傍らの死線
シセンと視線と死線の連想ゲームで出来た話。最後の方、個人的には少しBL風味がすると思う。少しだけ。ほんの少しだけね。
僕らは同じ景色を見ることを望んでいるけど、僕の世界も君の世界もまったく違うんだから。
シセン
視線。背後から貫かれるような、内側から凍り付くような。そんな視線を、物心つく前から漠然と感じていた。得体の知れない”それ”を周囲の大人に主張するたびに、誰もお前の事なんか見ていない。自意識過剰なんじゃないのかと、邪険にされたし、嘘つき呼ばわりされたこともある。彼らが、自分の言動にどんな反応をするかは、幼い頃に学習したので、小学校の高学年になるころには、視線のことを誰にも話さなくなっていた。実のところ、慣れてきたっていうところもある。刺されるようなこの視線が、自分の日常の一部と化しているのだ。慣れは恐ろしい。違和感も、日常の一部になってしまう。こうやって、違和感を飲み込んで個の独特の個性が培われてゆくのであれば、なんて歪んだ成長だろう。なんて、歪んだ世界だろう。
視線は、こうして僕の日常に溶け込んでいるわけなのだけれども、けして存在が希薄になったわけではなく、僕の中に“シセン”として、確かに存在する。これが、僕の世界である。
言葉を話すでもなく、僕に触れるでもなく、ただ僕の世界の片隅に存在しているもの、それがシセンである。
シセンは、基本的には僕を一日見つめている。はじめのころは、監視されているような気持ちになっていたけれど、最近では見守ってくれているのではないかと思うことがある。昔は、ただ怯えるだけで感じ取れなかったシセンの気持ちが、こうして大人になる頃にはなんとなくわかるようになっていた。誕生日、入学式、卒業式。カゾクよりも暖かく見守ってくれてたのは、紛れもなくシセンだった。
今考えてみれば、僕が窮地に立たされている時に、一番怒ってくれたのもシセンだった。
そして、僕のカゾクは。みんな、逝ってしまった。僕の仮族は………。
知らないふりをしていた。見えないふりをしていた。血のつながりも、僕と彼らの間の溝も。僕とあなたの間にある、透明な壁も。知らないと、ただ、言い聞かせて。僕は、布団の上で毎晩蹲っていた。ただ、それだけの話だった。付き合いだした恋人たち。燃え上がる友情の最中の子供たち。よく考えてごらんなさい。全てを知ることは、はたして幸せなことだろうか。誰かの心の内側を知ることが、本当に幸せなことだろうか。
見ないふりをしている。
それでも、空気や音は教えてくれる。彼らの鼓動は、僕に残酷な現実を伝えようとする。
知りたくなくても、解ってしまった。
これが本当に幸せなことだと思いますか。
知らなければよかった。そんなこと、沢山ありすぎて。知らなければよかった。僕はきれいな人間ではないから、少し捻くれた考え方をしてしまう。失敬。
何も感じずに。できれば、何にも怯えずに。ただ、息をしていたいんだ。
何も考えずに。何も知らずに。ただ、笑っていたかった。
周りの景色が、ぼんやりとして見えるように。眼鏡をわざと外した。自分を取り巻く、都合の悪いものを見たくなくって。いつも宙ばかり眺めていた。
それでも、感情の情報は流れてくる。間違いなく、僕はそれを傍受している。
何も感じなくなればいい。何も感じなくなればいい。空っぽになってしまえばいい。
このまま、空になってしまえばいい。
全部無くなってしまえばいいのに。
僕は、茶色い小瓶に手をかけた。
まぁ、解るだろう?少しばかり魔が差したのだ。
死線
ピロピロピロピロ…ピピピピ…ピピピピ…ピピピピ…ピピピピ…
先ほどから、左の人差し指を曲げると、俺につながれた機材が大声で人を呼ぶようで、音がして人が来て止めてってのを繰り返している。だから、この機材をなるべくおとなしくさせるために、目覚めてからというものどうにかこうにか人差し指をまっすぐ保つことに集中していた。
