きらいなのではなく、興味がないだけ。興味があることはもちろん、だいすき。
好きです、という告白が、霧散した世界。指先に宿る星が光るときに目覚める、理科室の人体模型、呼吸をはじめて、ありありとわかる、躍動する心臓と、規則的に膨らみ縮む、肺。
たまたま、つけていたテレビのなかで、おもしろそうに笑っている芸能人をみて、なにがおもしろいのかわからないで、いる。ただ、おいしそうにごはんを、たべているだけなのに。きっと、テレビ番組って、そういうものなのに、そういうものを共感できない、わたし、とは、と、なやんではいけない。ときどきある、人気だから全国民が好き、みたいな無言の圧力を、社会から感じるとき、それを好きじゃないわたしは、まるで、非国民ではないかと思いこんでしまう、にんげんは、けっこういるのではないか。気にしなくていいのに、あたりまえのことなのに、みんな、ちがうのに、ちがうことを、おかしいことだと捉えるひとがいる、という現実に、なんだか、生きづらいなぁと思ってしまう。被害妄想だと嗤われるのは、くるしい。みんなが、あの、有名な、夢の国のことが好きなのだという前提で、話をされたとき、わたしは、あああ、と思うのだ。あああ。ああああ。あああああ。
理科室、という場所が、好きだ。
理科の成績がとくべつ、よかったわけでもないのに。
薬品などのいりまじった、独特のにおい。空気のつめたさ。なにかがひそんでいる、気配。
そういえば、学校と縁がなくなってから、なぜか、学校というものを好きになった気がする。
高校生のときに入り浸った、図書室。
そして、いまのわたしがいて。
きらいなのではなく、興味がないだけ。興味があることはもちろん、だいすき。