病-透明人間譚
透明人間の話です。縦書きでお読みください。
私は日本で初めての透明病専門医である。
2200年代になり突如として体が透き通ってくる病気が広まった。永久に透明になってしまう人を助けなければならない。透明になってしまうとそれ相応の体のケアーをしなければならないのでかなりの負担になる。普通の生活がおくれなくなる。
最初に透明病が生じたのは2188年である。調度100年前のことになる。そのときの医者の手記が出版されていて、驚きと、科学的な解析の難しさがまとめられている。
その本のタイトルは、透明病発生、である。著者は澄田史郎、66歳の町医者である。東京のはずれで看護師の妻、春美と小さな医院を営んでおり、その地区の人からは信頼されているよい医師であった。
その日、熱っぽいと訴える若い女性の患者が診察室に入ってきた。喉を見ると赤く腫れている。熱は37度4分でさほど高くはない、ここのところ風邪がはやっているので、それに沿った薬の処方をし、会社は休むように家に返した。ところが翌朝、熱が下がったら、こんなになりましたと見せにきた。両腕に半透明のまだらな斑点ができている。ウイルスが皮膚に何か起こしているようだ。診察台に横になってもらって、体のほかの部分を調べた。喉から胸、足から腹からすべてに、半透明の点々ができていた。
医師が患者にかゆさとか痛さが無いかと聞くと、全くないという。ただ、朝眠くてなかなか起きることができず、今もとても眠くて、目を開けていることができないほどだと訴えた。喉の症状は治まっている。風邪薬は朝飲んだというので、それが眠気を起しているのだろうと、処置室のベッドで、しばらく横になってもらった。透明の斑点が気になったのでもう少し様子を見たかったのだ。
何人かの患者を診察していると、処置室に様子を見に行った看護婦の春美が、患者さんの様態がおかしいと言いにきた。
見に行くと、患者はよく寝ている。ところが、顔が半透明になり、頭蓋骨が薄く透けて見えている。
これは大変だと、澄田医師は自分の卒業した医大の付属病院に電話をいれ、内科の教授に説明をした。引き受けてもらえることなり、患者を感染症病棟に入れることになった。救急車を呼んだ。もし、これが感染症だったら周りに迷惑になる。保健所に連絡を入れて、しばらく休診にした。
澄田医師も救急車に乗り一緒に病院に行った。教授の吉田孝弘医師は、感染症専門の医師たちとともに、防御服に身を固め、患者を受け入れた。血液検査の結果、ウイルスや細菌は問題がなく、感染症ではないことが明らかになった。その女性は内科の病棟に移された。救急車の中でも、病院に移されても、その女性は寝たままで、目を覚ますことはなかった。しかし、血圧、血中酸素量、体温は正常、生化学的検査でもよくもこれほどと思われくらい値は正常値の範囲内で、病気の症状を示すデーターは全くなかった。ただ、皮膚がどんどん透明になっていくのである。その女性は病院にそのまま入院し、澄田医師は自分の医院にもどった。
入院した女性の患者は、次の日になると、とうとう皮膚の部分はすべて透けてしまい、内蔵と骨が見えた。澄田医師も病院に呼ばれ、様子を見ると、女性はまるで、透明のプラスチックで体の形ができている解剖模型のようであった。教授も原因は全く分からず、様子を見ているだけだと言った。ステロイド剤の投与も考えたようだが、場合によっては逆効果にもなる。その辺は慎重だった。
患者は3日後に目を覚まし、食事も普通にとるようになった。顔は骸骨にしか見えない。周りの目もあるので個室に移し、本人が自分を見たらどのような反応をするか分からないので、鏡はすべて取りはずし、自分の姿を見せないようにした。そのときはすでに両親が看病にも訪れており、会社勤めの妹も看病にきた。
澄田医師は自分の医院を再会させていたが、卒業した大学の大学院に入りなおした。その患者の病気を調べてみたいと思ったからだ。
休日と休診日はその女性患者の透明化の原因を研究するために大学にかよった。突き止めたのは遺伝子におかしなところがあることだった。そこで澄田医師は患者の妹に会った。皮膚が白くどことなく色素が足りないような感じを受けた。遺伝的な要素があるのではないかと考え、妹にそのことを告げた。患者の妹も協力を申し出、定期的に検査を受けていたが、やがて妹の皮膚も透明になり始めた。そのころ、姉の方は骨も透き通っていた。
半年後、姉はほとんど透明になった。最後まで透明にならなかったのは、卵巣と子宮だった。それと乳房も透明になっていたが、乳腺が透けて見えていた。それも一年後には全く見えなくなった。透明人間になったのである。妹はというと、全く同じ経過をたどっており、かなり透明になっていた。
そのころ、ようやく透明化遺伝子が明らかになった。患者姉妹の両親の遺伝子を調べた結果、両親ともその遺伝子を持っていることがわかり、それだけではなく、日本人はほとんどみなもっていた。沖縄と北海道の一部にはもっていない人もいた。ところが、中国を始めアジアの国々、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカの人々にその遺伝子はなかった。
進化の過程で新しく作られた遺伝子の可能性がある。透明化遺伝子、澄田医師はそう名付け、博士号を取得した。その本では、いずれ日本人はその遺伝子により、透明化が起きることを予言し、その対応について、個人の自覚と、社会変容が必要であることを説いていた。
それを契機に日本では透明病専門医制度ができ、多くの研究者が日本で研究を始めたのである。
私も透明化の過程の研究で学位をとり、個人病院を開業した。透明医院と名付け開業して四十年、私も年をとり傘寿を迎えることになった。そこで、澄田医師と同じように、医院に訪れた透明病患者の、いろいろな症状について、日を追って日記風にまとめた本を作ることにしたのである。本は透明人間百態と名付けた。現代の書籍はほとんど電子版になっているが、天然パルプを使った昔風豪華本を造った。しかし電子版で出してほしいという要望がかなりあり、いろいろな透明病患者の中から数編選び、誰でも無料で読めるようにSNSに掲載した。下記の話はそういうものである。
透明人間百態ー透明病を治す、著者 内山一是、2288年、8月8日、一龍書房、A5版、980ページ、背革ハードカバー、箱 定価88000円 限定88部。
1 ストレスと透明化。
開業して間もなく、透明になることが一般的ではない頃である。会社に行くのが怖くなった患者がきた。会社でちょっとした失敗が重なり、上役からかなりお説教を食らったようである。ちょっと気が弱いところがある28歳の男性であった。母親が連れてきた。
「一昨日でしたか、朝起きてきて、会社に行きたくないと訴えるので、休みなさいと、あたしが会社に電話をしたんです、全く向こうの反応ったら、あそうですか、お大事に、ですって、やな会社ね」
母親ばかりしゃべっている。
「頭に痛みがありますか」
男性に聞くと、首を横にふった。
「頭は痛くないって言ってました」母親が言い添える。
