する私



「雨がざあざあと降っているのに、ベランダに洗濯物を干し続けるのなら、あの明るい部屋に居る本人には余程の理由がある。」
 その日の天気予報でも報せていました。降水確率は五十パーセントを超えています、おそらく雨は降るでしょう、と。外を歩いて見えていた曇天模様は濃い色をしていて、気のせいか、午後の予報に先んじて大粒の雨は一滴ずつ、私の顔に当たりました。窄められた雨傘をいつでも開けるよう、私は止め金を外し、最新の天気予報を情報として仕入れました。雨が降る前のあの空気を肌で感じて、早く歩きました。あの部屋の中にいる人はこの空気を感じられないかもしれません。けれど、あのベランダから曇り具合は見えるでしょう。雨が降りそうと気付けるでしょう。予報を知ろうと動くでしょうし、もう降り始めたか、とあのベランダから外の様子を窺うでしょう。そうして、もう降っている、と気付けば干した洗濯物をきっと取り込む。そのときに初めて、ベランダ側の窓が開けられるのです。
 報せます。いま、雨はもう降り出しています。ぽとぽと、と降り始めてからざあざあ、と降り続るまでに長い時間はかかりませんでした。
 風は向こうに吹いていて、その向こう側にはベランダがあります。そして、ベランダに干された洗濯物はポールに掛かったままです。だから、恐らく濡れています。余すところなく濡れています。


 雨に濡れたい人はいるでしょうけど、濡れたくない人も多いと思います。
 だから今、この路地を歩く人は私だけです。私と、空を飛ばないあの鴉だけ。黒い鴉と、水色の傘を手にした私だけ。肌色のトレンチコートを着ている私を温めてくれる、灰色のニットに合わせたジーパンは濃い青で、ショートブーツは黒い色、歩く歩道はアスファルトの色。まだ降っていなかった雨の予感に満ちていた今朝を彩る数少ない色々に、私たちは重なり続けました。
 かあーっ!と強く鳴く鴉の旋回の中心は、きっとあの部屋で、私が足早に向かっていたのもあの部屋です。目的地は同じ、あの部屋に向かう理由もきっと同じだと思います。
 生きている証を見つけるため、そして見つけた証が本物かどうかを試すということ。
 あの部屋以外の、どんな部屋からでも漏れる灯りは虚飾の可能性があるという定説を私は信じません。信じませんけど、明かりが消える可能性はある。明かりが消えるとき、鴉の運命が決まり、明かりが点いたままなら、私の衣類が豊かになる。電撃的に走るニュースに沸いたネットワークから生じる上昇気流に乗って、私は舞えます。華麗に舞います。その未来を私は信じる。だから足早に向かっています。ざあざあの雨に打たれて、私は明るく向かっています。


 鳥類の社会的認識は高度である、と教えてもらっています。このことは、あの鴉の行動から窺えます。だから、あの鴉は私のライバルです。
 空を飛べるアドバンテージは、同じヒト科の情報を扱えるアドバンテージで競います。あの鴉より、私の情報は正しいのです。放射線を捉えることはできないヒトですが、同じヒト科の行動の意味を把握できます。したがって、時と場所に応じた適切な対応を先に取れるのは私です。鴉の鳴き声に込められた意味内容は、ヒト科にはすぐに理解できない。同じ鳴き声で呼びかけて、振り向いてもらえるのはきっと私です。本当の鴉の濡羽色は、ヒト科の私が濡らした前髪一本に勝てるわけありません。喩えは、ヒトの身にこそ使って効果を発揮するでしょう。本当に濡れた鴉の身に、動物の保護という意味以上の関心が生まれるとは思えません。卵を温める暖かさは哺乳類である私にもあります。そこに深い意味を込めることは、鴉にはできないでしょう。
 大事なのは色気です。五分五分の勝負を決定的なものにする、ヒト科の持ち味があるのです。こうして外を歩いているときには隠している私の本心と、裸のあちこちにそれがある。
 そんな台詞を、甘いお菓子のように舐めています。自信になるのです。
 自信に満ちた私は今もこうして水溜りを飛び越え、広げた両手で地上に着地します。
 逆さまに写る私の顔を見に、後ろ足で戻ることもしばしばです。


