天使のお仕事

 天使は、死体を次々と運ぶ。トラックみたいな乗り物の荷台にそれらを積んで、ひと段落したところで、チェックシートのようなものに鉛筆で走り書きをする。ときおり、困ったように顔を歪ませて、計算が合わない、とぼやく。どこからか鳴る電話を、天使は無視する。荷台の死体の山のてっぺんに腰かけて天使は、胸元のポケットから煙草を取り出す。天使は、天使のくせにスーツを着ている。天使はおおよそ天使らしくない振る舞いを続けるけれど、ぼくは彼もしくは彼女が、天使であるということはどういうわけか確かに、解っていた。
 煙草を燻らせながら天使は、死体の山の上で脚を組む。もわもわと吐き出される煙はなんだか、天使の羽のようでもある。
「どうして、幸せなうちに死んでおかなかったの」
 天使が言った。
「そんなだから、死に損なっちゃうんだ」
 天使が言った。
 天使は、死体の山の上に煙草の吸殻を捨てて、肉が焼けるにおいがした、と顔をしかめた。ぼくは変わらず、じっとそのさまを見続けている。やがて天使と目があった。それでもなにも言わないでいると、しゃべらないやつはキモい、と天使はつまらなさそうに舌を出した。
「煙草、吸うんですね」
 天使なのに。ぼくがようやくそれだけしゃべると、まあね、と天使は頷いた。「酒も飲むよ」
「あ、そうなんですね」
「行こうか」
 天使はトラックみたいな乗り物の扉を開けて、運転席に乗り込んだ。ぼくは助手席に乗った。車内は煙草くさかった。天使は窓を開けたから、換気してくれるものだと思って、ぼくは息を吐く。天使は換気それ自体が目的ではなく、吸殻がびっしり敷き詰められた灰皿を徐に持ち上げて、吸殻をすべて地面に落とした。灰皿をもとの位置に戻して、窓が閉まる。出るよ、と天使が言った。

