いつかのための習作④
深夜1時を過ぎていた。煙草を吸って麦茶を飲んだら麦茶を切らしてしまった。若き小説家はこの冬の、ちょっとした、例えば近所のコンビニへ買い物に出掛けるとか、ハッテン公園に赴くとか・・・そういった時に着る赤いダウンとグレーのスウェットに着替えコンビニに麦茶を買いに出掛けた。
強風は相変わらずで、この低気圧は明日まで居座ると予報されていた。先生の方はとうに眠剤による人工的な睡眠の只中だろうなと分かりつつ、「さっきまで弓形公園で種壺」とメッセージを送った。種壺なんて嘘っぱちで、結局若き小説家の書き込みに反応してくれた者はただの冷やかしだったらしく、公園で30分待っても誰も現れず、若き小説家は強風を時には追い風に、時には向かい風に自転車を漕いで自宅に戻ったのだ。
「君の作品を愛する読者として、その著者が種壺になっていることを悲しく思う。しかし私は、君が愛情の混じっていない精液にまみれた筆でないと文章を書けないことも知っている。複雑な心境です」
寝入っているだろうと思っていたから、先生からすぐに返信が返ってきたことに若き小説家は少し苛ついた。愛する人からの便りだろうと、それが自分の予定と違うころにやって来ると、彼は先の予定の修正に取りかからなければならない。その作業が単に嫌なのだ。
「中途覚醒したところです。アフリカ音楽を聴きながら活字を読んでいます」らしい。「頭痛の具合はどうですか?」と尋ねると、「大分マシです」と返ってきた直後に「明日は酒を交わしましょう」とメッセージが送られてきた。
ロックにジャズ、エレクトロ、ラテン、アフリカ、先生の音楽の嗜好は幅が広い。「音は言葉が成り立つ前から使われていたのですから、音を聴けば言葉が溢れ出るのは当然なことです」と、どこか違和感のある持論を先生は展開する。1度映画に誘ったことがあるのだが、「映像は言葉の完成形であって、しかるに映像からは新しい言葉は何1つ浮かび上がることはないのです」と言う。「それに、鬱を患っている私には、長時間映像を凝視するという行為は苦痛でしかない」と申し訳なさそうな笑みを漏らしたのだった。
いつかのための習作④