朝明け

篠原いずみ

  1. 朝の憂鬱
  2. 繰り返しの日々
  3. もっとやせたい
  4. 三者面談
  5. 長患い
  6. 喜び、悲しみ
  7. 全日制高校
  8. ある晴れた日
  9. わからないということ
  10. 仲間
  11. 朝明け

朝の憂鬱

いつからだろう。朝が来ることが、こんなにも苦しくなったのは。
いつからだろう。生きていることが、罰ゲームみたいに思えるようになったのは。
朝明けの光が眩しすぎて、私は目を閉じた。
このまま静かに、死んでいけたなら。

「朝御飯、食べないの?」
階下のキッチンから呼び掛ける母の声を無視するように、私は階段をかけ降り、足早に家を出た。
私が食事を抜き初めて、もう一ヶ月くらい経つだろうか。
きっかけはクラスの友達のちょっとした一言だった。
「咲希、私より体重重いじゃん」
他の友人もいる前で、そう言われた。
少し前にあった身体測定の値を見られていたのだ。
気にしていただけに、きつかった。それまで自分なりにダイエットもしていた。
でもだめだ、もっと頑張らないといけない。
こんなんじゃ、誰にも受け入れてもらえない。

繰り返しの日々

毎日毎日、日々の暮らしは同じことを繰り返しているみたいだ。
朝起きて、顔を洗って、着替えて、毎日同じ音楽聴きながら予習して、学校行って、いつものように授業受けて、帰って、勉強して、お風呂入って、寝る。
正直、食事の時間がしんどい。
朝食は抜くとしても、学校は給食の時間がある。夕食は家族でとらないといけないし、残したら叱られる。ダイエットしてるし、できるだけ食べずにいきたいけど、そうもいかないし、心配されるのも嫌だ。給食の時間は、申し訳ないけどおかずは残して(残飯にしても目立たない)、ごはんと牛乳は仕方なく食べ、飲む。夕食が問題だ。
残そうとすると必ず母の横やりが入る。
「咲希!あんた最近朝も食べてないんだから、晩くらいちゃんと食べなさい」
「お腹一杯なの」
「どこか体の具合悪いんじゃないの?一回病院に……」
「大丈夫だって。ごちそうさま」
「ちょっと咲希」
お父さんは何も言わない。言ってほしくもないけど。
いつものように階段をかけ上り、部屋に引きこもる。
この部屋だけが安心できる場所かもしれない。
部屋のすみに置いている体重計に乗る。
ちょっとずつ減っていくこの目盛りだけが、今の私のなぐさめだ。

もっとやせたい

「咲希ちゃん、最近やせたよね」
休み時間、唐突にそう言われて驚いた。
仲良しの彩音だ。今は別々のクラスにいるけれど、小学校からの付き合いだ。
「そ、そんなことないよ」
「でも顔のラインとかシャープになった気がする」
「まあ、ちょっとね……」
「あー私もやせたーい!」
そういえば彩音は最近気になる人がいるとかで、きれいになりたい、としきりに言う。
「ねえ彩音、なんか用事があったんじゃ」
「そうそう美術の教科書借りにきたんだった」
「美術だるいよね」
「ねー」
教科書を手渡し、教室に戻りながら、彩音の言葉を思い出していた。
私はそんなにやせただろうか。自分であまり実感できない。太もももふくらはぎもまだ太い。もっとやせたい。最近そんなことばかり考えている気がする。

三者面談

夏がきた。私は相変わらずダイエット続けている。
最近頭の中が食べ物とダイエットのことで一杯になって困っている。
やせたい。でも食べたくなる。食べたら太る。だから食べるのが怖くなってしまう。

そんな私が見つけたお楽しみは、料理本を読むことだ。空腹で眠れない夜は、母の料理本をこっそり持ち出して、ベッドの中でパラパラ読む。目で食べるのだ。
でも時折アイスクリームなんかを実際に食べすぎてしまうことがあって、そんなときこの世の終わりくらい落ち込んでしまう。体重計の目盛りがちょっと増えただけでとてつもなく恐ろしい思いに襲われる。このまま太り続けたらどうしよう。それを思うといたたまれなくて、ダイエットをやめられない。いやもとより、やめる気なんかなかった。どこまでもどこまでもやせたい。
気を紛らせるために勉強に励めるのは良いことだ。おかげで成績も上がった。母親も父親も誉めてくれなかったけど。

