幸せのコイン

maoria

主な登場人物
・賀上勇(かがみゆう)・・・進路に悩む高校3年生の男の子。自分が誰だかわからないという玉野琴絵と図書室で出会う。

・玉野琴絵(たまのことえ)・・・引っ込み思案で内弁慶な高校2年生の女の子。
                本当の自分が思い出せなくなってしまったという嘘をついてしまったことでそのようになってしまった。

・玉野みき(3つ下の妹)・・・漫画やアニメが大好きな女の子。姉と違って活発的な性格である。

・相模翔太(さがみしょうた)・・・勇と同じクラスでちょっと個性的な男の子。

・食堂香奈(じきどうかな)・・・一人称が私ではなく“うち”で、という食べることが好き。琴絵とは1年生からの同じクラスである。

・花水木夕子(はなみずきゆうこ)・・・2年生のクラス替えで、琴絵と香奈のクラスに来た子。香奈と違って癒し系でおっとりした子。

一章 嘘がまことへ

ふかふかのベッドの上で気持ちよく眠っていると、「勇、起きなさい」と声が聞こえる。
肩を揺さぶられ、ゆっくりと起き上がった。
「うるさいなぁ、もう少し寝かせろよ」
そしてもう一度掛け布団をもってさらに中へもぐり込む。
「こら、起きろ」
布団を無理やり掴んではがされた。
「今日から3年生でしょ?いい加減、自分で起きなさいよ」
それからカーテンを開けてまぶしい太陽の光が差し込んできた。
「朝苦手なんだよ、母さん」
仕方なく起き上がると、パジャマを脱ぎ始めて着替えを始めた。
「お父さんはもう会社行ったからね」
「良かった。父さんいるとなんか気まずいんだよね」
「私はあんたの気持ちもお父さんの気持ちもよくわかるよ。将来がどうしたいかなんて、わからないわよね。ほら、ネクタイ曲がってる」
ネクタイを直してもらって制服に着替えると、リビングに向かった。
テーブルの上にはトーストとベーコンエッグ、それからコーヒー牛乳が乗っている。
椅子に座って「いただきます」と言った。
「大学行きたいなら勉強頑張ってね。就職ならお父さんに頼むけど」
別に何か勉強したいこともない。
だからと言って、お父さんのように公認会計士になりたいわけでもない。
賀上勇(かがみゆう)は普通より下の成績、勉強が苦手なのだ。
「お母さんは頭も良くないし、勉強教えてあげられないからなぁ」
ちなみに母親は主婦、でも一か月に3回くらいは居酒屋でお手伝いしにいく。

その居酒屋とは父と母が出会った場所だった。
父が独身の時に会社の帰りに飲みにいき、仕事のことばかり考えていた父の心を掴んだ一品があった。
それは母が作った”塩手羽先”であり、厨房で働く彼女に思わず惚れ込んでしまったというのだ。
母も父も同じ駅に住んでいたのも偶然なのか、遅くまで飲んでは一緒に帰ったりもしたという。
結婚後も働いたが新人も少し入ってきたので今はその居酒屋、忙しい時は母が行くのも繁忙期の手伝いの時くらいだ。
「ごちそうさま」
この両親の過去話は良く効かされた。そして、いつも言われることがある。
「あんたもいつかいい子見つけてきなさいよ。すぐじゃなくていいから」
すぐに聞こえるんですけど・・・。毎回言われると、早くしろと言われている気分だ。
「じゃあ、歯磨きしたら学校行くから」
「もう冷たいなぁ」
勇はお皿をキッチンの方に片付けて、洗面所へと向かった。


勇の高校は関内駅にある。
彼の家は戸塚で駅までは歩いても15分、電車に乗ると地下鉄ですぐに着く。
関内駅に着くと友達が改札口で待っていた。改札近くの柱にもたれてスマホを眺めている。
「勇、おはよ」
友達の相模翔太(さがみしょうた)が勇に気づいて挨拶する。
「おう、翔太。早いな、また野球の試合見てるのか?」
改札口を通ったら南口の方に歩いていく。翔太は動画を見ていたようだった。
「もちろんさ、大学も野球が強い学校行きたいし。勉強は苦手だけど、これだけは誰にも負けないからな。勇はどうすんだよ」
「特に決まってねぇ」
「のんびりしてっと候補なくなるぞ」
そうは言われても得意なものもないから目指す目標がわからない。
友達の翔太は3年間同じクラスで席も近かった。昼食中、一人で食べていることが多い勇に声をかけたところがきっかけだった。
勇と違って明るく、ちょっと空気が読めない冗談が好きだけど、悪いやつでないことは確かだ。
親もスポーツが得意なので、その影響で小学校の頃からずっと野球をやっているという。
それに女子にも性格で人気なのだ。
野球で打ち方がかっこよく決まると、ナルシストみたいに「俺かっこいいだろ?」と見せつけてくる。
まぁ、そこがいい意味で面白いからだ。
「彼女も作って大学生活送って・・・ついには結婚」
「今から彼女作れば?モテモテじゃん」
「今度、試合だから忙しくて彼女作る暇ないんだよ」
南口から出るとスタジアムの方に歩いていく。
そして、スタジアムを過ぎていくと白っぽい建物の学校が見えてきた。
扶郎花(ふろうか)高校、校長先生が扶郎花つまりガーベラの花が大好きでたくさん植えてあるところからそういう名前になった。
このガーベラは花言葉で希望という意味がある。
何事にも希望を持ってほしいという気持ちも込められている。
今日から久しぶりの授業が始まる。
勇はため息をつくと隣にいる翔太も同じようにため息をついた。
2人のため息が同時に出ると、思わずクスっと笑ってしまった。唯一の2人の共通点は勉強ができないというところだった。


1時間目から昼休みまで眠くなるような授業、勇はとりあえずノートに取りながらあくびをしていた。
昼食に入る時間の前、担任の先生が教室に来た。
「昼休みと放課後にみんなと進路の話をしたい。食べ終わったら出席番号1番から17番までの人は4階の空き教室に来るように。残りの数は放課後、用事があるやつは次の日だ」
先生はそう言い残して、教室から出ていくと皆が面倒くさいという顔をした。
机を向かい合わせにくっ付けて勇と翔太は昼食を食べることにした。
「お前の母ちゃん、ほんと料理うまいよな。俺も弁当くらいできたらなぁ」
「自分で作れる方もすごいよ」
「いやいや、サンドイッチとおにぎりしか作れないし・・・」
「作ってもらえば?」
「うちのばあちゃん、家のことで忙しいから朝ごはんは俺が担当なんだよ」
翔太は自分でサンドイッチを作ってくる。野球で朝練習もあるので起きるのも慣れているのだ。
母親が中学1年の時に離婚していて、父親と翔太、二つ下の弟、父方の祖母の4人暮らしである。
離婚した理由はよくわからないが、母親の浮気が原因だったらしい。
「夜ごはんの残りとかを入れたらいいんじゃない?」
「弟も俺もよく食べるから、残りがないんです。それより進路の話、何か聞かれる前に適当な学校決めとけ。あとで変えたらいいんだからさ」
「そうは言ってもなぁ」
名前順で勇は賀上なので5番目、早く終わる方がいいけれど後半の順番がうらやましい。
ちなみに翔太は15番目だ。
弁当を食べ終え、片付けていると教室のドアが開いた。
「賀上くん、次来てほしいって」
4番目の女の子が勇を呼んだ。
勇は「わかった」と手だけ振って合図して立ち上がる。
「頑張れよ」
何を頑張ったらいいんだ。教室から出ると4階の空き教室に向かった。


昼休みの進路の話と午後の授業が終わって放課後になった。
先生には適当に「自分にあった大学見学しに行きます」と、答えておいたらなんとかなった。
また数か月たったら進路決めと三者面談がある。
さすがに2回も同じ手は使えない。
翔太の方は野球のことを話したら先生から良い学校をオススメされて、そこにするとすぐ決めたそうだ。
成績よりもスポーツメインの学校らしい。
部活に行くからと彼とは別れて、勇は図書室に寄ることにした。
教室を出て1階まで階段を降りていく。
親には調べ物があるから遅くなると連絡をしておいた。
調べ物というより本当は帰りたくなかったのだ。三者面談の話もしなきゃいけない。
「マジでどうしよ」
独り言をつぶやいて、1階に着くと右側にある外廊下を通って図書室に着く。
ここの図書室は3階まであって、1階が就職や大学関係、辞典などが置いてある。
2階は本や新聞に外国文学本、3階はまだ整理されていない本の物置。
勇は2階の階段を上って、本を眺めていた。
(なんかヒントくらい見つかればなぁ)
そう思っていると、机が何個か並んでいるところにうつぶせになっている女の子を見つけた。
見たところ眠っているようだ。
本を広げてその上に顔を乗せている。ブレザーに2年生のバッジがついている。
「俺も寝れるくらいの余裕欲しいよ」
眠っている彼女がちょっとうらやましかった。
前の席に座る。物音立てても起きもしない、ぐっすり眠っているようだ。
カバンについた柄がない藤色のパスケースには名前が書いてあった。
玉野琴絵(たまのことえ)、珍しい苗字だな」
キーンコーンカーンコーン、学校のチャイムが鳴った。
そろそろ図書委員の見回りが来る時間だ。
本に頭乗せて寝ているなんて、図書委員が見たら注意されてしまう・・・自分の家ならともかく学校の本だしなぁ。
「おーい、起きろ」
小声で肩をゆすってみる。
びくともしない。
「起きろってば」
今度は強く揺さぶってみた。すると、「うーん」と唸って顔をあげた。
「だあれ?」
目をこすって前を向く。
「図書委員が来る前にその本しまえよ」
「・・・」
玉野琴絵は本を閉じて、立ち上がるとしまいに行った。
棚に戻している間も心臓の音がリアルに聞こえる。
(あの人だ。あの人だ、間違いない。どうしよう)
再び戻ってきてお礼を言う。
「ありがとうございました」
「何読んでいたんだ?」
質問されて琴絵は答えに行き詰った。
(話すの?会話続けるの?)
「カメラについて書かれた本です。ところで・・・一体、私はどこの誰なんでしょう」
勇は「え?」という顔をした。
女の子は口を両手で覆った。
(しまった。言ってはいけないこといっちゃった。)
余程の天然な女の子なのか。物語の見過ぎでちょっと変わった子なのか。
「・・・。君、名前はわかるだろ?」
「全然わかりません」
泣きそうになるが誰か来たらまずいので、こんなところで泣くわけにもいかない。
「保険証、持ってる?」
女の子はカバンを開けて猫の耳が付いた黒い財布を取り出した。
「玉野琴絵?私はそういうのですね。なるほど。住所のところ、ねぎし?って読むんですか?」
保険証を勇に渡すと、後ろに書いてある住所を読んでみた。
この子はどうやら根岸駅に住んでいるようだ。
「一人で帰れる?」
「うーん、わかりません。お願いがあるんですけど、送ってもらえますか?」
その言葉になんて回答していいのかわからなかった。
だって、女の子と一緒に帰ったことなんてないのだから。


