海葡萄-幻想私小説1
夢物語です。縦書きでお読みください。
今日、齢(よわい)、八十八になる。米寿ということだ。なんとこんな年になるまで生きておるとは思っていなかった。
今、男の寿命が八十過ぎたという。自分自身がこの歳になるまで生きていたというのは、何かしら生れる前に行った業(ごう)によるものかとも思わずにいられない。米寿だ。
「お米のお年よあんたはさ」
といわれても、お米のありがたさは身にしみるが、アメリカに迷惑は時として感じるが、ありがたさはさほどのものを感じたことがない。せいぜい日本を負かしてくれたところだろうか。
真空管ラジオがゲルマニュウムラジオとなり、やがて、トランジスタラジオが手の上に載る大きさで現れた時には、まさに驚き、嬉しかった。なぜか、そのラジオで落語を聴いていた。富士電機というメーカーのもので、その当時も、あまり聞いたことのないものであったが、開発に意をそそいでいた会社であろう。小学六年生の時分である。
それからが大変である。ラジオどころか、テレビジョンという電箱が現れ、白黒ながら漫画を隣の地主の家で見せてもらった。テレビなど高くて買える訳がなかった。
白黒写真の原理すらわからぬのに、色がつき、撮ったカラーフィルムを、買ったときについてきた布の袋にいれ、フィルム会社に送ると、現像されて戻ってくる、それを写真屋で焼いてもらうという時代だった。
テレビジョンはカラーになり、ずっしりと場所をとっていたものが、平たく、ブラウン管ではなく薄い液晶とかいうものになっている。ブラウン管という名はエキゾチックでよかったとも思うが、液晶となると、さほど感動はしない。ところが、それから、プラズマとかいうテレビジョンが現れ、プラズマは電離された固体となると、吾の頭中は意味不明となる。それが8Kとやらになり、次はなんだといいたくなる。
計算機が現れたときは腰を抜かし、コンピューターとなるとなんともはや、どうしたらよいものか。それでもインターネットとやらにも首を突っ込んだ。どうしてこのようなことができるか。狢が化けたものに相違ない。何かに化かされているのであろう。こうなりゃ、もう何が出てきても驚かない。
昨日はちょっと度を越して飲んでしまった。誕生日の前夜祭である。
五十をちょっと超えたときに、蒸留所がなくなって貴重なんだと買っておいたグレンユーリー・ロイヤルの25年カスクと、還暦のときにもう手に入らないと買っておいたラガブーリンのカスク12年、58度を開けた。実は、退職の時に子どもたちがくれたグレンユーリーロイヤル36年はもう飲んでしまってない。
香りのデパートといわれたタグレンユーリー・ロイヤルを堪能し、ラガブーリンの磯のヨードの匂いがからだじゅうに染み渡り、目の中にまではいりこむほど飲んだ。それで昨日はパタンと寝てしまったのだ。
それにしても、この年まで何をしたというのだろう。生物学というものに首を突っ込んだのは良いが、素人の域を出ないで終わってしまい、退職をした後は、お話を作って、自分の版画などを添えて本を作るという、科学とは対極的な遊びを始めて、もう十冊以上自費出版したが、それも素人の域を出ることが出来ないもの、ただただ自分の本を作って集めただけである。よく考えると、人間としても素人で、いやいや男としても素人で、まあいいか、素人が自分であるということだろう。
目を開けているのかどうかわからない。今日は八十八の誕生日であることだけうすぼんやり理解している。
「おとうさん、まだ寝てるのー」
どうやら、娘の美(み)町(まち)がきたらしい。娘といっても、もう六十のいかず後家だ。息子の森根にいたっては五十を過ぎたのにまだ売れない人形や指輪を作って一人で悦にいっている。一つ違いの連れ合いはどこにいったのだ。おい軽子(けいこ)、美町が来たぞ。