「どのような感じですか、食事は食べましたか」
「あまり食べないんですよ、なんだか、気分がよくないようで」
わたしはちょっといらっとした。と言っても顔には出さない。
「優しいお母さんですね、患者さんお話できますか、頭はどんな感じですか」
「重い」
一言つぶやくように息子は言った。
「好きなことはなんでしょう」
「この子は、昔からゲームが好きで、上手ですよ」
「息子さんそうですか」
首を縦に振った。
「会社は嫌いかい」
首を横に振った。会社は嫌いではなさそうである。
「眠れるかい」
男は首を傾げた。
「それじゃ、一回だけだけど、今晩寝る前に飲む薬を出しますから、明日またきてくれますか」
その親子に軽い睡眠薬を持たせて返した。後で一人でくるように言うべきだったと思った。
次の朝六時、まだ開院していない時間である。母親が表の呼び鈴をびいびい押して、開けると飛び込んできた。
「息子の首がなくなりました」
大騒ぎである。
「首のない息子が、部屋の隅で足を抱えています」
しょうがない、透明病にかかったようだ。往診ということで、看護婦を伴わず、一人でその家に出かけた。
居間で首のない息子が背広を着て会社に行く格好でうずくまっている。
「どういう調子だい」
首のない男は「眠い」
と答えた。
「いつものように6時に起こしたんですよ、そしたら、飛び起きて、首がなくなったんです」
母親が騒いだ。
「あのねお母さん、ゆっくり寝てもらうために、あの薬出したんです、そんなことしたらからだがおかしくなりますよ」
ちょっと厳しく言った。
「子供の頃から早寝、早起きさせてきたから体は丈夫ですよ、会社に行くのにいつも起こしてやっているんです」
母親はいきまいた。
「透明になってしまったじゃないですか、どこか丈夫じゃないのですよ、息子さん楽なかっこうしてきてください」
息子は自分の寝室に行くと、パジャマに着替え、ベッドにはいった。
母親と一緒に彼の部屋に行った。まだ薬が効いているようだ。彼はすぐに寝付いた。するとだんだんと顔が現れてきた。
「ゆっくり寝かせて、ゆっくり食事をさせて、それから、病院の方に一人でこさせてください」
私はそういうと、往診料の請求書をおいて帰った。
午前中の受付終了の少し前だから十二時頃だろう。息子が一人できた。
「眠れたかい」
「はい」
少し声の調子が高くなった。
「首が透明になったのは初めてかい」
「見られたのは初めてだけど、家に帰ってくると、寝る前にたまになった」
「会社でなったことはないんだね」
彼はうなずいた。
「ストレスで、首が透明になってしまったようだね。ひどくなると、体中透明になってしまうよ、下宿して自分一人で生活しなさい、そうすれば直る」
「でも、許してもらえないと思う」
「君は大きないい会社に勤めている。自分の給料でマンションくらい借りることができるだろう」
彼は頷いた。
「私が手紙を書いてあげるから、後は自分で考えてやりなさい」
私はこのままで行くと、首だけではなく、全身が透明になって、世の中で生きていくのが大変になるので、一人で暮らすようにしたほうがいいことを説明し、書いてもたせた。さらに、住むところ、引越しなどはすべて自分で決めさせることが病気を治すのに大事だ、それでないと最後は死に至ります、とも書いた。
ストレスがかかると、透明化するということは話では聞いていたが、医院では初めての患者だった。脳、神経の働きはからだに強い影響を与える。脳が疲れて神経細胞が疲弊すると、神経だけではなく、神経線維がいっているからだの部位の色素が消えていくようだ。
かなり多く人がその病気にかかっているようである。最も透明になりやすいタイプは従順な、親思いで、親の言うことを何でも聞く性格の男がかかりやすいようだ。昔母源病といったものの新しい形である。
2。意識で透明化がおこる
これも開院して間もなくであった。患者は二十歳の女性である。帽子をかぶって、サングラスをかけ、化粧が濃い女性であった。よく見ると長袖のブラウスに手には手袋、足には厚手の黒いストッキングをはいていた。透明化が起きている人間は必ずこういう格好をするものだ。
椅子に座ったその女性は、帽子もサングラスもとらなかった。通常なら、それらをとってもらわないと、表情や皮膚の状態から最初の判断ができないが、透明人間になると目視はあてにならない、声の調子などで最初判断する。
「どうなさいました」
女性はもじもじしながら、「内科の病気じゃないのかもしれませんけど、胃の具合も少し悪いのでこちらにきました」
と言った。
私はあそうか、と思った。口の中が何にもないのである。首の裏の化粧が見えるだけである。完全に透明化が起きているようだ。
「ここでは大丈夫です私は透明専門医です、帽子、サングラスと手袋を取ってください」
女性はちょっと間があったが言われた通りにした。
まつげや瞼はあったが目玉は透明であった。手も透明だった。
「はじめてですか」
「いいえ」
「最初はどうしてそうなりました」
「みんなで喫茶店に行って、コーヒーをこぼしたときに、あやまって、ハンカチでテーブルを拭いていると、手が透明になってきました。ウエートレスさんがきてすぐに布巾で拭いてくれましたが、はずかしくなって、手を洗ってくると洗面所に行くと、耳がどんどん透明になってきて、あわてて耳にも化粧をして、そのとき幸い帽子も鞄に入れていたので、帽子をかぶってもどったんです。みんなは何かの話題でわいていました。それで、ちょっとからだの調子が悪くなったので帰らせてもらうことを言って、家にもどりました。家に帰ったら透明でした。スラックスはいていたのでよかったと思います。
透明の状態は一時間ほどで直りました。
次は道で石につまずいて転んだときです。スカートがめくれて、下着が丸見えになりました。幸い誰もいなかったのですが、あ、恥ずかしいと思ったとたん、足がどんどん透明になっていくので、あわてて家に戻ると、体が透明になっていました。それも一時間ほどで元にもどりました。
今度で三度目です。今日は会社の休みの日だったので、朝シャワーをあびていたら脱衣室においておいたスマホがなりました。浴室からでて、スマホを開けてみると彼からだったので、ラインをタッチして話を始めると、画面の彼が、シャワーを浴びてたの、きれいじゃない、というので、見ると、双方向のカメラのスイッチを入れてしまっていて、私の胸を見られてしまったんです。恥ずかしいと思ったとたん透明になってしまいました。彼は逃げなくていいよ、なんて言っていました。そのまま話をして、夕方食事の約束をしました。しかし、今回はなかなか戻らなかったので、もしこのままずーっと透明だったら、どうしようと思ってきました」
「透明になって、何時間になります」
「朝7時になりましたから、二時間過ぎました」