学期終わりに三者面談があった。席に着くなり、担任の山田先生はこう言い出した。
「咲希さん、最近体調は大丈夫ですか?休みに入りますし、一度病院を受診された方がいいかと……」
しばらく沈黙が流れた後、母親が口を開いた。
「そうですね……この子、最近まともに食事もとらないし、病院も行かないの一点張りで。困っていたんです。」
私は黙っていた。大丈夫だ、と言いたかったが、言えなかった。
「夏休みにしっかり治して、また新学期に元気な顔を見せてください。ね、咲希さん」
私は担任にそう念を押され、病院に行かざるを得なくなった。

長患い

病院では、通院するたびに体重を量られる。なんだか審査されているみたいで嫌だった。そして点滴とカウンセリング。カウンセリングではほとんどしゃべれなかった。だって、私はダイエットしているだけで、何も話すことはないと思っていた。

そしていよいよ私の体重が30キロを切ろうというとき、大きな病院へ転院することを強く勧められた。つまり入院だ。私は拒んだけれど、説得というか、なかば強制というか、私の命に危険があるということで入院することになった。
となり町の大きな病院には、父親が車を出してくれた。入院するのは初めてのことだった。私は最後まで入院に抵抗していたが、入院先の看護師さんが病棟までにと用意してくれた車椅子に腰かけたとき、心の中でぴんとはりつめていた糸がきれてしまった。

そして、私の長い入院生活が始まった。
山田先生は「新学期また元気な顔を」と言っていたが、私は新学期まるごと入院してしまうことになった。
この病気は、手術で治るものではない。手術で治ったなら良かった。でも、私が食べないと体重は戻らず、体重が戻らないと退院もできない。主治医は最初こう言った。
「いつ治る予定?」
ちょっとカチンときた。けれど主治医は気づいていたのかもしれない。私は主体性がなく、治療の意欲というものも薄く、病識も乏しいと。そんな私に前を向かせるためにこう言ったのかもしれない。
とはいえ、私はやせたくてこの病気になってしまった所があって、つまり目下やせたいわけで、食べるという人間の原点のようなことがうまくできなくなっていた。よって、なかなか治療は進まない。治療というのも、点滴をして、あとは食べる練習というか、毎回の食事が治療と言えるが、なかなか箸がすすまない。食べるのが怖い。一口で際限なく太ってしまいそうに思えた。
時折山田先生がお見舞いに来てくれて、クラスの様子を動画に撮って見せてくれたりした。彩音も何度も手紙をくれた。ただ、思うように治療は進まず、結局何度も入退院を繰り返し、気づけば一年近くたっていた。

喜び、悲しみ

何度目かの退院のとき、母と駐車場まで歩いていると、道路がぐにゃぐにゃしているように感じられた。私は長患いの成果としてすっかり歩くということに不慣れになっていた。

新しい学年になって、ようやく学校に復帰できるようになってきた。復帰当初、教室の固い椅子に座ると、むき出しの座骨が痛かった。
いわゆる保健室登校のような形で、私は少しずつ学校に行けるようになった。山田先生が私のために机と椅子を用意してくださって、私は保健室の住人になった。保健室の先生は楽しい人で、すぐに仲良くなれた。
勉強についていくのは大変だった。なにしろ何ヵ月も入院していたから。入院中少し勉強していたが、抜け落ちたところも多い。彩音がよくノートを貸してくれた。

少しずつ体が元気になっていくと、体重が増えて、怖くなった。でももう私は意固地に食欲と戦えなくなっていた。体重は順調に増えていった。長患いは人を弱くさせると思った。私は自分が老いたかのように思えた。

「咲希ちゃん、高校、どうする?」
ある日の放課後、彩音が私に訊ねてきた。
「まだわかんない」
「私、咲希ちゃんと一緒のとこがいいなあ」
なんだか涙が出そうだった。

