落下から始まる物語11
子供達が考える話です。
00210904ー3 それぞれの夜
「あなた、自分の立場を分かってるの」田中流子は、怒りの表情も露わに、メグルに詰め寄った。
「ええ。まあ、勿論」メグルは、どんな顔をしていいのか分からないので、取りあえず微笑しながら答える。
「クラブ活動ですって?クラブ活動!まだ授業も始まっていない内から、よくも、そんな呑気に・・・」流子はそこで絶句した。怒りで混乱して、言葉が出て来なくなってしまったのだ。
「もう、約束した事ですから。オシリスもアテナも、ここでは出来ない勉強をしなさいって・・・」
「あなた達は勝手過ぎるわ!」
流子は荒々しく床を踏み鳴らして、部屋を出て行った。
すでに会話で解決する段階ではなかったし、基本的には、オシリスとアテナの言うとおりなのだろうと、分かってもいた。感情に振り回されているだけだと、自分でも分かっていたが、どうにも出来なかった。
こんな、未熟者を所長に決めたのは、お祖父ちゃんの数少ない失敗ね。
流子は廊下の途中で立ち止まると、壁を力一杯叩いた。
痛い・・・
手が痺れる。
勿論、ビクともしない壁を睨みながら、唇を噛む。
「拳を振るうなら、自分の方が痛い相手に。」
それも、 流子が祖父から学んだ事だった。
「やっぱり怒らせてしまったなぁ」残されたメグルが溜息をつく。「色々迷惑してるんだろうし、仕方ないよね。」一部始終を見ていたアゼミを振り返って続ける。
「あれ?」アゼミは意外そうな顔になった。
「なに?」
「いやー、メグルさんには、そう見えるんだって思っただけ。」
「どう言うこと。」
「へへ、それこそ勉強だよ。」
得意気なアゼミの顔を眺めて、メグルはまた溜息をついた。
***
同じ頃、 然世子もベッドの上で溜息をついていた。
昨夜は殆ど寝ていないのだから、どう考えても眠い筈だったが、不思議と眼が冴えて眠れないのだ。ベッドに潜り込み、何度も寝返りを打っては、溜息をつくことを繰り返している。
眠気を誘おうと、ベッドに持ち込んだ本の山が、次第に高くなっていた。それは昼のメグルとの会話で出て来た作家の本ばかりで、 その殆どが、祖父の蔵書を父親から譲られたものだった。
然世子の携帯端末には、同じ作品の電子版が揃っていたが、紙の頁をめくる読書には、独特の楽しみがあった。
何度も読んだ作品でも、読み返すたびに新しい発見があるのが、然世子には読み手である自分の成長を確かめる貴重な体験になっていたのだが、そこに、かつて同じ頁を、父の指と祖父の指が触れ、並ぶ文字を二人の眼が追い、それを自分も繰り返していると言う気持ちも、大きく働いていた。
情報としての物語の価値と、所有物としての書物の価値と、確かな違いがあるわよね。
流石に重くなって来た瞼の下で、然世子はまとまりなく考えた。
明日は、カスガノ君とクラークの話をしよう。
ふと、自分の手を見て、 メグルの手の感触を思い出す。
想像していたより、ずっと柔らかくて暖かかったな。
微笑を口元に浮かべたまま、然世子は眠りに落ちていった。
***
茅は、難しい顔で携帯端末を睨んでいる。
彼女が睨む画面には、タナカ情報力学研究所の資料が映し出されている。
創立者の田中丈太郎は、情報力学と言う科学分野のパイオニアであり、茅でも名前を知っていた。
情報生命学の派生分野として始まった情報力学だったが、今ではその関係は逆転し、情報力学が幹で、情報生命学は最も興味深い枝の一つと位置付けられている。
田中丈太郎の構想は「情報物理学」の実現だったと言われているが、それが明らかになる前に、丈太郎は病死していた。
現在の研究所は、丈太郎の孫である田中流子が所長の座を引継いでいる。
元々、現代では珍しい私設の研究機関であり、茅の手に入る情報はその程度でしかなかった。
やっぱり分からないなぁ。
研究所内には、生化学、微細工学を扱う為の施設もあるし、確かに、分野として全く関係無い訳ではないのだが、茅には、この研究所とカスガノメグルとの繋がりが、今一つ腑に落ちないのだ。
あの子、自分の身体は備品だって言ってたんだよね。
メグルをクラブ活動の仲間として迎え入れる事が決まって、初めて、現在最高レベルのサイボーグが、高校生として自分の学校に通っていると言う事の重大性に、茅は急に気が付いたのだ。
坂本君たちの方が、現状を正確に把握していたのかも知れないなんて。
悔しさに、茅の眼つきが険しさを増す。
しかし、次の瞬間、坂本たちの連想から、茅はカフェテリアでの然世子の啖呵を思い出していた。
茅は、携帯端末を放り出すと、椅子の上で膝を抱えた。
大丈夫。サヨちゃんを守る位の力は、きっとあたしにだってある筈だよ。
膝の上に載せた茅の顔は、微笑を浮かべていた。
落下から始まる物語11
何かを守る為には、大人になるしかないって、子供の頃は思ってましたね。
守りたい大事な物が見付かった時に後悔しないように、早く大人になりたかったのを覚えています。