「恥ずかしいと思うと透明になるのですね、もしかすると、それをコントロールできるようになると、意識によって自分から透明になれるようになるかもしれない、まず、恥ずかしくないと思うことですね、難しいことです、恥ずかしいというのは人間だけのものです、人によって、恥ずかしくなる基準が違う。あなたの場合には、恥ずかしくなる閾値が低そうだ。ということは高度な人間なんですよ、もし恥ずかしいと思いそうになったら、透明になりたいと思ってください。そうすると、そのうち自分から透明になり、元に戻りたいと思うと、透明ではなくなる。頭で透明になることをコントロールすることができるようになるのです。あなたの特技となりますよ、便利だ、羨ましいくらいですよ」
「今はどうしたらいいでしょう、もう二時間になりますがもどってきません」
「戻る戻る、彼に会いたいと思ってみてください」
彼女は私の言葉を聞いて、どうしたらいいか分からない様子だったが、戻りたい戻りたいと思ったようだ。
すると、体がだんだん見えてきた。透明だったブラウスの胸元から小柄な乳房の膨らみが現れた。ちょっとコンプレックスもあったのだろう。
「あ、もどってきました」
「できるでしょう、それとね、彼にこのことを隠さず言いなさいね、それが一番いい解決方法だよ」
「はい」
目が戻り歯が戻り、小作りなかわいらしい顔が現れた。
「ありがとうございました」
「またなにかあったらいつでもいらっしゃい」
彼女の顔に笑みが戻った。嬉しそうに診察室からでていった。
だいぶたち、患者のことを忘れていたころだった。彼女がまた病院にやってきた。顔色もよく、化粧もしていないのに若々しく、魅力的だった。
そこで信じられないことをいった。
「ご無沙汰しております。大変お世話になりました。あれからいろいろありました。今私、自分から透明になりたいと思うと透明人間になれるようになりました。いつでも透明人間になれると思ったら、ちょっと何か失敗して、恥ずかしいと思っても、大丈夫だと思うようになって、透明にはならなくなりました。
でも、自分から透明になれるので、これを生かして、楽しく生活をしようと思います。彼も理解してくれています。決して悪いことには使いません。透明になって恥ずかしいと思うことをしたら、今度はどうなるかわからないからです。透明になって、心も透明になって、とてもすがすがしい毎日です、これも先生のアドバイスのおかげです、ありがとうございました」
そういうと、彼女は洋服を脱ぎだした。そのときにはすでに透明だった。顔も手もすべて透明なのである。下着もすべてとった。目の前には誰もいなくなった。
「元に戻るように思いますね」
声が聞こえると、目の前にぱっと彼女が裸のまま現れた。
「私、なにをしても恥ずかしくなくなりました、もう強く生きていけます」
びっくりしている私の目の前で、下着をつけ、洋服を着ると、
「ありがとうございました」
と言って、診察室を出ていった。
自信を持つということは女性をきれいにする。少しばかり驚く出来事だった。
3 水を飲むと透明になる。
透明になることが世間でかなり普通に見られるようになった頃である。六十の老人が病院にやってきた。顔色はよい。年の割には動きもスムーズで、もし疾患があるとすると、血圧か、呼吸器系か、どこかの痛みか。
「どうなさいました」
老人はちょっと神妙な顔をして、「昔から中性脂肪が高く、薬を飲んでおります、それに尿酸値も高いので、やはり痛風の薬を飲んでおります、なんといっても一日二リットルの水分をとれということで、飲みやすい炭酸水を飲んでおります。しかも今年はまだ五月というのに真夏日になったりして、水を飲なまければなりません。それはいたしかたないことです」
ちょっと冗長だな、年は72か、年のせいじゃなくて性格か。
「ご相談は何でしょうか」
「あの、水を飲むと、変るのです」
「何がでしょう」
「からだが透き通ってくるのです」
「顔色からすると、体そのものには問題はないようですし、どうしてでしょうね、今は水を飲んでいないのですか」
「前は意識して水を飲むようにしていました、今はやめています。飲みたいと思ったときだけ少し飲みます、そうすれば大丈夫です、痛風が心配ですが」
「痛風の薬飲んでいますでしょ、大丈夫ですよ」
「水を飲むのが心配になっています」
「今透明でないということは、透明になっても元に戻るわけですね」
「はい、透明になって、おしっこに二度ほど行くと元に戻ります」
「今まで、何回ほど透明になりましたか」
「五回ほどです、家族に知られないようにしています」
「奥さんも知らないのですね」
「家内は五年前に亡くなりました、娘夫婦と暮らしています」
「お孫さんはいらっしゃるのですか」
「いえ、おりません、今娘はおなかが大きい状態です、娘夫婦は勤めています、できるだけ迷惑かけないように自分ですべてやっています」
透明になるとなぜ迷惑になるのだろう。そのときはぴんとこなかった。
「透明にならないように、気をつければ問題ないのではないですか」
「はい、そうなのですが、最近、飲む水の量が少なくても、透明になるようになってきました、たとえば朝食に紅茶を二杯飲むと透明になります。飲む水が少ないので、おしっこにもすぐには行きたくなりません、それで透明になっている時間が長くなりました」
「透明なっても洋服を着ていれば、あなたのいることもわかるし、家の中でどのような問題がおありですか」
「ご存じですか、最近、SNSで変な話が広まっています」
私はそのことに関して全く知らなかった。そのとき、その老人から初めて聞いたのである。もっと世間のことを知らなければいけないなと反省した。
それは他愛ない話から世間に広まった噂である。かわいらしいアイドル女優が結婚をして妊娠をした。健康に育つように、産み月まで月に一回、八日の夜中に近くの神社に願を掛けに通ったそうである。アイドルばかりではない、誰でもがツイッターなど、SNS上で、すなわちつぶやいて、自分の状態を知らせるのである。芸能人にとって宣伝効果抜群で、やっていない人はいない。自分の人気の維持のためには必須のことである。
そのアイドルのファンたちは彼女を一目見ようと、夜中にアイドルのマンションの近くに行って、アイドルが神社に参拝に行くのを陰から見ていたのである。
一人で行かないとお参りの効果がないことを、アイドルがツイッターで強調したこともあり、ファンたちはアイドルに気づかれないように後をついていった。ファンというと、だいたいが若い男の子たちである。最初は結婚したことにがっかりし、その後はそのアイドルを助けようと思うようになったらしい。それも、アイドルがツイッターで、みなさんのサポートがなくなったら、活動をやめると言ったからである。脅かされすかされ、それでもファンというのは自分の気にいったアイドルから離れられないものなのだろう。ともかく、アイドルのツイッター技術は長けていて、ますます人気が上がった。
アイドルは産み月の八日の夜中の十二時に、大きなお腹を抱えて、マンション近くの神社に行った。必ずファンがどこか近くにいることを知っていたので、夜中一人でも怖いことはなかった。これも宣伝効果の一つである。
その日、アイドルは神社の前に立ち、いつものように安産のお願いをした。家に帰ると夜中ではあるが、すぐにツイッターで、最後の安産祈願に行ったことをみなに報告した。神社の前で祈っていると、おなかを温かい手が静かにさすったと書いた。本当にそう感じたようだ。
