流れ落ちる。
――ゆめ……?
 瞼を閉じれば、男性の寂しくて哀しそうな泣き顔が蘇る。思い返す度に少女の胸に痛みが走る。痛みを紛らわせたくて、手元にあったウサギのぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめた。
――大事に持っててくれたんだ……
嬉しいって思うのに哀しくて、ぽたりと雫がウサギの顔に落ちた。

パーンッ

急に下から乾いた音が鳴り響く。
――何の音……?
 ざわざわと胸騒ぎがして、少女は服も着替えずにそのまま急いで一階へと駆け降りる。珈琲の香ばしい香りと、血生臭い嫌な香りが広がる。きょろきょろと少女は辺りを見渡すと、大きな窓の傍にあるロッキングチェアを囲む黒い壁あった。いや、壁では無く、黒いサングラスとスーツを着た男達だった。ざざっと男達が動き、白衣を着た男が少女の方へ歩み寄る。
「君が、彼が造った子かな? ……へぇ、凄いなぁ。本物の人間みたいだ」
 ゆっくりと彼女へ距離を詰め、にこやかに少女へと手を伸ばしてきた。

ばしっ

「私に触れないでっ!」
「おやおや、元気の良いお嬢さんだ」
 白衣の男はにこにこと笑顔を張り付けたまま、立ち止まった。
「時雨っ!」
 少女は無意識に老人の名前を叫び、スーツの男達を押しのけて、老人の元へ駆け寄る。ぐっしょりと赤く染まってロッキングチェアに沈む老人を見て、ひゅっと息が止まった。
「……い……おり?」
 少女が見えないのか、少女を探して老人の手が宙を彷徨う。少女は流れ落ちる涙をぬぐいもしないで、夢中で彷徨う手を握りしめる。
「時雨、死なないで」
 老人の顔にぽたぽたと雫が落ちる。ひゅうひゅうと苦しそうに呼吸をしながら老人は嬉しそうに少女の頬に手を添える。
「……やっと、迎えに来てくれたんだね? 待ちくたびれたよ……」
「時雨?」
 瞼を閉じかける老人に少女は、声を掛けようとした瞬間、

ぱんぱんっ

「はいはい。感動シーンは終わり~」
 白衣の男が手を叩きながら、にこやかに嗤っていた。ぎっ、と男を睨みつける。
「怖い怖い。可愛い顔が台無しだよ?」
 へらりと、男は首を傾げながら嗤う。
「だいたい、彼が研究所の大事なモルモットを連れて逃げ出さなければ、こんな事にならなかったんだよ? 全く、自業自得というやつだよねぇ」
「モルモット?」
「そ。人体モルモット」
 白衣の男が何の事を言っているのか、少女にはさっぱり解らなかった。
「まぁ……そのおかげで、こんな上等なものを手に入るなら良しとするかな。優秀な人財を一つダメにしてしまうけどれね」
「だめって……」
「彼には死んでもらうよ」
 にこやかに笑っていた顔が、すっと表情を消してゆく。少女へ語りかける声音も心なしか、冷えてゆく。
「ぇ……」
「彼がね。研究所には戻らない、君を僕たちに渡さないと言うからね。不要なものは排除すべきだと思うんだよね、僕」
 白衣の男は突き刺す様な冷ややかな瞳で、銃口を老人へ向ける。
「本当に残念ですよ。素晴らしい人財を失うのは……」
「だめぇっ!」
 少女は老人の上に覆いかぶさり、自身を盾に老人を守ろうとした。
「……素晴らしい。自分で考えて行動が出来るとは。ますます、君が欲しくなったなぁ。僕たちの研究に大いに役立ちそうだ」
 うっとりとした熱い瞳でじっと、少女を見つめる。狂気をも孕んでいて、少女の背中が悪寒でぞっとした。
「私が貴方たちのところへ行けば、時雨は死ななくてもいいの?」
「ええ。まぁ、そうですね」
「い、おり……? 何を……何を考えてる?」
 老人は縋る様に濁った瞳を少女へ向ける。少女と老人を嗤いながら見下ろしている白衣の男をぎっと、睨みつけ自身を奮い立たせながら少女は言い放つ。
「……私、貴方たちのところへ行くから……時雨を殺さないと約束して」
 我慢していたのにまた、涙が溢れ始める。白衣の男は少女の涙に一瞬目を見開いたが、すぐにへらりとした顔に戻った。
「賢明ですね。では、こちらへ」
 少女は白衣の男の方へと、老人から離れてゆく。老人は唯々、濁った瞳で見つめるこしかできなかった。

ぎぃ……

 白衣の男はドアを開ける。隙間から暖かな風が吹き込み、外の光が差し込む。
「いお……り……」
「ごめんなさい……」
 少女は振り返る事無くドアの外へと歩き出す。振り返ってしまったら、顔を見てしまったら……きっと、揺らいでしまうから。俯いて唇を噛みしめて、一歩一歩足を踏みだす。
「ふっ、うぅっ……」
 やはり、涙は言うことを聞いてはくれなくて。結局、泣いてしまった。
「機械でも泣くんだねぇ。君ってどんな構造をしているのかな?」
 隣で呑気に話しかけてくる白衣の男を殺してしまいたくなるほど、憎いと強く感じた。
「……でも、君も莫迦だなぁ。人生って、そんな簡単にいかないんだよ?」
「えっ……?」
 顔を上げると、にんまりと嗤った白衣の男と目があった。逆さまの三日月の様に歪んだ瞳は笑ってなどいなかった。冥く狂気を孕んだ濁った瞳に囚われてしまいそうで怖くて、少女は目を逸らした。

パーンッ

 遠くの方で乾いた銃声が聞こえた。と同時に、少女の体を電流が駆け抜けてゆく。
「ごめんね? 面倒臭いのは僕、嫌いなんだ」
 少女の意識が薄れゆくなか、老人の事だけを想った。一筋、少女から涙が流れ落ちてゆく。

兵器へと堕ちた少女

「アレが……が持ってこられた?」
「そうそう。なんでも、天才と称された研修者が造った最高傑作だとか……」
「ただのヒト型にしか見えないけど……」
「えー? でも、肌の質感は人間っぽいけど」