学校から校門に向かって歩いている間、2人は少し離れて歩いていた。
こんなところを誰かに見られたら恥ずかしい。
一番見られたくないのは翔太だ。
彼は調子に乗ってからかってくるに違いない。
でも、良かった。
野球部は着替えに行っていたみたいで校庭にはサッカー部と陸上部しかいなかった。
校門から出ると2人は一緒に並んで歩き、駅に向かう。
玉野琴絵、髪は肩まで伸びたナチュラルボブ。太陽に照らされると少し赤茶っぽい色をしている。
あんな変なことを言い出す割に嘘をついているようにも見えない。
「家族のこととか覚えてないの?」
スタジアム近くまで来て勇が聞いた。
「妹がいます。確か中学生だったかな。4人家族でそれから・・・うーん」
頭を抱えて髪の毛をぐしゃぐしゃにしている。
「無理すんな」
途中に自販機があり、止まって何かを買うために財布を出した。
「これでも飲めよ」
「あ、ありがとうございます」
渡されたのは小さいペットボトルのほうじ茶、勇は缶コーヒー牛乳を飲んでいる。
しばらく歩いて、そして関内駅のJRに着くと根岸駅に向かう電車に乗った。
根岸駅は7分ですぐに着いてバス停のところまで来ると再び、彼女の住所を見せてもらう。
どうやら、根岸森林公園に行くまでのどこかに家があるみたいだ。
地図の前で立ち止まって場所を確認することにした。
「この公園、知ってます。小さい時によく遊びました」
「住所だと・・・こっちから行くのか」
改札口から北側の交差点を渡って“東町”というバス停まで行くと、細道がある方に左折する。
そこからずっと歩いて行くと長い階段があり、上まで登っていく。
勇はそんなに疲れてないがこんなに歩いたのは久しぶりだった。
琴絵は全然疲れている様子もない。
それはそうだ。この子は学校まで行くのに毎日ここを歩いている。
少しくらい体力はついていてもおかしくはない。
階段を登りきると、スマホが振動して、ポケットから取り出すとメッセージが入っていた。

“今日、急に呼ばれたのでお店に行ってきます。
晩御飯は好きなの買って帰ってね。
お父さん、今日は遅いからカプセルホテルに泊まるって。
私の帰りは10時くらいかな。それじゃあ、行ってきます(*^^*)”

チャンスだ。今、勇は琴絵を家に送っている。
帰りが遅ければ何か言われるが、2人がいないなら友達の家に行ったとでも言えばいい。
スタンプで“了解“を押して、スマホをしまうと再び歩いて右の方に向かう。
「この辺りかな・・・・あ、あれか?」
住宅街が並ぶ中、白っぽい一軒家を発見する。
名前のところを見ると“玉野”と書かれていた。
「着きましたね」
「じゃあ、俺は帰るから」
元来た道を歩こうとする勇を琴絵は引き止めた。
「ま、待ってください」ブレザーのすそを掴んでいる。
「良かったら、夕飯をご馳走します」
「いや、それは急に悪いって」
ブレザーを引っ張るが琴絵はしっかりと掴んで離さない。
「お願いします。ちょっとだけでいいんで」
「怪しいと思われちゃうだろ」
2人がそう言い争っていると、玄関から女の子が出てきた。
「もう、玄関まで聞こえすぎ・・・ってこの人誰?もしかして、お姉ちゃんの彼氏?」
女の子は中学生くらいで琴絵よりも短いショートカットの髪型、トレーナーみたいな服を着ている。
「(たぶん、妹かな)あのね、この人はね・・・」
首を振るが女の子は信じていないらしく「お母さん、お姉ちゃんが男の人連れてきた」と、家の中に戻っていく。
「誤解されるからやっぱり帰る」
「待って、話せばわかります」
次に玄関のドアが開いた時にはお母さんとさっきの女の子が出てきた。
「琴絵、おかえりなさい。その人は?」
勇は琴絵のお母さんに訳を話した。
自分が図書室で琴絵と出会ったこと、自分のことがわからないということ、ここまで送ってきたこと嘘偽りもなく話した。
「はぁ、なるほどね。勇くんだっけ?せっかくだから上がっていきなさい」
ここまで言われたら断るのも申し訳ない、勇は「わかりました」と言って、家の中に入っていく。
「お邪魔します」
玄関について靴を脱ぐまで妹がずっと勇を見ていた。
「お姉ちゃんをお願いします」
「みきったら、部屋戻ってなさい」
「はーい」
みきは2階の階段を上がっていく。
「ごめんね、うちに男の子なんて来るの初めてだから」
「いえ、別に」
勇だって女の子の家に上がるのは初めてだ。ましてや今日あったばかりの子の家なんて・・・。
リビングに案内され、自分の家よりは広いなぁと思った。リビングの半分は和室でそこに男の人がいた。
「お父さんよ」
琴絵のお父さんは和室にある丸テーブルの上で、パソコンを触っていた手を止めてこちらを見た。
「誰だね?」
「あ、お邪魔しています。賀上勇と言います」
数分間、じっと眺めてから立ち上がり杖を突いてこちらに歩いてきた。
「琴絵の彼氏かい」
「もうお父さんたら気が早いんだから。実を言うとね・・・・」
お母さんが話している間、琴絵はお父さんの杖を見ていた。
「あれ、見たことがある。・・・・、誕生日に買ってあげたやつだ。お父さんは足が悪くてね、あまり長い距離を歩けないの。でも、お仕事は家でもできる在宅ワークなんだ」
お母さんの話が終わって父親はため息をついた。
「忘れてしまったのか。他のことは覚えていても、自分のことはわからないのかね」
「うん」
琴絵は申し訳なさそうな顔をして下を向いている。
「とりあえず、ご飯にしましょ。今日は豚汁にしたから。琴絵、ちょっとだけ手伝って。準備ができたらみきを呼んできて」
「わかった」
「何か手伝いましょうか?」
「お客さんは座って待ってて。お父さんも座っていてね」
お母さんと琴絵はリビングから近くにあるキッチンに入った。
勇とお父さんはテーブルに座って夕食ができるのを待つことにした。
しかし、お父さんと二人きりで待たされるこの時間が少しだけ気まずく、長く感じているのは勇だけだった。

二章 言霊

勇は母親に友達の家で食べてくるとメッセージを送っておいた。
そして、夕食の準備もできて玉野家全員が揃った。
「いただきます」
豚汁と白いご飯、それから5個のガラスのお皿に野菜を付けたピクルスがあった。
人の家でご飯を食べるのなんて友達の小学生の時以来だろう。
「勇くんは嫌いなものはないの?」
「特別ないです。何でも食べれます。美味しいです」
「まぁ、良かった。ピクルスは初めて作ったのよ。あ、またみきったら玉ねぎ残して」
みきはピクルスの人参とセロリは食べているが玉ねぎだけはじいていた。
「だって、苦いんだもん。それより、あのこと、話した方がいいんじゃない?」
お父さんがお茶を飲んで一息ついて口を開いた。
「君は“言霊“っていうのを知っているかね?」
「“言霊“って確か・・・言葉に魂が宿っていて、それを言うとその通りになるっていう意味ですよね」
母親がミステリードラマ好きでテレビをよく見るのだ。
その影響で一緒にドラマを見て、“言霊”を扱ったドラマを見たことがあるのを思い出した。
「うむ。その通り。実は私の家、玉野家は“言霊“を使っていた家系なのだ。母さんは元々、玉野ではないのでこの力はない。私とこの2人の娘たちは持っている。例えば、みきは”ポジティブ思考“を言うとその通りになる。ネガティブな発言には力が働かない。だが、琴絵はもっと強いぞ。どちらを言ってもそうなってしまう。この意味が分かるかね?」
「要するに、琴絵さんは“自分が誰なの?”って言ってしまったことが本当になったってことですよね・・・」
琴絵は自分のことなのに、何が何だかわからないという顔をしている。
勇にとっては信じられないような話だが、ここで「ふざけている」なんて言ったらお父さんの言霊で何を言われるかわからない。
それに話を聞いてみないとわからないこともある。
「ずいぶん物分かりが早くてよい。前にもこんなことがあって、今よりも大変だったんだ。琴絵が一年生の時、夏休みに入る前だった」
お父さんが話をし始めると皆が箸を止めた。
勇は2年生で琴絵は1年生の時、さかのぼること去年の夏休みに入る前のことだった。

***

夏休みに入る前の終業式にその事件は起きた。
終業式はどこの学校も昼で終わるのが普通だったのに琴絵の帰りが遅かった。
「琴絵、遅いわね。何かあったのかしら?」
夕飯の支度もできているのにまだ帰ってこない。
特別、寄り道するような子ではない。
いつもならまっすぐ帰ってくるはずだ。
「私ちょっと駅まで行こうかな」
「みき、夜は危ないから私が行こう。駅までなら歩けるし」
「じゃあ、一緒に行こうよ」
2人がリビングで話していると、玄関の方で音が鳴った。
お母さんが先に玄関に向かう。ドンッと何か大きな音がして、お父さんとみきもそっちに行った。
「お母さん、どうしたの?」
何か怖いものを見たかのように転んで、指をさした。
すると、半分透けている状態の琴絵がそこに立っていた。
「お、お姉ちゃん!」
みきが琴絵に駆け寄って触ってみるが手がすり抜ける。
「お母さん、お父さん。みき」
「琴絵。お前、“何を言ってしまったんだ?“」
「とりあえず、上がんなさい。話はリビングで」
お母さんもやっと立ち上がってそう言うと、つかめない手を引っ張って琴絵をこちらへと引っ張る。
リビングに到着して、琴絵はこんな状態になる前の話をした。

