ララ、カレーは辛口派
ララ、いつのまにきみのなかに、はいったの。
朝から地続き、昼、そして、夜のはじまりの頃、懐かしんで聴いていた曲の「きみ」に、すこしだけララの面影を感じて。もう、春はすぐそこまできていることを、おしえてくれる、風が、窓を大きく揺らしたとき、一瞬だけ、ララの気配がして、それが、気のせいだと思っていたのに、きみのなかに、ララがいるものだから、おどろいた。わたし、本屋さんで見つけた、世界の美しい教会の写真集がほしくて、きみに、アルバイトをしようかなぁとこぼしたら、いいんじゃない、って、きみのくちびるから、ララの声がして、ほんとうにおどろいたよ。きみの部屋の、きみのなかに、ララはいて、わたしのことを、じっと見つめてくる、きみのまなざしは、きみではなく、確かにララだった。むだなものを置きたがらない、つめたいくらいにすっきりとした、きみの部屋に、ララ、という極彩色の、調和など無視した、ごちゃごちゃした感じは、なんだか不釣り合いだった。わたしは、ララが、手を伸ばせば触れられる距離にいることに感動しつつも、きみ、という存在のことを想った。ララがはいった、ということは、きみのからだのなかには、きみと、ララの、ふたりのにんげんがいて、それで、いまは、きみはララなのだ。きみ本体は、おそらく眠っていて、逆に、きみが、きみのときに、ララは眠っている。ララとは、そういう仕様であることを知っているのは、わたしと、あと、ほかに誰がいるだろう。この世界に、ふたりのにんげんで、ひとつのからだを共有しているひと、というのは、そもそも、果たして、いるのだろうか。(もしかして、わたしと、ララと、きみは、とくべつ?)
アルバイトするなら、かわいい雑貨屋さんとかにしなよ。もしくは、制服がかわいいところ。
きみがつくったカレーを、まるでじぶんがつくったかのようにかきまぜながら、ララは言う。なんだか、こういう、ちょっと俗っぽいところが、ララだなぁと思い、わたしは、テレビのチャンネルをかえる。月曜日のテレビ番組って、なんか、みんな、不安定。
ララ、カレーは辛口派