ああ、音が。こびりついて離れない。ずっと、音がしている気がする。そして、酷い吐き気。ベットの上のに置かれた容器に、吐瀉物を吐き出して唇はがっさがさにむけていた。もう、何度吐いたかわからない。腹になにも入っていないから、吐き出すのは泡と、それに混じった茶褐色の塊だ。左手首に刺さった、点滴の針がじりじりと痛い。
仰向けで、吐き気が酷くて、寝返りをうとうとすれば、腹部をベルトのようなものでベットに固定されている。ぼんやりと、揺れる視界で辺りを見渡せば、窓のない部屋。ああ、自殺防止か。まあ、そうか。普通はそうなる。
肉体は満身創痍だが、頭は酷く冴えわたっていた。
どうやら、俺は生き延びたらしい。
どれだけ、冴えわたっていたところで、身動きが取れないのは変わらない。このベルトをどうにかしないと、点滴を引き抜いて逃亡することもできない。そもそも、ここはどこだろうか。病院であることは確かだろう。
ああ、また生き延びてしまった。目が覚めて一番最初に浮かんだ言葉はそれだった。理解した瞬間、絶望の底に突き落とされたようなそんな気持ちにさいなまれる。感情に動きがあるということは。感覚があるということは。紛れもない生きているということに他ならない。足りなかったか。そう、思った。
計算を間違っただろうか。いいや、今失敗の原因を考えても仕方がない。自分の目の前に突き付けられているのは、生きているという現実なのである。こうやってベットに拘束されている以上、目当ての薬が手に入る確率が低い以上、薬の過剰摂取でデットラインを超えるのはかなりハードルが高い。窓のない病室。出入り口には監視が一人。さて、どうする。考えたところで、さっきも言ったが、この拘束が解けないとどうしようもない。先ほどから、眠るふりをして、指先の感覚で拘束具の仕様を確かめているわけだが。大きいボタンのようなもので留められていることがわかった。しかも、この留め具、右に回しても左に回してもびくともしない。ネジ式ではないらしい。薄目を開けて、少し離れた場所にある、テーブルに目を移すと、黒いキャップのようなものが見える。ああ、おそらくあれではないだろうか。拘束された状態じゃ、テーブルに手すら届かずに落ちた。
ああ、肉体の可動域が足りない。腕の長さが足りない。いや、まて。単純に。薬の量が足りなかった。今の不自由も、満身創痍の肉体も。死にきれなかった。全ての最悪はそこから始まっている。だが、くよくよしている場合ではない。今の状況を、どう打破するかが問題だ。前を向け。
目をつむり、シセンに意識を巡らせる。シセンの端の方で縮こまっているようだった。あわよくば、僕の逃亡を手伝ってはくれないだろうかとか、あてにならない希望を押し付けてしまいそうになる。だが、それは間違っている。僕が死ぬも生きるも勝手にするように、僕を助けようと助けまいとシセンの勝手なのである。
『お前は、大事なことをまったくわかっちゃいないな。』
低い声がして、そちらに視線だけ向ければ、シセンと目が合った。今まで、声を発することなく、自分の傍にいた彼?が、初めて僕に対して声を発したのだ。
『なんでお前が、奴らに育てられたのか。なんで、死にかけてこんな場所に運ばれているのか。なんで、俺があの事故の時お前以外を殺したのか。お前はなんにもわかっちゃいない。お前がが何者であるかも、俺が何者であるかも。』
金縛りにあったみたいに体が硬直して、声一つ発することができなかった。
『音も、鼓動も。感情を。お前の周りの悪意を全部伝えてやっていたのに、お前はそれに蓋をしようとした。苦しいからって、悲しいからって、見えているのに見ないふりをして、問題の本質が一体どこにあるのかなんて、そもそも、考えることをあきらめていた。』
そうだろ?と言われて、返す言葉もない。
五感を通して伝わってくる感情を、見ないふりをして生きてきた。本当は、すべてわかっているのに、見てないふりをして本題から逃げていた。そもそも、この悪意はいったいどこから生まれたのか。僕は、どこから来たのか。そもそも、僕は何から生まれたのか。
『わかったなら、とっととすべてを知ってしまえ…』
そういって、シセンは僕に初めて歩み寄った。
ああ、なるほど。
そういうことか。
試験管