夜中に関わらず何千ものファンがツイッターで、よかった、いい子を産んでとか、また歌を歌ってとか、返事を返した。その中におなかをさすったのは俺だ。というものがあった。「透明ドラッグ」やって裸になって、ついていって触ってやった。とあった。ファンたちはその返事も見た。そこで大騒ぎになったのである。何でそんなことをしたという避難が飛び交った。というのも一人で祈願に行かなければ効果がなくなってしまう。夜が明けても非難は続いた。
透明ドラッグは麻薬や危険ドラッグのたぐいではない、「透明ドラッグ」を飲むと本の三十分ほど透明になれるものである。今はやっていて、体には危険ではなく、効果は短いものなので、国では禁止をしていない。鏡の前で自分の体が透明になっていくのを眺めて楽しむのである、消える時よりも、鏡の中でだんだん現れてくる自分を見るのがいいという。女の子などはそれを飲むときれいになると、手に入れたがるが、なかなか高くて買えるものではない。一粒、五十万といわれている。大卒の初任給である。
ところがアイドルの出産で大変なことが起きた。
願掛けの次の日、アイドルが医者に行ったところ、おなかの中の赤ちゃんがエコーに映らなかったのである。消えたのである。だけど、アイドル女優のお腹は大きく、体は重く、赤ん坊は腹をけっ飛ばしもした。お腹の中に赤子が元気でいることだけは確かである。最近透明になると、音も跳ね返さず通り抜ける人がいることもわかってきた。だから超音波検査で見えなかったのだろうと、医者はそう言ってアイドルを慰めた。
それにしても突如として、胎児が透明になるということがおきた。理由は全くわからなかった。それまでアイドルは毎日、ツイッターで、おなかの中の子供の様子などをファンに書いていた。そして、胎児が透明になったことも書いた。願掛けにいく前のことも詳しくのせた。
すると、またもや、ツイッターに、透明になったやつがそばにいたから、おなかの中の赤ちゃんが透明になったんだと、誰かが書いた。すると、再び、透明になった男へのバッシングが起きた。
しかし無事、赤ちゃんは産まれた。しかも赤子は産まれると同時に、透明から次第に姿を現した。だが、耳がなかった。というより、耳だけ透明のままであった。女の子である。
アイドルはこの悲劇を、よせばいいのにツイッターにのせた。子供が大きくなったときのことまで、考えが及ばなかったのである。化粧をすればいいと考えたのかもしれない。
それから、ますますツイッターのフォロワーたちはアイドルのお腹を触った投稿者を罵倒する声を高くした。
一年後、アイドルがテレビの画面に復帰すると、その非難はやっと収まった。ところが、妊婦のそばに透明人間がいたり、透明人間に触れられると赤子が透明になるから気をつけろという都市伝説になってしまったのである。
診察にきた老人は、その心配でやってきたということなのだ。
「娘と、義理の息子が何というかわかりません」
私はこう言った「利尿剤を出しておきます、飲みたいだけ水を飲んで、すぐにこれを一錠飲んでください、トイレにすぐに行って、少しでもおしっこがでれば、透明になりません、娘さんはまだ会社勤めですよね、娘さんのいる土日だけ、この薬を飲んでください、生まれる予定はいつですか」
「十月八日です」
「あと、六ヶ月ですね、産休に入るといつも家にいるわけですけど、あなたが散歩にいったりして、顔を合わせる時間を減らし、さらに水をたっぷり飲んで、一緒に食事するときは、食後にすぐにこの薬を飲んでトイレに行ってください」
「それで大丈夫なら、水を飲むと透明になることは娘にいわんですみますな」
「言っても気にしないかもしれませんよ、ご自分で判断なさってください、透明になることは今では一般的によく知られている現象だから、大丈夫だと思いますけどね」
そばで聞いていた看護婦の家内が奥から一冊の本を持ってきた。
「この本にそれも書いてありますよ、おじょうさんに読んでもらうといいですよ」
著名な作家が書いた「現代の都市伝説」という本だった。
老人は「読んでみます」と薬をもって、ちょっと楽になったとみえ、頬がゆるんで帰って行った。
「水が必要な人に、利尿剤だしていいの」
家内が心配そうに聞いた。
「あれは、プラセーボ、ビタミン剤だよ」
家内は笑ってうなずいた。
4 気圧が下がると透明になる。
このところ、台風がくる二日ほど前になると患者が増える。まるで喘息のようだ。その昔、日本人のかなりの人間は喘息持ちだった。アレルギー体質の人は往々にして、喘息になりやすい。春秋、季節の変わり目に、夜中になると呼吸が苦しくなり、目が覚め、肩で息をして、体をおこして眠いのを我慢してなんとか息を吸う。寝ると交感神経の働きが弱まり、副交感神経の働きが表に出てくる。例外的な臓器もあるが二つの自律神経は相反する作用を持っている。心臓を強めるのは交感神経で、弱めるのは副交感神経である。空気を肺に送る管、気管支も同様で、交感神経により太くなり、副交感神経により細くなる。喘息の人はその働きが極端で、夜に副交感神経が強まることによって気管支が細くなるので息がしにくくなる。だから苦しい。ところが、朝になって日が昇ると、交換神経が強く働くので、気管支が広がって、嘘のように発作が収まる。
昼間、人間は動いて生命維持のために働く、ものを食べる。そのためには心臓を強く動かさなければならないし、酸素も必要とするので気管支も太くして空気をたくさん取り入れなければならない。だから交換神経は昼に強く働くわけだ。
喘息の人は気圧の変化に敏感だ。特に下がると自律機能に変調をきたす。それで台風がくるときは調子が悪くなる。それに季節の変化への順応に時間がかかる、だから春秋に発作を起こしやすい。
それは昔のことで、いい薬があるので、今、喘息は病気のうちに入らないくらいである。ところが「透明病」が台風の前、季節の変わり目に多くなるようになってきた。
老若に関係なく、体が半透明になったり、皮膚が透明になって、中の臓物が丸見えになったり、頭が脳だけ残して透明になる患者がやってくる。脳が頭のあるところに浮いているのは何とも奇妙だが、そういう患者で脳の動脈粒が大きく膨れ破裂寸前なのが見つかり、緊急手術で命を取り留めたこともあった。他の臓器に関しても、疾患部を見つけやすい。透明なのも便利なことがある。
さて、そういった患者をどのように治療するか。一時、透明になれる薬はあるが、透明病になり、透明になった部分をすぐに戻す薬はまだ無い。幸い、永久に透明になる病気はなく、いずれ安定すれば元に戻る。だからほっとけばよいようなものであるが、自律機能のアンバランスになることから、患者の体調がよくなくなり、生活にかなり乱れが生じる。精神的にはナーバスになる。それで精神安定剤を処方することになるのである。
夏の終わりに必ず診療所にくるまだ結婚前の、三十ちょっと手前の女性がいる。今日も診療所に来た。
「また、いつものように透明になってきましたか」
「ええ」
