ハイリ ハイリホ(1)
一―一 パパ
「パパ、パパ、パパ、パパ」
「ねえ、パパ」
「パパ、大変だよ」
「パパ、早く起きてよ、すごいことになっているよ」
何度も俺を呼ぶ子どもの声に目が覚めた。
なんだい、竜介。さっきから大きな声を出して、と右手で両目をこすりながら俺は答える。猫じゃあるまいし、いつもこうだ。目やにでも出ていれば、顔中に汚れを塗り広げているようなものだ。しかも、こんな時に限って、人が来る。何度も鳴り響くチャイムに慌てて玄関に出る。目やに拭うのを忘れ、片側に押しつぶされた寝癖の髪のまま、どんな御用ですかなんて、何の感情も込められていない、きまりきった常套句で応対をする。そんな時、相手は必ずこう言う。
「これは、これは、大変失礼いたしました。おやすみ中だったのですか。無理に起こしてどうもすいませんでした」と、相手もとりあえず常套句で切り返してくる。
だが、相手に、申し訳ないなんて気持ちなんかあるものか。こんな真っ昼間から昼寝しているなんて、どこのどいつだ(目の前にいる俺だ。眼を大きく見開いても、眼を細めてもよく見えるだろう)、よっぽど暇な奴だ(ほっといてくれ。人生の三分の一は睡眠だ。つまり、暇つぶしのために人は生きているのだ)と顔がしゃべっているのが分かる。
そして、俺も一時間くらい昼寝をしてみたいよな。今日は、上司からの命令で、一軒、二軒、三軒と、こうして訳のわからない客のいる家を訪問している。(何が訳がわからないのだ。昼寝の理由なら後で、俺が説明してやる。待っていろ。)朝一番の朝礼から作り上げた機械仕掛けの営業用微笑みも、一日中じゃあ、筋肉が引きつり、お面を被っているみたいになる。凍りついた笑顔は、相手に好意を与えるどころか、敵対心さえ呼び起こす怒りの形相だ。笑いと憤怒は、顔の皮一枚の表裏一体だ。どちらが表でも裏でもいい。時には、感情の皮が折れ曲がって、笑いながら怒るという、奇妙な、器用な現象が起こることさえある。微笑が一番というが、どこかのファーストフード店じゃあるまいし、サービス スマイル0円ということは、笑顔には価値がないということだ。値段は客が決める。サービスが悪ければ、二度と店には行かない。
引きつっているのは顔だけじゃない。足だって同じくらい疲れている。足が棒のくせに、体を支えるつっかえ棒にもならず、強風が吹けば、その場で倒れ込んでしまいそうだ。営業部長のアジテーションが追い討ちをかけ、肩に重く圧し掛かる。重圧に耐え切れず、体の倒れた方向が、次の訪問先だ。進む先も風まかせ。いや、体の疲れまかせ。こんな気ままなやり方では、売り上げが伸びないのも自分自身が一番わかっている。また、何軒もの顧客を訪問し、紙に書いたような宣伝文句をしゃべっているうちに、喉も渇いてきた。せめて、お茶の一杯、いや、缶コーヒー、いやいやビールの一本でも出してくれたらありがたいんだが。おつまみは、ピーナッツでいいやなんて顔もしている。
喉が渇いているくせに、乾き物を食べれば、よけいに飲み物が欲しくなるだろう。当たり前のことだ。それなのに、家に飲み物がないのだったら、ちょっと待ってくれ、近くのコンビニで買ってくるからと相手が言い出すのを期待している顔だ。けしからん営業マン。お前は、一体何様だ。それに比べて、自らの睡眠までを削って、相手をしている俺様は神様だ。
とにかく、俺が眠っていたのは、昨夜から破裂した水道管の修復のため徹夜工事を行い、今しがた帰宅したばかりで、ソファーに倒れこんだからだ。あんたと同じように、俺もさっきまでは同じ憂き目にあっていただけだ。その理由を初対面の相手にいちいちしゃべるわけにもいかないし、そんな暇があったらもう少し眠りたい。ただし、永遠の眠りは御勘弁だ。
ただ、俺の顔は、寝不足の不機嫌さと目やにとナメクジが通ったような白いよだれのひとすじが付着している。今、目の前にいる営業マンが帰った後で、鏡を見てまじまじと自分の顔をよく調べたら、他にも宝物が山ほど見つかるだろう。こんな顔見たら、誰だって勤労意欲を無くしてしまう。同じ労働者として、不快な気持ちを相手に感じさせまいとする、俺としての最大限のやさしさの表現なのだ。わかってくれ、同胞よ。
ハイリ ハイリホ(1)