家に帰る途中、夏休みに夏祭りに行こうと自分を含めた5人の友達と約束をした。
この友達は席も近く、たまたま話があったので仲良くなったという。
しかし、琴絵は外ではおとなしい子なので自分からというより誘われたというべきだ。
「お祭りのことなんだけど、好きな人に告ってその人連れてくるっていうのはどう?」
ポニーテールの女の子、この子は5人の中だとリーダーっぽい子だ。
「いいね、やろう。てか、みんな絶対いるよね」
「え~、でも、いきなり好きとか言ったら引くでしょ?」
「じゃあ、好きはちょっときついからお祭りを誘うっていうのはどう?うちならそうする」
「それいい。あたしは橋田くん誘う」
「え、私も橋田くんなんだけど~」
橋田くんというのはクラスで一番人気のある子だった。
特別、背も高いわけでもない、すっごくかっこいいというわけでもないが、みんなに優しく好かれる性格をしているという。
「あの子、絶対人気多いよね。ねぇ、琴絵はいるの?」
ポニーテールの女の子は琴絵のもとに来ると下から覗き込むように聞いてきた。
彼女はぼーっとしていたけれど、話は聞いていた。
「え?」
「好きな人、いるでしょ?」
「無理だったら候補でもいいから連れてきてね」
「いや、私は・・・・その」
好きな人がいることはいる。でも、恥ずかしくて何も言えなかった。
「ていうか、どんな人なの?まだ聞いたことないよね」
こうして責められると余計に言いずらかった。
「い、言えないし、それに誘えるかわからない」
「恥ずかしいのはわかるけど・・・みんなやるって言ってるからさ。あ、駅着いちゃった。みんなまたね」
話をうまくじらすころには駅に着いていた。ここで彼女たち4人は反対側の電車なので安心した。
これがいつもそうだった。
別れの挨拶をして、琴絵は一人電車に乗る。
「(そんな勇気ないし、嫌われるかもしれないし)・・・こんな私、消えちゃえばいいのに」
そう何気なくつぶやいてしまった瞬間、窓に映る自分がすうっと薄く見えた。
目をパチパチさせて、もう一度窓に映った自分を見てみると透けて見えた。
「嘘・・・いやだ」
琴絵は怖くなってしまった。
次の駅、根岸駅に着いた途端に走って改札を通ろうとするが、パスケースが反応しなかった。
パスケースが通らないなら駅員さんにお金を渡そうと、改札の端っこに行き声をかける。
しかし、こちらをちらっと見てはまた中に戻ってしまった。
どうやら琴絵のことが見えていないようだ。
いや、見えていないというより“見えては消えて”を繰り返しているからはっきりとわからないのだ。
「どうしよう」
琴絵はお金だけでも机の上に置いていき、そこから走って家に帰ってきた。

「これはさすがに私にも治せない。おばあちゃんところに行こう」
お父さんも“言霊”を使えるが元々、力が弱い。
祖母の家に行けば治せるかもしれないと思ったお父さんは、電話をしておいた。

”「まったく、あんたがちゃんと説明しないから」”
”「そうは言っても怒られても困るよ」”
”「実際に見てみないとわからん。近々、連れてきな。それからみきに“お姉ちゃんは消えたりしない”と言わせるんだ。しばらくは消えないと思う」”

祖母は“言霊“使いでもあり、シャーマンでもあった。祖父がいなくなってもからずっと一人で、青森に暮らしているという。
お父さんはみきに頼むと琴絵にこう言った。
「大丈夫、お姉ちゃんは消えたりしないから」
琴絵の両手を握って必死で声を出して言うと、一時的に透けている体は元に戻った。
しかし、見えていても時々透けてしまうのだった。


みきが毎日、声をかけていたおかげで一週間は消えなかった。
しかし、みきの言葉も長くはもたないからその日に家族4人でお父さんの実家、青森に帰ることになった。
お祭りのことは風邪をひいたと言ってうまく嘘をついた。
友達もそれ以上のことを追及はしなかったので「早く治してね、来年は行こう」となった。
正直嫌われるのではないかと思ったが、何とかなりよかった。
そして今日、祖母の家、青森に来た。
祖母の家は古民家風で、部屋が多いので一人になってからは余計に広く感じるみたいだ。
「母さん、よろしくな」
「はぁ?琴絵のためじゃよ。だから言ったじゃないか。あんたが小さい時にあたしの“教え“を聞かないからこんなことになるんだ」
お父さんと祖母はブツブツと文句を言い合っている。
「お父さんって、“言霊“の力が弱いのは勉強しなかったからってこと?」
みきがお母さんに小声で耳打ちしているとお母さんも同じように話す。
「お父さんね、ちょっと不良だった時期が合ったみたいなのよ。その時、サボっちゃったらしいのよ。こんなのやってられっかーってね」
「そうなんだ」
「だから、おばあちゃん厳しいんだね」
琴絵も二人の話に混ざる。
「琴絵、今日中には治してあげるからね」
「は、はい」
急にこちらを向いて優しそうな顔をした。
祖母は顔が怖くてお父さんには厳しいが、孫たちにはとても優しいのだ。


その夜、この家で一番大きな部屋で祖母と琴絵の2人を残して、皆は他の部屋で待機していた。
儀式をするところは家族にも誰にも見られてはいけないという。
だから中でどんなことが行われているかわからなかった。
中で行ったことももちろん誰かに話すことも禁じられている。
待つこと3時間経った頃。
居間に琴絵と祖母が来て、襖を開けた。
琴絵の姿は元の通りに戻っていた。
「お姉ちゃん!」
みきが抱きついて、お母さんは祖母に頭を下げている。
「ありがとうございます」
「花さん、そんなに頭を下げないで」
「母さんありがとう」
「ふん」
それからしばらく一週間くらいは祖母の家で泊まり、神奈川の家に帰ってきたのは8月の半ばだった。

***

「そんなことあったけ?」
今の琴絵はこの話を聞いても全く覚えていなかった。
「そのおばあさんにまた治してもらうことはできないんですか?」
「それがね、去年の冬に亡くなったのよ。老衰って言ったらわかるかしら。特別病気もしてなかったしね」
回覧板を回しに来た人が呼び鈴を鳴らしたが答えず、警察と一緒に中に入ったら布団で普通に寝ていたという。
起こしてみたら起きないので、医者も呼んだら眠ったまま亡くなったのだ。
「そうだったんですか」
「母さんに言われたんだ。自分が死んだらここにある資料は燃やしてほしいって。だから今の琴絵を治す資料は残ってないんだ。・・・父さんがもっと勉強していれば」
「“言霊”を使える人は他にいないんですか?」
「最近じゃあそういうのも減ってきた。母さんには知り合いがたくさんいたわけでもないし・・・」
「お姉ちゃん、本当に何もわからないの?」
「うーん」
「あ、そうだ。勇くん、手伝ってくれる?」
「え?」
聞き違いだろうか。いや、この先なんて言葉が帰ってくるか予想はついていた。
「この話を聞いたからにはそうだな。協力してほしい。琴絵を戻す方法を探してくれないか?」
やっぱりそうだった。お母さんは勇と琴絵が出会ったのも何かの縁だとニコニコしている。
「わ、悪いんですが。俺みたいな一般人には無理なんじゃ」
勇には特別な力なんてもってない。どうやって元に戻すのか、さっぱりわからない。
「この子は外ではおとなしい子で内弁慶なのよ。本当だったら勇くんがここにいるだけで何にもしゃべらないのよ。でも、普通に話してこの家まで帰ってきた。それがすごく不思議なのよ」
「わたしって、そんなにシャイなんですか?全然、イメージわかないなぁ」
図書室で会った時はおとなしかったが、「私は誰なんでしょう」と言い始めてから普通に喋る子なんだなと思った。
確かに今までの話を聞いて「できません」とも言いにくい。
ご飯までご馳走になっている以上、何かしてあげないといけないという気持ちはある。
「お願いします」
琴絵を抜いた家族全員が立ち上がって頭を下げてきた。もうこれでは断ることはできない。
「わ、わかりました」
「ありがとう、勇くん。提案はこっちがするから君はなにも考えなくていい。琴絵、連絡先教えてあげなさい」
琴絵はスマホを出すとトークアプリを開いて連絡先を交換する。
彼女のアイコンはしらす丼のマークで、勇はコーヒー牛乳パックのイラストだ。
「私のアイコン、何でしらすなの?」
「お姉ちゃんは好物がしらす丼なんだよ。お兄さんはコーヒー牛乳、好きなんですね」
じろりとみきが横から2人のスマホをのぞいている。
画面の右上にある時間を見るともう8時半を過ぎていた。
「そろそろ帰ります。ごちそうさまでした」
「こちらこそ、長いさせっちゃったわね。帰りは大丈夫よね?」
「はい、母には連絡してあるので。ありがとうございます」
玄関まで一緒に行き、外に出ると真っ暗だった。
勇は駅に向かう方に歩いて振り返ると、琴絵が手を振っていた。
とりあえず振り返して、駅まで走っていくことにした。

根岸駅から横浜に着くと戸塚に行く電車に乗った。
会社員の人が数人乗っていたが席も空いていたので、座って母親に帰ってくる時間を連絡する。
(母さんのご飯より、薄味だったなぁ)
次にトークアプリで琴絵にお礼のメッセージを送ると、すぐに返事が帰ってきた。

“今日はごちそうさまでした。今度何かお礼するよ。”

“お礼は大丈夫です。こちらも家まで送っていただき、ありがとうございました。
あの、妹の提案なんですけど・・・。今週の土曜日か日曜日にお出掛けしませんか?
無理にとは言いません。記憶を戻すためにはいろいろ出かけてみろと言われまして。”
   
(これって、デートの誘いじゃないよな・・・)
自分には特別な用事もない。外に遊びに行くこともそんなにない。
家にいても暇と言えば暇だ。

“土曜日の昼ならいいよ。朝は苦手なんだ”

“本当ですか、ありがとうございます(>_<)
    時間は12時ごろで、鎌倉駅でお願いします。”

“わかった”

彼女は人見知りだと琴絵の母親は言っていた。こんな風に話すのはめったにないという。
慣れ親しんだ女友達なら話すだろうけど、男の子なんて初めてだろう。
(これからどうなるのかな)
進路を考える事より大変な課題だ。
母親に話そうか・・・いや、やめておこう。
ミステリー好きの母親ならいろいろ質問攻めされそうで疲れそうだし、父親は断れというに違いない。
「ギリギリまで黙っておこう」
『次は戸塚、戸塚』
急行に乗れたので戸塚に早く着いて、勇は電車を降りると駅から歩いて行く。
ブー、ブーっとスマホが鳴りだして取り出すと、母親から電話がかかってきた。
「もしもし」
「もしもし、おかえりなさい。お母さんの方がちょっと帰ってくるの早かったみたいね。お友達の家で何食べたの?」
「そう。豚汁とピクルスだよ」
「そうなんだ。翔太くんに今度、お礼しなくちゃね」
本当は玉野の家で食べてきたのだが、母親には翔太の家を伝えておいた。
「今日、仕事先でちょっと余ったおかずあるから明日の朝はそれにするからね。気を付けてね」
「はいはい」
河原に沿って歩くと、きれいな月がのぼっているのが見えた。

