深槽

やない ふじ

 外のプールで泳いでいると見える景色が好きだ。日焼けする、目も痛くなる、でもこの景色が見られるのなら我慢できる。
 もっと年齢を重ねたら、シミとかほくろとか大変だよ、と友達は言う。日焼け止めを三日ときかず使い切っちゃうんじゃないの、って勢いで手足に塗り込みながら。でも、分かるよ、テレビの画面の向こうで笑ってる女優さんみたいなつやつやの髪と肌はあたしも欲しい。
 でも、夏の数ヶ月間しか味わえない外のプールの気持ちよさに比べたらそんなもん霞んじゃう、消し飛んでっちゃう。あとウォータープルーフの絶対焼かないって謳い文句の日焼け止め、けっこう高くない? 今のお小遣いだけじゃ無理。んなポンポン買えない。うちの学校バイトは禁止だし。うちに帰ってきたらご飯食べてすぐに寝たいし。長期休暇ちゅうの時給が高いバイトは部活漬けで入れられないし。

 と、いう、のは、言い訳。

 知らないでしょ、分かんないでしょ。負け惜しみじゃない。優越感に浸ってるんでもない。ただ想う。知りたかったらこっちにおいで、って、水中に人間を引きずりこむお化けの気分で、心の中で手招きしながら。
 一年かけた元の色に戻ったこの肌を、誰よりもあたしが誇らしく思ってること。いくら丁寧にシャワーを浴びてもシャンプーをしても髪の毛はまばらに脱色しちゃって、特に秋の日差しに当たるときらきらライオンのたてがみみたいに光ること。掃除や消毒に使うものでも、日常的な塩素の匂いは懐かしさに直結していて、あぁ早く泳ぎたい、って思うこと。まるで水の中にいるときのほうが、本当の重さで居られる気がすること。プールの中でも、汗をかくこと。
 知らないでしょ、見たことないでしょ。太陽光を反射するミラー加工がされた、ゴーグル越しの空の色だって。あたしのはほんのりグレーがかかった色で、仲が良い先輩のはプラスチックらしい安いピンク色をしていること。背泳ぎをすると見える、かたい、つくりものみたいな大きい雲が、まるで掴めそうなこと。
 同じ場所にあるように見える雲も、だだっ広い空のせいで遠近感がおかしくなっているからそう見えるだけで、実際は何段にも、何層にも重なっているんだろう。こっち側の雲は薄暗くて、その後ろ、向こう側にそびえる雲はうんと広くて真っ白だ。
 二つを区切ってるぱっきりした境界線に手を這わせて、軽く力を入れて、ほんのひとかけ折ってしまいたい。小さいジッパーケースに閉じ込めて毎日飽きるくらい眺めていたい。

 なんて、仰向けに浮いたまま、あたしは考えている、八レーンある五十メートルプールのど真ん中でひとりきり、風に吹かれる儚い木の葉にたとえるにはいささか頑丈な身体を、ゆっくりゆっくり動かして。
 引き下げた左足、かかとに弱い水流が当たる。端のコースの壁から出ている水の勢いは強くて、真ん中のここまで届くんだ。
 少し力を入れて両足を動かす、ついでに仰向けからうつ伏せに反転。水流とタイルのでこぼこのせいでゆがんだ自分の影が、お化けみたいに落ちている。
 プールの水が青く見える理由は、理科の教科書に乗っている理由じゃなくて、たんに壁が全部青く塗られているからだと思う。
 真下に見ているプールの底のところどころには、落ち葉や砂が溜まっている。小さい岩みたいなせみの死骸が転がっている。こうしてみると、落ち葉もせみも大差ない。いくらオーバーフローを繰り返してもなくならない堆積物。すくい上げない限り留まり続けて、網を突っ込もうにも二メートルの深さから持ち上げるのは難しいし、あたしたちの誰もきっと、わざわざ素手で拾ってあげよう、とは思わない。
 当たり前なんだ。少し剥げかけた五メートルの線や、横から出てくる水流の強さや、コースロープの隙間や壁と水面の境目に挟まっている小さい羽虫や、壁と床のつなぎ目、ふちにくっついているコケと同じで。力つきたセミが溺れたり、夏の出口に向かうトンボがタマゴを産みつけたり、近くの水鳥が遊びに来たり、名前も思い出せないごつい甲虫が意外とすすーっと泳いでいったり、わたしたちのひまを縫うように、いろいろな生き物がここにはやってくる。生き物が、突然死に物になるのは当たり前なんだ。
 地上、陸地では当たり前のことが、水の中や水の上ではどこか特別、稀有、変わったことのように思えるのはどうしてだろう。
 あたしはよく考える。
 もし水中で暮らすことが当たり前になって、たまに陸地へ上がる生活が普通の生活になったら面白くない? 
 世界じゅうが大きな大きなプールになるんだ。夏にはぴかぴかの太陽の下で長く泳げるし、冬にはガラス張りのドームにすっぽり覆われて、誘蛾灯みたいなライトの下でやっぱり長く泳げる。
 たくさん全力で泳いで疲れたらすぐに栄養補給がしたいから、美味しい食べ物と飲み物が自動的に準備される仕組みもあれば良いな、お腹が空くと、きゅうっとなって切ないし。そんで大人にはキンキンに冷えたビールもあげよう。プールは寒いな、って思うときもあるかもしれないから、温泉もあったら良い。バブルバスに良い匂いのお風呂に、日替わりで色々楽しめるやつ。
 陸の生き物が水に戻るんだから、最初は変な感じがするだろうけど、からだもだんだん適応してくんだと思う。長い時間泳いでも指先はしわしわにならない、胸も苦しくならない、呼吸の仕方も分かるようになれば怖くないってふうに。仰向けでなくたって、横向きになっても、ほんの少し、口元の水がへこむから空気が入ってくる。落ち着いて進めばいい。
 ただ不安はあるよ、水中生活、衛生面はどうなんだろうとか、重力が減っちゃうぶん骨が弱くなって陸に上がるのがしんどくなるよね、宇宙飛行士みたいに、とか。ヒトができてから何年経ったのかはよく知らないけど、陸を選んだ理由を今更捨てるのはきっと、デメリットの方が大きいでしょ。
 骨がだんだんもろくなっていって、からだのかたちが流線型に近づいていって、浮き沈みに必要な器官も新しく生まれるだろうか、手の指のあいだに広がってる、水かきみたいな薄い皮膚を尊敬や憧れにして。
 昔々の化石の時代、食べ物を探して陸地へ上がった筈なのにまた水の中へ戻るのは、でも、退化じゃないと思う。今だってあちこちの海で、クジラが悠々と泳いでるんだから。