全日制高校

春が来た。私はなんとか中学を卒業し、彩音と同じ公立高校に入学した。
高校は全日制で、やや校則が厳しい。
病み上がりの私には少しきつい所もあったが、なんとか頑張って毎日登校し、
皆勤賞ももらった。
彩音とはまた別のクラスになってしまって、彩音はそこで友達が何人もできて楽しそうだった。
程なくして彼女とは疎遠になってしまった。
私はとりあえず勉強についていくのが大変だった。
ストレスで過食にはしるようになって、何キロも太ってしまった。でももう前のようにはやせられなくなっていた。病院で体重を量られるのが怖くなって、通院もやめてしまった。

私を支えたのは、詩や文章を書くことだった。
朝早く教室に来て、一人、心に浮かぶことをもくもくと書いた。
それが私の生きている理由のように思えた。

「勉強?」
ある朝、教室いつものように物書きをしていると、声をかけられた。集中していたので、私は思わず声をあげた。声の主は同じクラスの佐々木君だった。
「あ、いや……趣味で文章とか、書いてて」
「へー、すげー」
彼とこんな風に話すのは初めてかもしれない。というか、私はあまりこのクラス自体に馴染めていない。
「また読ませてよ。俺、結構読書好きだから」
彼は朝練だと言って教室を出て行った。教室に忘れ物を取りに来たらしかった。
私は彼が去ってからも、しばらくあっけにとられたようにぽかんとしていた。
意外だった。私のすることに、しかも超絶個人的な趣味でしかないことに、興味を持ってくれる人がいるとは。
ただのリップサービスだったのかもしれない。でも、なんだか心に、小さな明かりがともったようだった。

私の過食癖はその後も続いていた。制服が入らなくなってしまったことを恥ずかしく思った。
この病気では過食した後嘔吐する人もいるらしい。でも、私は嘔吐するのが怖くて、できなかった。
体重は増える一方、私の自己肯定感は下がる一方だった。やせていた頃に戻りたいと何度も思った。でも、もう戻れないと肌身に感じていた。
だから、私は他のことでなんとか自分を保とうと、学校で行われている検定試験を片っ端から受けたりしていた。
私の内で誰かが叫ぶ。私には生きる資格がないと。まるで私は、無資格な自分になんとか生きる資格を得させようとしているかのようだった。

ある晴れた日

その日はある検定の試験日で、校内の試験会場となっている教室に入ると、そこには佐々木君の姿も見えた。
佐々木君は他の男子生徒と話していて、私には気づいていなかった。
そういえばあれから、相変わらず私は書くことを続けていたが、それを彼に読んでもらおうという勇気もなく、
自分から話しかけることすらできなかった。

検定が終わった後、筆記用具を鞄にしまっていると、佐々木君がこちらに向かってくるのが見えた。
「町田も受けてたんだ」
「あ……う、うん」
私はうつむくように答えた。だめだ。コミュ障がばれてしまう。って、もうばれてるか。私は脳内をフル稼働させ、絞り出すように言った。
「む、難しかったね……試験」
「だよな」
沈黙。
ああ、こういうとき何を話せばいいのか、私にはさっぱりわからない。日常会話能力ゼロだ。
「じゃあ帰るね」
私はその場をあとにしようとした。
「あ、待って。」
佐々木君は自分の鞄から何やら取り出した。
「町田は、文章書けるんだったら、読むのもいけるよね」
「え、まあ、読むけど……」
「これ読んでみない?」
そう言って、彼は私に小さな本を差し出した。
そこには、金ぴかの字で『聖書』と書かれていた。
二度目の沈黙。
「け……けっこうです!」
私は逃げるように走り去った。

わからないということ

佐々木君には悪いことをしてしまっただろうか。あれから話していない。
私は母親が一時期、新興宗教にはまっていたことがあるから、宗教の勧誘みたいなものには、拒絶反応を示してしまう。
佐々木君がどんな気持ちで私に聖書を差し出してきたのかはわからない。
私が弱そうだったから?悩んでいそうだったから?
頭の中でぐるぐる考えてしまう。
確かに、私は、弱いと言えば弱いし、悩んでいると言えば悩んでいるけど。
でも、自分が読んだこともない聖書を頭ごなしに拒絶してしまった形になったのはちょっと申し訳ないと思った。

