春は未だ、

rightboy10

春は未だ、

四月の日曜、天気のいい午前中の空気は、妙に太陽に温められはじめて生ぬるい、と、智也は思った。呼吸をするとその生ぬるい空気が肺いっぱいに広がり気持ちが悪い。喉の奥に、真綿がまとわりついているようだ。コンビニ袋の中から先ほど買ったマスクを取り出し、口にあてがう。深呼吸をすると、先ほどよりほんの少しだけ、呼吸が楽になったような気がした。
「あれ、花粉症だっけ。」
同じくコンビニで買った缶コーヒーを飲もうとしたものの、今しがたつけたマスクを外すのもなんだかめんどくさい。それを指先でもてあそんでいると、目の間に影と声が落ちた。見上げると、佐倉がうっすらと笑みを浮かべて智也を眺めている。花粉症ではないが、だからといってマスクをつけた行動にたいした意味もなく、どう説明しようか、そう考えて智也は口ごもる。変に茶化されるのも嫌だなと思っていたが、質問した佐倉はすでにそのことになど興味がなくなったようで、手元の缶コーヒーを指さし、
「飲まないの?くれる?」
と、返事も待たずに缶コーヒーを勝手に受け取った。佐倉はいつもこうだ。白に近いほどの金髪を風に遊ばせて、隣で佐倉は缶コーヒーを飲んでいる。陽の光を浴びよく知らない歌を口ずさむ佐倉はまるで作り物のようで、コーヒーを飲んでいることも、歌を口ずさんでいることも、なんだか不思議な光景にも思えた。歌はたしか佐倉の好きなバンドの曲だったと思う、前にも聞いた気がするが、あまりよく覚えていない。何の曲だっけと訊けば、佐倉はきっと笑って、「何回目だよ。」というだろう。その言葉が聞きたいような聞きたくないような、笑顔が見たいようなみたくないような、そんな気持ちになった。
「今日、何の用?」
呼び出したのは佐倉のほうだった。昨日の夜突然LINEで「明日、角のコンビニ前、10時」と送られてきた。あまりにも唐突で不躾なのが佐倉らしい。最初のころはその呼び出し方に何度か叱ったが、直る気配などなく、とうとう最後には智也のほうが折れた。だからワガママが直らないんだとゼミの連中から言われるが、言うなら佐倉の親に言えよと、智也は思っている。俺が育てているわけじゃないだぞ、と。
「あー……うん。」
智也の質問に佐倉は歯切れ悪く言い淀んだ。その様子に、思わず呼び出しておいて、と、文句が口をつく。
「僕もそう思うけど。」
その言葉に、佐倉は薄く微笑む。


大学生にもなって「僕」だなんて。と、言ったのは誰だったか。確かゼミの飲み会で、その中の誰かだったように思う。佐倉は仲間内では一番華奢で中性的な顔立ちをしていた。変な言い方をすれば儚くて、身長はあるものの少年ぽさが残っている。大学生だろうが「僕」という一人称も、佐倉ならばよく似合っているように思えた。それゆえにからかい半分で「女の子扱い」されることが多い佐倉は、この時もムッとして、
「関係ないでしょ。」
と言っていた。別に誰も佐倉はいじめたいわけではなかったので、酔った勢いだからと言わんばかりにその場のみんなは笑って流して、話題はどんどん移り変わっていく。実際彼女もおらず出会いもそうない地味な大学生活を送っている智也たちにとって、佐倉は体のいい「身代わり」に近かった。それが佐倉にとって失礼で、あまりにもひどい話だと思いながら、智也自身も強く否定できない。彼自身、そんな佐倉と一番仲のいいことにひそかな優越感を抱いていた。それは甘やかな心地の良い優越感で、智也の中で大きな秘密となっている。


「フラれたんだ。」
たいしたことじゃ、ないんだけど。と、付け加えて、佐倉がそう言った。青天の霹靂。そう呼んでもおかしくないような告白に、智也は思わずフリーズする。
「好きな子に告白したんだ、で、フラれちゃった。」
そう続ける佐倉はまっすぐに前を見て、智也はただただ彼の横顔を眺めることしかできない。どこで知り合った?どんな子?てゆうか今まで一度もそんな話きいたことないんだけど?頭の中は疑問符でいっぱいなのに、そのどれもが言葉にならない。酸欠の魚みたいに口をぱくぱくと動かすだけだ。なんて言おうなんて言おう。まとまらない頭が必死に気持ちを急かしてくる。そんなことを考えていると、いつの間にか佐倉がこっちを見ている。その顔はいつも以上に儚げにみえて仕方がない。顔立ちと髪色のせいだ。作り物のように整った顔が、心なしか青ざめていた。
「もっと……"男らしい人"、が、好きなんだって。」
そこではじめて、佐倉が声をにじませた。青ざめた顔で、目元だけがじんわりと、桜色に染まっていく。
「……別に、それだけじゃ、ないかもしれないけど、さ……」
寸でのところで佐倉は涙をこらえていた。まるで自分に、泣くんじゃないぞと、言い聞かせているように。静かな空気に、息をのむ音がする。おそらく自分だ。まだ何を言うべきか言葉が見つからない。慰めるべきか相手をののしるべきか、正解を探そうと頭の中がぐるぐる回っている。声にならない言葉がのどに詰まって、窒息しそうだ。
「男らしいって、どんな人だろ。」
智也知ってる?と、涙混じりの声で、桜色の目元を細めて、佐倉が笑った。その顔に、智也のほうが泣きそうになる。わめいたり相手を悪く言ったりせず、そう笑う佐倉の気持ちを思うと胸が痛くて仕方がなかった。きっとそれが、佐倉の中にある"らしさ"の行動だ。あんまりにも立派で、ひどく遣る瀬無い。
「その子……見る目ないな……」
お前十分なのに、と、絞りだした自分の声のなんと頼りないことだろう。生ぬるい風にさらわれて、今にも消え入りそうだ。その声に佐倉は一瞬驚いた顔をし、それから柔らかく微笑んで、
「ありがと。」
と、顔をそむけた。目の前の道路を大型トラックが走り去る。
四月、まだ11時にも満たない日曜のことだった。


(photo by Pexels)
(2019/1/14:カクヨムに投稿したものを再編集)

春は未だ、

春は未だ、

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-02-23

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