 じゃあ海に棲む哺乳類の骨格標本を見たときに。
 どうしたらいいか分からなくなっちゃうくらい、喉が、胸骨のあいだが、お腹の真ん中がきゅうとしたのはどうしてだったんだろう。

 と、いつかの夏休みを思い出す。お盆に海へ入ってはいけないのは、死んだ人間たちに連れ去られるからじゃなくてクラゲが大量発生するからだよ、って、笑いながら教えてくれた先輩は、今年の三月に卒業した。
 あたしは知らない、分からない。もろい骨が終わりのときに一粒も残らないくらいボロボロになるには、一体どのくらい泳げばいいのか。時間も距離も全然知らない。でもあたしが積み重ねてきた練習量じゃ圧倒的に足りないことだけは確かで、負荷をかけたかどうかなんてみみっちい問題じゃないことも確かなんだ。骨の代わりにもろくなるのは、枝毛ばっかりの髪の毛とか、塩素で荒れた手の指先なんだもの。
 あたしのからだは、まだまだ陸上の生活向きだ。ふわふわする水中じゃ、地に足を着けるのは難しい。
 だから代わりに、掴む。コースロープを、飛び込み台の銀色の握り手を。惨めさを覆すくらいの必死さで、何とかして地上に戻ろうとする。
 同時にあたしは止められない、ボウルをひっくり返すみたくいつか天地がひっくり返ればいいと望みながら、掴んだそれらを、勢いをつけてまた放すことを。力のかけ方を間違えればズルリと滑る、壁の細かなでこぼこを足の裏でしっかりと捉えて蹴り放すことを。
 はざま、汽水域、分水嶺。そんな名前をつけてみて、違うって叫んですぐに引っぺがす、きっとあたしの、あたしたちのいる位置は、じゃぶじゃぶのプールサイドでしかないんだ。水中も陸地も選びきれない優柔不断で中途半端な気持ちとからだで、泳いだり休憩したりを繰り返すしかないから。
 まるで、回遊する魚や深海にまで潜るクジラより、視界の先の、死に物になる直前の虫たちに憧れてるみたいだ。何も分からなくなったとしてもそのひとつきりは覚えていたいし守りたい。

 あたしにとって、泳ぐことは当たり前だ。当たり前でほんとうだ。日焼けあとも脱色した髪も、水面と空中との境界も仰向いたときのつくりものみたいな雲も、ぜんぶぜんぶ当たり前だ。だから当たり前の先に望むものは、憧れるものは、当たり前からいちばん遠いものなんだろうか。空に透ける翅を携えて飛ぶことなんだろうか。ゴーグル越しの景色を複眼で覗いたら何が見えるだろう。あたしには、知りたいことがたくさんだ。
 海の底で生き物をつくりだすクジラになりたい訳じゃない。
 でも青い水面に不時着して息絶えるのは、きっとあたしにとって、これ以上無いってくらい最高のゴールなのだろう。

深槽

深槽

「しんそう」です。屋外プールに浮いている女の子のひとりごと。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-01-24

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