戯れ言1️⃣~3️⃣

<書き下ろし>

戯れ言
  
 本稿は、どんな状況を背景にした一編なのか。この際は一つの趣向として、全ては読者諸兄の設定に委ねよう。勿論、あの原発が爆発した、かの国の、いずれかの日々であっても、一向に差し支えないのである。
 
 
1️⃣ ある、ママ 

🎆 事故死

 「ん?」「それに、悪戯っ子みたいなんだもの」「ん?」「私に、さんざんの悪さをするでしょ?」「私を困らせるでしょ?」
 四ニの紫子が、背後に張りついた同い年の草吾に、熱い吐息とも知れずに、密やかに囁くのである。
 淫靡を極めた閨房の直後の二人だから、当然に裸体だが、その姿態をどこまで描くべきか、筆者は真剣に戸惑っているのだ。では、何故、こんな設定を書くのか。交接を介した会話に、ある真相を探る、なにがしかの意味があるのかと、考えたりするからだ。しからば、その真相とやらに何らかの価値はあるのか。凡な筆者などは、未だに、皆目、検討もつかないのである。

 「あんなこと、どこで覚えたの?」「聞きたいのか?」「話したくない?」「男の過去なんて、不可思議な寓話のようなものなんだ」「寓話?」「そう。自分が覚悟して為したのか、状況の風にあおられて、ある物語になってしまったのか。そんな過去を、今更、話したところでろくな感慨もないし。聞いたところで、なにがしかの教訓になる訳じゃない。確かに、生きた形跡には違いないが。大した意味のある価値なんてものじゃない」「当たり前だわ。女だって、終わってしまったありきたりの恋なんて、演歌の歌詞ほどの意味すらないんだもの」「だったら?」「それでも、ふと、聞きたくなったりするのが、愚かな男女の機微なんだわ」「俺達も、か?」「当たり前でしょ?私達こそ、堕落の縁に佇んでいる、極め付きの愚か者なんじゃないの?あなた?いつか、そんなことを言ったでしょ?そんな主題で短編を書きたいんだって?」何故、どんな設定で、そんな野望を口走ってしまったのか、男は、すっかり、忘れている。

 すると、この時、女に問いかけようとして、男は、ふと、つまずいた。この女に何と呼びかけたらいいのか、未だに解らないのである。「君も?」なのか、「お前も?」が、いいのか。或いは、もっと的確な何かがあるのか。二人の距離を言い当てる呼び方に、さっぱり、見当がつかない。
 再会して二月余りも経て、女の肉の深奥にまで侵入しているのに、何て陳腐な事態なんだ。幾度、抱擁を重ねても、二人の距離は縮まらないばかりか、時折は、離れてさえいるのではないか。そんなところが性愛の現実なのか。男は悔恨を反芻した。

 仕方がないから、「やっぱり、聞きたいのか?」と、曖昧に絞り出すと、「今の気分なら、そうだわ」と、女は事も無げに、「あなたは?」と、返すのであった。

 「何を知りたいんだ?」「あなたって。きっと、何人もの女と関わったんだわ」予想だにしなかった疑念だったから、狼狽えていると、「「年上の女に教えられたのかしら?」と、畳み掛ける。

 草吾の沈黙を承認と悟った紫子が、「だったら、一番の年上は?」と、追求した。「ねえ?」「…九つ」「幾つの時だったの?」「ニ六」「…だったら、三五?」「そう」「今でも?」女の容赦のない探偵に、観念したのか、ある意味の被虐趣味に陥ってしまったのか、男は告白を続けてしまうのである。だったら、女は加虐の快感を覚えているのか。
 「死んだ」「いつ?」「九年前…」「…それって、私と再開する?」「前だ」それでは仕方ないと、自分の嫉妬に言い聞かせたのか、女は冷厳だ。「どうして?」「交通事故」「どんな?」「それが、出来損ないの私小説みたいだったんだ」

