チョコよりも苦くて甘いもの

 チョコレート店の店員は世界一不幸に違いない。
 バレンタインデーにデートができないのだ。少し日をずらそうにも、前日までは予約の分を用意するのに精一杯で、2月14日を過ぎるとしばらく魂が抜けたようになってしまう。
「まあ、デートする相手なんていないんだけどね」
 空になったショーウインドーに向かって私は呟いた。
「お疲れさまっした」
 えらく軽い労いの言葉に、私はハッと顔を上げた。もしやこいつに聞かれたのでは。
「いやぁ、何とか無事に乗り切りましたねぇ」
 アルバイトの高校生、山元裕直はまったく疲れていない様子だった。くそぅ、私だって5年前……いや10年前までは、一晩や二晩寝ずに働いてもどうってことはなかったのだ。
「どうしたんですか、愛弓さん。怖い顔して」
 裕直は少し吊り気味の大きな目で私を見た。
「別に。この顔は生まれつきだから。あと、近い」
 するとヤツはケラケラと笑いながら、職場の人間同士に相応しいと思われる距離まで離れた。
「それにしても愛弓さんのチョコレートってすごい人気ですよね。ウチのクラスの女子も、ここのチョコをバレンタインに渡すと相手と必ず付き合えるって噂してるんですよ」
 ほほぅ。そう言われると悪い気はしないな。
「俺の妹なんて、なんかヤバいもの入れてるんじゃないかって」
 一言余計なんだよ、お前は。
「え? いま「一言余計」とか言いました?」
 心の声が漏れていたらしい。ここは一応、大人の女性として、
「そんなことないよ」
 と、取り繕うように言っておいた。
「愛弓さん。もしかして」
 裕直は突然、神妙な顔つきになった。もしや傷つけてしまったか?
「ホントにヤバいもの入れてたんですか?」
 次の瞬間。私は現役男子高校生の引き締まった下腹部に「ドゥス!ドゥス!」と叫びつつボディブローをお見舞いしていた。
「ちょっ……愛弓さん、やることがガキ」
「ガキで悪うございましたね。ほら、もう遅いから、高校生は早く帰りなさい」
「いまの言い方は先生っぽかったなぁ」
 すでに着替えを済ませていた裕直はリュックサックを背負った。
「あ、山元くん。ちょっと」
 私は可愛らしいクマの顔のプリントされた包装紙に包まれた箱を渡した。
「はい、義理チョコ。妹さんの分も入れておいたから、仲良く食べなさい」
 裕直は珍しいものでも見るような目つきで箱を受け取り、その目を私に向けた。
「どうも……」
 おや。いつものノリとは違う。
「愛弓さん、あの」
 裕直はチョコレートの箱をリュックサックにしまうと、代わりに赤い箱を取り出した。
「これ……あの……仕事の合間に、道具を借りて作ってみたんですけど」
「え? 私にくれるの?」
 私は完全に虚を突かれ、♯3つ分くらい高い声を出してしまった。
「愛弓さんのに比べたら恥ずかしいくらいダメダメなんですけど。迷惑じゃなかったら食べてください」
 裕直は頭が落ちそうになるくらいお辞儀をして、箱を差し出した。
「ありがと。でも、そんなに頑張って作ったのなら、好きな女の子にあげれば良かったのに」
 すると裕直は、今まで見たこともないような顔つきで私を見つめた。そして、
「また明日」
 彼はそう言うと入口のドアを開けた。
「うん、また明日」
 私は急に大きく見えた彼の背中に向かって言った。

チョコよりも苦くて甘いもの

チョコよりも苦くて甘いもの

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-02-14

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