その娘はおとなしく気だての良さそうな子である。プロポーションもいいし、顔は何とかという女優に似ているほど整っている。だが、彼氏もいないと言っていた。内気なのかもしれない。
「いつもと違う感じですか」
顔はまだ透明じゃない。
「なんだか胸が重苦しいのです」
見るとブラウスの胸のところは透明である。手や足は少し透け始めているが、まだ形は見える。体が透明になっているようだ。
「だるい感じもします」
家内に測定器を持ってこさせた。女性が手をその機械に当てると、血圧、脈拍から体温、それに血液生分まで即座にわかる優れた機械である。
「微熱がある、白血球が増えてますな、脈もちょっと早い、炎症があるようですね、ただの透明病じゃなさそうだ、体は透明になっていますか」
「ほとんど透明です」
「ちょっと見てみましょう」
私は聴診器を耳にかけた。形は大昔のものと同じだが、AIチップいりで、血液の流れや、呼吸音、細胞の音まで拾って解析し耳打ちしてくれる。
女性はブラウスのボタンをはずした。透明の胸に聴診器を当てると「キャンサーの可能性」と、聴診器が耳打ちをした。
「うーん、大学病院で見てもらった方がいいなあ」
「何かありますでしょうか」
「わからないけど、ともかく解熱剤をだしておきましょう、紹介状を書きますから、できるだけは早く行ってくださいね」
そう言って、彼女の胸を見ると、膨らんだブラジャーからはみ出たところの奥になにか見えた。私は家内を呼んだ。
「ちょっとからだを見せてください、すべてとって、向こうで病院服になってください」
家内がカーテンの陰に彼女を連れていって、病院服を着せて戻ってきた。病院服はバスローブのようなものである。
彼女が私の前に腰掛けたので、ローブの前をはだけた。首と手足は斑に透明だ。乳房は透き通っているが、中に発達した糸のような管が見えた。乳腺である。ミルクを作る部分だが、まだ子供を産んだことのない女性の乳腺は細い。ところが一カ所大きな固まりがあった。ちょっと進んだ癌だ。このレベルなら今の技術では命に心配ないし、術後も元通りになるだろう。本人も一生懸命自分の胸をみようとしているので、妻に鏡を持ってこさせた。
「この固まり見えるでしょう」
「癌ですか」
本人もわかったようだ。
「そうですね、でもとれば直ります、すぐ行ってくださいね」
彼女はうなずいて言った。
「こっちも見てください」
立ち上がると、ローブを縫いで、パンテイを下げた。透明の体の中に、子宮とそれにつながる膣の一部、卵管と卵巣が浮き出ていた。
「いつもこうなるんです」
「そうだったの、人によって透明にならない臓器があるからね」
子宮も卵巣も正常だ、膣上部も問題ない。腫瘍や癌ができやすい臓器である。
「すべて大丈夫、立派に子供が作れますよ」
それを聞くと彼女は、本当に嬉しそうに笑窪よせて、病院着の前を合わせた。
「母が子宮癌で亡くなっているものですから、気になっていたのです」
「よかったですね、乳ガンはすぐに見てもらってね」
「はい、明日行ってきます」
彼女はそういって、足取りも軽く診察室を出ていった。
数年後、彼女は結婚して子供が産まれたことをわざわざ報告にきてくれた。
この件は私にも大きなヒントをくれた。学位を取った大学院の研究室に教授を訪ね、アイデアを話した。
体に注射すると、皮膚や、場合には筋肉まで透明になる薬を作り、それを投与して患部を目視できると異常の部分がわかるし、血管、神経は透明にならない透明薬ならば、それを投与すれば楽に手術ができる。
この基本的アイデアは、新たな薬の開発につながり、体の一部分だけ透明にすることができるようになった。その発明者のなかの一人として、町医者である私の名前がのっているのである。もちろん、薬の特許にも名が入っているので、かなりの特許料が入ってきているが、恵まれない透明人間基金に寄付している。体の透明化は、社会に無意味な差別化を生じさせている。それにより恵まれない大勢の透明人がいる。基金はそういう人たちに使われる。人間の理性は大昔のままである。
5 触れると透明になる。
これはちょっと不思議な患者だった。このような患者はこの時以来一度も現われない。しかし、非常に重要な、透明化メカニズムを明らかにする、端緒となった出来事である。
「次の方診察室にどうぞ」
家内が待合室に声をかけている。
「篠田美子さん」
私も名前を呼んだ。すると入り口のあたりで「はい、診察室に入っています」
と声がした。透明人間だ。
「透明なのですね、椅子に座ってください」
そういうと、椅子の丸い部分が少し凹んだ。
「透明のまま来たのですね」
「はい、タクシーできました、きちんとお金を払って」
「それでどうされました」
「体そのものは健康です、私の場合には一般に言われているようなことで透明化するのではないので、調べていただきたいと思いました」
「はい、お伺いしましょう、それでなぜ透明のまま、裸かのままきたのですか」
「私裸じゃないんです」
どういうことだろうか。
「先生、手を出してくださいますか、見ていてください」
篠田さんがそういうと、前に出した私の手の上に千円銀貨がのせられた。
「どこからだしたのですか」
私がそう言うと、今度は赤い革の財布が私の手の上にのせられた。
「私、着物を着ると透明になるのです、体ばかりではなくて、着た洋服や、洋服のポケットに入れたもの、肩に掛けたショルダーバックなどみな透明になります」
彼女は財布を私の手から持ち上げると、ちょっとの間宙に浮いていたが、すぐに透明になった。ポケットに入れたようだ。このような現象は始めてである。触るものが透明になったら大変なことだ。
私は彼女が書いた問診表をみた。37歳既婚とある。
「ご主人は美子さんが見えないと大変ですね」
「着ていなければ元に戻っているのですね、それじゃ家の中では素っ裸ですか」
「はいそうです、しょうがないのです、パンツ一つはいても、ブラジャーしても透明になってしまいます、ただ手で触ったものや、頭に載せる帽子などは大丈夫です」
それにしてもどのようなメカニズムなのだろうか。
「おしろいを塗ることはできますね」
「いえ、着物を着るのと同じで、いくら塗っても透明です」
ということは、皮膚の広い範囲に触れると、周りのものと一緒に透明になるわけだ。
「洋服を重ね着してもだめですか」
「はい、透明になってしまいます」
「布団に入ると布団にはさまれますね、布団も透明になりますか」
「裸で入ればなります、いつもパジャマを着て入りますので、パジャマは透明になりますが、布団は大丈夫です」
重ね着は透明になるが、布団は大丈夫とはどうしてだろうか。
「ご主人はどうおっしゃっています」
「お前の裸は見飽きた、と言っています」
透明だから分からないが、苦笑しているのが想像できる。
「買い物などはどうしてます」
「ほとんどインターネットで頼んで、家の前のボックスに入れておいてもらいます。それに娘が手伝ってくれています
「お子さんはなんていってます」」
「こうなったのは一月前で、娘と一緒のときでした、それでよく理解してくれていて、娘の前では裸でいます」
「どういうきっかけでそうなりましたか」