***

勇が電車に乗り始めた時間に少し遡る。
琴絵はみきに自分の部屋まで案内してもらった。
2階に上がって、サインプレートに“みき”と書かれたドアの隣に“琴絵”と書かれたサインプレート。
どちらも木の素材でできた丸い形、花と葉っぱの模様が描かれている。
ドアを開けて中に入ってみる。
見慣れない部屋だった。
左側にベッド、パステルピンクの絨毯、壁のコルクボードには景色を撮った写真が飾ってあった。
「お姉ちゃんの趣味は景色の写真を撮ることなんだよ。そこの机にもアルバムもあるし」
机にはジュエリーボックスと黄色のリボンをつけたテディベアの小さい人形が乗っていて、教科書以外にアルバムが3つくらい置いてあった。
一冊取り出してみると、題名のところに『神奈川編』と書いてある。
ペラペラめくっていくと、景色以外にみきと撮った写真もあった。
「好きなテレビは”寄り道途中下車”と”朝の散歩”、いっつも渋くないって思うんだよね」
「そうなんだ。へぇ、すごい、私、写真のセンスあるかも。みきはどんな部屋なの?」
「教えない」
「ちょっとだけいいじゃん」
アルバムを閉じてみきの方を見る。
「(やっぱり、お姉ちゃん違う。私の趣味なんて気にしたことないのに)わ、笑わないでよ」
「笑わないよ」
みきは部屋を出ると自分の部屋に琴絵を案内した。
ベッドは琴絵の部屋と左右対称で右側、机にはアニメのアクリルスタンド、パソコンにはステッカーが貼ってある。
本棚もあって漫画や小説がぎっしり詰まっている。
窓辺にも小さなアクリルスタンドが飾ってあった。
「フフ、漫画好きなんだね」
「あ、笑わないって言ったじゃん」
顔を赤くしながらもじもじしている。
「他にもこのアクリルスタンドあるの?」
「流行りによって変えるんだ。特に窓辺のは最近のアニメなの。へ、変だよね」
「ううん、変じゃないよ。今度何かオススメあったら教えて」
そんな風に言われたのは初めてだった。
いつもの琴絵なら「ふーん、漫画ねぇ」と反応も薄く、オススメを求めてきたこともない。
強いて言うなら景色を撮る場所を探す時、聖地を教えることはある。
そんな時しかオススメというのをしたことがない。
「ここは何が閉まってあるの?」
白い押入れみたいなドアを指さしている。
「そこはダメ。お姉ちゃんには強すぎるから」
「ごめんごめん」
こんな会話は初めてだったのでみきは少しうれしかった。
ふと、一瞬だけこのままの姉でもいいかなと思ってしまった。
でも、いつもと違うのもなんだか気持ちが悪い。
「ねぇ、みき、私戻れるかな」
「も、戻れるよ。みきが考えてあげる」
「何を?」
「こういう時はやっぱり・・・デートだよ。お姉ちゃんが景色で撮った場所に行くの。何か思い出すかもしれないよ」
デートという言葉を聞いて自然と鼓動が早くなるのを感じた。
あれ?この感じって何だろう。
「今聞いてみて。今週、空いてるかどうか」
「えぇ?今から?空いてるかな」
琴絵はトークアプリを開いて文字を打ち始める。
「場所は・・・そうだ。鎌倉がいいよ。お姉ちゃんは鎌倉の写真、良く撮ってたよ。デートには持って来いだね」
「もう、デートじゃないもん。記憶探しだよ」
「デート終わったら感想聞かせてね」
みきはとても楽しそうだった。でも、琴絵も正直こういうのは楽しいと思っていた。
昔の自分ってどんな雰囲気だったのかわからない。
母親曰く、おとなしくて家でしか良くしゃべらないという。
今の自分とは違うかもしれない。こんな喋り方じゃないかもしれない。
だからこそ、もう一度向き合えるかもしれない。
見えない自分がきっと見つかるかもしれない。
「学校ではとりあえず、いつも通りに振舞うんだよ」
「いつも通りがわからないよ」
「おとなしくするの。でも、キャラ変更って感じで明るくいくのもいい印象になるかも」
「明日、やってみる。勇さん、土曜日大丈夫みたい。ありがとう、みき。じゃあ、そろそろおやすみ」
「うん。おやすみ」
琴絵はみきの部屋を出た。

三章 記憶探し:鎌倉

琴絵と会ってから数日経って、土曜日になった。
母親からいつものように勇の部屋に入って起こしに来たが、今日はいつもより早く起きることができた。
というより、今日のことを考えていたら少ししか眠れなかった。
「おはよう。あら、着替えちゃって珍しいわね。どこか行くの?」
いつもとは違う休日を過ごす。
予定のない休日だったらトレーナーを着て家にいるか、出かけるときだけジーンズを履く。
堅苦しい格好では、琴絵がびっくりしてしまうし、おしゃれ過ぎてもデートに行くわけではない。
だから黒ジーンズにグレーのパーカー、黒のブルゾンという服装にした。
「ちょっと、久しぶりに友達と散歩でも出かけようかと思ってさ。父さんは?」
「お父さん、今日は家でゆっくりするって。疲れているのよ。朝ご飯は軽く、お茶漬けにするね」
着替え終わって部屋からリビングに行くとお父さんがテーブルで新聞を読んでいた。
「お、おはよう」
「おう、起きたか。どっか出かけるのか?」
「ちょっと友達と散歩に行く」
テーブルに着くとお母さんが朝ご飯をオボンに乗せて持ってきた。
「梅干し茶漬けと白菜の漬け物ね。はい、お父さんの分も。今日はどこに行くの?」
「鎌倉だよ」
「あら、いいわね。お母さんも一度は行ってみたいなぁ」
「行ったことないの?」
「お母さんは若い時は、東京の方には行っていたけど、鎌倉とか以外と知らないのよ」
お母さんは楽しそうな顔をしていたがお父さんはそうでもなかった。
「遊びに行くなとは言わないが、頭の隅にはでいいから先のこともちゃんと考えろよ」
「・・・わかっている」
いつもそうだった。“先のこと考えろ“、これはもうしょっちゅう言われている。
会話はそれ以上続けないようにしている。どんな話をしてもいつも負けるのは勇だった。
「ご飯の時くらい、そういうのはやめて。美味しくなくなっちゃうじゃない」
「悪かった」
お父さんは再び新聞に目を戻した。
正直、琴絵の家族が羨ましいとあの時思ってしまった。
なんと言っていいのだろうか。
“縛られていない“、自由とまでは言わないけれど、“壁”というものがない、そんな気がして、一緒にいて居心地が良かった。

鎌倉駅は戸塚駅から乗り換えもないので、そんなに遠くなかった。
「鎌倉も小学校の時以来だな」
改札口に着くと、琴絵がバス停の近くで待っていた。
「こ、こんにちは。お互い早かったみたいですね」
まだ12時になるまであと10分もあった。
「なんか、眠れなくて・・・」
「私も眠れませんでした」
少し顔を赤くして恥ずかしそうに下を向いている。
カジュアルな服装で白いチュールスカートにグレーのトレーナー、グレーのスニーカー、黒いリュックを背負っている。
リュックには透明な星のチャームが付いていて、ビーズが入っておりシャカシャカと音が聞こえた。
「どんな服着ていたかわからなくて、お母さんにコーディネートしてもらったの」
胸元にはコインのようなネックレスをしていた。
「そのネックレスは?」
「でかけるときいつも付けていたと妹が言ってました。でも、どこで買ったのかな」
一瞬だけ何か頭の中に記憶が戻ってきた。

学校の花壇がある場所の風景、桜が散っていて、誰かの掌が見える。
そして似たようなコインを自分も持っている?

「どうしましたか?」
「いや、なんでもない。どこから行こうか?」
「お昼なのでしらす丼食べませんか?私のアイコンのお店があるみたいなんです。お母さんに道も聞いたので」
「いいよ。小町通りのほうに行こう」
「はい」
2人は小町通りに入ってお店を見ながら歩いている。
しらす丼のお店はたくさんあったが、琴絵の言っている場所は少し小道に入ったところで、しらす以外に海鮮丼もある。
お店に入ると、割と年齢層が幅広いのかファミリー層も若い人もたくさんいた。
「しらす丼、二つお願いします」
「はい、少々お待ちください」
注文が終わると、お店の雰囲気をみていた。
「何か、思い出せそう?」
「記憶にあるような、ないような・・・。小学生の時と中学生の時にここによく来たみたいで。一緒に来ていたのは家族です」
「ここは俺、初めてだな。小学校の時に鎌倉へ遠足で来たことがあるけど、そん時は洋風の店だったよ。しらすピザなら食べたことある」
「しらすのピザなんてあるんですか?食べたことないなぁ」
「お母さんに頼んでみたら、家で簡単に作れるよ。かわりにパンでトーストでもいい」
「そうですね。お母さん、料理好きなので」
店員さんがしらす丼を2つ持ってきて、テーブルに置いた。
「では、いただきます」
2人は同時に一口目を口に入れてみた。とても美味しいのか、琴絵は次の一口からガツガツ食べ始めた。
「こ、これは!」
「思い出したの?」
「はい。小学生の頃に家族旅行で鎌倉に来た時、始めて食べたのがここだったんです。言霊の話をしましたよね。私は友達にここをオススメしたら本当に美味しかったと言ってました。私が言ったこと嘘じゃなかったんだって」
確かに美味しいとは感じた。今までには味わったことない少し魚の苦みとご飯の甘さ、バランスがいい。
「俺も美味しいって思ったよ。母さんもこれは作れないなぁ」
「勇さんのお母さんも料理が好きなんですか?」
「結婚する前まで居酒屋してたんだ。今は仕事やめて、手伝いだけしに行ってるけど。母さんは料理がうまいんだ」
「そうなんですね。いいなぁ」
店の店員さんはそんな風に話している2人をじっと見ては「あの子達、いい食べっぷりねぇ」とつぶやいていた。
そのまま、しらす丼を食べ終わってお店から出ると、町を少し散歩することにした。

散歩をしながら天然石のアクセサリーショップやがま口の雑貨屋、猫の雑貨を集めたお店などといろいろな店に入っては見たりを繰り返していた。
途中、抹茶アイスのお店に立ち寄って休憩する。この抹茶アイスは濃さが選べるみたいだ。
一番おすすめの濃厚にしてみる。少し苦いが、後味がいい。
「いろいろ変りましたね。初めてがたくさんありました」
「そうだな。あの時にはなかったものがあったり、あったものがなかったり・・・。かわる時って早いよな」
「それって、なんだか寂しい気がします。かわるっていいことだけど、そこに前は何があったか思い出せないんですよね」
人がたくさんすれ違っていくのを眺めていると、琴絵はこう言った。
「思い出せないのにいつの間にか前からあったかのように慣れていく・・・。なんでしょうね、これって」
何でもないことなのにその言葉はなんだか切なくも聞こえた。
「でも、ある時ふと思い出すもんじゃないかな。忘れているだけっていうこともあるじゃん」
「そうですね。さて、行きましょうか」
琴絵は立ち上がってお店の人にお礼を言っている。
すぐそこに立っているのに何故か遠く感じた背中を見ている気がした。
それからはバスに乗ってお寺巡りと神社をまわった。
始めていく場所、一度来たことがある場所、写真を撮って収めていく。写真を撮る時の彼女の表情は真剣だった。
「これ、良く撮れてますか?」
スマホで撮れた一枚の写真を勇に見せてきた。
竹林の中、太陽がきれいに差し込んでいる。影の入り方もプロが撮るみたいだった。
「うん、綺麗に撮れていると思う」
すごくいい写真だ。でも、これ以上はどう表現していいのかわからなかった。
「勇さんは撮らないんですか?」
ちょっと困った質問をされてしまった。
写真を撮ることにあまり興味がないとも言い切れないが、何かを写すということ自体を自分はしない。
「あまり興味がないって言ったら怒るかな?」
「趣味は人によるんで、気にしません」
良かった。「そんなこといわないで」と言われてしまう気がしていた。
「私、趣味は景色を撮ることだったみたいなんです。忘れていても撮り方は覚えているんですね。勇さんは趣味ってありますか?」
「強いていうなら、釣りが好きかな。父さんと子供の頃、よく川に連れていってもらってから好きになったかな。仕事が忙しくなってから一緒に行くこともなくなったけど」
「いいですね!景色を見て、川の音を聞きながら自然の中に溶け込む感じがして・・・」
何だろう、とてもいい気持ちがした。
誰かにお父さんのことを普通に話すのも初めてだった。
小学校の頃は、車に乗せてもらって中津川に釣りに行ったり、少し遠くのあざみ野の方にある王禅寺というところにも行ったっけなぁ。
今は壁を感じているが昔はそうでもなかった。
まだ自分が小さかったからかもしれない。
「次にここ行きたいんですけど、どこらへんだと思います?」
今度は夕焼けと鶴岡八幡宮を下から撮った写真だった。
「ここは一度、小町通りに戻って、鶴岡八幡宮って神社だよ。丁度、この写真と時間ももうすぐだからそろそろ行こうか」
「はい」
2人はお寺から出て、一度鎌倉駅へと戻るバスに乗った。


