日記 2021.2.5
日記のためのノートを新しく買い替えたのは1月27日だった。
去年の7月に買った100ページの日記ノートが1月22日に切れ、それからなんとなく外に出るのが億劫だったのと、同じ100ページのツバメノートが近くの書店に売ってなかったのもあり、5日間日記を書かない夜を過ごした。一昨年ぐらいに病院の先生に書いた日記を見せるようになってから、(一日も欠かさずといわけでもないが)毎晩1ページ日記を書き、「書かないと眠れない」とさえ思っていた。けれども、日記を書く場所を失ったその5日間、僕はいつもと同じように眠れた。ノートがなくてもどこかそこらへんの紙に書けばよかったのに、といまでは思うのだが、そのときは、日記を書くならひとつのノートに書きたい、と頑なに考えていた。
2年前通っていたクリニックの先生から、その日一日の心の調子を記録してみたら、と言われたのが日記を書き始めるきっかけで、それまで僕は日記を書いたことがなかった(か、あったかもしれないが続かなかった)。それから、1年前転院するまで、僕は日記を書き続け、そして先生はそれを根気強く読んでくれた。だから日記というより、それは先生への手紙に近かった。
転院した先の先生には日記は見せていない。別に今の先生を信頼していないというわけではなく、ただ見せるきっかけがないのだと思う。ですます調で書かれていた日記は、誰にも見られなくなってから、ただの、本当の日記となった。そのせいか、今見返すと、先生に見せていた時よりずっと文章が短くなっている。B5ノート1ページいっぱいにびっしり書かれていたのが、今ではA5ページの半分程度に収まっているし、それにどこか乱暴な文章になっている。
カレンダーに「病院」と書かれていた2月1日、僕はバスに乗って出かけた。転院したのは、実家からバスで30分ほどの、隣町にある大学病院だった。予約は10時半だった。
診察券と保険証を受付の人に渡し、予約日、診察時間、診察室の番号などが印刷されている案内票をもらい、それを見てみると
予約 2/1 10:30
2/8から変更 (1/26)
と書かれていた。2月8日の予定だったのを、1月26日に電話して一週間早めてもらったのだった。
いつも受付から診察までは30分ぐらい待つ。前のクリニックもそんな感じだったし、どこの心療内科もそうなのだと思う。待つ間に読もうと、僕は毎回かばんに本を入れて持ってくるのだが、待合室の椅子に座ると、かばんから本を取り出して読むのが面倒になって、ぼうっと前に座る人なんかを見て過ごしてしまう。たぶん僕は知らない人がいる空間で本を読むのがいやなのだと思う。
「その後はどうでしたか」
先生が初めに聞くこの質問が僕はちょっと苦手だ。苦手だった、けれども、最近は「大丈夫でした」というふうに答えることに決めている。すると先生は「おっ」と、嬉しそうな、けれどもすこし困ったような表情をする。僕が大丈夫なら先生がする仕事はあまりないからだ。大丈夫だけれどもそれは薬のおかげで、その薬を処方してもらうには先生の診察が必要です、だから今日僕は来ました、と、言わないけれども、僕は心の中でそうつぶやく。そう考えたほうが、僕にとっても、先生にとっても楽なのだ。僕は大丈夫です。僕は大丈夫です。
「予約を一週間はやめたみたいだけど、何かあった?」
僕はどきっとして、言葉に詰まった。
「実は、ごめんなさい、あんまり憶えていなくて」
正直に僕は答えた。
「たぶん、1月26日?に電話したと思うんですけど、きっとその日は調子が悪かったんだろうと思います」
困って言いづらかったのは、その日の記憶がないということが、「大丈夫」ではないことだろう、というふうに思っていたからだった。
「憶えてない?」
キーボードを叩く先生の手が忙しくなった。僕が大丈夫じゃない時のサインだ。
それから僕はくどくどと言い訳をした。何を言ったのかはよく憶えていない。それは1月26日のように記憶がないからではなく、あまりにも意味がないことをべらべら喋ったからだ。1月26日は違った。ある日カレンダーを見ると、2月8日のところに書いてあった「病院」が二重線で消され、代わりに汚い字で2月1日に同じ二文字が書かれてあるのに気づいた。
「調子が悪かった時のことを憶えていないのはよくないことだけど、まあ、だからといって、すぐにあれこれと病気を疑ったりは、まあしないんですけど、もし憶えていないことが続くようなことがあれば教えてください。憶えられなくなるなら調子が悪い時にどこかに書いたりとかもしてみて」
家に帰った僕は2冊の日記を開いた。前書いていたノートの最後のページの日付は1月22日だったし、新しく買ったノートの最初のページは1月27日だった。1月26日の記録はどこにもなかった。
日記 2021.2.5