ぼくらの時間

あおい はる

 わずかな望み、とかいう、九割がたは絶望の、感じ。高速道路に、ときどき、星が降る。車にはねられて、粉々に砕ける瞬間、星は一瞬、光る。火が、燃えつきるように、光る。街。眠るのが早くなって、真夜中のバケモノがよろこんでいる。街を、じゆうにあるきまわれる時間がふえたので。お酒の瓶のケースが、雑多に置かれた路地裏で、たまに、野良猫とすれちがう。あと、感情に支配された、にんげん。理性をうしなったにんげんは、だいたい、ひとつかふたつねじがはずれていて、それで、はんぶん、しんでいるみたいなのに、妙に目がぎらぎらしているから、ゾンビみたいなどと、真夜中のバケモノは述べる。
 きみが、二十一時のスーパーマーケットの、照明はあるのに一日中薄暗い、黄ばんだ乳白色の、ベンチとソファーの中間のような長椅子が置かれた休憩所で、コーラを飲みながら、進路のことと、しぬことを、同時に考えていた日のことを、思い出す夜があってもいい。閉店間際の、店内には、くたびれたようすのひとが、てきとうに、緩慢に、かごに商品をいれる一方、値引きシールの貼られたおそうざいを、争奪戦かのごとく、すばやくかごにいれてゆくひともいる。おとなになって、はたらきはじめて、お金をもらうようになると、値引きシールが貼られた、作ってから時間も経っているおそうざいが、たいへんありがたいものに感じるのだと、社会人九年目の、ひとり暮らしのいとこが、切々と語っていたとき、ぼくは、きみのことを想ったのだ。現実は、ざんこくで、でも、たぶん、やさしいかおのときも、ある。その、やさしいかおをひきあてたときだけ、にんげんは、世の中捨てたものじゃないと、感慨にひたるのかもしれない。
 真夜中のバケモノは、今夜も、点滅する信号をスポットライトに、踊りながら、あるきまわってる。

ぼくらの時間

ぼくらの時間

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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