 「何があったの?」「数人である観光地に行って、何かを眺めていたら。停めていた車が走り出して」「車が?」「自分達の、だよ」「自分達の?」「彼女が運転していたか、どうかは、解らない」「どうして、解ったの?」「たまたま、その日のニュースで聞いたんだ」「それで?」「だから、走り出した車の下敷きになったらしい」女の手が止まった。

 「どんな人だったの?」「小さなスナックのママだった」「人妻でしょ?」「どうして解るんだ?」「訳などないわ。何だか、そんな気がしたの。その方が物語が出来るでしょ?」「書くのか?」「書けるかしら?」「それほどの好奇心なら訳もない」「だったら、子供は?」「一人」「あなたも結婚していたんでしょ?」「子供もいた」「立派な不義だわ」「そうだな」「後悔してるの?」「後悔?」「してないの?」「解らない」「存外に不道徳なのね?」「知らなかったのか?」「そうだったわね。私だって、共犯なんだもの」

 「だったら、どうして、そんな風になったの?」「ニ三の時に、その頃の職場の先輩に連れて行かれたんだ」「先輩とママは中学の同級生だった」「その頃住んでいたアパートに近かったから。それから、一人でも行くようになって…」「それで?」

 「三年目の春…」「その日は、夜が更けても、いっこうに客はなくて。いつまでも二人きりだった」「中島みゆきの『わかれうた』が流れていた」「その歌。あの頃ね。よく、歌ったわ」
 

2️⃣ 事件

 女が幕間に躍り出たから、男の告白は第二幕の舞台に移る。
「だから、何かの黙示を感じたりしていたんだ」「その夜は何を飲んでいたの?」「ジンだ」「あら?北の国の?」「そう。アダダラの『怪しい二人の陳腐な夜』」「あの頃には、随分と流行ったのよね」「飲んだのか?」「どうだったかしら?」女は、容易く、秘密の過去に逃れてしまった。「特異な人達はストレートだったわね。あなたも、きっと、そうだったんでしょ?」

 「あの夜は、珍しく、ママが酔って。ダンスを誘われた」「あなた?私の時は、踊れないって?」「そう。俺は踊れないから、断った。それでもいいって」「だったら、あの時に諦めた私は、愚かだったのかしら?若すぎたのかしら?」「あんなには酔ってなかったろ?」「そんなに?」「何かにとりつかれたみたいに、泥酔していた。だから、形ばかりにママの身体を支えて。ママは酔いに漂うみたいに、静かに身体を揺らしていたんだ」女が唾を飲んだ。

 「マリアマリアという歌手がいたろ?」「知ってるわ。空前の大ヒットした、あの一曲だけで姿を消した。北の国の幻の歌姫、でしょ?」「そう。『夜よ、抱き締めて』だ」「私も歌えるわよ」「闇の涙のようなブルースだ」「随分と意味深な修辞だこと。それで踊ったの?」「そう」「それで?」「…暫くしたら、ママが身体をすり付けてきた。…股間を」「ママが?」「そう」「密着してるんだ」「…股間と股間が?」「そう」「それで?」「盛り上がっていて…」「ママのが?」「熱かった」「火照ってるんだ。息をしているみたいに。初めてだった。大人の女だと思った」

 「それで?」「ある人が死んだ。と、ママが言った」「ん?」「夫に殺されたんだ、って」「ん?」「確かに、そう、言ったんだ」「それで?」「それ以上は何も言わない」「ん?」「俺も、何も聞かなかった」「ん?」「それだけだ」「ん?」「その夜は何もなかった」

 「あなた?」「ん?」「その人?」「誰?」「殺され人、だわ」「だから?」「だって、殺人でしょ?」「そうだな」「事件だわ」「そう」「平気だったの?」「そうじょない」「だったら?」「驚いた」「当たり前だわ。あなたは殺人事件を告白されたのよ。そうでしょ?」「そうだな」「警察には?」「警察?」「通報したの?」「してないし。そうだな。考えたこともなかった」「どうしてかしら?」男には、なぜだったのか、何一つも思い当たらないのである。年上の女の話が、余りにも突飛だったからなのか。ただの戯れ言と思ってしまったのか。酔いしれていたのか。事件の真相を知るが億劫だっのか。