夕方の時間になって鶴岡八幡宮の前に着くと、琴絵はさっきの写真と今の風景を照らし合わせてみた。
「この辺りから撮ったぽいなぁ。少し歩いてみるか?」
「・・・」
写真を見ながら急に黙り込んでしまった。ふと、見ると目には涙がたまっている。
「どうかした?」
「思い出しました。この写真、小学校の時に撮りました。あれは確か、家族と初めて鎌倉に行った時です。その時にさっきのしらす丼も始めて食べて好きになった。始めてこの写真を撮ったことから趣味ができたんです」
「良かったなぁ、思い出せて」
「あの、良かったら記念に一枚一緒に撮りましょう」
「えぇ、いいよ。恥ずかしいから・・・撮ってあげるよ」
「いいですから撮りましょう」
右腕を無理やり掴まれて、隣にくっついて並ぶと自撮りをするようにスマホを掲げて写真を撮った。
「一発撮りできました。あとで、送りますね」
「あ、ありがとう」
恥ずかしかったけれど、琴絵はとても楽しそうだった。
「帰りましょうか」
「そうだね。家まで送ろうか?」
「大丈夫です。お母さんが駅に着いたら迎えに行くから連絡ちょうだいと今、メール来ましたので」
「そっか」
再び夕暮れの景色を眺めながら鎌倉駅に戻っていった。

大船駅までは一緒に乗って行き、電車の中で別れると先ほどの写真が送られてきた。
保存して、フォルダからもう一度見る。
「たまにはいいか」
いい休日を久しぶりに過ごしたなぁ、と勇は心の中で思った。

***

家に着いた琴絵はご飯を食べながら今日の話をする。
「また、出かけてみようよ。今度はちょっと遠出してみたら」
「うん、東京の方も行ってみる。みきは今日何していたの?」
「漫画の発売日だったから買い物しに行っていたの。お母さんの買い物も手伝ったし」
「そうなんだ。お父さんは?」
「図書館に行って来たよ。最近の本は面白いね。前は伝記しか読んだことなかったけど、今は単行本も面白い」
家族の会話は弾む。琴絵のお母さんは嬉しそうにニコニコしていた。
(やっぱり、勇くんを選んで正解ね)
「ごちそうさま」
ご飯が終わるとすぐにお風呂に入って、自分の部屋に戻った。

ベッドの上で座って今日撮った写真を眺める。
一枚一枚、スライドしていき、最後の一枚に目を止める。
勇とツーショットで撮った夕日の写真、琴絵の鼓動がどくどくと鳴った。
「・・・あれ、また鼓動鳴ってる。それに・・・」
腕を組んだ時には感じなかったが、思い出してみると何かの記憶が頭の中に蘇ってきた。

誰かの手が見える。
その手を掴んで、暗い場所を歩いた。
暗い場所?ここはどこ?私は、迷子になっているの?
誰の手であろうか・・・懐かしい気もする。

そして、立ち上がるとジュエリーボックスの中にしまってあるコインのネックレスを取り出した。
(このコイン、自分で買ったんじゃない。もしかしたら、誰かにもらったのかな)
記憶の中で声が聞こえたが、何を言っているのかわからなかった。
これ以上は思い出せず、琴絵はネックレスをしまうと髪を乾かしにリビングへと戻っていった。

四章 夢の中で

鎌倉で記憶を探して、琴絵は自分がどんな趣味を持っていて、好物を思い出すことができた。
けれど、次の計画を連絡してみようと思ったがどうすべきか悩んでしまう。
トークアプリを開いては閉じて、これを繰り返している。
もちろん、勇からも何もない。
学校が同じなので彼のクラスに行ったことがあるが、自分との関係を噂にもなりたくないのでドアの前で立ち止まっては引き返してしまう。
(この先、本当に記憶が戻るのかわからない)
こう思うようになったのは先週のことがあったからだ。

みきと2人で出かけた日のことだった。
勇を頼ってばかりも悪いと思ってしまったので、自分でもきっかけ探しができないか試してみようとしてみた。
家の近くにある公園、2人で遊びに行った場所、写真を頼りに歩いてみた。
山下公園のベンチに座ると撮った写真を見てみる。
山下公園では薔薇の花がたくさん咲いていて、他にもいろいろな人が写真を撮っている。
赤やピンク、白、黄色と手入れがされていて綺麗で色とりどりだった。
「なんか、思い出せそう?」
「思い出せたのは家族とこの辺りでよく遊んだってことかな。小さい時、みきも遊んだよね」
「それだけ?」
「それだけ」
「お姉ちゃんが今思い出せているのは、“過去の記憶“だけ。自分の性格とかはわからないの?」
写真で行った場所や子供の頃の記憶は思い出せたが、自分の性格まだ思い出すことができない。
「もしかしたらお姉ちゃん、この先勇さんと一緒に探しても“思い出”しかわからないよ。どんな自分だったか思い出せないよ」
そうは言われてもわからないものはわからない。
「何か、きっかけになることないかな」
「そういえばどうして、お姉ちゃんは勇さんと初めて会った時“私は誰でしょう”なんて言ったの?」
これが一番思い出すことのできないことだった。
なぜ、そんなことを言ったのか。その時の自分はどんな風だったのか。
結局はわからなかった。

それから、日が経って6月に入ろうとしている。
学校ではとりあえず、おとなしく振舞うということをみきに言われたのでその通りに過ごしていた。
友達も何も聞いてこない。
普段の“玉野琴絵”はこんな感じだったのか。今の自分には不思議な気分だった。

***

ある日、梅雨の激しい雨が降る夜のこと。琴絵は夢を見た。
それはどこかよくわからない場所、真っ暗とも言えないが暗い場所にいる夢だった。
自分は水色の浴衣のようなものを着ている。
浴衣ということは何かイベントのようなところに来ているのだろうか。
お祭り?確かに近くが騒がしく感じる。
“誰かいるの?”声を出そうにも出なかった。かわりに違う言葉が出た。
『はぐれちゃった。みんな、どこ行ったんだろう』
どうやら自分は迷子になっているようだ。
歩き回っていると誰かの背中にぶつかった。
『あ、ごめんなさい』
咄嗟に謝るとその人はこちらを向いた。
『あ、こっちこそごめん。前を見てなかった』
顔も見えないけれど、自分よりは年上の男の人だった。
『迷子にでもなったのか?』
『はい』
『実は俺もそうなんだ。人も多いし、はぐれたらこの○○神社の前を目印にって言ったんだけどなぁ。あいつら、おっそいなぁ』
神社の名前が良く効き取れなかった。
でも、なぜだろうか。知らない人なのに怖いとも感じない。
『私も友達とはぐれちゃって適当に歩いていました。そしたらここに・・・』
スマホの画面を見たが何もメッセージがなかった。
はぐれてしまったこと自体わからないのだろうか。確かにこのおとなしい性格のせいなのか存在感が薄いかもしれない。
男の人のスマホが鳴った。
『もしもし?は?・・・目印の神社忘れた?そっちから来い?なんだよ、もう』
どうやらもめているようだ。スマホの画面をいじって、ポケットにしまう。
『神社がわからないから駅に来てくれって電話があった。良かったら、一緒に行くか?』
『え、あ・・・』
『無理とは言わない。一人でここにいるのは怖くないか?』
夜の神社で、一人でずっといるのもちょっと怖い。連絡しても気づかなかったらここを動くこともできない。
でも、知らない人について行くっていうのも勇気がいる。
『知らない人にはついていけない、普通そうだよな。悪かった、じゃあ』
男の人はそのまま琴絵に背を向けて走っていく。
『・・・待って、戻ってきて』
数分後、男の人は走って戻ってきた。
『・・・なんか、気になって足が戻ろうとしたんだ』
違う、そうじゃない。琴絵は“言霊“が使えるからそれによって、彼は戻ってきたのだ。
『あの・・・やっぱり、一緒に行きます』
2人は神社から離れて、駅に向かうことにした。


目が覚め、傍にある目覚まし時計を見るとまだ真夜中の3時すぎだった。
「あの人の声、勇さんと似ている。私達、どこかであったことがあるのかな」
お祭りの記憶、何かヒントがあるかもしれない。
でも、どこのお祭りなんだろう。
「勇さんが覚えていれば、探せるかもしれない。明日、図書室で会えるか聞いてみよう」
再び、目を閉じて眠りについた。

***

同じ時間ごろ、勇も不思議な夢を見ていた。
今通っている学校の校門前、桜の花が散っている。
桜の花、これは入学式の記憶を夢で見ているのだろうか。
自分は胸に2年生の時のバッジが付いている。
(俺が2年生ってことは玉野は・・・入学したばかりか)
体育館の近くまで歩いてくると、そっちに行く気はないのに足が勝手に体育館裏の方に歩いてきた。
(自分の意志と違う方向に向かっている)
体育館の裏、そこにも桜の木があって、その下に女の子がしゃがんでいた。
『どうして、そんなところにいるんだ?』
言葉もやはり、言いたいことと違っている。
女の子がこちらを振り向いたが顔が見えなかった。
いや、正確にはぼやけていてモザイクがかかっていた。どんな顔をしているのかもわからないのだ。
『教室に入る勇気がないんです』
『どうして?』
『私、怖いんです。みんなと仲良くできるのか。やっていけるのか不安なんです』
『・・・新しいところに一歩踏み出すって不安だよな。中学の時は知り合いが多いけど、高校って知らない人ばかりだもんな』
勇は自分のカバンについているストラップを外して女の子に見せた。
『これ、父さんからもらったものなんだ。出張に行った時のおみあげで“幸せのコイン”って言うらしんだ。勇気が出るかもしれない、一つやるよ』
『え、お父様からもらったものなのに!』
『家にもう一個、持っているんだ。だから、平気だ』
『でも、もらうのは悪いので・・・・借りることにします』
『そうか。わかった』
女の子は両手で受け取ると、じっくりとコインを見ていた。
『必ず、返しに行きます。勇気が持てるようになったら』
『いつでも、いいよ。同じ学校なんだからさ。俺は2年生で、賀上勇っていうんだ』
『わ、私は○○って言います。あの・・・ありがとうございました』
女の子は頭を下げて走っていってしまった。
その後姿を眺めているところの景色がだんだんとぼやけてきて、消えていった。