「おやじ、まだ寝てるのかー」
お、森(もり)根(ね)も来たぞ。
と、天井から、青いつる草が顔の上に伸びてくる。おいおい、何じゃそなたは。声を出さずして問う。
よく見ると、つる草ではない。どこぞで見たことがある。そうだ、庭にある浦島草だ。浦島草の白緑のひげが長く伸びてきたのだ。浦島が釣りをしている様相から名づけられていると思ったが。その白いべろひげである。
と、浦島草のべろが吾の目の前に垂れ下がり、口の中に雫を一滴たらした。
その雫は口の中に広がり、づーんと響くように脳の神経細胞に染み渡った。うまい酒だ。かなり強い酒だ。朦朧としてきた頭の中に緑に輝く葉の海が見渡せた。
また夢の中だ。
今まで夢を見ることはほとんどなかった。その分、妄想的な話が頭に浮かび、それを本にしてきた。楽しい夢を見たいものだ。
と、浦島草のべろが寝ている吾を釣り上げた、おいおい、どこに連れて行くつもりなんだ。
吾は気がつくと、浦島草のべろからぽいと放り投げられた。
ここは海岸だ。いきなりだから夢は恐ろしい。
真夏の太陽が照り付け、頭の髪をじりじりと焦がしている。昨日飲んだラガブーリンのヨードの匂いとは違う、本物の礒の匂いが漂ってくる。この匂いを嗅ぐとどうしても蟹を思い出す。
目の前には岩礁が広がっている。真鶴のようだ。中学生のときによく来たものだ。その頃蟹を集めていた。吾は白いポロシャツに茶色いズボンのその頃のいでたちだ。沖合に浮かぶ漁船がよく見える。中学の頃は目もよかった。
屈んでタイドプールを覗くと、反射した光が、ゆれる海面を透してイソクズガニが石の脇に隠れているのが見えた。イソクズガニは三角のとげの生えたような甲羅に海草をくっつけ、周りの岩と見分けがつきにくい。ところが、中学の頃の吾にかかったら百発百中、見つかって、干されて、標本になってしまった。ちょっとかわいそうであったな。
靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ズボンの裾をまくった、少し広いタイドプールに足を入れた。暑い太陽の下で冷たい海水。思い出すなあ、あの頃を。気持ちがいい。
手を伸ばしイソクズガニを二匹摘み上げた。イソクズガニは小さなはさみを振り上げ、いやいやをする。
「もう標本は作らないから大丈夫さ」
と、声をかけ、タイドプールに放した。
潮溜まりの底の石の上を這這(ほうほう)の体(てい)で逃げていく。
小石をひっくり返すと、平べったい蟹のようで蟹ではないイソカニダマシを見つけた。蟹という名前がついていてもヤドカリに近い連中がいる。ヤシガニやイガグリガニだ。イソカニダマシもそうだ。肢が六本しかない。そういえば、あのおいしいタラバガニだって肢は六本でヤドカリに近いのだ。
イソカニダマシは小さくて食えないだろうな。
心の中でそう思いながら、カニダマシを摘み上げた。
「ヒドダマシ」
イソカニダマシがそう言った。
「どうしてだ」
思わず声を出した。
「お前だって足が一本だ」
ふーん、負け惜しみかと、思っていたら、吾の両足が吸い付くと、勝手にくっついて、一本になっちまった。ズボンまで一つになった。ズボンをたくし上げてみると、確かに足は一本である。足の先はどうなった。澁澤龍彦というフランス文学者がプリニウスの博物誌から、単脚族「スキヤポデス」を紹介しているのを思い出した。どこかで見た絵では五本の指で右か左かどちらかだったような気がする。自分の足を見ると、真ん中が親指、その隣はそれぞれ、薬指と中指がくっついたもの、そして二本の小指である。左右対称まことに公平である。小指が増えたわけだ。これまた、ヘミングウェーの家に住んでいる猫の足の指がみんな六本であることを思い出した。