 ざわざわと、周りが騒がしい。
「んっ……」
 少女はゆっくりと重い瞼を上げてゆく。見慣れない白過ぎる天井に煌々と光る蛍光灯に目が眩む。騒がしい方へ目を配ると、白衣を着た沢山の人が少女を硝子越しに見下ろしていた。少女の軀には無数のコードが這うように繋がれている。また、両手両足は固定されているらしく、一ミリも身動きが取れない。
「おはよう、お目覚めかな?」
 少女の顔に一つ影が落ちる。影の正体は、にこにこと笑顔を張り付けた白衣の男がだった。
「ここは……どこ?」
 きょろきょろと、首だけを動かして辺りを見渡す。
「ようこそ、我が研究所へ」
「研究所?」
「そう、国が所有する兵器を造る為の研究所さ。ああ、あとね。君のデータを見させてもらったよ」
「私のデータ」
 瞼を伏せた少女の瞳が昏く濁る。
「……興味深いねぇ、君。もっと、知りたくなっちゃった」
 少女の髪を一房掬い取り、ちゅっと口付けを落とした。男は満足したのか、するり少女の髪を手放し、モニタに視線を向けカタカタとキーボードを打ち始める。
「君を基に自律型の殺戮兵器を造ることができたよ。今、テスト中なんだ」
「えっ、どういうこと?」
 少女は男の方に首を向けた。すると、モニタの向こうの少女を見下ろしす沢山の目と目が合った。値踏みされるような視線に気持ち悪くなって、さっと目を逸らした。
「最善の策を自分で考えて行動する。大量生産出来きて文句も言わない、最高の人殺し機械人形さ」
 男はモニタから顔を離して、嗤いながら少女へと近づく。
「必要な訓練も要らない……ね、人間を教育するより効率的でしょ」
 まるで、新しいおもちゃを手に入れた子供みたいに愉しそうに嗤う。
「もうすぐ国同士の戦争が起こる。その為の彼等さ。ああ、君も彼等と一緒に戦場に行ってもらうからね」
「……やっ……いやっ」
 いやいやと少女は首を横に振る。男は少女に聞こえるように大きく溜め息を吐いた。
「嫌と言われても、上の決定事項だから覆せないよ。それに……機械である君は絶対に僕等に逆らえない」
 ゆっくりと少女との距離を詰める男。気付けば男の手は少女の頬を包んでいて、鼻先がくっつきそうな距離で見つめられる。少女は、男のじっとりとした熱の籠もっているのにどこまでも昏い瞳から目が離せなかった。
「君は機械なんだから、プログラム通り動けばいいんだよ」
 にっこり、目は笑っていない男から視線を逸らすが、周りからの痛いほどの視線を受け止め、少女は呼吸がままならない。
「まぁ、そうだなぁ。君には『厄介なデータ』が入っているから無理もないか」
「……」
「それも『感情』って人間が呼ぶものをね。彼はどうやってこれを……いや、そんな筈は……」
 男がぶつぶつと独り言を零す姿を私は、ぼうっと眺めていた。
「兎に角、君には少し枷を付けないといけないってことだね。消去しちゃうのは勿体無いし」
 そう言って、足早にモニタのある机と戻り、かたかたとキーボードを叩く。じんわりと滲むように眩暈がし、猛烈な睡魔が私を襲う。瞼を閉じてはダメだと、警鐘が煩く鳴り響くのに睡魔には抗えなかった。

紅い瞳を持つ女性

 少女は再び瞼をゆっくり上げる。視界に入る黒く濁った煙、かつて人だった者たち。耳に入る轟音、雑音。鼻を擽るのは、何かが焦げる酷い臭い、不快な匂い。そう、少女は戦場に居た。黒く光る拳銃を抱いて、沢山の人間の姿をした殺戮兵器たちと共に。
 少女等の方へ向かってくる敵兵も銃弾も怖くはなかった。手足が壊れようとも、体に穴が開こうとも痛みを感じないのだから。少女等は機械で、プログラムされた通りに……敵を消してゆけば良いだけなのだから。感情なんてものは無く、無表情で銃口を人間へと向ける。瀕死の兵士や関係ない人間の命乞いをする声にも躊躇いもなく拳銃の引き金をひく。

――ドンッ

 緋く緋く散って逝く命。それを酷く冷めた目で見つめる少女。跳ね返って頬に付着した血を素手で拭う。少女は荒れ果てた町並みに眉を顰めながら見つめる。何年も何十年も繰り返して、数え切れないほどの命を奪った。数え切れない程の仲間を失った。その事に何も感じない筈なのに……なにか、大切なものを忘れてしまったようで。少女は無意識に胸元をぎゅっと握る。
 戦場から帰る度にエライ人たちは、血塗れの少女等に賞賛の言葉を浴びせる。それでも、少女等は嬉しさも知らず、言葉を唯々受け取るだけだった。


「私は何を忘れているんでしょう?」
 壊れてしまった少女の右手を治している白衣の男に訊ねた。
「ん?」
「私は、何か大切なことを忘れているような気がするんです」
 ぎゅっと眉間に皺を寄せ、泣きそうな少女を見た男は、深いため息をつきながら
「気がするだけだよ。そんなことを考えるのは時間の無駄だ」
「でも……」
「それに。君はプログラム通りに動いているだけなのだから、忘れている事なんてないよ。はい、直った」
 一度も少女の方を向かずに、さっさとどこかへ行ってしまった。男が去って、がらんとした部屋で少女はぽつりと、言葉を零す。
「気のせい……」

 少女は自室へと、ふらふらと戻る。明日から、また遠くの戦地に行かなければいけない。そのことを考えただけで、少女は陰鬱に俯く。

ぼすっ

 柔らかいベッドに少女は深く沈んでゆく。
「なんでこんなことやってんだろ……」
 誰に言うでもなく、ぼそっと零して目を閉じた。日干しされたのか、お日様のような香りが少女の鼻孔を擽った。


 辺りはまだ薄暗く、朝靄で霞む路地。息を潜め、ゆっくりと歩を進める。ぎゅっと抱いた使い古された拳銃。私はまた、誰かの命を奪おうとしている。エライ人達は大声で『平和の為』と謳う。
――誰かの命を奪うのに?
「ぼーっとしてんな。行くぞっ」
 どんっと背中を押され、仲間の一人が小声で急かす。
「あ、はいっ」
 手によく馴染んだ拳銃を抱きなおして、足早に進む。静かな路地に、少女たちの足音と息遣いが響く。
「ん?」
 どこからか、オルガンの音色が聞こえる。その音色が妙に気になって、音がする方へ足を進める。
「お、おい。何処へ行くっ!」
 そんな声を無視して、音がする方へ向かう。

 うねうねと曲がりくねった暗く狭い路地。煉瓦造りの家が犇めき合っている。
それに隠れるように、小さな教会が建っていた。そこから、オルガンの澄んだ音色が響いている。拳銃を持ち直して、ゆっくりと扉へ近づく。

