希望を託して
僕は妹の墓標の前で手を合わせた。
ディスプレイには妹の遺影と名前が表示されている。ここはたくさんの人が埋葬されている施設で、個々の部屋に入るときに認証すると故人を弔うための部屋がバーチャルで投影される。
どうか安らに。僕もそう遠くないうちにそちら側へ行くから、それまでは寂しい思いをさせてしまうかもしれないけれども、待っていてほしい。
妹はこの星の汚れた大気を多く吸い込み過ぎたせいで病気を患い、闘病の末に去年亡くなった。妹だけではない、妹と同じ時期に幼少の頃を過ごした人々は、汚染された大気への対策が間に合わず半数以上が同じ病に掛かっているとの統計が出された頃には皆が手遅れの状態だった。
「妹さんはよく頑張りました」主治医は言った。「この症例で私が担当した多くの患者様の中でも、妹さんはとても持ちこたえました。しかし、救うことができなかった」
そう言った主治医の悔しそうな顔を見ていると、妹が亡くなってしまった責任をこの人に背負わせようとは思えなかった。今でも僕は妹を担当してくれた先生に感謝をしている。妹が一秒でも長く生きることができたのは、なにより先生のおかげであることは十分に理解している。
病院は僕に幾つかのメンタルケアカウンセリング施設を勧めてくれたが、僕はすべて断ってしまった。妹を亡くしてしまったという感情を軽くしてしまいたくはなかったから。
妹の分まで僕は長生きしなくちゃいけない。しかし、本当のところ僕らの生命も危機に直面していた。
見上げると妹の命を間接的に奪った汚れた大気で青空が見えないほど曇っていた。
政府から唐突に告げられた、この惑星が滅亡に向かってるという見解から一年の時が過ぎた。
この惑星の最高府はそれをずっと隠していて、いよいよ収拾が付かなくなったらしく、公表へと踏み切ったようだ。スーツを着て勲章をたくさんの付けた、ある一人の政治家が演説台に立って言った。
「この星に住む人類には滅亡が迫っている」
星を取り巻く大気が失われ、人類どころかそのほかの生命すら存在できなくなってしまうというのだ。もしかしたら、それはこの惑星にとっては良いことなのかもしれない。
宇宙から見たら、今は青く美しい星が長い時間を掛けて、ゴツゴツした岩の惑星になるそうだ。
衝撃的な声明は瞬く間に惑星中を駆け巡り、世界中の国々は混乱に陥った。
時間を巻き戻すくらい突拍子もないほどの発明が起こらない限り、世界の、この星の滅亡は人類にとっては避けることのできない決定的な命運だった。
人類は文明の発展との引き換えに、この星の環境を壊し、資源を掘り尽くしてしまった。
僕たち人類はこの日に至るまで同星系内の惑星を探査し、人類が移り住むための条件に合う惑星を探してある程度の候補を絞り込むことはできたが、その頃にはすでに人類が移住できるほどのリソースが残されていなかった。
大人になったら、当たり前のように人類は宇宙進出を果たし、惑星間の移動が日常の光景になるのではないかと子供時代は思い描いていた。科学の技術はそれほど早く進歩しないのだという現実を少しずつ学んで僕は大人になった。
共同墓地の建物を出るとすでに日は暮れかけていて、端末の時計を確認すると、もうすぐ打上げの時間だった。
丁度いいタイミングで友人から連絡が入ってきた。妹が亡くなる少し前に出会った研究者の男性だ。
「もしもし。教授、お久しぶりです。今日はいよいよ〝文明の種〟を打ち上げる日ですね」
「ありがとう。少し早く君と連絡が取れれば発射台を近くで見れる通行証が発行できたのだけれど、こっちも忙しくて間に合わなかった。ごめんね」
申し訳なさそうに端末越しで謝る教授に僕は、いいですよ、と言った。発射の様子は多くの放送局が中継をするはずだ。それはもちろん僕の端末でも見ることができる。
教授は僕よりもずっと年上で、宇宙探査の研究に携わりながら、大学でたくさんの生徒を指導しているらしかった。正確には助教授なのだが、僕は教授と呼ぶことにしている。助教授でも教授でも、僕よりも詳しい人はみんな何かの教授なのだ。
今日までの苦労は研究者ではない僕には共有しきれないモノではあるが、無事にこの日を迎えることができてうれしそうな彼の声を聞くと僕も安堵した。
