あの場所はそういう場所で、わたしが求めていたものはなかった

あおい はる

 海が好きなのは、きっと、生まれたときからそこに、海があったから。いまはもう、泳ぐこともなくなったけれど、じぶんの住んでいるところに、海がある、というだけでいいと思っている。うみ。舌のうえから、ころんとあっけなく転がっていく語感も、季節ごとに変化する色も、朝と夜の表情も、ときには非情に、ときにはやさしく、にんげんだけではない、地球の、すべての生命に寄り添っている、存在そのものが、好きだ。

 たとえば、絵を描いていて、さびしいと思う瞬間はある?
 歌っているときや、写真を撮っているときは。小説を書いているとき、詩を、散文を書いているときは、よくあることで、ひとりですること、にはみんな、きっと、さびしくなる瞬間があると思う。歌っているとき、は、でも、例外があって、大勢で歌っているときや、誰かの演奏で歌っているときは、むしろ、楽しいに部類すると思うのだ。歌は、たぶん、つくっているときに、ふと、さびしさにおそわれるかもしれない。インターネットのなかには、ほんとうにたくさんのひとびとが、なにかを創作していて、楽しんでいて、苦しんでいる。みとめられたり、否定されたりして、好きではじめたことが、いつのまにか義務のようになって、たいせつななにかを見失うことも、稀ではない。ずっと一定に、フラットな気持ちで創作をするというのを、わたしはむずかしいことだとしみじみ感じている。にんげんは、だって、誰かの何気ない一言でも傷つき、揺らぐ。そんなことで、と呆れるにんげんは、いやだ。どんなに些細な言葉でも、傷つくひとはいて、もちろん、ぜんぜん気にしないというひとも、いる。好きなことを一生、好きなままで続けられるひともいて、でも、途中で好きだったのに嫌になってしまうことだって、当然、ある。世の中は、いろんな事象があって、流行があって、思想があって、さまざまなものがいれかわり、たちかわり、世界を動かしている。
 さびしい、と思う瞬間は、なんだろう、うまく説明できないけれど、わたしにも定期的に訪れる、それは、孤独のそれではなく、もっと、こう、自身の内側からなにかを生み出すことに付随する、漠然としたもの。具体性はなくて、でも、どうしようもなく、さびしい、という言い表し方がいちばん似合う、感情。

 今日、坂木司さんの「動物園の鳥」を読み終えて、ずっしりくるものがあった。わたしは、おそらく、松谷さん側のにんげんで、鳥井や、美月ちゃんみたいな存在に憧れているけれど、やっぱり、じぶんを変えるというのは、こわい、と思う。一歩踏み出す勇気、という言葉は、口にするのは容易いけれど、その一歩、足を踏み出すのに、わたしは長考し、躊躇い、おそらく、その場で足踏みを続けてしまう。どんなちいさなことでも、争いは苦手だ。心がざわざわすることは、なるべく避けたいし、平穏に収束するのならば、わたしは、じぶんの意見すらもひた隠す。わたしが唯一、美月ちゃん側であるなぁと思うのは、じぶんが好きじゃないひとに嫌われるのは、わたしも、まったく気にしない派だ。(対人関係、という点において、じぶんのドライさは、いかがなものかと思い悩むときは、あるけれど)
 好きなひとは好き、嫌いなひとは嫌い。
 好きなひとがわたしのことを好きじゃなくても、わたしは、好きなひとのことを好きな理由があって、好きであるだろうし、嫌いだと思ったら、もう、わたしはだいたい、そのひとのことは嫌いなままだ。ただ、生まれてから今までこの方、このひとのことすごく嫌い、と思ったひとは、ごくわずかである。嫌い、という感情すらも、わたしにとっては、心がざわざわする、なるべくならば現れないでほしいものなのだろう。
 感情、意見、言葉、日常生活のなかでひた隠して、飲みこんできたものを、わたしはおそらく、創作、という形で発露している。
 それは、ストレス発散とはちょっとちがって、わたし、というにんげんを表現する手段が、散文であり、わたしの書いている散文が、わたし、の趣味嗜好や思想を反映していて、でも、結局は小説も、詩も、絵も、写真も、そのひとの内なるものから生み出されると思うので、根底で共通しているのかなぁなどと書きながら思った。祝日。
 すごいひさしぶりに、鬼束ちひろさんの歌を聴いた。相対性理論も。いまはインターネットをつかえば、なんでも聴ける時代だ。でも、わたしは、大好きなアーティストは、CDを買って聴きたいひとだ。鬼束さんも、相対性理論も、とてもCDが欲しくなった。
 歌は、以前は、歌詞が好みか否か、がすべてだったけれど、さいきんは、メロディ、歌声、いろんな音楽的技術、楽器の音色など(音楽の知識にはまるで疎いので、拙い言葉でしか言い表せない…)、作り手の想いなども含めて、ぜんぶ、まざりあった状態の、完成された形で、好みか否かを考えると、凛として時雨は永遠にじぶんのなかの神さまであり最高峰だと、ひとり頷いた。

あの場所はそういう場所で、わたしが求めていたものはなかった

あの場所はそういう場所で、わたしが求めていたものはなかった

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
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