すると、あちこちの小石の下から、イソカニダマシがシャリシャリと這い出し、海の中にはいっていくではないか。
一本足の吾が呆然と見ていると、後ろからいきなり、ぽかっと後頭部をなぐられ、あっという間に、吾も海の中にどぼりと落ちた。海水がポロシャツの袖口からジョロッとはいり、からだじゅうが海水で覆われてしまった。
殴ったやつはどうも狢(むじな)ではないかと思う。小学校の頃よくいった厚木の南毛利の林の中に浦島草の群生があり、何本か庭に植えたことがある。お化けの花といって面白がっていた。そんな奇妙な花との出会いは、それからの人生を変えた。真っ当なものを、きれいなものを見ても感動せず、ちょっと歪なものが好きになった。最近は浦島草の栽培種も出てきて、真っ赤な浦島草を売っている。
そんな浦島草を守っていたのは狢だったのだろう。だが、なぜ狢に海に突き落とされなければならないのだ。
波が打ち寄せる磯である。そんなに深くない。しかし、一本足の弱いところだ。落っこちた拍子に、波にさらわれ、磯からかなり離れたところにもっていかれてしまった。
一本になっちまった足をくねらせ、手を広げてなんとか海の上に浮いていると、足をぐぐぐいいと引っ張るやつがいる。けしからんと思っていると、とうとう海の底に引きずり込まれた。
空気がなくては死んじまう、と思って目をあければ、いつの間にか、海底を一本足でゆらゆら歩いている吾がいる。その前を大きなカニダマシが群れをなしてシャリシャリと海の底を進んでいく。
海の底はごつごつとした岩場だが、魚たちが吾を見ながらくつろいでいる。なんだか笑っているようだ。
海底が斜面になってきた。一本足は自由が利かない。深いほうへと押されるように降りていく。
太陽の光がぎらぎらと海底に模様をつくり、その間を縫って、金目鯛が踊っている。金目鯛の干物は好物だが、生きたやからが泳いでいるのを見ても食欲はわかない。
「どこへ行くんだ」
金目鯛に聞かれても自分ではわからない。わかんないんだと首を横に振った。
カニダマシに引っ張られるようにして、深い海の底にやってきた。
と、そこに昔から会いたいと思っていた憧れの蟹がいる。
タカアシガニだ。大きくはさみ足を広げて、長い足で砂の上をゆったりと歩んでいる。世界で一番大きなカニが日本にいる。しかもこの相模湾の海の奥にいるのだ。タカアシガニは吾を見るとよってきた。
「食いたいか」
尊敬していた蟹に言われ、すこし落ち込んだ。喰いたいとは思ったことはない。
「標本にして飾りたがっていたじゃないか」
確かにそうだが。
「そうだろう、俺の二メイトルにもなる死骸を干して、壁に飾りたがっていたじゃないか」
確かにその通りで、今もそう思っているかもしれない。言い訳はできない。うなだれている吾を見て、
「いいんだ」
と言い残すと、タカアシガニは何も言わぬかのような顔をして、遠ざかっていった。
そこにはシャリシャリと進むカニダマシの群れが残った。
やはり雄大な蟹なんだと、なぜか胸が熱くなった。中学生の頃はずい分たくさんの蟹たちの乾燥標本をつくった。標本にした蟹たちには迷惑をかけた、と思いながらも一本足でカニダマシについていった。海水がゆるりと顔面を押していく。
海の底が崖になり、下に落っこちた。
吾はカニダマシとともにマリンスノウに囲まれて落ちていく。
ひらりひらりとウミウシが踊っている。
白いウミウシが何匹もよってきた。一本足でくねくねしていたので、仲間と思ったのだろう。
「しっしっ」
邪険にしたのがいけなかった。
白ウミウシが吾の頭の髪の中に入り込み、しゃきしゃきと毛を食いちぎり始めた。