人類滅亡の宣言を聞いてから数日、どう過ごしていいかわからなくて近所の公園でぼーっとしていた。妹を病で亡くし、両親も子供のころから行方知れずでとうとうひとり取り残されてしまった。
そして、同じように公園で気分転換をしていた教授が、脱力した僕を見て心配そうに声を掛けてくれたのだ。
あの日、教授は僕に教えてくれた。人類に残された最後の選択肢を。どうせ明日、全世界に向けて発表になることだから君には少し早く教えてもいいだろう、と。「この惑星の人類とそれから文明はそう遠くないうちに滅亡する。それは何度も検証されていて、決して揺るがない結末だ。日々状況は悪くなる一方で、タイムリミットはどんどん少なくなってきている。その中で、人類が他の惑星に移住するためにシステム作りや宇宙船を建造するのは現実的な話ではない。そこで考えたんだ」
丁度、僕らが住んでいる惑星の隣にある惑星は生命が存在しうる可能性があることを長年の調査で突き止めた。しかし、まだこの太陽系ができた頃の原始的な姿を保っていて、現段階では生命の存在を確認できていない。それでも、その惑星の成り立ちや構成成分を分析した結果、ほんの少しだけのきっかけがあれば生命が誕生し得るのだ、と教授たちの研究チームは考えたのだという。
その惑星には豊富な水と十分な面積の大陸、酸素を含む大気が存在していて、有機物も見つかっている。後はきっかけとなる生命の誕生に必要な材料が加われば、その惑星に生命が発生する。
「やがて、また人類が生まれるだろう」
この惑星の人類文明が滅びても、新たな文明が別の惑星で生まれる。
教授が開発を進めているという〝文明の種〟には我々人類の設計図が入っているのだという。それらは複雑な分子構造の有機化合物で、水に反応して溶け、新しい惑星に元々存在している〝生命の材料〟と混ざり合い結合する。そして分裂と増殖を繰り返し、いよいよ最初の生命が誕生するのだ。
打ち上げの瞬間を僕は端末の画面で、じっと見ていた。
発射は他のチームへ引き継いでいるらしく、教授とは通話を続けていて、二人で打上の瞬間を見守っていた。
カウントダウンが始まって、そして終わると発射台から〝文明の種〟大気圏を抜けるためのロケットが打ちあがたった。
「どんな星なんですかね、次に人類の文明が芽生えるその惑星は」
「今はゴツゴツした岩が目立つけれども、これから長い時間を掛けて成長していく。ひとつの衛星があって、それがまた太陽と絶妙な距離で、日食が起こった時には太陽が指輪のように見えるらしいよ。。地上から見上げれば惑星時間で計算すると三十日で一度の満ち欠けが起こるようだね。この星よりも多くの水が存在していることもわかっているとても美しい惑星さ」
〝文明の種〟の打ち上げは成功したがこれで終わりではないのだ。無事に隣の惑星に到着するところまで見届けるまでがこの惑星の人類に課せられた最後の使命だ。
生命の発生にはとてつもない時間が掛かるだろうと予想されている。僕らのような人類が生まれるまでに様々な種族の台頭があるだろう。しかし、それらの全てを見届けることは叶わない。できることなら生命の発生した痕跡を確認したい、と教授は言った。
このあとチームのミーティングがあるからまたあとで連絡させてもらうよ、と通話が終了した。
雲間から覗く微かな夕焼け空を見上げる。
隣の惑星で目覚めた生命や新類はどのような形であれ文明を発達させるかもしれない。そうしたら、新人類たちは宇宙に興味を持ち、やがて進出をも果たすことだろう。
長い年月が経てば、僕ら人類が築いた都市は風化で跡形もなくなり、僅かな痕跡すらも砂に埋もれてしまうだろう。決して広くない海は干上がるかもしれない。
この星に残された水の流れていた痕跡を見つけて、今僕の目の前を流れている川を想像するかもしれない。
いつの日か、この星に降り立ったら僕らが住んでいた証を探して、本当の故郷に思いを馳せてほしい、と僕は思った。
ロケットの道中安全と新人類文明の発展を願って、遠くの空に消えていく〝文明の種〟の軌跡に僕は手を振った。
おそらく、世界中の誰もが同じ思いで空を見上げていることだろう。
希望を託して