「家族で旅行に行きました、十勝の旅館で娘と掛け流しの温泉に入りました。美人の湯という温泉が有名なところです。湯からでて、体を拭いて、下着をつけたとき、「あれ、おかあさん、どこにいったの」という声がしました。「何言ってるの、ここにいるのに」と私は返事をしました。私は娘の頬にさわりました。
「お母さん、透明人間になってる」
娘は私の手を探ると、引っ張って鏡の前につれて行きました。何も映っていません。私は驚きました。そのとき風呂に入っていたのは私たちだけでしたので、よかったと思いました。
それで脱いだ浴衣を着たのです。そうしたら浴衣も透明になってしまいました。私は娘と透明のまま部屋に戻りました。
娘がサイダーを飲んでいるところに、主人が湯から戻ってきました。そうなったことを、説明して着物を脱いでみせると、私が見えるようになりました。たいそう驚きましたが、ともかく旅を続けよういうことになりました。私は透明のまま、一週間ほどの旅をそれなりに楽しみましたが、主人は三人の予定が二人になったことをいちいち説明しなければならなくて大変だったと思います。
家に戻って、ともかく、いい医者を捜そうと主人も骨を折ってくれて、今では珍しい町医者の透明専門医のいる透明医院のことを会社の同僚から聞いてきてくれました。透明人間の研究所にいらして、そこをやめられてから、町の中の透明化の状態を調べるために開業なさったということですね」
「ええそれもしていますが、まあ、ちょっとした言い訳で、今の科学の技術はすごい勢いで進みます。私のテクニックなどは古いものになってしまい。後進に道をゆずったというところでしょうか」
「私のような患者さんも来るのでしょうか」
「いろいろな患者さんがきますが、篠田さんのケースはじめてです。大昔、ある女性が指で相手をさわると、透明化させてしまうという話が、古い本に載っていますが、それに近いような現象ですね」
「どうなっているのでしょうか」
「そのメカニズムはわかりませんね、皮膚と接触するものが透明になるということは、あなたの皮膚から物質なり、信号がでて、触れたもの、着物ですが、その物質を透明化させるということです。重ね着したものも透明になるというのは、その物質の浸透性が高いのでしょう。
さらに着物を着ることで、その物質がからだに沁みこみ、ご自分も透明になるということだろうと思います。不思議な現象です。私のいた研究所で人以外の透明化を研究している女性がいます。浜田医師といいます。そちらで見ていただいた方がいいでしょう。物理の領域で、透明化を研究なさって、学位を取った方です」
「はい、お会いしたいと思います」
「伺っておきたいことあります。体に身につけるものは、布でできているもの、紙でできているもの、ビニールでできているもの、どのようなものでも透明化が起きるのですか」
「はい、試してみました。紙でできた下着をつけても透明になりました。ビニールでできたものでも同じです」
「木やガラスではどうですか」
「まだやったことはありません」
「下着はどのくらいの広さを覆えば透明になりますか」
彼女はちょっと笑ったようだ。声の調子で分かる。
「先生がおっしゃるのは、下着で、たとえばバタフライや、ティーバックではどうかということですね」
「あ、まあそういうことですが」
ちょっと私も頭をかいた。女房が笑っている。
「ティーバックだけではなりません、ティーバックつけても裸のようなものです」
確かにそうだ。私は家内に言った。
「篠田さんに、向こうで、からだに糸を一本巻いてもらってみてくれないか、それに、背中に木でできているもの、お盆でもいいから押し付けてみてくれるかい、金属製のものもやってみてくれる」
家内はカーテンの裏に篠田さんを連れて行った。
篠田さんが着ているものを全部とったようだ。
「体に糸を一本巻いただけでは透明になりません、ベルトを巻いたら透明になります、腕輪でもなります」
家内の声がした。
「木のお盆を体に押しつけても透明になります」
「他のものは」
「陶器のお皿を体に押しつけても透明になります。金属のトレイでもなります」
どういうメカニズムなのだろう。それらを所見に書き記した。
「おまえ、手で篠田さんの肩なりにふれてみてくれるかい」
「やってみました。篠田さんは透明になりましたが、私はなりません」
篠田さんが言った。
「娘の顔を触ったり、猫をだっこしても、娘や猫は透明にはなりませんでした、ただ私が自分を触ると透明になりました」
「ありがとうございました」
篠田さんは洋服を着て透明になり、また私の前の椅子に腰掛けた。
「無生物が肌に触れると、自分ともども透明になる、しかし、生き物が接触すると相手は透明にならないが、自分はなるということですね、まず篠田さんの皮膚は何かが触れると透明化を起こすシグナルを出す。そのシグナルは接触したものに透明化を促すが、生きているものはそのシグナルを受けても防御する仕組みを持っているということです、さらに着ている物により、シグナルがご本人のからだにいく、そのシグナルを出す仕組みがわかれば、それを阻害すれば着物を着ても透明にならないことになります、これらのことを書いて、紹介状を書きます、きっともっと細かに測定をして、浜田先生はいい薬を開発してくれますよ、ともかく接触した物質が透明になるという現象はまだ知られていないので、研究者がこぞって調べてくれますよ」
「ありがとうございます」
篠田さんは、症状を書いたものと紹介状をもって帰っていった。
一月後、研究所の浜田先生から、患者の紹介のお礼と調査結果がメイルでおくられてきた。本人の皮膚の細胞を調べたところ、メラニン細胞が異変を起こしていて、透明化物質を生産し、からだに触れたものの刺激で体中にその物質が浸透し透明化する事がわかったそうである。想像していた通りである。その物質は触れさえすれば他のどのようなものも透明化する事ができる能力を持つようだった。布などではしみこんで、さらに外に触れたものも透明化させるようだ。これを合成できれば大変な発見になると思うと書いていた。生命体がその物質で透明化しないのは、篠田さんのその物質に対して、免疫反応を起こし透明化しないのだそうである。
篠田さんを治せるかどうかメイルで尋ねた。
「自己免疫機能を高め、皮膚で造られる透明化物質にたいして、抗体ができれば直ると思われます」
とのことだった。さらに、北海道の宿の美人の湯が篠田さんの皮膚のメラニン細胞の遺伝子にどのような変化をおこしたのか調べているところだと書いてあった。その湯に入った人を何人か調べたが、篠田さんのような変化は起きていないということである。篠田さんのメラニン細胞の遺伝子が特殊だったのだろう。
人類にとってやっかいだが、透明病は新たな発見をもたらす。人間の進歩を促すものにもなるようである。
半年後、浜田先生が製薬会社と共同して、薬を開発してくれたことを報告しに透明医院をわざわざ訪ねてきた。
