ルル、もうすぐ春
ルルのからだのなかで星がはじけた頃、ぼくの肉体の一部が花となって、散って、ぼくは、でも、へいきで笑っていて、ルルが、小惑星同士がぶつかったような衝撃に、意識を失いかけているあいだにも、ぼくはいつもどおりに暮らしている、ただし肉体の一部を欠いた状態で、というマボロシを何度かみている。冬のおわり。
実際のぼくは、なにも欠けてはいないし、ルルも、きっと、平和に楽しく生きているはずだ。ぼくらはもともと、ひとりのにんげんだったこともあって、そばにいなくても、どんなに離れたところにいても、なんとなく、相手のことがわかるような気がしている。双子のようだ。でも、双子よりも、もっと近しい存在だ。分身。これがいちばんしっくりくるので、ぼくは、しろくまに、ルルはじぶんの分身なのだと説明している。しろくまは、ルルのことは、あまり興味がないのか、ルルがいまどこでなにをしているのか、どういった経緯で、ぼくらがぼくとルルのふたりに分かれてしまったのかなど、そういうのは一切たずねてこない。ルルがどこでなにをしているのかは、ぼくも、なんとなくしかわからないのだけれど、とりあえず、すぐに逢いに行ける範囲にいないことは、なんとなくわかる。詳細はわからずとも、いま、生きていることは、わかる。第六感、というのか、双子特有の、テレパシーめいたものなのか、双子ではないけれど、そういうのを解明してもらうつもりは、さらさらないが、ときどき、ぼくとルルのようなひとたちが、この世界に、いるのか、いたとして、何人いるのか、ぼくらのように生まれたときはひとりのにんげんであるのか、もしくは、ひとつのからだをふたりで共有していたりするのか、なんて、想像してみたりする。想い耽っているときのぼくは、非常に無防備で、いろいろあぶないのだと、しろくまは云う。うでの一本くらい掠め取れそうだと、こわいことを述べる、しろくまの、でも、からだはおおきくて、あたたかい。ぼくは、しろくまのうでに抱かれて入眠する瞬間が、いちばん好きだ。しろくまの部屋で、然しておもしろくもないテレビをぼんやり眺めながら、本を読んでいるしろくまの横顔を、ときどき盗み見るとき、ルルのことは刹那でも、ぼくのなかから抜け落ちている。それは、しろくまの布団のなかでも、しろくまとはいるお風呂のなかでも、ある。そうやって、すべての記憶から、細胞から、ルルという存在がまったくいなくなってしまうこともあれば、とつぜん、ふいに、ぼく、というにんげんを、ルルに支配されることもある。のっとられるのではなく、ぼくという色が、ルルという異なる色に塗りかえられる感じ。
ルル。
二月がもうすぐおわるよ。しろくまの読んでいる本は、いつも、なんだか、むずかしいや。
ルル、もうすぐ春