氷菓に悼む

星染

2019/8/31(加筆修正済み)

 きみが射的がうまいって言ってたこと、嘘だって知ってたのに意地悪をした。わたしの指を握ったり、離したりしながらきみはわたしの言葉に何度も何度も肯定の気持ちを返してくれて、そうしてわたしは、夏のおわりの湿った風を顔に受けながら、化粧が落ちるなあ、こいつは馬鹿だなあとぼんやり思っていた。ぼんやりしながら、ずっときみに話をしていた。
 さやかちゃんが死んだのは一ヶ月ほど前のことだった。さやかちゃんの家はクリーニング屋さんで、それがさやかちゃんは嫌いだった。高校を出たら上京するんだって言ってたのに、大学に落ちて、それきり連絡を取っていないなと思ったら、彼女の母から、わたしに電話がきて死んだのだとわかった。睡眠薬での自殺だった。涙混じりの声を、わたしは黙って聞いていた。
 わたしは手元のカップの中の、もうほとんど水になった氷を啜る。真っ赤な氷。さやかちゃんは赤が好きだった。わたしがそう言うと、きみはつらかったねえ、なんて言ってまたわたしの瞳を覗くのだった。小学校の先生が、悩みを抱えた小学生を見る目に似ていた。わたしは氷を噛み砕きながら考える。かき氷はこのくらいが一番おいしいのに。さやかちゃんが死んだこと、つらいなんて一言で片付けてしまえるなら、わたしはこんなものとうに捨てている。
 「うん」わたしは答えた。「つらいよ」
 だから、なぐさめて、と下からすくい上げるように見つめれば、きみはもっと心配そうな顔をする。嬉しそうだ。と思った。きみはわたしを慰めることに成功するのが、きっと嬉しいのだ。そうしてそこに、きみにとっては顔も知らないさやかちゃんへの、わたしの感情は関係がないのだ。さやかちゃんの母から連絡があったことをきみに言った日、きみは目を丸くしたあと、わたしに言った。今年の夏祭り、毎年行かないやつ、あれ、行こうか。なんでも買ってやるよ。俺、射的なら上手いよ。
 きみは本当になんにもわかっていない、そんなものでわたしの、さやかちゃんの死への感慨が、きみごときとの思い出で、埋め立てられると思っているきみが、死ぬほど愚かだって思ってしまった。「まだ若いのに」きみが、わたしを見て言う。無感情に、わたしはそれを聞いていた。「本当にかわいそうだ」
 さやかちゃんはアルバイトをしていた。親に言えない感じのやつ。長いぱっつんの黒髪で、清楚な感じのさやかちゃんはそんな世界とは無縁だと思っていたから、初めて聞いた時はびっくりしたけれど、さやかちゃんが本当に楽しそうだったから、それならいいかなと思ったのだ。遠い昔の事のように思えるそれを、かわいそうって言ったら怒るよ、と言っていた、幸せそうなさやかちゃんの微笑を、わたしは歩きながら思い出している。おんなじだ、さやかちゃんはかわいそうなんかじゃない。
「さやかちゃんは」知らない間に声に出ていた。
「さやかちゃんはかわいそうなんかじゃないよ」
 きみの瞳が大きく見開かれ、一瞬、とまどいの色が過ぎってから、彼は口角を微妙に上げて、すこし目を泳がせ、居心地悪そうに身じろいだ。なにかに失敗したことを悟ったような、でもしかし何に失敗したかは分からないのだろう。馬鹿だなあ、と思う。本当に、なんにもわかっていないひと。屋台の煙が混じりあって、空に汚い模様をつくる。「あ」と、きみが取り繕うように遠くを指さす。わたしは悪びれない態度で、なあに? と言った。
「射的。あったよ」
 きっと、わたしが次に何を言うかが、この夜を大きく左右するのだろうという予感があった。きみはきっと、この射的屋に賭けている。わたしが、まだきみに、期待してるって思ってる。わたしはきみの、汗ばんだ首元を眺めながら口を開いた。とっておきの口紅をひいてきて、よかったと思った。
「やっぱいらないよ、射的」
 ねえ、さやかちゃん、この煙にまみれてくすんだ空の向こうから、わたしが見えているか知らないけれど。わたしはあなたのことを思い出しています。夏が、がらがらと音を立てて終わってゆく。カップの底の赤い色水にうつる、蒸し暑くて水っぽい気配を、わたしはみつけていま、投げ捨てるのだ。

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