 最後の仮説が事実に近い。その店に通い詰めていた三年間、いつも見かける常連の男がいた。カウンターの端が定席な、細身で蒼白な男であった。三〇半ばの大人の男だ。
 少し観察すれば、いかにも、カウンターの中のママとは、訳ありな風だった。そして、若い男などには、到底、踏み込めない、欄熟した空気が二人を覆っていたのである。

 「そうだわね。あなたの直感は正しい筈だわ」「何が?」「その二人。道ならぬ恋をしていたんだわ」「そうなのか?」「それを知ったママの夫が、その間男を殺害したんでしょ?」改めて、今時に指摘されると、あの夜の会話の不条理に、男は身震いした。「そうでなければ、ママの告白が成立しないでしょ?」「その男はどうなったの?」「突然に見かけなくなった」「そうなんでしょ?やはり、殺害されたんだわ」紫子の指摘に草吾は納得せざるを得ないのである。「それにしても」と、紫子は推理を接いで、「何故、あなたに囁いたのか、その方が興味深いわ」と、呟いた。「殺人があったとしても、とうに時効でしょ。私には見ず知らずの男だし。でも、女の嫉妬は始まったばかりなんだもの」

 果たして、紫子の断定は正しかったのか。紫子は嫉妬の余り、拙速に推理をし過ぎたのではないのか。ママの不義が事実で、発覚して破綻したとしても、或いは、仮に、夫が間男を殺害したとしても、如何に泥酔した夜とはいえ、ママが夫の秘密を安直に告白をするのだろうか。
 その夜、不義が破綻して孤独なママが、若い男の淡い思慕を試すために放った、戯れ言だったのではなかったのか。

 草吾が女というものに疎かったのは、そればかりではなかった。
 ママの突然な事故死を知った彼は、密かにママの葬儀を覗いたのである。幾度か体を合わせた女への、せめてもの弔いだったが、葬儀の場は異様な雰囲気に包まれていた。ある新興宗教の特異な献花が、林立していたのである。資産の一部が、故人の意思でその教団に遺贈されるとの、発表もあった。草吾は仰天した。御門を狂信的に信奉するその宗派は、今では与党の保守党に深く食い込んで、国政を蝕んでいた。社会運動に半生を賭した草吾の、いわば宿敵なのであった。そんな宗派の女を抱いてしまっていたのだ。と、すれば、あの時に殺人を吐露したあのママという女は、既に宗派に洗脳されていたのではないか。不義の男も信徒だったのか。その戯れ言が、修羅の事件を創造して、紫子という女の嫉妬を掻き立てたのである。すると、或いは、紫子も何らかの宗派や過去の男に感化され、精神まで犯されているのではないかと、疑念が過った。そして、この世界の、とりわけ、男女の実相などは、到底、自分などが悟れるものではないのではないかと、暗憺として、草吾は呆然と佇むのであった。


3️⃣ 水子

 性愛を書くなどは、些か厄介なのである。何故か。性愛の真相は、筆者などの愚には実に難解なのだ。だから、表層を描くばかりでも実に難儀だ。その上、性愛に普遍などはありようもないから、特異の世界を丹念に書くのだが、そもそも、性は秘め事だ。何故か。生存に不可欠な生殖と、即ち、営営にして堂々たる生物の営為と、その生殖とは余程関与しないとしか思えない、不可思議な快楽が同居しているからではないか。
 そして、殆どの性愛の寓話は、生殖の叙述を必要とはしない。快楽ばかりを解析するのである。
 筆者は評価しないが、例えば、谷崎潤一郎の『痴人の愛』や『卍』などは典型である。
 即ち、そうした快楽の特定の秘密を暴くのだから、性を書くなどは、そもそもが禁忌なのであって、それを承知で、敢えて書くのだから、いかにも難儀なのである。その試行は、『御門制』の禁忌の闇に挑む徒労に似ている。
 だから、そうした、いわゆる性愛の寓話がなへんに辿り着くのか、蒙昧なる筆者などには、想像だに及ばないのである。