ぎぃぃ……

 静かに中へと入る。白色に統一された壁。右端に置かれた大きなオルガン。ゆっくり、ゆっくり近づく。ふつり、音色が止まる。もう少し聴いていたかったと思った。そう思っても、体は言う事を聞いてはくれない。今、少女の頭には「抹消しなくては」しかない。

がちゃっ

オルガンを弾いていた者の頭に銃をあてがう。
「撃っても、私は死なないわよ?」
 その人はくるりと振り返った。紅い瞳と視線が絡み合う。挑発的なその瞳に、少女は少したじろいだけれど、構わず引き金を引いた。

ドンッ

彼女は吹っ飛んだ。
「イタタ……本当に容赦ないわね」
 頭を押さえながら、彼女はゆっくり立ち上がる。ぽたぽたと、赤い雫が白塗りの床を染める。
「なん……で……?」
 珍しい事に少女の手がガタガタと震えていた。恐いと思った。貫かれた筈の彼女の頭は、タール状の液体で瞬く間にその穴を埋めていった。
「だから、言ったでしょ? あたしは、死なないって」
 ふぅ、彼女はため息をついた。少女はどうやってこの場を切り抜けようかと、そればかり考えていた。
「あなたも、あたしと同じね」
「え? なんで知って……?!」
 少女は吃驚して、その場から動けない。
「なんでって。そうねぇ、永い時間を生きてるモノの勘かな」
「永い時間?」
「そう。人間は『永遠』なんて言うわね」
 紅い瞳が少し陰を帯びた。
「……まぁ、永遠なんてないんだけど」
 構えていた銃を下す少女。もう、戦意は失せていた。
「永遠なんて無いの?」
「当たり前じゃない。形あるモノ全てタイムリミットはあるの」
「タイムリミット?」
「そ、生きていられる時間。それが長いか、短いかの差だけ」
 彼女は呆れたように、何かを諦めたような顔をしていた。
「じゃぁ、私もいつか死ぬの?」
「そう。あたしも、あなたも。いつかは死ぬわ」
「そう……」
 少女はその言葉を聞いて少しほっとした。どうして、そう思ったのかは解らなかったけれど。
「あら、あたしを殺さないの?」
 いたずらっ子な顔をした彼女。少女は少し戸惑いながら、
「殺さない。貴方は敵じゃない」
「あらそう。でも、敵のスパイだったらどうするの?」
 にやにやと、彼女は楽しそうに言う。
「そんな筈はない。そんなデータ貰っていないもの」
「なぁんだ。つまんないわ」
 彼女は、オルガンの近くにあった椅子に腰を掛けた。そして、またオルガンを弾き始めた。澄んだ音色が、響く。
「……この曲ね、私を造った人が教えてくれたのよ。死んじゃったけど」
 オルガンを弾く横顔は、少し寂しげだった。
「ねぇ、貴方はどうして造られたの?」
 訊いてしまった。
「そうねぇ~。……知りたい?」
 ちらり、紅い瞳が私を映す。少女は少したじろぐ。全て見透かされているような気がして、少し苦手。
「知りた……」
「教えてあげない」
「えっ……」
 虚を突かれ、ぽかーんとした少女の顔を見て、
「んっふふ、冗談よ」
 彼女は愉快そうに、くすくすと笑う。少女が顔を顰め、何か言い返そうと意気込んだその時
「ずぅぅっと変わらないでいて欲しいって、思ったことある?」
 という問いに答えられなかった。言葉に詰まっている少女に気を留めず、彼女は続ける。
「あたしは、そぉんな理由で造られたのよ」
 ふふ、と彼女は懐かしそうに微笑む。
「あの頃のままで……って。でも、あたしを置いてっちゃうなんて酷いわよね」
「あの頃のまま?」
「一番綺麗な瞬間のことかな。例えば……満開の時の桜とか、ね。散らないでこのままで……って思うじゃない?」
「だから他の人は、『ずっと、綺麗なままでいいわね』って言うけど……」
「言うけど?」
 彼女から紡がれる言葉が、少し悲しみを帯びた気がした。
「あたしにとっては、苦痛でしかなかったわ」
「苦痛なの?」
 少女にはどうしてそう思うのか、理解できなかった。
「限りがあるからこそ、その一瞬一瞬が綺麗だって思うの、あたしは。それに、大切な人達があたしを置いて逝っちゃうのよ?」
 ぷっつりと、音色が途切れた。俯いた彼女は、泣いているように見えた。
「まぁ、あたしも何時か死んじゃうんだけどね」
 なんて、苦笑いしながら顔を上げる。少女は彼女の表情に既視感を覚えた。
「あなたは、そんな姿でなにをしてるの?」
 紅い紅い瞳が、少女を射る。その瞳に返り血で染まった軍服、すっかり見慣れた拳銃を抱えた無表情の少女が映っていた。
「ただの殺人兵器に見えないし。じゃなきゃ、とっくに殺されてるもんね」
 なんて、少し意地悪そうに笑う。
「私は……」
 続きの言葉が見当たらない。目を合わせていられなくて、俯く。私は何か大切な事を忘れている気がするのに、それがなんなのか見つけられずにいる。
「ゆっくり考えてみたら? 時間は余るほどあるんだから」
 彼女は少女の頭をわしゃわしゃと撫でた。少女は、ぱっと顔を上げる。
「また、どこかで会えるといいわね」
 そういって、すっと立ち上がりフードを被ってドアの方へ行ってしまった。その時の、彼女の微笑がとても切なくて、しかし綺麗で忘れられなかった。

廃棄された遺物たち

 あれから数十年経って、ようやく終戦を迎えた。沢山の国々と『平和条約』と云うものを結んだらしい。そして、『平和』を維持する為に沢山の『全ての元凶』が棄てられる。どうやら、少女も『元凶』の一つらしい。白い服を着た男やその他の人々は指差して口々に、
「平和になったから、兵器は要らない」
と言う。
賛美してくれた人々は、
「こんなのがあるから……」
「あんた達の所為で……」
 なんて、口々に悪態をつく。少女は沢山の罵声を浴びた。機械たちは黙って、エライ人達の言う事をきく。そうするようにプログラムされているから。そうする事しか、許されていないから。
――じゃぁ、私たちはどうすればよかったの……?