 ところで、雨に唄われる曲は何でしょう。
 約定解除権の発生原因事実を奪われて、二度と戻らないことを嘆き悲しむ人たちの哀歌になるでしょうか。
 更新をわざと遅らせた契約書のカタログを乾かす手伝いをしていたときに思ったことです。
 書面の文字は滲んでいました。
 取り扱いに欠けていた誠意を私が手作りし、任意の句点にぶら下げてみたところ、暖房機の熱気に揺れて楽しそうだったのを話しました。
 先生がそれをメモをしていて、歌詞にしてくれたそうです。あとはメロディだけになります。どのような曲になるでしょうか。やはり、雨の中で踊りながら、唄いたくなるのでしょうか。
 期待に膨らむ胸を押さえて、大事な二つ目をここに報せます。


 路地をもう少し進みます。
 到着地点は間も無くですから、好みを少し明かします。
 私は、リフレインが好きです。
 『四月は君の嘘』にも溢れる要素です。
 晴れた二月のある日、降り終わった雨が染み込んで、灰色を濃くした路面に照り返す光はありました。レンズに代わる水滴がそこら辺の建物に付着し、木々を新鮮な印象に包み込んで、私の瞬きを何度もさせてくれました。マスクから漏れる二酸化炭素に曇りやすい眼鏡を外しても、見えるものは輝きました。
 雨上がりのカタツムリ、という発想はもう古いのでしょうか。たしかにその日、その姿を見つけることは叶いませんでした。
 でも、赤や青い色をした車のボンネットで休むカラスは見つけることができて、少し話をしました。雨宿りの日の過ごし方、雨が上がる前に歩き出したこと、雨に打たれて鳴き声が変わり、雨があがる頃には呼び名をカラスにすると決めたことを、順を追ってカラスたちが話しました。
 私は、歩いている目的と目的地、傘を持っている理由、曇天模様の朝にしたこと、ライバルの鴉との関係、あの部屋の明かりとベランダに干された洗濯物に対する思いをカラスたちに向けて話し、雨があがったことと、またいつか降るだろう雨になる日のことを話し合いました。トレンチコートの肌色と、雨に濡れたカラスの羽根の色は、昼日中の陽光に熱されて、色褪せてもおかしくないくらいに長い時間を過ごしました。
 名残惜しい別れとなりました。
 カラスは一羽、二羽と飛び立って行きました。街でよく見かける鳩のように、灰色の身体が澄んだ晴天に小さく消えて行きました。
 私はというと、眼鏡をかけ直した視界に延びる、より雨が深く染み込んで真っ黒になった路地をじゃりっと進む前に、一度だけ、振り回した青い傘から飛び散った水滴をもう雨と呼べない不思議にほほ笑みました。
 そうして先に向かいました。
 曇天模様に向ける思いがありました。