ベッドの上で体を起こし、今の夢を思い出してみた。
「あのコイン、玉野が持っていたのと同じやつか。俺は前にあいつと会ったことがあるのか。でも、覚えていなかったのはなんでだ」
そもそも、コインを父親からもらっていたことすらも忘れていた。
今度、休みの日にコインのこと聞いてみようと思うともう一度、布団をかぶった。

***

次の日に勇は放課後、玉野から図書室に来てほしいと言われた。
コインのことも聞いてみたかったので丁度いい、夢についても話したい。
図書室の2階に着くと玉野は初めて出会った机の上にまた頭を乗せて眠っていた。
勇はその姿を見てため息が出てしまった。
「何やってんだ?玉野」
顔をあげて、不満な顔をしていた。
「あ、これは・・・再現してみたんです。あの時と同じようにやってみたら記憶が戻るのかなって。やっぱり、ダメですね」
「話って何?」
「昨日、不思議な夢を見たんです。お祭りに行く夢で、そこで私迷子になっていてお友達を探していたんです。そうしたらある神社で男の人と出会いました。この話に覚えないですか?」
勇はお祭りにそこまで興味なかったけれど、高校1年生の時に翔太に誘われてついて行ったのを思い出した。
あの時は他にも友達が2人いたのは覚えている。
このことを琴絵に話してみた。
「あんまり記憶がないんだけど、神社で待ち合わせするって話はあったかな。でも、覚えてないんだよ」
「そうですか。やっぱり、違うのかな。勇さんにそっくりな声の人が夢に出てきたんです」
「でも、神社もどこだったかな。母さんなら覚えているかも。俺よりは記憶力いいし。聞いてみるよ。ところで、俺も変な夢を見たんだ」
勇は昨日見た入学式の夢の話をする。
「コインのことだけど、これも記憶あいまいでさ。なんでかな、すっぽりないんだ」
「あのコイン、勇さんのでしたか。すみません、今度お返しします」
「いや、いいよ。はっきり思い出したらもう一度見せてって言うよ」
「わかりました。あの、それでなんですが・・・次に記憶を探したい場所でそのお祭りに行きたいんですけど、一緒に行きませんか?」
それは自分も思い出したいことなので行きたいと思っていた。だが、お父さんから何かと言われるのも嫌だった。それに・・・。
「実は、テスト今度頑張らないといろいろやばいんだよなぁ。何とか成績ギリギリ保っているけど。卒業はできても先がどうしたらいいか。父さんに責められるし」
「なら、任せてください。私、自慢じゃないんですがお母さん曰く成績もよかったみたいなので。この前の写真の時みたいに小テストしてみたら勉強力も落ちてませんでした。勇さんのテスト手助けします」
「え!でも、高校3年生の勉強しているところと2年生は違うからわからないんじゃない?」
「大丈夫です。今度、教科書を貸してください。私がわからないところはお母さんに聞きます。母も勉強好きなので、けっこう教えてもらっていました。今度は私が勇さんの役に立ちたいんです」
とても助かると言いたいところだが、急に勉強を始めたらなんて言われるか。
いつもと違って怪しまれるのではないかとも・・・。
このままでは良くないことはわかっている。
もしかしたら、勉強したら楽しくなって、さらには大学に行くっていう先のことも話せば父も責めないだろう。
うまくいくかはわからないが今はやってみるしかない。
「俺が教わったこと、友達にも教えていいか?友達も同じ成績なんだ」
「もちろんです。というより、みんなで一緒に勉強しましょう」
それはちょっと断ろうかとも思ったが琴絵はやる気満々だったので、言わないで置いた。

五章 テストとお祭り

琴絵の勉強会は中間テストが終わってからになった。
とりあえず、自力でどのくらい点数が取れるのか。それを確かめるために中間テストは自分自身の力でやってみた。
放課後、図書室にみんなで集まることになっていて翔太と勇は廊下を歩いていた。
「話はトークアプリで聞いたけど、その子ってもしかして勇の彼女?」
「ち、ちげぇよ。友達だよ」
「友達?本当かな?」
翔太にとっては初めての話だった。
勇から勉強会に誘われることも年下の女の子からの誘いも今までなかったからだ。
図書室に着いて、2階に上がると琴絵ともう2人の女の子が待っていた。
「こんにちは、玉野琴絵です。こっちは友達の夕子と香奈。夕子は2年生になった時にクラス替えで隣のクラスから来たんだ。香奈は1年生の時から同じクラスなんです」
「こ、こ、こんにちは。相模翔太って言います」
恥ずかしいのか、翔太は顔を真っ赤にして頭を下げた。
「何緊張してるんだよ。どうも、賀上勇です」
「早速ですが、テストの方を見せあいましょう」
「うちは平均値で十分なんですけど、琴絵ちゃんが勉強会したいって言ってたから」
香奈と名乗った子はフルーツ柄のクリアファイルを出して、テストの用紙を見せている。
確かに全体的に平均値ピッタリだった。
夕子も適当に折り曲げたテスト用紙を出して、見てみると香奈よりも少し上だった。
琴絵のテストを見た途端、勇と翔太はびっくりしたように目を丸くした。
ざっくり言えば90点がほとんど、強いて言えば歴史が88点だった。
「す、スゲー。神様だ。玉野さん、今回の勉強会に呼んでいただいてありがとうございます」
先ほどの緊張はほどけて、目を輝かせている。
「神様まで言われちゃうとちょっとなぁ。勇さんは数学が苦手なんですね、翔太さんは国語・・・何の科目からやる?」
「数学でお願いします」
夕子のテストも一番数学が苦手らしい。
「じゃあ、今日は数学。次の集まれる日は国語・・・こんな風にしていきましょう」
先生に遅くまで残っていいと許可ももらっているので、勉強会は5時半くらいまでやることになった。

学校から家までみんな同じ方向で話しながら帰り道、琴絵はニコニコしていた。
「こういう学生生活も楽しいです。前の私ならきっとできませんでした。これも勇さんのおかげなんです」
「そうかな」
家では勉強を教わることもなく、自分で何とか解決していたからだ。
お母さんも勉強会の話を伝えたときはびっくりしていたくらいだし・・・。
「なぁ、あの二人ってどういう関係?」
勇たちに聞こえないように翔太は夕子と香奈に話していた。
「なんか聞いた限りだと図書室で寝ていた琴絵ちゃんを起こしてあげたんだって。そこから仲良くなったみたいだよ」
「琴絵ちゃん、なんか雰囲気かわったんだよね。勇さんと会ってから。うち、1年生のからずっと一緒だったからわかるもん。夕子ちゃんは知らないけど、もっとあの子、おとなしかったんだよ」
JR関内駅に着くと、「では、また明日」と琴絵だけはそこで別れてしまった。
他の4人はそこからまた地下鉄まで歩いて行く。
「遅い時間だけど、大丈夫?送っていこうか?」
「大丈夫ですよ。うちは高島町駅でお母さんと待ち合わせなので。夕子はそこのバス停でお別れなんで」
「ここからバスで日ノ出町まで行くんで。みんな、バラバラなんですね」
「じゃあ、勇と2人っきりか。つまんねぇ」
「なんだよ、それ。じゃあ、気を付けて」
「また明日」
夕子ともバス停で別れると、改札で香奈と別れて勇と翔太は湘南台に向かう電車に乗った。
「勇、琴絵ちゃんとはうまくいってるの?」
「はぁ?」
「琴絵ちゃんって前と違って明るくなったってさ」
「気を使っているだけなんじゃないか」
あのことを話すわけにはいかない。ていうより、信じてもらえるだろうか。
“言霊”のことだってそう誰でもみんなに話していいとも思えない。
「そうかな??あ、次で降りるのかよ。残念」
次の駅は弘明寺駅だった。翔太とは電車の中で別れて、勇は1人になる。
電車に揺れながらスマホを見ると、また母親はいつもの手伝いにいくと連絡が入っていた。
これは好都合なのかもしれない。
今は一人になりたい気がしていた。
母親はともかく、父親にこれからのことどう伝えようか・・・考える時間が欲しかったのだ。
琴絵からもありがとうの連絡が入っていた。
『次は戸塚、戸塚』
勇も返事を返すと、電車を降りていった。


それから勉強会を開いたのは6月の半ば頃、翔太も参加回数が少なくなってきていた。
仕方がない、大会も近いし、彼は部活で野球をやっているから練習試合の時は出なくてはならない。
だから代わりに勇が翔太の分まで勉強してあとで教えてあげるということにした。
今日は国語と歴史を勉強している。
「今日も3人だけか。あれ、夕子さんは?」
「夕子は部活です。あの子って、茶道部だったけ?」
「そうそう、廃部手前のギリギリの人数みたいだから。夕子入れて5人、それに彼女が部長だから大変だよね」
「3年生はいないのか?」
「2人いたみたいですけど、3年生っていろいろ大変じゃないですか。勇さんは帰宅部ですか?」
「どこかに入りたいっていうほど部活に興味がなかったからな」
「そうなんだ。うちは親になんでもいいから入っときなって言われたので、イラスト部です。絵を描くことは楽しいので気に入ってます」
「香奈は、模写がうまいんです。妹のみきのために好きなキャラクターを描いてもらうよう頼んだことがあります」
香奈はスマホを取り出して、自分の描いた作品を見せた。
なるほど、確かに上手だった。太い線も細いのもはっきりしているし、場面の一つ一つの動きも漫画家になれるのではないかと思うくらいだ。
「将来は漫画家か?」
「いやいや、無理ですよ。ストーリー考えるのは苦手なので。あ、琴絵ちゃん、ここ教えて」
琴絵は教科書のページをめくっては指を指した。
「ありがと。勇さんは何か目標とかありますか?」
「考えたことないんだ。勉強も特別いいわけじゃないし、何を目指そうかわからないんだ」
「そうですか。確かに将来って難しいですよね。苦手分野はみんなあるし」
大きなあくびをした香奈は、スマホを見ると5時になっていたのに気づいた。
「そろそろ終わりにして、帰ろうか」
片づけをしていると、香奈は夕子と一緒に帰るからまだ残っていると言った。
琴絵と勇だけは自分の物をもって図書室で香奈と別れた。