 ガタガタと音を立てながら、大きなトラックはでこぼこの道路を走る。廃棄物処理場まで車で揺られながら、少女は考えていた。人間たちは、沢山の命の引き換えに何を得たのだろう?
 運転席から漏れるラジオの音。それは、歓喜とも悲哀とも言える声がノイズに雑じっていて。車の窓から見える景色は、黒い煙が立ち上り荒地と化した街並みで。そこに何かを求めて彷徨う疲れ切った顔をした人々。
――これが、人間たちが謳っていた「平和」の姿?
 ガラクタになってしまった街並みをぼーっと眺めていた。少女は機械で、何も感じない筈なのに涙が頬を伝う。

カタリ。

 少女の肩にもたれてきたのは、かつて仲間だったモノ。壊れてもう二度と動かない。何かが少女の体を高速で巡る。自問自答しても答えは見つからない。ぎゅっと膝を抱え、目を瞑った。溢れてくる涙を止めたくって、逃げ出したくって。がたがたと揺れていた筈なのに、いつの間にか揺れは収まっていて。開かれた扉から、淡い光が射していた。
「おぉい、いくぞー」
 そんな掛け声がした後、ぐらりと足元が揺らいだ。ガラガラと派手な音を立てて、少女は外へ転げ落ちた。土の匂いやオイルの匂いが、私の鼻をつく。

がしゃっ

 生ぬるい風が吹く。突き刺さる痛みと眩しさに、恐る恐る目を開ける。
「……どこ?」
 目の前に広がっていたのは、灰色に濁った風景だった。辺りは、数え切れない壊れた機械や建物の残骸たちの山ばかりだ。少女は、ぽつんっとそのガラクタの山の上に居た。傍らには、仲間だったモノが寄りかかっていた。もう、何も考えられなかった。遠くの方で、
「はぁ、全くよぉ。廃棄物処理場っつたってよぉ。ゴミの吹き溜まりみたいなとこじゃん」
「そうだなぁ。自分たちがやっちまった過ちを見たくないんだろ」
「確かに、ここは街外れだが……酷い場所だな。二度と来たくねぇなぁ」
「今度は、あんたが埋められるかもな?」
「冗談はよせっ」
「へーへー、雨が降りそうだし、早く帰ろうぜ」
 男の人たちのやりとりが聞こえた。言葉につられて見上げれば、雨が降りそうな昏い空模様。本当だなぁなんて思っていたら、遠くの方でエンジンの掛かる音がした。音がする方へ目を向けると、トラックが遠く離れていくのが見えた。

 何をするでもなく、ぼぉっと空を眺めていた。ぽつぽつと空から雫が落ち始め、本格的に雨が辺りを濡らし始めた。
「雨って冷たい……」
 少女は膝を抱え蹲り、ぽつりぽつりと感情を零してしまう。目の前が霞むのは、雨の所為なのか、それとも……ここで死んでしまうのかな、なんて考えていた。それは厭だなぁ帰りたいな……なんて、思った。

 何かにじっと耐える様に、少女はは目を閉じた。躰は雨に撃たれ、何もかも洗い流されていくような感じがした。雨が止めどなく降り注ぐ中、少女は初めて思いっきり声をあげて泣いた。そして、懐かしい夢を見た。それはそれは、幸せな夢だった。

 少女の目の前に時雨が、穏やかな顔をして立っていた。
『祈織、帰っておいで……』
 穏やかな声と共にしわくちゃな手が目の前に差し出されていた。少女は、その手を取ろうとした。その瞬間に目の前が真っ暗になった。

 ふと、夢から醒めて辺りを見渡せば、色の失ったガラクタの山。いつの間にか雨は止み、雲間から光が零れ落ちている。空へと伸ばされた手を下ろし、少女の頬を伝う雫をぬぐった。雨で濡れた体を寒いわけではないけれど、ぎゅっと抱きしめた。
「帰らなくちゃ……」
 悩む必要なんて無かった。帰る場所は、最初から其処しかなかったのに。
「よしっ」
 気合いを入れて、立ち上がる。ぐらつく足元は、先ほどまでの自分みたいだ。
 少女は、ガラクタの山から転げ落ちないようにゆっくりと降りる。白い花が咲き乱れる、あの白い丘を目指して歩を進める。道が分からなくったて、きっと帰れる。そんな気がするの。それに、時雨との約束を果たしに行かなきゃいけない。きっと、待っていてくれているから。
 顔をあげて、強く前を見据える。勇気づけてくれる様に、暖かな風が吹く。

カンパネルラ号に揺られて

 少女は、色褪せた瓦礫まみれ街の中をふらふらと彷徨う。辺りを見渡せば、道端には帰る場所をなくした猫が。街角には涙を流しながら親の名を叫ぶ子供が。怒りを抱えて前を睨む人たちが、其処らかしこに居て。道を行き交う人たちは、みんな疲れ切った顔をしていた。誰も少女には気付かなかった。ほっとしたような、少し寂しいような複雑な気持ちになった。持て余した感情を忘れようと、足を前へと進める。いつの間にか、崩れかけた白い屋根のお店の前に来ていた。ふと、足を止める。ショウウィンドウ越しに見る自分の姿は、街を行き交う人と同じ見えた。黒く煤汚れた無表情に、ぼろぼろの布を纏った体。
「同じならよかったのに……」
 自分の胸に手を当てる。低いモータの振動が、微かに伝わる。嫌でも自分が人間ではないと言う事実を突きつける。どうして、人間と同じが良いのか解らなかった。ただ、どうしようもなく同じが良いと思った。これ以上、何も変わらない顔を見ていたくなくて、事実を見たくなくて。また、前へと歩を進める。
 ふらふらと、駅の改札までやってきた。ちょうどその時に

『~××行き 月夜カムパネルラ号、間も無く到着いたします。繰り返し放送します~』

 ノイズ交じりにアナウンスが聞こえ、滑り込むように列車がやってきた。もしかしたら、これで辿りつけるかもしれない。少女は、駅員に見つからないように人混みに紛れて駆け込んだ。列車の中は、がらんとしていた。きょろきょろと辺りを見渡す。日が差しているボックス席へと腰を下ろした。其処に座ると、陽の光に抱かれて居るみたいで懐かしいなぁと思った。あの白い丘で、時雨と過ごした日々が思い出される。早く帰りたくて、帰りたくて……焦りだけが募る。窓から見える風景は、どれも色を失っていて。どうしたら良いのか判らない感情が、湧き上がってくる。如何しようもなくて、感情を押し込めるように目を閉じた。緩やかに列車は、レールの上を走ってゆく。