「昆布やひじきじゃないんだ、止めてくれ」
といっても無駄だった。中学生にして、八十八のはげ頭にもどってしまった。白ウミウシはざまあみろといわんばかりにくねって行ってしまった。
ありゃりゃと思っているうちに、どんどん深いところに落ちていく。
暗くなっていく。あたりは灰色の世界になってきた。
ユメナマコがからだをくねらせている。おっと、コウモリダコにぶつかった。赤黒いコウモリダコは怒ると、眼を光らせ、広げた足の先が青白く光りだす。光の無い深海では光ることは相手を脅かすことにもなるようだ。ということは深海にいるわけだ。
どのくらい沈んでいったかわからないが、一本足が地に触れた。
黒っぽい藻が茂っている。周りに光はなく、暗がりの中で、何も見えないはずが、なぜか見ることができる。やはり夢だ。
これはずいぶん深いところだと思い、カニダマシはと見ると、行列をして藻の中に入っていく。吾も後についてもぐりこんだ。周りは藻だらけでどこに進んでいるのか皆目見当もつかない。ただ、カニダマシの足が見える。
藻の中をしばらく行くと、緑色の紋付をきた老婆が藻の中で正座しているのに出くわした。誰かに似ているが思いだせない。
老婆の目が吾を捉えた。にいと笑って、手招きをするのだが、ちょっと怖い。曲がった腰をいたわるように立ち上がり、藻の中を歩き始めた。
「おいでな」
そこで、カニダマシたちはシャリシャリと集まって真っ赤な塊になり、砂の中にもぐりこんでしまった。
吾は老婆の後についた。どのくらい歩いたろうか、薄ちゃけた建物が目の前に現れた。海の底の建物は子供の頃に絵本で見たような形をしていた。しかし、絵本のそれは、朱や緑、それに金銀で絵がかれ、周りには金色をした鯛や、白い腹をした平目が、海のダンスに興じ、笛や太鼓の音までも聞こえそうなものであった。
ようするに竜宮城である。目の前にある建物がそうだと決まったわけではないが、吾の直感でそう感じていた。だが地味なものだ。
そうなのだ、浦島草に放り出された吾は竜宮城に来たのである。ただ、つれてきたのはカニダマシで、出迎えたのは鯛ではなく、濃い緑色の着物を着た老婆だった。浦島草のやつは浦島太郎だった頃がなつかしくて吾を送り込んだのかもしれない。
老婆は竜宮城の扉をけった。扉は砕け散り、中に黒い穴がぽっかり開いた。老婆は振り向き手招きをし、吾は歩くのが面倒になり、からだをくねらせて、一本足を回転させるように泳いで中に入った。
それを見ると老婆が鼻の脇にしわを寄せ笑った。
「どうやら海にお慣れじゃな」
老婆も腰をひねりながら泳いで竜宮城の広間に入っていった。
広間の角にある大理石の椅子はいかにも冷たく硬く人を寄せ付けない感じだ。
ところが、老婆が椅子に腰掛けると、大理石がぐにゃりと老婆を包み込んだ。
老婆は目を瞑り、息を整えた。海水の流れが速くなり、波打つ老婆の腹がせり出してきた。それはあっけなく終わりを告げた。老婆の姿はなく、椅子の上には一人の赤子が無言で手を振り回していただけであった。
赤子は片手を上に挙げて、手をつなげと言っている。
吾はなすすべもなく、赤子の手を引いて、竜宮城から海底に泳ぎ出た。赤子はナカニシの卵を口にくわえ、えもいわれぬ顔でぎゅいぎゅいと噛んでいる。ナカニシの卵は海ほうずきだ。
赤子とともに海底の旅に出たところで、またカニダマシの大群が南に向かって歩いているところであった。
赤子の手を引いてゆらりゆらいと一本足で、泳いでいくと、海の色は変わり、目覚めたばかりのような青色をしたコバルトスズメやチョウチョウウオが周りを泳ぐようになり、大きな海(う)栗(に)が海底をしゃらしゃらと這っている。