 この寓話は××年の頃だから、三〇年前の逸聞であり、幼い頃だったら、三〇年前などは大昔の感覚であったが。ごく、最近の体験の感覚なのは、何なんだろうか。成熟しきって紊乱に腐敗した、それどころか敗退の坂を転げ落ちるが如くの、この国の社会の有り様が一因なのかも知れない。

 四ニの紫子が背後に張りついた、同い年の草吾に、「こんな風に再開するなんて、思ってもいなかったわ」と、熱い吐息をこぼした。「ん?」「私達のこんな関係、だわ」
 この二人は一〇年ぶりに抱擁した直後なのであった。

 一〇年前、男はある争議で、ある組合を指導していたが、女はその会社の管理職で、労働組合担当だった。利害関係者の、あってはならない危険な因縁を作ってしまって、その禁忌に溺れてしまったのである。二人は、実に厄介な一時期を共有したのであった。

 女は離婚をして間がなく、実家に身を寄せていて、女児があった。男には家庭があったから、疑いもなく不義だ。
 しかも、その時に、女は経営者の男と関係していたのだから、いよいよ、輻輳した状況だったが、争議が解決する兆しになって、女と経営者の関係も修復したのか、あれほどに燃え盛った、紫子と草吾の秘密の遊戯も、鎮火したのであった。

 だが、それから一〇年後に、一年前に離婚していた草吾と、既に経営者との縁が切れていた紫子が、偶然に出会ってしまったのだった。
 「隣県のK峠のK山の山頂に、ある祈祷の先生がいるの」「ん?」「失せ物なんて当たり前。混沌のるつぼの様な悩みの所在だって、たちどころに言い当てるし」「随分と高名で。だから、予約も大変なくらいなのよ」「その先生が、私の苦境は水子のせいだと言うのよ」「でも、必ず、助け船がある、って」「その男は、ごく身近から現れるって、センタクしたんだわ」紫子は、草吾がその助け船かの如くに匂わすのであった。
 この女のこうした性向を、草吾はなかなか理解出来なかった。女は何かというと、占いを話題にしたりした。

 ある時などは、実に豪華で複雑に刻印された、女の数本の印鑑を目にする機会があったから、訝ると、突然に訪ねて来た、ある団体の若者から購入したという。それは詐欺商法で世上を騒がしている、ある新興の宗派であった。この団体は草吾の労働組合にも入り込んでいて、洗脳されて行方をくらましたある組合員を、草吾達は探索していたのである。
 紫子が騙されたのは印章ばかりだったのか。そして、いつから、様様な商法に染まって、騙す立場に変化してしまったのか、草吾は、未だに、全容を知らないのである。

 それから、十数年が過ぎて、紫子が体の不調を訴える時があったから、草吾も病院に同道した。
 待合室で、履歴を記載するように言われた女が、文書にペンを走らせ始めた。見ることなしに視線を投げていた草吾に、「堕胎」の項が飛び込んだ。そこに、女が「2」と記入したのである。この刹那に、草吾は、紫子が十年前に言った、祈祷師の水子の話を、まざまざと思い出したのである。あの戯れ言はこの事だったのかと、慨嘆した。

 女というものは、そんな戯れ言にでも、堕胎などという沈痛な事実をさりげなくまぶすのか。その事実は真相と同義語なのか。それに比したら、男などは、その戯れ言を満足に聞いてすらいないのである。こんな事象はこの二人だけの特異だったのか。凡な筆者には知る由もないない。
 暫くして、大病を患った草吾と爛熟した紫子は、二度目の、確定的な別離を迎えるのであった。

(続く)

戯れ言1️⃣~3️⃣

戯れ言1️⃣~3️⃣

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  • 短編
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  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-02-27

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