がたんっがたんっ

 その音を子守唄に夢の世界へと旅立とうとした時、
「あのぉ、相席……宜しいでしょうか?」
 しわがれた声が邪魔をした。声がした方へ視線を向ける。其処には、上品な洋服を着たお婆さんが微笑んでいた。
「……どうして? 席なら他にも空いてますよ?」
 邪魔されて苛立っていた為か、思った以上に冷たい声だった。
「此処が良いと思ったのだけれど……駄目かしら……?」
 彼女は眉を下げ、ゆったりと言う。彼女の纏う柔らかな雰囲気に呑み込まれ、先ほどまでの苛立ちが消えて行った。
「……どうぞ」
 ぼそっと、返答する。
「有り難う御座います」
 ゆったりと、彼女は腰を下ろす。少女は目を閉じ、夢の世界へと旅だった。

がたんっがたんっ

 規則的な音と振動。夢現、誰かが私の頭を撫でる。少女はまたとても幸せな夢を見ているのだろうか。暖かくて優しい手。このままで居たい……働かない頭でそう願う。

がたんっ

 意識が浮上し、はっと目が覚める。
「ぁっ……」
 目の前の御婆さんと目があった。どうやら、彼女が撫でていたようだ。
「ごめんなさいね。つい、娘と重なってしまって……」
 離れていく温もり。少し残念だと思ったのは、きっと夢の所為。
「……娘さん?」
 しまった、言葉が零れ落ちた。
「ええ。私にも娘が居たのよ。ちょうど貴方くらいの年かしらね……」
 そういって、彼女は窓へと視線を逸らした。きっと、窓から見えるその風景は果てしなく遠い風景を映しているのだろう。
 何度も何か言おうと口を開けるが、少女は彼女へ掛けてあげられる言葉を持ち合わせていないようだ。彼女は、ゆっくりと視線を前へと戻した。目が合った。彼女はふわり、と微笑んだ。
「私の昔話を聞いてくださる?」
 彼女のどこか諦めた、哀しみを含んだその微笑が誰かと重なった。知らず知らず、首を縦に振っていた。
「ずっとずっと昔の事なの。戦争なんてものが始まる前の話……」
 彼女の声に耳を傾ける。心地の良いその声音は、子守唄のようで。彼女はゆっくりと、慈しむ様に言葉を紡いでゆく。

小さな女の子の罪

 ずっとずっと昔の事。『戦争』なんてものが始まる前の噺。海の見える町があったの。けして、大きな町ではなかったけれど。自然に囲まれて、人々が助け合いながら暮らしていた。凄くあったかくて、優しいところだった。そんな町に普通の女の子が暮らしていた。少しドジでノロマな所もあったけれど、いつも一生懸命生だった。そして、女の子は女性へと成長して、恋をして結婚したの。町の人に祝福されて、嬉しかった。涙が止まらないくらいにね。
その時、凄く『世界』が輝いて見えた。眩しくて眩暈がするくらいに。
旦那さんはとても優しい人だったのよ。ロボットを作るのが好きだった。歪にギクシャク動くロボットを見つめて、
『いつか、こいつ等で沢山の人を幸せにするんだ』
 って、目を輝かせながら微笑って言っていたわ。そんな彼の話を聞くのが、彼が好きだった。彼と過ごした日々は幸せだった。温かい人たちに囲まれて、可愛い娘にも会て。
言葉を紡いでいた彼女の声が止む。不思議に思って、少女は顔を上げる。彼女は、泣きそうな苦しそうな顔で、窓の外を遠く見つめていた。

――これ以上無いってくらいに幸せだったの。

 絞り出すように言葉を紡ぐ。だから……あんな事になるなんて思ってもいなかった。私、何か……悪い事したのかしら……ね。いつも、一生懸命だっただけなのに。可愛くて愛しい娘の体が、冷たくなったのも。愛おしい旦那さんが帰ってこなくなった事も……いつの間にか、幸せだった時間は過ぎ去っていて。目の前の小さな愛娘が、舌足らずに
「わたしが、おかぁさんをまもるからっ」
 そう言うのよ、瞳に涙を溜めて一生懸命に。そして、人ではない何かになって戦場に出て行くの。私は、母親なのに何も出来なかった。引き留めることも、抱き締めてやることさえも。轟音が鳴り響き地面が揺れ動く度、私は沢山泣いた。その度に娘はね、
「ごめんね……ごめんなさい……」
 何度も何度も謝るの。娘の所為ではないのにね。仕方のない事なのに、娘は泣きそうな顔で謝るの。人ではなくなってしまった事、沢山の人の命。そして、壊れて消えてゆく街の事。小さな小さな娘は、舌足らずで言うの。小さな手で私に抱きついて
「わたしがまもるから。おかぁさんをまもるからっ」
 その手は、冷たく震えていたの。しかし、揺らぎのない真っ直ぐな目をしていた。そして、外へ飛び出していった。私は、許せなかった。こんな小さな子に、重いものを背負わせたのだと。許せなかった。娘をこんな身体にした、国も戦争も。愛おしかった旦那さんも。一番許せなかったのは、何もしなかった私。
そうしてね、私は……町は守られた。可愛い小さな愛娘に。少し外観は変わってしまったけれど。今もまだ、生きているの、息づいているの。娘が守ってくれたから……

母親の懺悔

 彼女は静かに泣いていた。窓の外を遠く遠く見つめながら……
少女は、
「ごめんなさい……」
 そう言葉を掛けることが出来なかった。必死で涙が流れないように唇を噛みしめた。何故涙が出そうなのか、胸が苦しくなるのか解らないけれど。どうしようもなく、彼女の寂しそうな顔が少女の涙腺を緩ませるのだ。彼女を見ていられなくなって、俯く。すると、ふわりと皺だらけの手が私の頬を包む。
「どうして……貴方が謝るの? 貴方は悪くないわ」
 冷たい頬に彼女の温かな体温が移る。感情が一気に溢れ出る。
「私はっ……私は……」
 上手く言葉にならなくて、もどかしくて。我慢していた涙が、ぼろぼろと溢れだす。子供の様に泣く。
「貴方は悪くないのよ。仕方なかった事なの」
こつん、彼女の額が少女の額に当たる。
「でも……」
 彼女の眼が私を真っ直ぐ見る。透き通っていて、温かな瞳に思わず見惚れた。
「罪があるのなら、私にあるの。貴方の所為じゃないわ」
 そう言って、微笑む。すっと心に彼女の言葉が入ってきて、じんわりと心を温かく満たす。きっと、誰かに言って欲しかったかも知れない。「私に罪は無い」のだと。そんな事に気付くと、また涙腺が緩む。哀しいのと、嬉しいのと、苦しいのと……沢山の感情が絡み合って、涙となって流れ落ちてゆく。少女が泣きやむまで、彼女はずっと頭を撫でていた。時折、目が合ったけれど気恥ずかしくて目をそらした。すると、くすくすと笑い声が聞こえた。穏やかで居心地のいい空間。ずっとこのままならいいのに、なんて思ってしまった。しかし、時は残酷で。