赤子は成長し、頭にはおかっぱの黒髪が生え、手の甲は赤い鱗がきらりとひかる。白い爪を持った五本の指の間には水掻きがあった。足は一本で、というより、尾びれになり、くねくねと漂う雰囲気は、これが伝説の人魚の子供かと、納得した次第である。股間にあるものは男の子であることを示している。
まさに、夢である。夢はこのように楽しいものか、この年になり始めての経験である。八十八年生きてきて、やっと夢の楽しさに目覚めた。
珊瑚の枝は赤くなり、白い珊瑚は大きなテーブルをつくる。南洋の色に染まってきた海。赤と白の乙姫蝦が海底の岩の上から吾と一緒にいる男の子を見つめている。
「久しぶりだねえ、人魚を見るのは、いくつにおなりだい」
若い海老かと思ったら年寄りのようだ。
「さっき生まれたばかりなので」
と口ごもると、
「ほほ、おにいちゃん、鱗の年輪をみてごらんな」
人魚の赤子は目をパッチリとあけてこちらを見た。ひらっと尾を振ると吾の目の前に尾びれをもってきた。縁がうす赤い鱗には八本の細い筋がついている。
八歳ということなのだろうか。浦島太郎だ。
「時の流れはヒトだけのものではない」
赤子は身をくねらせて吾の周りを泳ぎ回り、現れたタイマイの背中に腰掛けると、身づくろいをはじめた。
「見事な娘になるじゃろな」
海老は人魚をほめた。
「男の子だが」
と思ったとたんである。海老が笑った。
カカカ、カカカ。
なんだその笑いは、狢じゃないか。
蝦はエビそりをして吾を見た。
「狢ではない、あやつは海鼠(なまこ)の親戚で、わしの娘は宮が瀬の河童のところに嫁いでおる」
複雑すぎて理解に苦しむが、種の法則など関係のない寛容の世界なのだろう。といって、この人魚の子供が男であることには間違いがない。そのことを指摘すると蝦に悪いような気もするが、やはり言ってやったほうが、長い目で見れば親切だろう。
「あの人魚の子は男の子です」
その時、人魚の子供が、タイマイの背からすうーと身をひねって上にのぼった。ちらりと見えた胸の膨らみは、自分の自信を微塵に砕いてしまった。
女の子か、いや、そのようなことはないはずだが。
乙姫蝦はカカカと笑いながら、ほら言っただろうという顔をした。
「人魚は水温が変わると、男と女が変わるのじゃ、冷たくなると男になって、暖かくなると女じゃ」
そういえば、男の人魚というのは聞いたことがない。
海老の説明では、海面に出た人魚は日の光で乳房が膨らみ、股間のものが退縮するのだそうだ。冷たい深海の底の人魚は男がほとんどで、暖かい海の人魚はみな女だそうだ。ということは、深海で生まれたこの子は男だったが、今は女になろうとしているのだろう。
そういえば浦島草も雄と雌がいれかわるそうだ。
女の人魚になりつつある子どもがくねくねと吾のところにやってきた。確かに美人である。美人になるより可愛くなって欲しいね。
お乳がある。きれいな形をしている。ちょっとはずかしくなる。
「ここ気に入ったわ」
人魚の娘が吾を見た。
「ここはどこだろう」
「石垣島よ」
ふわふわと浮いてきた水母(くらげ)が、いきなり海の岩に頭をぶつけると、足をばたばたさせてあっという間に磯巾着(いそぎんちゃく)になって岩にくっついた。
もう生命の論理なんてありゃしない。
このような無秩序が大きな進化をもたらすのだろう。
人魚の子供はどこに行った。
上のほうを見ると水面に顔を出しているようだ。腹ビレがちかちか光る。
その後を大きな魚が追いかけている。何匹いるのか、鮫だ。
喰われちまう。
吾はくねくねと腰を振って海面に向かって上昇した。
ぽっこり顔を水面に出すと、ひょいと目の前に人魚の顔がせまった。おっと、びっくりするじゃないか。