駅の方まで歩いていると、琴絵が話しかけてきた。
「香奈はいいなぁ。私はおばあちゃんの後継ぎになるかもしれないんだよね。この前夜中、トイレから出てきたらお母さんがこっそりお父さんと話しているのを聞いちゃったんです。みきか私しかいないので。みきはまだ先が長いのでゆっくりできますが・・・」
予想外な話だと思った。
琴絵の家に行った時、“縛られていない”と思っていたけれどそれは生活的な事だけであって将来とかはそうでもないみたいだ。
「私、どんな姿になりたいのかな・・・。それも思い出せたらいいのに・・・」
「ゆっくりでいいんじゃないか。焦ったってしょうがないだろ」
とても説得力のないことを言ってしまった。
自分こそ焦らなきゃいけない立場なのに。
「そう言ってくれてありがとうございます。あ、さっきの話、私の親には内緒ですよ」
彼女と別れるとふと、自分も父親にこの前言われたことを思い出した。

父親の帰りが珍しく早かったことがあり、母親から勇の帰りが遅いことを聞いたとのことだった。
“「最近、勉強してるみたいだな。大学にでも行きたいのか?」”
“「まだわからない」”
“「行きたいなら行きたい、曖昧な答えはするな」”
“「・・・わかった」”
否定されなかったことだけほっとした。お母さんに後で、トークアプリで聞いてみる。
すると、「珍しく勇が何かを頑張っているから応援したいけど、あの人苦手なの。お母さんの前では本音が出るのにね」と教えてくれた。

思えば琴絵と出会ったことがプラスに考えればいいことばかりだったし、よかったかもしれない。
たまにはゆっくり帰ろうと歩く速度を少し遅くした。

***

一息ついた時間、夜の9時頃のこと。
琴絵は家に着いてからみきの部屋にいた。
2人はお母さんが買ってきたクッキーを食べながらアイスロイヤルミルクティーを飲んでいた。
「ねぇ、みきは将来ってどうしたいの?」
「うーん。アニメに関われる仕事がしたいかな」
「私って、何になりたかったとか言ってた?」
「お姉ちゃんはね・・・写真家だよ」
「しゃ、写真家!前の私はおばあちゃんの後継ぎにはなりたくなかったの?」
「お母さんにもお父さんにも内緒だって言われたのは覚えてる」
確かに写真家というのは悪くはない。今の自分には合っている気がする。
「運転免許取って、自分で色んなところを回りながら写真を撮る。写真展を開きたいんだって」
「車、運転できるかな」
「無理だよ。お姉ちゃん、昔から機械音痴だもん。まぁ、勇さんに頼めばいけるかもね」
「え?」
「だって、お姉ちゃん、勇さんのこと好きなんでしょ?結婚して勇さんが車の免許取れば夢叶うよ」
どこで気づいたのだろうか。勇のことが好きだということ。
恋とまで呼ばないけれど、なんとなく気になる気持ちは前からあった。
もしかして記憶をなくす前もすきだったのだろうか。
ほんの少し考えてみたが頭の中には出てこなかった。
「“言霊”の力で勇さんに好きって言ってみなよ」
「い、嫌だよ。言霊の力は使わないで自分の力で言いたい」
「勇さんも嫌いではないと思うよ。聞いてみてあげようか?」
「いい。自分でどうにかする」
最後の1枚のいちごクッキーを食べてしまった。
みきがずるいというほっぺたを膨らました顔をしていて、2人で笑いあった。
そうしてだんだんと期末テストの日が近づいてきた。


7月が来て期末テストが始まり、3日間の長いテストはすぐに過ぎていった。
勇も翔太も琴絵との勉強会でやったことを全力で出し切った。
テストの日は帰るのも早く、図書室で集まった。
「マジで今回いけるかも。玉野さん、ありがとうございます」
「本当にちょっとした補足程度ですので」
「琴絵ちゃん、うちも今回は居残り逃れられそうだよ。ありがとうね」
みんな結果の前に大喜びしている。確かに今回は手ごたえありだったし、悪くない気がする。
「勇さん、これでお祭り行けますね」
小声で勇に耳打ちする琴絵、勇も小声で話した。
「そういえば、お祭りの場所なんだけど・・・。母さんに聞いたら平塚の祭り以外のお祭りは行ったことないってさ」
「そうですか。また後でトークアプリで言います」
「なになに?お祭りってどういうこと?」
香奈が2人の中を割って入ってきた。どうやら今の話が聞こえてしまったらしい。
「香奈は地獄耳だもんね」
夕子も聞きたそうな顔をしていた。もちろん、翔太もこちらをじっと見ている。
「2人で行こうとしてたわけ?俺たちに内緒で?」
「ちがうよ、みんなで行きたいなぁって言ってたの」
「そうそう、パーッとやりたいなって」
明らかに怪しい、勇がパーと盛り上がりたいなんて言うはずないと翔太は思っていた。
「うちらも行く~。ねぇ、夕子は習い事大丈夫だよね?」
「日にちが被ってなければ大丈夫」
「じゃあ、みんなで行こう」
3人は楽しそうな顔をしていた。これではせっかくの記憶探しもできないけれど、今さら断るわけにもいかない。
こっそりグループから抜けて神社に行っったら逆に怪しまれる。
香奈が待ち合わせ場所と時間を仕切って・・・平塚のお祭りはみんなで行くことになってしまった。

***

お祭りの当日が来た。テストの点数も無事に平均点を超えたので居残りもなく、無事に夏休みに入れた。
「父さんが珍しく、柔らかいんだ。祭りの話したら宿題だけはちゃんとやれよって言われた」
「お前の父さん、もっと積極的に話したいんじゃないのか?話してみろよ」
「よくわかんねぇんだよ」
平塚の駅に着くと琴絵と香奈が待っていた。
2人とも浴衣を着ていて、琴絵は水色の浴衣で金魚の柄、香奈は薄紫色でアサガオの模様だった。
ちなみに勇たちは普段着である。
「こんばんは。2人とも浴衣似合っているね。夕子さんは?」
「バス遅れてるって・・・あ、来た来た」
走ってくるその姿を見てびっくりした。白い浴衣に椿の花、レトロモダンで髪の毛も結ってある。
香奈と琴絵と比べてはいけないが、同い年に見えないくらい大人っぽく見えた。
「夕子さん、めちゃくちゃおしゃれなんですね」
「本当は私服で行きたかったんです。お母さんにどうしてもこれ着てって言われて。バスも遅延してたし・・・ごめんなさい」
「夕子は習い事で花道やっているんです。お家の人がそういう家で後継ぎなんです」
部活でも茶道、家では花道・・・すごいなぁとしか言いきれなかった。
全員揃ったところで、まずは夕飯がてら焼きそばとたこ焼きを分担して買いに行った。
香奈はまだ食べるのか、イカ焼きの小さいものとりんご飴を買っていた。
「体細いのによく食べるんだな」
「絵描きし始める前は食べるのが趣味だったみたいで。勇さんもそこそこ食べますね」
「屋台は母さんの味にも近いからな。濃い目のは好きなんだ」
人混みが激しく多くなりみんなは、はぐれないように手をつないで歩いていた。
しかし、琴絵は大きな体の人にぶつかってしまい、カバンを落としそうになった。
なんとかカバンは無事落ちなかったけれど、みんなの姿が見えなくなってしまった。
「香奈ちゃん、夕子。勇さん、翔太さん」
声を出してみたが返事は帰ってこなかった。
とりあえず、ここでじっとしていても邪魔になってしまうので一番歩いて近くにある平塚神社に走っていった。
トークアプリで連絡してみると、どうやらみんなもはぐれてしまったみたいだ。
真っ暗でもないけれど、ここは明かりが少なかった。
琴絵はどこか座れそうなところがないか探していると、神社の裏を回った時に誰かにぶつかった。
「あ、ごめんなさい。前を見ていませんでした」
「その声・・・玉野なのか?」
「勇さん!」
声は間違いなく勇だった。スマホの明かりでお互いを照らすと、顔がはっきりと見えた。
「さっき着いたばかりで探してた。他の奴もここに来ること伝えたから。大丈夫だったか?」
「はい。はぁ~良かったです。このまま一人でいるのも心細くて」
「・・・なんか、こんな風に神社であったの初めてじゃない気がするんだ。前に言っていた夢の話、こんな感じだったよな」
その時スマホが鳴って、勇が電話に出た。
「はい、翔太か。・・・玉野も一緒だ。神社、着いたらまた連絡くれ」
スマホをしまう、翔太も夕子と香奈と合流で来たみたいだ。
夕子は、はぐれた途中でトイレに行きたくなり、コンビニに入ったら香奈と会えたという。
香奈も一番自分の場所からコンビニが近かったようだ。
そこに翔太が何とか合流できて、神社にむかってきているという。
3人が来るまではあと数分くらいだ。
そして、翔太らしき人物が見えてきた。
「良かった、今回は場所わかったみたいだな・・・。今回?」
勇が何か引っかかるなぁという顔をしていると、琴絵が目を見開いて前を見ていた。
「あ、あ。やっぱり、そうだったんだ」
目からは涙があふれている。胸を抑えると、激しく心臓が鳴っているのがわかる。
一呼吸してみると、苦しいのはなくなった。
「あ、思い出した。俺が一年生の時にここで出会った女の子・・・」
2人の言葉を遮るように翔太たちが合流した。
「やれやれ、見つかってよかった。・・・あ、琴絵ちゃん、泣いている?勇、泣かしたのか?」
「は、何言って・・・?玉野?大丈夫なのか」
「何でもないです、みんなに会えたのが嬉しくて」
「涙もろいなぁ。うちらはこの通り無事だよ」
「良かった。さて、そろそろ帰りましょう」

4人は平塚神社から駅へと歩きながら屋台にもう一度だけ寄ると、今度は食べずにテイクアウトする。
また香奈はりんご飴を家族分と自分用に買い、翔太も弟へとじゃがバターを買った。
「あの時の男の人・・・やっぱり、勇さんだったんですね」
「俺たち迷子で、そこから一緒に駅行ったよな。駅で別れたのも覚えてる。お互いに思い出せて良かった」
けれど、もう一つだけ勇に言っていないことがあった。
それは勇のことが好きだということも思い出したこと。
みきの言った通り、今までの鼓動の音はそういうことだった。
駅に着くと夕子は親が迎えに来ているというので、駅で別れる。
「またみんなで遊びましょう」
「今度はデートでもしようよ。遊園地行きたい。ね、琴絵ちゃん。・・・勇さんも参加ですからね」
香奈はニヤニヤしながら2人を見ている。
「デートってことは、香奈ちゃん彼氏持ち?」
「うちはいませんよ。でも、夕子には許嫁がいます。お見合いもしているみたいですし・・・」
翔太はガッツポーズして、まだ希望があるかもしれないという願望を抱いている。
けれど、みんなでデートをするのはまだ先の話になるだろう。
皆はそれぞれの電車に乗って家に帰っていった。