それは大変な発見だった。ただ、そのメラニン細胞から作られた透明化物質そのものはタンパク系のものだったので、自分の透明化を防ぐ抗体ができたのだが、接触した物がなぜ透明になるのかまだわかっていなかった。物理学者、化学者が総出で調べているということであった。物質の分子の性質、並び方が変って光を屈折させなくするわけだが、タンパク質がそんなことを引き起こすわけがない。今考えられているのは、透明化物質を作るメラニン細胞から、未知の物理的シグナルが出された結果ではないかということである。
透明化物質が自分と触れたものを透明化するのではないようである。そのシグナルが皮膚に触れた物質に変化を起こし、布などではシグナルが透過しやすいので、その外側のものまで透明化するということである。物質の透明化は分子レベルの出来事のであり、まだ人間には解明できないかもしれない。
温泉のお湯で異変した篠田さんの皮膚のメラニン細胞を培養して、その点を調べようと今取り組んでいる最中とのことだった。
6 時のリズムと透明化。
開業して二十年目に来た患者である。色々な原因で透明化になることがわかってきた頃であるが、時間によって変るという不思議な透明化をする患者だった。
二十代後半の夫婦が生まれて五ヶ月の男の子を連れて診療にきた。奥さんがだっこしている赤ちゃんは、泣きもせず、きょろきょろ周りを見て、私を見たらにこにこと笑顔を見せた。どこも悪くはなさそうである。二人を椅子に座らせて聞いた。
「お子さんどうしました」
父親が「子供だけではなくて、私と妻も見ていただきたいんです」
「お腹でもこわしたのですか」
三人ということは風邪にでもかかったのかと思ったのだ。ところが、彼は首を横に振った。
「いえ、体の具合は三人とも悪くありません、子供が産まれてから、家内も私も透明化になやまされているのです」
奥さんが赤ちゃんを持ってきたベビーカーに座らせると自分の顔を指さした。
何かと思っていると、奥さんの顔がゆっくりと透き通って、見る見るうちに全身透明になった。
声だけがした「わたし、6時間おきに、二時間透明になるようになりました、今10時ですから、お昼まで透明です」
「僕は4時間おきに二時間透明になります、11時になると透明になります」
「私は朝の2時から4時、10時から12時、次は夜の18時から20時に透明になります。夕食の用意の時に透明になるのでちょっと不便です、
主人は23時から1時、5時から7時、11時から13時、17時から19時の4回透明になります、透明になっても主人はコンピューターワークですので支障はありません、やはり帰宅して調度夕飯時に二人とも透明になります。大きな問題はありませんが、できれば透明にならないほうがいいので、お医者さんを探していたのです、そのうち子供まで、透明になるようになってしまいました」
「お子さんもやっぱり一定の時間で透明になるのですか」
「はい、子供は十時間おきに二時間透明になりました、零時から2時、12時から2時です」
「お子さんは透明になるとき、どんなです、いやがるそぶりを見せますか」
「いえ、にこにこしてはしゃぎます、夜中は透明になるときにちょっと目を覚まし、すぐ寝てしまいますが、お昼に透明になるときはきゃっきゃと喜びます」
「気持ちがいいのですね」
「そうかもしれません」
「奥さんは透明になるときにどうですか、気分は」
奥さんはちょっともじもじして、なぜか顔を赤らめている。旦那の方が言った。
「あの、僕の方は、その、透明になるときはもやもやして、あの朝と同じでーーー」
言いにくそうだったので私が言った。
「朝立ちと同じですな」
彼はうなずいた。
「エレクションは副交感神経が強まっているんですよ、となると、透明になるときは、副交感神経が刺激されていますな、それにどうも性的欲求も高まってます、エレクションは脊髄レベルですが、性欲は大脳ですね。我々の脳の中には24時間リズムを指令しているところがあります、実際は25時間に近いのですが、太陽の光のリズムの影響を受けて24時間リズムになっています、時間遺伝子というのがあって、脳の時間のリズムを司るところで働いています。それに、臓器の中の細胞にも時計遺伝子があるのですが、皆さんご家族は、それが透明化に関係しているようですね、うまくすれば、奥さんとご主人のリズムを同調させれば透明になる時間を一緒にできるかもしれないですよ」
「どうやったらいいでしょう」
二人で行うことの時間を合うように調整してみるといいでしょう、食事の時間、これは働いているご主人と一緒というのは難しいところもありますが、必ずお昼は12時に食べ始めるとか、寝る時間も一緒にして、起きる時間も一緒にする、あれも時間を決めてする、などです、できるものからやっていたらいかがですか」
「はい、そうしてみます」
「ところで、どうして、透明化が始まったのか考えてみたいのですが、どちらが先になりましたか」
「私です、分娩を終えて、次の日になりました」
「考えられる原因はありますか、分娩そのもので透明化というのは考えにくいですからね」
彼女は首を横にふった。
「分娩の時のことを教えてください」
「夕方、陣痛が30分ごとになったので、タクシーで病院に行って病室にはいりました。すぐに15分間隔になったので、分娩室にいきました。陣痛はとても痛くて、長く感じられました、出始めてからも時間がかかり、とても痛かった。涙が出てきました。やっと生まれて、ほっとしたら、ぐううんとまた痛みが襲って、それが終わったら、すーっとして気持ちが晴れやかになりました、そのとき赤ちゃんの鳴き声が聞こえてほっとしました、5時半でした。
私は病室に戻され、すぐに看護婦さんが赤ちゃんを連れてきてくれました。看護婦さんが私の胸のところに赤ちゃんをおきました。赤ちゃんは手で探って私の乳をさぐって、吸いつこうとしました。看護婦さんが補助してくれて、赤ちゃんがほんの少しですが乳首を吸いました、そのときは初乳がでたのかどうかわかりませんでした。しかし吸われているときの心地よさは忘れられません」
「何時頃ですか」
「6時だったと思います」
「陣痛と、授乳がきっかけで透明化が始まったようですね」
「ご主人はいつからですか」
「子供が産まれて一月たたない頃です」
「お子さんはいつからですか」
「気がついたのは生まれて三日目です」
「お子さんのほうが早いのですね」
「はい」
「ご主人と赤ちゃんと、透明化のきっかけを考えてみましょう、一つには赤ちゃんはお母さんの接触がそうした可能性もあります、以前、皮膚から透明化物質が出る人がいました。接触だとするとご主人の発症が遅すぎることになりますから違うかもしれません、赤ちゃんは生まれてすぐに母乳を飲みますが、母乳はでているのですね」
「はい、だんだん良く出るようになって、あとになって搾乳器を買いました。それでもたくさん出すぎて、冷蔵庫に保存していた母乳を捨てるほどでした、主人がもったいない、俺が飲んでみるって言って、暖めて飲んだことがありました、何回かあったのですが、味はやはり牛だっていって捨ててました」
わたしはぴんときた。
「それはいつごろからですか」
「生まれて2、3週間経ったころからです」