今目の前にいる人魚の顔は大人の顔だ。誰かに似ている。人魚の長い黒髪を想像していると、この子はおかっぱなので、なぜか新鮮だ。美人は美人だが柔らかな笑顔をもったおっとりした人魚だ。かわいくなった。あっという間に変わるのだな。
吾の好みになってくれたようだが、まったくうずく気配がない。八十八歳の枯れたからだだ。と自分の下半身をみると、吾も人魚になっている。一本足は尾びれになっている。
とすると、この暖かい南海の波間に漂っている自分は女の人魚か。手で自分の胸を触ってみると、ふっくらとした膨らみが触れる。そうか。だから人魚のこの娘にうずかないのか。夢も理論的なとこがあるのだなあ。
つまらないような、しかたがないような。
そうだ、人魚の子を追いかけていた大きな魚を追い払わなければ。
人魚の子は波間でくねくねと身をよじっている。
人にもみつかっちまう。
人魚の子にむかって手招きした。
「鮫が来てるよ」
「ふふふん」
人魚の娘は笑窪を寄せた。かわいいものだ。
そのとき、海面がもーっと盛り上がり、尖った角が八つもでてきて人魚の子と吾の周りを取り巻いた。角はさらに突き出され、黒い大きな顔が出てきた。
鮫と思ったのは鯨の仲間の一角だった。ということは角というが前歯の伸びものだ。
人魚の子はそれを見ると、ふふと身を翻し、海の中にもぐっていった。
八角たちもあとについた。吾ももぐった。
海の底には色とりどりの海星(ひとで)が群れをなしてもぞもぞと動いている。
一角は角をつきたて、海星を海中に舞い上がらせた。海底の水の中を無数の海星が浮遊することになった。その中を人魚の子は舞い踊り。一角たちは四方八方から人魚の娘に擦り寄っていく。
きらきらと海面から降り注ぐ日の光は、人魚の鱗に反射し、海に舞う赤や黄色の海星にスポットライトをあてる。
きれいだなあ。
このようなものを見ることができるのは夢しかない。
人魚の子が上向けになり、尾ひれの付け根から緑色の小さな粒を煙のように噴出し。一角たちも人魚の子の周りをすり抜けながら、青い粉を撒き散らす。幾度も繰り返され、緑色の粒が青い粉にまみれて海の底に沈み石につく。石は緑色と青色に変わり、海底の色が青緑に染まった。
「いいものをみせてもらったよ」
真っ赤な名もない蝦がひとりごちた。
「千年生きてきても人魚の放卵をみることはできまいに。縁起がいいねえ。人魚の卵は一角の精と受精し、海葡萄になるのじゃ。海葡萄は人に喰われ、海葡萄を喰った女が海でおぼれて、子供を産めば人魚になる。人魚を生んだその女は天女になり月に上り幸せな気分で消滅する」
「そうか、人魚の子を産んだあの老婆は幸せに消えたんだ」
海底にへばりついていた緑と青の粒はいっせいに海面に上っていった。
吾も追いかけ海面にでると、月夜になっている。
海面いっぱいに漂う人魚の受精卵は月に照らされ、海岸近くの海の底に集まり緑色に輝くつぶつぶ、海葡萄になった。海葡萄はイワヅタ目、イワヅタ科の植物でクビレヅタという。その実が海葡萄と呼ばれ、しゃれた食材なのだ。
一緒にくっついてきた真っ赤な蝦が吾を見た。
「ケケケ」
そのとたん、すーっとわが身が海に溶け込み、緑色の海葡萄に吸い込まれた。
吾は海葡萄の精となってしまった。
海葡萄の精となった吾は、真っ赤な蝦のひげの根元に取り付いていた。
人魚の子は「バイバイ」と手を振ると一角とともに泳ぎ去った。
赤い蝦はゆるりゆるりとひげを揺らして海底を歩く。
そのうち、月の光が海底に届き、海葡萄の吾は光に溶けた。
時はわからぬが、居酒屋の金城次郎の皿の上に乗せられた海葡萄の中に吾は閉じ込められている。赤いマニキュアした若い女の子の指がそうっと吾に触れた。
きゅっとつままれたとき、ドキッとした。赤い唇の間に吾は押し込められ、白い歯が吾を噛んだ。吾は気絶した。
海葡萄-幻想私小説1