 空を飛んでいるようだった。空を飛べることができたら、こういう感覚なのだろうと、思った。ぼくは背もたれに深く背を預けながら、天使の横顔をじっと見た。
「君みたいなのは、あんまりいないよね」
 天使がしゃべった。天使の二人称が、君、であるのが、なんとも言えず不思議に感じられた。珍しいよ。天使が続けてしゃべる。「死に損なった人間のほとんどは、死にたくないって、喚くし。面倒なんだ、そういうのは。あんたは大人しくて、助かった。感謝します」
 今度は、あんた。天使の輪郭はぼんやりとぼやけている。天使は髪が短い。でもちょうど、男だか女だかわからない長さをしていて、こういう人間に出会ったことがある気がする、と思う。どこであったかは忘れた。誰であったかも忘れた。天使がそうさせているのかもしれない、と思った。そう思うのも不思議ではなく、天使の横顔には、妙な説得力があった。
「ねえ、ボク。これから僕はね、君を殺さなくちゃあいけないわけだけど」
「あ、はい」
 恨まないでね。そう言って天使は、じいっとぼくを見た。恨みませんよ。ぼくは言う。仕事だからさ、と天使が言い訳がましく言う。そんなの、気にしないのに、とぼくは思う。
 どこからかまた、電話が鳴った。はい、と今度は天使がきちんと、応答した。天使が名乗った気配があって、ぼくもそれを聞いて、天使の名前はそうなのだ、と一瞬わかって、それからすぐ、忘れた。天使の名前を聞いたことだけを覚えていて、あとは記憶に霞がかかったようだった。ちゃんと、こっちくるまでに処分しておいてね。頼むよ。電話の向こうで誰かが言う。わかりました、と天使が答える。君には期待しているんだからね。しっかりやってくれよ。天使はその言葉が嫌いなのか、顔をしかめて通話を切った。
 天使は片手でハンドルを握りながら、もう片方の手で、煙草の箱を取り出した。そのまま一本を口にくわえて、ぼくのほうを向いた。む、ん、となにかを強請るように唇を突き出す。はじめはキスだと思った。思ったけれど、それでは煙草の意味がわからなかった。それに、キスですか? と念のために聞いたら、天使は知らない言葉を聞いた顔をした。天使界にはそういう、概念すらないのだとわかった。火をつけてほしいのだと気がついたときには、天使は苛々しはじめていた。ぼくが慌てて火をつけると、天使は眉間のしわをゆるめた。
 再び車内に煙草のにおいが充満する。ぼくが咳き込むと、ほぼ死人のくせに、と天使が詰った。確かに、とぼくは思う。天使は息を吐きながら、その姿は誰よりも生きているって感じがした。天使は生きている。ぼくはそう思った。
「ちょっと一旦、止まろうか」
「あ、はい」
 天使は、口の中に溜めた有毒を一気に吐き出し、運転席から降りた。ぼくも同時に扉を開けて、なんにもない、ふわふわした土地に降り立った。
「今からぼくは、君を殺すけど」
「恨まないでね、ですか」
「そうです」
 恨みませんよ、とぼくが言うと、天使はうっすら笑った。疲れた顔だった。天使は荷台の死体の山を弄って、見たことのない形状の刃物を取り出した。紐もあるけど、と天使は言う。どちらでも別に構わなかったから、どちらでもいいと言ったら、そういうのがいちばん困るのだ、とまた詰られる。結局天使は、刃物を使うことにしたみたいだった。
「酒が飲みたい」
 刃物を振りかざしたところで天使は、ふとそう言って、運転席にすごすごと戻っていった。缶の酒をいくつか持って天使は、ふわふわした土地に座りこんだ。「ちょっと、待っててよ」天使が缶を開けるスピードは早かった。持ってきた数本を空にしたのち天使は、ウン、と赤ら顔で頷いた。じゃあよし、やろうか。
 そんな感じでは手元が狂ってしまうのではないか、ぼくは簡単には死なせてもらえないのかもしれない、と思う。思うと、急に、怖かった。天使が刃物を振りかぶる。ぼくにはもう彼が、悪魔にしか見えない。刃物がまっすぐ、ぼくに降りてくる。そう思いきや、刃物はぼくの手前でぐにゃりと進路を変えた。進路を変えた刃物は、天使の首を呆気なく切り落とした。天使の悲鳴はなかった。ぼくは手汗をかいていた。

 ぼくはしばらく呆然として、それから、天使を荷台の死体の山の一部にした。運転席に乗り込んで、ただまっすぐ進んだ。やがてあかりが見えてきたところで、へんなかたちの建物があったから、そこで止まった。
「終わりました」
 外にいる係員みたいな人に、ぼくが何気ないふうを装って話しかけると、その人は、ああ、と頷いた。マチダさんね。そうです、とぼくは言う。「じゃ、いつもの通り、焼却炉ね」
「わかりました」
 ぼくは焼却炉へとまっすぐ向かった。手汗はもう引いていた。

 死体をひとつひとつ、大きな焼却炉へ投げ込んでいく。途中、なんだか見知ったような姿の死体を見つけて、ぼくはその手を止めた。薬指に銀色の指輪を嵌めた女だった。ぼくはこの人のために死のうとしたのかもしれない、と思った。その人とのキスの感触だけがぼんやりと思い出されたからだ。それを知らないまま死んだ天使は可愛そうだ、とも思った。
 指輪の女も棄てて、ほかに飲んだくれの男、メガネのサラリーマン風の男、白目をむいて胸元を曝け出している女などを棄てた。棄てながら、だんだん記憶が遠のいていくのがわかる。もともとここに来てからは記憶なんてないも同然だったけれど、それがますます遠くなっていくのが感じられた。
 最後に残った天使を棄てて、仕事は終わった。焼却炉の蓋を閉めるとき、ぼくは悲しくはなかった。天使よりきっと、うまくやれると思った。恨まないでね、とぼくはつぶやく。肉が焼ける音がした。

天使のお仕事

天使のお仕事

天使と仕事の話です

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-02-27

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