「奥さんのミルクが透明化の引き金になったのでしょう、私のいた研究所を紹介します、付属病院で診てもらってください、紹介状は書きます、きっと奥さんのミルクからその成分を調べて薬を造ってくれます、ただ、こう透明化する人が増えてくると、むしろ透明化を促進して、透明になることを利用して、うまく生活方法を考えるのも一つです、そのあたりは社会の情勢をみて決められるとよいと思います」
「はい、ときどき、透明になってすがすがしい気分になります、ストレス解消にいいかもしれません」
「最近お子さんが透明になったと言って、相談にみえる方が多くなってきました、いずれ、みな透明になる日が来るかもしれませんね」
二人は納得した面もちで、寝てしまっている子供が入った乳母車を押して診察室を出ていった。
7 透明化学会講演会。
この話は開業して三十年目の頃だから、古希を迎える少し前のことである。日本の様々な学会、医学、生物、農学、水産、薬学、化学、物理、地学、数学など理学系と呼ばれている領域ばかりではなく、文学、芸術、法律、政治経済、いわゆる文系という領域にも透明化分科会がつくられ、それぞれが相互に、研究会やシンポジウムを開いていた。
その中で、生命系の総合透明化シンポジウムが行われ、私も医学領域の現場からの発言者として講演を行った。生命医科学、獣医畜産学、水産学、植物学、薬学のトピックスが三日かけて討論され、どれも興味深いものばかりで、久しぶりに頭が熱くなった。熊本で行われたこともあり、八代湾で見つけられた動物たちの透明化の話がおもしろかった。
八代海は小島のたくさんある栄養豊富な海である、昔からきれいな魚や珍しい動物がたくさんいて、潜って生き物を観察するいいスポットになっている。
そこで半透明のタツノオトシゴが採集されたということだった。八代にはいろいろな色のタツノオトシゴがいる。周りの色にあわせて、ピンクになったり、黄色になったりするタツノオトシゴがいるそうである。透明になったのはこの種類だそうである。と言うことは周りが透明だったということかもしれないと思った研究者は、海に潜って調査をおこなった。
「海の中には透明に近い生き物がいます。よく知られているのは、スジエビの仲間です、スジがあるのでわかるのですが、体の中はガラスのように透けて見えます。他にも透明まではいかないまでも透き通る生き物がたくさんいます。水母の仲間、特に深海にいる者は輪郭しか分からないものもいます。しかしタツノオトシゴがその生き物達と一緒にいたから透明になったということは無いでしょう。色の変るタツノオトシゴは通常、珊瑚や藻の仲間の中にいてその色になります。海の中を何日もかけて見てみていくと、ありました、透明の珊瑚です、そこに何尾もの透明なタツノオトシゴが集まっていました。それだけではなく、透明なイソギンチャクがいくつもついていました。更に、スジまで見えなくなった透明なスジエビがたくさんいます。
そこを一年通してしらべた結果、スジエビはイソギンチャクに守られているのですが、珊瑚の殻に卵を産みます。珊瑚は触手をだしてその卵を食べます。その食べたスジエビの卵の成分によって、珊瑚が透明になります、珊瑚についているイソギンチャクの付着した底に珊瑚の殻から透明物質が放出され、イソギンチャクが透明になります、それによって、周りのタツノオトシゴが透明になったのです。
珊瑚、イソギンチャク、スジエビには細胞を透明化する同じ系列の遺伝子があり、透明化物質を造る遺伝子が生じていることがわかりました。タツノオトシゴの遺伝子は環境に適応するためのもので、透明化の遺伝子ではありませんでした。いずれ透明化遺伝子が生じるのではないかと思っています」
そういう話だった。
昆虫の先生が、
「昆虫の透明化は鼈甲亀虫から始まりつつあり、角が透明なカブトムシがみつかりました、まだ蝶や蛾の仲間には透明化が起きていないようです、透明化した甲虫は鳥などの捕食から逃げることができるので、有利ではないでしょうか」
と話した。参加者から蚊や蚤など害虫が透明になったら大変だが大丈夫だろうかと言う質問がでた。
それに対し、免疫生物学者が、
「透明化した人間は免疫力が向上し、かゆみを感じることが少なくなっているようなのでかゆみは問題ないと思うが、ウイルスなどの媒介をするので、心配です」
と訴えた。
私も手を挙げて、透明化した患者は蚊や蚤に食われてもかゆくならない。将来かゆみという感覚を必要としなくなってくるだろうと説明した。かゆいという感覚は痛覚の仲間でどこかで炎症があることを報せるものである。皮膚での炎症がなくなればかゆみはいらなくなる。
爬虫類の専門家が、
「頭以外すべてが透明化した蝮が見つかったが、毒は弱いものとなり、ほとんど毒を造らない蝮もいた、透明化すると身を守る必要もないので毒を造らないようになってきたのではないでしょうか」と結論していた。
獣医さんの話は、飼い猫が人から影響を受けて透明化が始まっているということだったし、畜産の先生は牛に透明化が起きているということだった。透明化した牛の肉の味は格別だと言うことである。しかしそういった動物たちは、まだからだだの一部しか透明になっていないと言うことだった。人間の方が動物達より透明化が進んでいる。
こう言った具合に無脊椎動物、脊椎動物、すべての生きものに透明化現象が起きているようだ。ただ、動物生態学の先生や、進化学の先生方の多くは、人間以外の透明化は一時的なもので、長い目で見ると透明化は終わり、またもとのカラフルなものになると言っていた。それについては遺伝学者も同様の指摘していた。動物たちの透明化遺伝子は安定しておらず、劣勢なので、時々現われるにしても大半の個体は今までどおりで、透明化した個体は外的に襲われる確立は低くなるが、人と違って体力は劣化するようだということである。
一方、植物の先生が植物はまだ透明化は起きていないようだと述べていた。もちろん菌類、茸類も透明になっていない。もちろん細菌は目に見えないが、電子顕微鏡では見ることができる。透明化とは電子顕微鏡でみても見えない状態になることである。
しかし透明人間の細胞を染色せずに普通の顕微鏡や電子顕微鏡で見ると全く見えないが何らかの物質で染色を施すと見ることができるようになる。透明人間にペンキをかければヒトガタが現われる。触れることはできるわけである。
シンポジウムのプレジデントである生態学者が、透明化は今は病気だが、いずれ透明が当たり前になり、見えなくてもコミュニケーションのとれる仕組みが体に備わるだろうとまとめた。
そこまで行くには何千年とかかるに違いない。その間に社会的な様々な問題が起こるだろう。身近でいえば、透明化した人間の犯罪も起こるだろう、国と国の問題も起こるだろう。透明人間も透明化が進まない人間との差別なども生じるに違いない。地球がどのような星になるか、いずれにしろ、今は透明化という進化の波が人間たちにおし寄せてきている過度期なのである。
最後に、著名なお坊さんの言葉を記しておこう。
「死はさらなる透明化です、無ではなく、有でもなく、永遠という透明なものの中にはいることです」
病-透明人間譚