絵描きのメランコリー

あおい はる

 くるしい、と思ったときは、もう、くるしいのだった。水のなかで、は、息ができないように、土のなかでも、呼吸がむずかしいように、肺、が、機能しないときの、それと、近しい。才能があるとか、ないとか、どうでもよくって、好きなことを表現していれば、それで、まんぞくだったのに、外野、というものは、テンプレートみたいに、過剰な期待をおしつけてくるのだと、きみは吐き捨てた。さいきんできた、チーズ専門店の、いりぐちに、きっと、ほぼ等身大の、ヒツジのおきものがあって、ぼくは、それがおきにいりで、店の前を通るたびに、ひそかにあいさつをしていた。おはよう。こんにちは。こんばんは。おやすみ。絵がうまい、きみは、インターネットのなかでも、そこそこ有名なひとになって、すごいねぇと、ぼくは、素直にそう述べたのだけれど、べつに有名になんてなりたくないのだと、きみは拗ねたように答えて、チーズ専門店でテイクアウトした、チーズミルクティーなるものを、ふてくされた顔で飲んでいた。ヒツジは、いつも、外にいて、雨の日も、風のつよい日も、寒い日も、蒸し暑い日も、そこにいて、ときどき、薄汚れていても、ちゃんと、きれいに洗われてるようだった。真正面を、じっと見つめているだけの、ヒツジが、ふいに、さみしそうな表情を浮かべる気がするのは、ぼくがながめる角度の問題だとは、なんとなくわかっている。
 絵がうまいは、褒め言葉ではないのだと、きみは呟く。
 ぼくは、絵も描けなければ、文章も書けないし、写真も、ぼやけたものばかりで、お裁縫や、工作などもにがてで、これといった取り柄はないので、きみが、すこしばかり羨ましいのに、きみは、さいきん、絵を描くことがくるしいのだと、眉間にぎゅっと、しわを寄せる。大好きなもののことが、嫌いになるかもしれないと想うと、こわい。チーズミルクティーを、ストローで、ずぞぞと啜りながら、きみは言う。ぼくは、チーズのたっぷりかかったフライドチキンを、フォークで突き刺して、チーズをぐいんとのばして、心のなかで、ああ、と嘆く。大好きなきみが、大好きな絵を嫌いになってしまうのは、それは、世界のおわりに等しいのではないか。ふつふつとこみあげてくる、かなしみのせいか、チーズも、チキンも、なんだかしょっぱい。

絵描きのメランコリー

絵描きのメランコリー

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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CC BY-NC-ND
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