がたんっ

 一際強く揺れ、列車は止まった。ノイズ交じりの、アナウンス。どうやら、駅に着いたようだ。
「あら、もう着いちゃったのね。話を聞いてくださって、ありがとう」
 そう言って、ゆっくりと席を立つ彼女。皺だらけの横顔は、少し寂しそうだった。それでも、温かな目で前を見ていた。少女は言葉が出なくて、黙ってその後ろ姿を眺めるしかなかった。
「あ、そうだわ。これ、使ってくださいな。必要ないかもしれないけれど……」
 振り向き、クリーム色のショールを差し出した。彼女の手編みなのだろうか。手触りが良くて、ふんわりとしていた。肩に掛けると彼女に包まれているようで、ふんわりと心が温かくなった気がした。
「有り難うございます」
 心からの笑顔を彼女へと向ける。彼女は目を瞬かせたが、ふんわりと微笑んでホームへと降りて行った。そして、再びゆっくりと列車が進み始めた。空っぽになった前の席。少女だけが取り残されてしまったみたいで、心細くなった。不安から逃れようと、ショールを寄せて無理やり目を閉じた。

祈織と少女の離別

 クリーム色のショールは、少女に温かみを与えてくれた。とても、幸せで懐かしかった。
優しい微睡の中、少女はずっと考えていた。どうして、人の心に触れると胸が痛むのか。どうして、涙が零れてしまうのか。
『祈織』
 愛おしく呼ぶ老人の声を想い出す度に、胸が締め付けられて泣きたくなる。少女は機械で、感情なんて無い筈なのに。

――壊れてしまった?

 はっと、に意識が浮上する。そっと胸に手を当ててみる。相も変わらずモータの低い唸りと微動な振動が伝わってくる。少し残念に思った。
「久しぶりに会うわね」
 不意に声が降って来た。顔を上げれば、目の前に紅い瞳と合った。にっこりと笑う彼女、だけれど何処か疲れているように見えた。
「お、お久しぶりです」
「そんなに畏まらなくてもいいのよ? 会て嬉しいわ」
 ぐしゃぐしゃと、少女の頭を撫でる。
「あ、ごめんなさいね。つい……癖で」
 そう苦笑いしながら彼女は、手を引っ込める。
「いえ。私も会て嬉しい。もう一度会いたかった」
 自然と言葉が口から零れ落ちた。
「あら、それは光栄だわ」
 彼女はふんわりと微笑う。出会った頃と変わらない顔で。彼女に会ったら、訊きたい事が沢山あった。あったのだけれど、口から吐息しか出てこなかった。
「漸く、莫迦げた戦争も終わったわね」
 彼女は、窓枠に肘をつき外を眺める。戯けた声なのに、顔はどこか哀しそうで。また、胸が苦しくなった。
「……あなたは何処に行こうとしてるの?」
「あたし? そうねぇ、この世界の果てかな」
 彼女の顔を見る。視線は窓の外を見ている横顔は、何処か憂いを帯びていた。
「なぁんて、冗談よ。次の駅で降りるつもり」
 こちらを見て、笑う。ちっとも冗談なんかに聞こえなかった。
「そ、そう」
 どんな言葉を掛けたらいいのか判らない。哀しい顔をして欲しくないのに。ぎゅっと、手に力が入る。
「あなたは、何処へ行くの?」
 彼女は、真っ直ぐに私の目を見て問う。
「私は……私は帰りたい」
「帰る場所があるのね。羨ましいわ……」
「でも、何処にあるのか分からなくて」
 少女は下を向く。くしゃり、冷たい手が頭を撫でる。
「大丈夫、体が、心が覚えてる筈だから」
 明るい声が、後ろ向きな私の心を温かくする。それでも、不安がある。
「機械が、心を持っているのは可笑しいでしょう?」
 自嘲的な笑みを繕って吐き捨てる。沢山の人に言われた言葉。自分で言うと少し傷ついた。
「可笑しくは無いと思うけど?」
「え……」
「機械だって長く生きれば、心だって持つんじゃないかしら」
 ばっと顔を上げる。彼女は、戯けた風もなく普通にそう言った。
「だってほら、あたしだって「心」はあるわ。腹だって立てるし、悲しかったら泣くわよ?」
 胸を張って彼女がそう言うから、少し笑ってしまった。
「もう、笑わなくたっていいのに」
 拗ねている彼女には悪いとは思うのだけれど、勇気づけられた。
「……有り難う」
「ん? なぁに?」
「やっ、なんでもない」
 つい、誤魔化してしまった。彼女は気にした風でもなく、窓の外へと視線を戻した。ガタゴト、揺れる列車の音に混じって、鼻歌が微かに聴こえる。優しく私を包む。

――この曲、何処かで……

 微かに聴こえる柔らかな旋律。風が凪ぐ。ふわり、白い花びらが宙を舞う。甘い香りが鼻孔を擽る。

――ああ、これは遠い記憶。

 手元を見れば、白い花で何かを編んでいた。ふつり、旋律が途切れる。
「……出来た」
 それは、白い花の冠だった。少女は、それをギュッと握りしめた。花びらが少し散った。
「……こんなの所に居た。風邪をひいてしまうよ?」
 ふわりと、ショールが私を包む。苦笑いしながら時雨は、少女の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「時雨……」
 嬉しそうに、少し苦しそうに時雨の名前を呼ぶ。時雨は、屈んで顔を覗き込む。
「ん?」
「これ、あげる」
 時雨の頭に花の冠を乗せる。時雨は口元を手で隠し、目を見開いていたのは一瞬で。次の瞬間には、とても嬉しいそうに微笑んでいた。
「……ありがとう」
 嬉しかった。時雨の笑った顔を見たかったから。
「そうだ。お礼に、これ」
 時雨は私の左手を手に取り、薬指に何かをはめた。薬指には、白い花の指輪があった。
「ベタだったかな?」
 なんて、苦笑いしながら言う。そんな時雨が、愛おしいと思った。
「ううん、ありがとう」
 時雨の目を見つめながら、微笑む。時雨が何か言おうと口を開いた瞬間、一際強い風が吹いた。花びらが、少女の視界を埋める。風が止んだ時、時雨は居なかった。