私は休日、一人図書館に行って、そのぶっとい書物を開いてみることにした。
普段ほとんど見ることのない、キリスト教のコーナー。
ひときわ分厚いその本は、たしかにそこにあった。
書棚から、両手でゆっくりと聖書を引き抜く。ずっしりと重い。
そのまま、テーブルと椅子のある席まで持っていき、本を開いてみる。
昨夜手持ちのスマホで、少し調べておいたけれど、聖書はキリスト教のほか、ユダヤ教やイスラム教でも教典とされているのだそうだ。
(読んでおいて、損はないかもね。)
何か文章を書くときに役立つかも、そんなことを思いながらページをめくる。目次を通りすぎ、最初にあったのは「創世記」。名前くらいは、聞いたことがある。最初に書かれていたのは次の言葉だった。

「はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」

待って、最初過ぎてわからない。
そのあとの「出エジプト記」も、パラパラと読んでみたが、今一つよくわからなくて、だんだん眠気が襲ってきて、ついに本を閉じてしまった。
(わからん……)
私は、聖書が、よくわからないということがわかったところで、そっと書棚に戻し、図書館をあとにした。

仲間

なんとなく、佐々木君に謝らないといけない気がしていた。
でも、なかなかタイミングをつかめないまま、日々が流れていった。
そんな中、この前の検定試験の結果が、校内で掲示されるというので、
朝、見に行くと、佐々木くんと鉢合わせした。
「おはよ」
「お、おはよう」
しばらく沈黙がつづいた。
「落ちてたよ、俺」
「私も……番号なかった」
「仲間だな」
「……あの、佐々木くん」
「ん?」
「この前は、ごめん」
私は頭を下げた。
「いや、俺の方こそごめん。なんかいろいろ。よく考えたら、急に聖書渡されたらさ、びっくりするよな。押しつけがましかったよな。うちキリスト教でさ、聖書とか当たり前で。」
「……私、この前図書館で、聖書ちょっと読んでみたんだけど」
「えっ?」
佐々木君は目を丸くした。
「その、ちょっと、気になって。でも、よくわかんなかったっていうか。とりあえず、わかんないってことが、わかったっていうか。」
佐々木君は私の顔を覗きこみ、しばらく考えたのち、こう言った。
「じゃあさ、俺たち仲間にならない?」
「仲間?」
「聖書研究仲間。別に無理に改宗しろとか言わないし」

朝明け

あれから、私はまた別のクリニックに通院することになった。今も、完全に過食はおさまっていないし、朝の憂鬱が、なくなった訳じゃない。
でも、ほんの少しずつだけれど、季節がうつろい行くように、私自身も、変わっていくのだとわかった。
あのあと時々、佐々木君と「聖書研究仲間」として、色々な話をした。聖書の話、キリストの話、佐々木君の所属する教会のこと、学校のこと、日々の悩み、将来の夢。
佐々木君は将来牧師を目指すか、別の仕事につくかで悩んでいたが、それもこれも祈って「神のみ心」を求めるという。
以前私が拒絶してしまった小さな聖書を改めて渡してくれたとき、彼はこう言った。
「これは俺からじゃなくて神さまからのプレゼントだから」
そのプレゼントの意味に本当に気づくのは、それからまだ何年も先の話だ。

神さまっているのだろうか。いたなら私をどうしてこんな病のなかに投げ込まれたのだろうと、疑問に思うときはある。朝は相変わらずつらいし、生きるのはしんどい。
でも、私が気に入った詩篇の一節には、こうある。

「夕暮れには涙が宿っても、
朝明けには喜びの叫びがある。」(詩篇30:5 新改訳)

私の長い夜も、いつか明けるだろうか。喜びの叫びを、叫べるだろうか。

辛くても、悲しくても、それでも、また夜が明ける。
神様が用意された、今日という日が始まる。
朝明けの光は今日も眩しくて、私はまた目を閉じる。
情けなくても、無様でもいい。
今日を生きていこう。

朝明け

お読みいただきありがとうございました。
この小説は、私自身の摂食障害の経験をもとに書いたフィクションです。
私自身が聖書と出会い、キリスト信仰を持ったのは、大人になってからのことでしたが、
私の思春期があまりにも辛かったため、もしそのころにイエス様と出会えていたら、そのころ聖書をちゃんと読めていたら、そんなことを考えていました。
摂食障害で今も悩んでいる方がたくさんおられると思います。同じ病で悩む方の回復を心から願っています。

朝明け

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-02-15

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著作権法内での利用のみを許可します。

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