宇宙ライオンとぼくのなかの神さま

あおい はる

 時として、記憶から、ぼく、という存在が失われ、あたらしい、ぼく、という人格が生まれたとき、世界はわずかばかりの、型崩れを起こす。ちいさな火遊びみたいなものだと、ぼくのなかの、神さまと思しきひとは微笑む。街に、どこかの遠い惑星からサーカスがやってきて、ひとびとのはんぶんは、そのサーカスの虜になった。狂ったように毎夜、サーカスに出かけるひとたちを横目に、燕は、ファストフード店のハンバーガーをむさぼる。ぼくが、ときどき入れ代わる、ぼく、というものの存在意義を、ひとり唱えているあいだに、トレイの上のフライドポテトが、みるみるうちに減ってゆく。ぼくのとなりで、ネオが、燕の咀嚼音がうるさいと、ぼやく。燕は、どうでもよさそうに、うっせぇ、とだけ吐き捨てる。店内の、どうにも軽薄で白々しい照明のもと、ネオの、うつくしい金色の髪だけが高彩度に、少し濁った世界で栄える。ハンバーガーの包み紙をくしゃくしゃに丸めて、艶のある夜色の髪を、燕が鬱陶しそうにかきあげる。サーカスでは、あやしい儀式が行われており、魅せられた者はみんな洗脳されているのだというのは、単なるうわさであるが、さもありなん、とひそかに思うのだ。事実、となりの家の住人は、夜、かならずサーカスに出かけ、いつも恍惚とした表情で帰ってくる。サーカス自体が素晴らしかったから、というのではない、あれは、強制的に快楽を植えつけられた、自発的ではない感情に支配されているのだと、ぼくのなかの神さまが云っていた。おとうさんと、おかあさんと、高校生の女の子と、小学生の男の子の、どこから見ても平和そのものの、四人家族である。そういえば、神さまは、ネオよりも、燕と契るよう薦めてくる。ネオはいつもおだやかで、やさしく、燕は、どちらかといえば粗野で、荒々しい一面があり、ぼくとしては、なににしても、肉体と精神を委ねるならば、やさしくあつかってくれる方がよいのだが。現代風に云うと、ネオは、キレるとヤバいやつ、なのだそうだ。そもそも、いまのぼくの選択肢として、友人であるネオか、燕か、どちらかしかないのは、些か複雑だ。神さまは、選り好みするな、と言い切るけれど。ぼくも、世界も、破滅にしか向かっていないのだから、限られた時間のなかで生きろと、神さまはにべもない。
「だいじょうぶ?」と、ネオが心配そうに、ぼくの顔をのぞきこむ。
「おれのチーズバーガーやるから、ちゃんと食え」と、燕がぼくのまえに、チーズバーガーを置く。
 角の丸いテーブルは味気なく、座っているソファーはつめたくてかたい。他の客のざわめきが、やわらかな半透明の膜を通したように聞こえる。サーカスには、玉乗りをするライオンがいるらしい。宇宙から来たライオン。

宇宙ライオンとぼくのなかの神さま

宇宙ライオンとぼくのなかの神さま

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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