 少女は辺りを見渡し、時雨を探した。少女の前にそっくりの女の子が立っていた。
「あなたは『祈織』じゃない」
 真っ直ぐに少女を見る。その瞳は、温かさを持っていて優しかった。
――ああ、そうだった。彼女は「祈織」で、私は「彼女の姿をした偽物」
「泣きそうな顔しないで、責めている訳じゃないの」
 彼女は私を抱きしめた。ふわりと、甘い香りがした。
「貴方は、老人が好き?」
 抱き締めたまま、唐突に彼女は問う。
「……好き」
 自然と零れた言葉。驚いて目を見開く。
「それは、貴方として? それとも、『祈織』として?」
 彼女は真っ直ぐに少女を見る。少女は必死に考えた。そして出た答えは、
「私自身の感情として彼が好き。私を造ってくれて、世界を、心を与えてくれて嬉しかった」
 彼女は納得したように笑った。眼を惹く程の綺麗な笑い顔で。
「じゃぁ、時雨を迎えに行ってあげて」
「私でいいの?」
「貴方しか出来ない事だから」
 ゆっくりと、目の前が霞んでゆく。彼女の声も小さくなって、最後何て言っているのか聞き取れなかった。

パキッ

何かが壊れる音がした。


「んっ……」
瞼をゆっくりと上げれば、真っ赤な文字が浮かんでいた。

   warning!

 吃驚して声も出なかった。もう一度、ゆっくりと瞬きをすると文字は消えていた。
あれは、なんだったのだろう? 今までこんな事無かったのに。
「どうかしたの?」
 真っ赤な瞳が心配そうにこちらを見つめていた。
「なにも……」
 それだけ言うのがようやくだった。彼女は何か言おうと口を開いたが、何も言わず窓へと視線を戻した。

ガタンッ

一際大きく揺れ、列車は止まった。
「……着いちゃった。貴方は、ちゃんと帰るのよ?」
 そう言って彼女は、少女の頭を撫でて席を立った。薄汚れたローブを目深に被り、混雑したホームへと姿を隠した。少女は、ただ見ているだけしか出来なかった。何か言葉を掛けたかったのに、掛ける言葉が見つからなかった。いつだってそう。大事な時に何も出来ない。
 また、ゆっくりと列車は動き出した。コツリ、窓に頭を預ける。少女は何となく、もう彼女には会えないと感じた。そして、少し胸が疼いた。胸に手をやると、不規則にモータの振動音がする。まるで、人間の鼓動のようで。
「ん?」
 考えるのが億劫だったので、考えないことにした。微かに鳴る不規則の音は、人間に成れたようで少し嬉しかった。気が付けば、鼻歌を歌っていた。これは「祈織」の記憶。そう思っても、胸は疼くことは無かった。少女は少女で、祈織は祈織なのだと。少女が何者かなんて、もうどうでもいい事だった。少女がこの世界に居る、ただそれだけの事。ごそごそと、ポケットを探る。

チャリ……

 取り出したのは、錆びて鎖が切れたネックレス。そっと撫でる錆びたプレート。とても長い時間が過ぎたのだと分かる。
「……早く帰りたい」
 少女が生まれた場所に。時雨の願いを叶えに。
 気が付けば、窓の外は白色に染まっていた。見覚えのある、白い花。ゆっくりと列車はスピードを落としてゆく。先には、ぼろぼろの駅が見えた。

『~間も無く終点、終点で御座います。この先も気を付けていってらっしゃいませ~』

 ノイズ交じりのアナウンスが響く。漸く、着いたみたいだ。

カタンッ

 列車がゆっくりと駅に停まった。ホームに降りてみると、どうやら無人駅のようだった。改札を出ると、真っ直ぐ伸びる一本道。辺りは、白い花が咲き誇っている。ふわり、頬を風が撫でる。懐かしい匂い。ああ、帰ってきたのだ。

終着

 一本道を辿る。周りは白い花ばかりだった。坂道を上り、見晴らしの良い丘に出た。見覚えのあるお墓が二つ、変わらずにひっそりと佇んでいた。
「……ただいま」
 誰に言う訳でもなく、言葉を紡ぐ。そして、待っている人の元へと歩を進めた。
 木が重なり合って出来たトンネルに薄暗く曲がりくねった細い道。何処からか聞こえる小鳥の囀り。何一つ変わっていなくて、少しほっとした。木の葉で閉ざされていた視界が開けるとそこに、蔦で覆われた一軒の家があった。一軒は、所々屋根が剥がれ落ち、窓は全て割れていた。
「玄関はどこだろう?」
 ぐるぐると、家の周りを見まわしていると隣に、同じように蔦に覆われた建物があるのに気が付いた。しばらくして、漸くドアらしきものを発見した。邪魔をするように張り付いていた蔦を引きちぎり、中へとゆっくりと入った。中は、蔦があるもののあの時のままだった。少女は懐かしむ様に、ゆっくりと歩を進めた。ロッキングチェアが視界に入った。少し足早になる。ロッキングチェアの真正面に立つ。其処には、布を纏った骸骨が座っていた。ぽたり、雫が骸骨の布を濡らした。
「遅くなって、ごめんね……約束を果たしにきたよ」
 そっと骸骨を抱きしめた。纏っていた布がぼろぼろと崩れ散ってゆく。来た道を戻り、あの見晴らしの良い丘のお墓へ。老人を埋葬し、白い花で作った花冠を一つずつお墓に掛けた。
「おやすみなさい」
 少女の言葉に応えるかのように、ふんわりと風が吹いた。少女はこの真っ白で綺麗な風景を目に焼き付けるようにずっと眺めた。いつの間にか、涙は止まっていた。

ごぉぉん、ごぉぉぉぉん

 遠くの方から鐘の音が聞こえた。いつの間にか、辺りはオレンジ色に染まっていた。
「そろそろ、帰らないと……」
 ゆっくりと腰を上げ、蔦に覆われた家方へと足を向けた。
 家へと戻った時、辺りは薄暗くなっていた。古びた引き出しから蝋燭を出し、火を灯した。ゆらゆらと、オレンジ色の光が照らす。少女は時雨が座っていたロッキングチェアに座った。時雨との約束は果たした。
――私はこれからどうしたらいいのだろう?
 ゆらりゆらり、揺られながら今後の事を考えてみたけれど、何一つ思い浮かばなかった。急に心細くなって、とても不安になった。不安を押し殺すようにお婆さんからもらったショールをギュッと抱き寄せた。ショールの温かみに少しだけ、ほっとした。