試験管の中で、乳白色の塊がブクブクと泡を吐いている。
細胞分裂を繰り返す。それが管理されている部屋は、温度の管理が重要とされ、常に集中管理室にて温度が一定に保たれている。
作業員は、このずらりと並べられた試験管の一つ一つに栄養となる薬品を少しずつ垂らしてまわる。
彼らは、人間を作りたかった。彼らは神になりたかった。戦いで傷ついても惜しまれない人間を。いなくなっても、誰も悲しまない人間を。
この部屋に並べられた試験管の一つ一つに、命が宿っていた。そんなことは、作業員には関係がない。成長ができなくなったものは、すぐに破棄される。慈悲も救いもありやしない。
感じないか?視線を。廃棄されてゆく彼らが、今日もまた生き伸びた僕を見ている。昨日まで、仲間だと思っていたものが、不条理にも廃棄されていく。羨ましそうに、そして悲しげに。彼らは、僕にあばよといって廃棄されていく。本当は、君の隣で生きていたかったのだと、感情で悲しげに笑って、死んでゆくのだった。
いつだってそうだろう。
作られた食事、食べられなかったもの、廃棄された残飯。交わって生まれた命、注がれなかった愛情、受け取られなかった愛情、消えていく命。はぐくまれてきた幸せと、死に向かう恐怖。あなたの死と、悲しみと。君の死と、絶望と。
誰かの都合で作られた命が、誰かの都合で死んでゆく。
部屋も外の世界も、変わらないはずだ。だが、部屋の中の方が少しばかり、その都合というやつを、押し付けられすぎなのではないかと僕は思った。贔屓だってしたくはなるさ、僕はここから生まれたのだから。
肉体が消えたら、命はそこで終わるだろうか。君が死んだら、魂はどこに消えてしまうのだろうか。魂が消えてしまうのであれば、君はなぜここにずっといるのだろうか。
視線。ああ、シセン。死線。そうか、シセン。
君の魂は、僕の魂とずっと共にあったのだ。デットラインを飛び越えても、僕らの魂はずっとここにあった。君は、ずっと僕の隣で生きていたのだ。
赤ん坊以前の記憶は、成長するにつれて失くしてしまうという。
仮族が僕に冷たく接したのは、僕は人だと思っていなかったからなのかもしれない。
僕は、君を忘れてしまっていたんだね。ごめんね。ほんとうに、ごめんね。
これからは、君と共に生きてゆこう。
同じ世界を見て歩こう。
デットライン
ああ。そうか。
僕の意識が戻った瞬間鮮血が飛び散った。拘束具はバツンと音を立てて外れた。僕の頬についた血を手の甲でぬぐって、目の前の屍になんか目もくれず点滴の針を引き抜いた。動脈に刺さっていたようで、手首からかなり出血しているが、僕の体なら、しばらくしたら止まるだろう。問題ない。手首から、ぼたぼたと血を垂れ流しながら、部屋の外に出る。
ここはね。病院なんかじゃない。僕の故郷みたいな建物。僕はここで生まれたのだ。ここの人間は医者ではない。戦争の人員不足を補うために人工的に人間を作る研究をしていた、僕らを作った技術者だ。よくもまあ、こんなに丈夫に作ってくれたものだ。薬が足りなかったんじゃない。僕が余っていただけだった。
誰かの都合で作られて、誰かの都合で死ぬ。それは、僕らも彼らも同じではないだろうか。僕を作った彼らだって、僕らを使おうとした奴らだって、みんなそうだ。
だから、誰かの都合で生まれたあなたを、僕の都合で殺しても問題ないよね。
僕の背後から、シセンが黒い腕を伸ばして彼の首を締めあげている。声にならない声を必死に上げて、助けてくれとこちらを見るけど。
あなたも、同じことを平然と繰り返していたのだ。僕の同胞を何人殺したかわからない。あの頃とまったく変わらないね。さようなら。
血の雨雲が通った。
僕は施設の屋上に上った。
屋上から見える景色は緑豊かできれいなものだった。風が僕をやさしく凪いで、太陽の日差しが僕に笑いかけていた。
『おい。』
シセンが僕に語り掛ける。
『お前はまだわかっていない。俺たちは、共に生きられない。同じ景色を見られない。』
なんでそんなに悲しいことを言うのかと、僕は彼につかみかかろうとした。