 雨はざあざあと降っています。
 洗濯物は干されています。
 明るい灯りは向こうに見えます。だからあの部屋に、本人はいるのだと思われます。
 鴉との競い合いの結果は、私が身に付けている時計の長針がオレンジ色になったことで確実になりました。しかし、疑問は尽きません。
 なぜ、あの人は洗濯物を取り込まないのでしょう。死んでしまったのでしょうか、と鴉なら鳴き喚くところですが、ヒト科の私はもう少し悩みます。うーん、と声に出して悩みます。
 強い雨脚は、私が開いた水色の傘を強く打って喧しいので、歌うのに適した状況とは言い難いのですが、私にしか聞こえない鼻歌は私の気持ちを弾ませてくれます。うーん、とフンフーンを混ぜ合わせ、あの部屋の下、ロダンの彫刻より動かない私の姿を神様が見ているのです。
 あの明るい灯りの中にいる本人は、余程の理由と語り合っているのでしょう。うたた寝の中で夢を見ていているのなら、より幸せだと思います。
「私の手に触れて流れる雨の冷たさは、私の傘の、柄の部分をはっきりと自覚させ、ある種の感情のお尻を蹴飛ばす勢いで、私の心の中に吹き荒れる。顔が赤くなり、足元がびしょ濡れになるのもお構いなしにあの部屋の足元から走り去りたくなるこの気持ちを、恋と呼ばずに、恥ずかしさと名付けることができたあの日の私を、私は誇らしく思う。」
 若かりし頃の先生が綴った文の塊を暗記している私が、あの部屋を見上げます。曇天模様の早朝に明るい光を浮かべるあの印象を、綴る日々です。
 からからと開かないベランダ側の窓の向こうには、何があるのでしょう。
 雨はざあざあと降っています。洗濯物はすっかりびしょ濡れです。私も例外ではありません。あの部屋の中から見れば強い雨脚の線に引かれて、私の姿かたちはこの世から消えているでしょう。


 濡れてきた、私のショートブーツを見つめて思ったことです。
 私は反語法を好みません。でも、『オリガ・モリソヴナの反語法』は好きな一冊です。
 捻れたものに噛み合う捻れは、歯車の動きと力を生みます。その仕組みで進む時はあります。
 捻れたものを捻れたままに残すことは、捩れる前の形態と時間経過の証となります。あの頃、と思い出して語れるのです。
 反語を尽くすオリガ・モリソヴナ、反語に触れるオリガ・モリソヴナ。
 反語を知らなかった頃の彼女は、読み終えた後だからこそ想像し難いです。でも、反語法を用いる彼女の背後に延びる人生の歩みの壮絶さ、一歩一歩の強さは道のりの長さとうねり方で分かります。ノンフィクションに包まれたフィクションが生む物語としての嘘が彼女の人生に命を与え、裸足を刺激するちくちくとした温もりを、シンクロする鼓動と共に私の足の裏から伝えてきます。
 表立って見えないものを明かしていく推理小説のような展開をとるお話なのに、心の今が問われています。
 私は反語法を好みません。
 でも、彼女にはとても好ましい感情を抱きます。憧れ、と簡単には言いません。
 そんなことを思っています。
 だからこうして、裏返すのでしょう。
 私の言葉はそうなのです。
 私の言葉は、そうなのです。


 雨宿りをしない鴉に投げかける言葉を持ち合わせていない。
 ヒト科の私が去る頃。


 慌てた様子でベランダ側の窓が開かれ、「あちゃー!」と急いで衣服を取り込む様子がありました。
 そう、知らない誰かが書いたのでしょう。
 そういう日々を愛する私です。
 私は今、部屋の中にいます。灯りを点けたり、消したりして、ベランダに洗濯物を干したりしています。そういう時、やっぱり気になるのは天気模様で、予報はスマホでチェックします。降水確率三十パーセントがボーダーラインでしょうか。慎重を期して取り組みたい性格です。部屋干しには工夫をします。
 傘は二本あって、そのうちの一本は水色です。あまり使いませんが、捨てようとも思いません。トレンチコートは乾かして、クローゼットで眠っています。ショートブーツは、まだそこにあります。片付けをサボったわけではありませんよ。
 いつか出かけるための準備なのです。
 朝に備えた心がけです。
 私は雨も好きなのです。
 ぱらぱら、と私が見上げて表します。
 そういう、空模様です。
 

 デスクライトは明るくて、LEDは机の上のノートを照らしています。
 今、書かれた私の傘が閉じました。
 くるっと綺麗に窄まれました。
 細くなったスタイルで、私は路地を軽やかに走り出します。


 それとも、次のように言い換えましょうか。
 五分五分の運命を決定的なものにする、ヒト科の心があるのです。それが鈴のように転がってきて、私の手の中で鳴っています。

する私

する私

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-02-19

Copyrighted
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