 少女はまた、夢を見た。重たげな瞼をゆっくりと上げると、そこは先ほどまで居た真っ白な丘だった。真っ白な花に埋もれる様に、立ちすくんでいた。一面見渡す限り、白、白、しろ……その穢れなのない色が眩しくて、目をそらしたくて再び瞼を下ろそうとした。その時、少女の手に何かが触れる触感があった。閉じかけた瞼を上げると、懐かしい顔が見えた。
「時雨……?」
「うん」
「なんで? なんで、いまっ……」
「今まで辛い思いをさせてごめん。私の最後の願いを叶えてくれてありがとう」
 そういって、しわしわな手で私の手をゆっくりと撫で、ぎゅっと握った。無意識に少女は強く強く握り返した。
「なんで、私を造ったの? 心を造ったの? 私は『祈織』じゃないよ……」
「……うん」
「……戦争の兵器として人を沢山殺しちゃった……ちゃんと、最後の願い叶えてあげられて良かった。遅くなって、ごめんね……」
 沢山言ってやりたいことはあったのに、いざ言おうとすると感情がこみ上げてなかなか言葉にならなくて、うまく伝えられない。
「ぅっ……ぅぅっ」
 悔しいのか、ほっとしているのか、色々な感情がごっちゃまぜになって大きな波のように押し寄せる。耐えきれなくなって、涙と嗚咽が漏れる。
「うん……ありがとう。祈織にも会えたよ。君のことでとても怒られたよ、ごめんね」
 そういって、時雨は少女の頭を優しく撫でる。懐かしいそれに、ぐちゃぐちゃになっていた感情の波が、だんだんと静まってゆく。
「ほんとよ……この鈍感」
 ぼそっと、悪態をつく。このくらいついたって、罰は当たらないはず。

「時雨、あのね。私、あなたのこと好き。祈織としてじゃなくて、私自身の気持ち」
 頭を撫でる手を握って、時雨の目を見てはっきりと言う。最初で最期の告白。きっと、もう会うことは出来ないから。時雨は目を見開いていたが、だんだんと目を細め微笑んだ。
「ありがとう。こんな僕を好いてくれて……君を沢山苦しめてしまったのに……」
 ぽたり、少女の手に冷たい雫が落ちてきた。微笑みながら静かに涙を流す時雨の顔がそこにあった。
「な、泣かないでよ。私を造ってくれてかんしゃしてるのよ。そりゃぁ、辛いことも哀しいことも沢山あったけれど。あなたや沢山の人に出会えて、素敵なことも沢山知ったよ」
「……うん」
 老人は、涙を流しながら頷いた。
「ほ、ほら! そろそろ、夢から覚める時間だよ。会いにに来てくれてありがとう……お父さん」
 時雨の言葉も待たずに少女は、夢から覚める様に意識して目をぎゅっと閉じた。

眠り

 再びゆっくりと目を開ける。崩れた屋根から見える蒼と隙間を繕うように伸びている蔦が視界を埋めた。埃被った少しカビ臭い臭いと草の匂いが、此処は現実なのだと痛いほど感じさせた。それでも、涙で濡れた頬を優しく乾かすかの様に柔らかな光が差していた。名残惜しむようにゆっくりとロッキングチェアから、腰を上げる。パサリと足元に落ちたショールを拾い、ぎゅっと抱きしめた。
「あなたのおかげで素敵な夢がみれたわ。ありがとう」
 少女は顔を上げ、前を向く。
「これからが大変ね。此処に住むには、まず家の修理をしないと……そうと決まれば、ゆっくりして居られないわね」
 それから、少女の時間はゆっくりと再び歩きだした。半壊になっていた家を直すのはとても大変だった。家を直す方法なんて知らないし、直す道具なんてなかったから。
それでも、ひとつひとつ手探りで見つけるのは、宝探しみたいで楽しかった。箒で床の埃たちを外へ掃く。額の汗を拭う。
「ふぅ……終わった。あとは……あっちだよねぇ」
 蔦に守られるようにそびえ立つ隣の建物を眺めながら、独り言をぼやく。
「気が進まないけど、あのままは彼女たちが可哀想だものね……」
 かつて、一人の人間がたった一つの願いを叶える為に沢山の機械仕掛けの少女を作った。彼の願いを叶えられなかった彼女たちが眠る場所。
 扉を覆う蔦をひとつひとつ丁寧に取り除き、重たい扉をゆっくりと開けた。ふわっと風が私を包む。重たい扉の向こうは、埃臭く暗い闇。ゆっくりと奥へと進むとそこには……あの日、見た光景とは少し違っていた。大きな木の根が彼女たちを抱きかかえ守るように、穴の開いた屋根から差す光が見守るように。彼女たちを包んでいた。それは、とても神々しく、呼吸をするのも忘れてしまうくらいだった。一歩一歩、確かめるように足を踏み出す。そっと、大きな木に触れる。ごつごつしていて、少し冷たい。

ザザッ――――

 一陣の風が吹き抜ける。少女は許しを乞う様に目を閉じる。葉っぱたちが擦れ合う音と不規則なモータの振動音。

――わたしを赦してくれますか?

 呼応するように、ふわりと風が通り抜けた、気がする。モータの振動音がだんだんと遠く聞こえる。
 少女は眠る。彼女たちと一緒に。

×××の懺悔

 私達は取り返しのつかない過ちを犯した。人間に似せた形をした機械を造って、沢山のものを壊させ棄てた。彼、彼女等に感情など無いから辛く思うこと無いと。
――本当に「感情」が無かったのだろうか?
 私は偶に考えることがある。人間に似た機械だって感情が芽生えるのではないか、と。かつて出会った一人の少女は、機械ながらに心を持っていた。時に微笑み、怒り。悲しみに暮れ涙を零した。持て余す感情に戸惑いながらも素直に受け容れてゆく姿は、人間よりも「人間」らしいと感じた。
 私達は人間に似せた機械たちをもっと、愛すべきだと思う。人間が人間を想い合うように、彼、彼女たちを同じように想うべきだ。少しずつ凪いでいく世界で、お互い想い合って過ごしてゆけたらいい。今からでも遅くない筈だ。私達人間が、彼、彼女たちのように素直になればいいだけなのだから。

機械仕掛けの少女は心を乞う

機械仕掛けの少女は心を乞う

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