『本当に、生まれた時から呑気な奴だとは思っていたよ。あいつらがお前をただの兵士に仕立て上げるために生かしておいたと思っているのか。本当におめでたいやつだよ。』
シセンは僕の手を握った。晴れていた空は、急に暗くなり、強い風が吹き始める。ぽつぽつと、顔に雫が落ちてきて、空が泣いているのだと錯覚した。僕はしばらく、握られた手を見つめていたが、シセンがぎゅっと握る力を強めたので顔をみる。目を瞑っていた。悲しげに、眉根を寄せて。彼は目を瞑っていた。目が開かれて、視線がかち合う。
『あいつら、本当はお前を媒体にするつもりだったんだ。俺の端くれが、作業員のミスでお前の試験管に混入していたなんて、誰も思いもしなかったんだ。さっき殺した作業員なんて、自分がしたミスを理解せずに死んでいった。俺は、絶対あいつらにお前を渡さない。赤ん坊になる前から、ずっとお前を守ってきたのは俺なんだから。お前は俺のだ。』
…ん。
いきなり後頭部を掴まれたかと思ったら、深く口づけられた。体の力が抜けていくのと一緒に、今までに感じていたシセンの感覚が抜けていくような…そんな感じ。今までずっと一緒だったのに。寂しくて。悲しくて。涙が出る。…まってくれ。行かないで。お願いだ。僕の隣から、消えていかないでくれ。僕を…一人にしないで。
自分の中の一部が、欠落してしまったような。必要な部品を失くしてしまったような。胸にぽっかりと、穴が開いたような。そんな感覚にさいなまれ、僕は膝から崩れ落ちる。
崩れ落ちた僕を、シセンは優しく座らせて、頭を撫でた。
撫でていた手が頭を離れて、彼は僕に背を向けた。彼に纏わりつく黒い煤がより一層濃くなっていた。そのまま戻ってこない気がして、遠ざかる背中に手を伸ばす。待ってくれ。お願いだ。
…いかないで。
やっとのことで発した声。彼がこちらを振り返る。彼は何も言わなかった。そのかわり、見たことがないぐらい、穏やかに笑っていた。
彼らが作っていたものは、人ではない。
全てを根絶やしにして、もう一度一から始めるための、命を媒体とした兵器であった。
彼らは、神を作ろうとしたのだ。
シセンは、屋上のコンクリートの縁を軽く蹴って落ちた。
眩しい。視界が光で包まれる。全てを無に帰してしまうような空白が、世界を瞬く間に飲み込んだ。大きい音がしたような気がするし、突風に全身を引き裂かれた気もする。それらは、空白の世界の中で起きた、一瞬の出来事だった。
大切なものはいつだって、失ってから気づく。気づいたときには、煤みたいに掌からするりと抜けて、風に吹かれてどこかへ消えてしまうのだ。
相対
そう。無だ。無に還った。全てあるべき場所に還ってしまった。では、僕はどうか。僕の命と引き換えに、シセンは自らの命を枯らし、世界中の生命を巻き込んで消えてしまった。あの日の掌の温もりも、唇の湿り気も。何もなかった事みたいに、すべてが消えて無くなってしまった。
シセンが消えてしまってから、もう400年だ。足元には、草木が生え始めている。消えた命が戻りつつある。
会いたい
目じりから流れた水分は、大地を潤し生命の源となる。
シセンが世界を終わらせて、僕が世界を再生する。はじめから、こうなるように仕組まれていたとしか思えない。出来すぎた話だ。
全てを知って、僕はここに存在している。これが本当に幸せなことだと思うかい。
あいたい
僕はいまだに君と同じ世界を見ることができないらしい。
―願わくば、次に産まれるその時は、君と同じ世界を見ていたい―
傍らの死線
詳細はあんまり書いてなかったんだけど、技術者たちは神を作りたかった。神になりたかったんじゃなくて、神を作りたかった。たぶん。んで、破壊と再生の要素を、主人公に持たせた。(主人公、名前出てこないんだけど、ヨツバって名前だ)
だから、ヨツバの中にシセンの肉片があることは想定内の話だったんだ。それを、どうやって稼働させるかが問題だった。魂自体が、兵器そのものだから、仮族の皆さんも仕事で冷たくして、職員が殺されるのも想定内の話だった。
基本的に大きな出来事には裏がある。世の中のことは、けっこうな確率で仕組まれている。