六章 思い出せてない記憶

夏休みの8月の半ば頃、宿題を全て済ませた勇は残りの休日をどう過ごそうか考えていた。
翔太は家族で旅行に出かけているので、会うことができない。
帰省するか親に聞いたが、居酒屋の手伝いが多く入ってしまい行けなくなったので全く予定がない。
いわば繁忙期という時期らしい。
琴絵からもあれから次に会う連絡もしていなかった。
暑い中、机の前で暇そうに宿題を見直ししていると、コンコンとドアが鳴った。
「勇、ちょっと今日暇なら出かけないか?」
めったに部屋にも入ってくることない父が声をかけてきた。
「え?どこ行くの?」
「いい天気だろ?久しぶりに釣りでも行かないか・・・王禅寺に」
「・・・いいよ」
「支度しているから準備できたら駐車場に来てくれ」
そう言い残すと、再びドアを閉めた。
今は昼の12時半を過ぎたとこ、出かけるにも悪くない時間だ。
でも、なぜだろうか。珍しく父がこんな風に誘うなんて・・・。
ルームウェアだった服を着替えてジーンズと英語の書いてある白いTシャツを着る。
スマホと財布を持って、部屋から出ると母が台所にいた。
「お父さんと釣り行くんでしょ?気を付けてね」
「父さん、急にどうしたの?」
「そうね・・・たまには2人で出かけたらって提案しただけよ。男同士の時間も必要でしょ?」
男同士の時間ってどういうことなんだ。母の提案には何かと引っかかることがある。
「母さん、夏休み終わったら三者面談があるんだ。行けそう?」
「大丈夫よ。そういうのだけはちゃんと行くから。お昼は向こうで食べてくるんでしょ?帰りは居酒屋(うち)によってね」
「わかった」
勇は玄関でスニーカーを履いて、外に出る。
階段を降りて駐車場に着くと父が車に乗って待っていた。
隣の席に座るのなんて、何年ぶりだろうか。いつもは母がここに座る。
「王禅寺の釣り場で昼を食べてからやろうか。やり方は覚えてるか?」
「もう随分とやってないから覚えてない」
「まぁ、また一から教えるさ。俺もお前と行くのは本当に久しぶりだからな」
勇と行くのは小学校を卒業して以来だった。それ以降はたまに一人で行ったり、仕事が忙しくいく暇がなかったりと繰り返していた。
Jeepの黒い車はゆっくりと駐車場を発車して、王禅寺の釣り場へと向かった。

王禅寺の釣り場は数人の人がいて、一人客の人が多かった。
車を駐車場に止めて、先にカフェで昼ご飯を食べることにした。
「ここもずいぶん来てないとかわったなぁ。昔の釣り仲間も見かけなくなったな」
「一人で釣りに行っていた時はどこに行ってたの?」
「中津川だ。でも、なかなか釣れなくて行くこともやめた。仕事もあったしな」
そうだった。仕事が忙しくなったというのは出張があったからだ。釣りができそうな場所もなかったので出張先での休日はニュースと気晴らしに散歩したくらいだと母から聞いていた。
パリパリとした感触のトマトピザとペペロンチーノのパスタを食べ終えると、店から出て池の方に歩いて行く。
「ちょっと、車に戻って道具を取ってくるから釣りに良い場所探してみてくれ。任せたぞ」
肩を軽く叩かれ、父の後姿を見ては、竿にぶつからないよう池の周りを歩く。
途中、黒と白の模様をした野良猫が歩いてきては釣った魚をじっと狙っているのを何度か見かけた。
少し下に降りたところ、もう一つの池に空いた場所を見つけると父にトークアプリで連絡をした。
父が到着して釣りの準備を始める。
「子供の頃使っていたこれ覚えているか?」
掌に乗せて見せてきた魚の形をした水色のルアー、ずいぶん古いのか太陽の下でも光らない。
「俺が小さい時に初めて店で選んだ奴だ。まだ、持っていてくれたの?」
「これ使うと、良く釣れるんだよ」
そう言っては被っている帽子を深くかぶり直す。
母の言うとおりだ。素直に「そうだよ」とは素直に言えない性格だからだ。
「お前はこれ使え。俺は今買ってきたやつを使う」
父はオレンジのルアーを出してきて釣り具に付け始める。勇も見よう見まねで付け始めた。
良かったどうやら付け方はまだ覚えていたみたいだ。
釣り糸を池に垂らしてみた。当然だがそんなに早くは釣れない。
「ねぇ、父さん。あのコインってどこで買ったの?」
「懐かしいな。イギリスで買ったんだ。実は父さんと母さんはお前が生まれてから結婚式を挙げたんだ。仕事がお互いに忙しくて式を挙げるお金も貯めていたからな。実は、あれを買ったのにはおみあげのためじゃないんだ」
「何か意味があるの?」
「お前、母さんが占いやおまじないに興味あるの知っているだろ?」
そうだ。母は占いが好きだった。
朝のニュース後に流れる占いコーナーは毎日チェックしている。
その日のラッキーカラーのものはなんでもいいから身に着けていることがあった。
「 “何か新しい物”、“何か古い物、”“何か青い物”、そして“何か借りた物”・・・この“4つのもの”を身に着けると花嫁が幸せになるっていうまじないだ」
「それ母さんに読んでもらった童話で、子供のころに聞いたことがある。マザーグースだったかな」
「そう、それだ。でな、コインは花嫁の左靴の中に6ペンス銀貨を入れるんだ。それが幸せになるためのおまじないなんだ。お前にそれをあげたのはな・・・いつかお前にもできるであろう嫁さんに同じようにしてほしいと思ってな」
嫁さんって、結婚はできる歳だけどまだそこまで考えてなかった。
「後で、母さんが持ち歩けるようにしたいっていうからペンダントにできるように作り変えてもらった。覚えていてくれたんだな」
その時だった。竿が強く引っ張り始めたので引っ張り上げると、1匹小さいのが釣れた。
「つ、釣れた。やったよ」
「父さんだって負けないからな。ところで、お前に聞きたいことがある。これからどうしたいんだ?」
来ると思っていた質問が今来た。竿に着いた魚を逃がすともう一度、釣り糸を投げる。
「あの家にはもういられないんだ」
「え?どういうこと?引越しするの?」
「四国だ。向こうの親会社からこっちに来ないかと誘いが来てな。父さん四国での仕事がやりたいんだ。来年のいつ頃かはまだ決まってないが多分・・・・・・4月には引越しになる」
そんな話は初めて聞いた。
生まれてからずっと神奈川を離れたことがない。
父の会社の親元が四国にあるのは知っていた。
時々、四国から宅急便で父宛に資料が送られてくるからだ。
だから、母は店の仕事ができないから今の手伝いになったというわけか。
「だから、お前に先のことを考えてほしいって言ってたんだ。・・・こっちで何かやりたいならそうさせてやる。俺の実家に頼んで、お前を預かってもらうことぐらいはできる」
そうか、父の祖母と祖父は神奈川だ。だから、独り暮らしとかは考えなくていいのか。
でも、急に言われた現実的な話、この先はなんとなくで決まると思っていたからだ。
「すまなかった、そう思っている。言おうと思っていたんだ。お前と話す機会がなくてな、厳しく当たったこともあって・・・だから俺から離れていったのもわかる」
「いや、俺も悪かった。厳しく言われるのが嫌で距離置いてたから」
父の竿にも魚がかかった。勇のより少し大きめだった。
「友達は大事にしろよ・・・ちょっとトイレに行ってくる」
そう言うと、竿の魚を逃がして竿をその場に置いた。
「父さん」
父の背中に声をかける。
「今すぐに答えは出ないけど、ちゃんと考えるよ」
そう言うと、父は片方の手をあげて「わかったよ」と振り返した。

***

一方、琴絵は石川町にある山下公園を散歩していた。
水色のボーダー柄、足首まで長いワンピースを着ている。いつもの黒いリュックだが、星のチャームはかわっていて、食品サンプルのパイナップルが付いている。
(あの時、言えなかったんだけど・・・実は全部思い出したんだよね)
祭りの日、全て忘れていた記憶を思い出した。
なぜ、琴絵は勇にあんなことを言ったのか。コインをもらった相手は自分だったこと。
もちろん、そのコインは今日も付けている。
スマホの写真をスライドさせて、勇と一緒に映った2ショットを見返す。
勇こと好きだった。話してみたくて、きっかけが欲しくてそれであんなくだらないこと言った。
少し立ち上がって歩き始める。
考えれば考えるほど、勇のことが頭に浮かんでくる。
「2度も助けてくれた。お祭りで迷子になった時もコインの時も・・・」
声を覚えていたからわかった。
入学式の時に桜の木の下で泣いていた自分を励ましてくれた。
公園から出ると近くのもう一つの公園、山手イタリア公園の前を通る。そのまま坂を降りていた。
すれ違う人は楽しそうに何かを話している。
なんとなく耳を傾けていた。
「“嘘“ついたら本当にそうなっちゃったなんて言ったら、怒るかな」
『まだ、アナタは思い出せてない』
「え!」
自分と同じ声が後ろから聞こえて振り返る。
誰もいなかった。
前を向くと背の低い女の子が目の前に立っていた。
『覚えている?私のこと・・・』
「誰!私なの?」
下を向いていた顔をあげると泣いていた。
『誰かを傷つけたくないの』
その時、何かキーンという音が聞こえた。頭の中に誰かが語り掛けている。
「違うの、私が悪いんじゃないの」
これは子供の頃の記憶・・・。誰かと琴絵が喧嘩をしている?
『でも、私が悪い子』
その子は近づいてきた。
「いや、いや」
頭を抱え、琴絵はしゃがみこむとそのまま体を伸ばして倒れてしまった。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
耳元でみきの声が聞こえる。
目をゆっくり開けると、ぼんやりと顔が見えてきた。
「み・・き・・?それと・・・お母さん?」
「良かった。生きてる。先生呼んでくる」
みきがドアを開けて出ていく音が聞こえた。
顔がはっきり見えてきて、少し起き上がる。白いベッドの上、白い壁、窓が近くにある。
そばの椅子には母が座っていた。家からすぐに駆けつけてきたのか、服装もシャツにジーパン・・・それに化粧も薄かった。
どうやらここは病院みたいだ。
「ここ、病院?」
「玉野さん、起きましたか?」
白い白衣を着た先生らしき人と看護婦さんが来て琴絵の首元を触った。
顔の具合を見ている。
「落ち着きましたね。大丈夫みたいです。今日一日だけゆっくりしていれば明日には退院できます」
「・・・どういうこと?」
「お姉ちゃんったら、熱中症の手前だよ。道に倒れてたんだよ。散歩中の人が声をかけてなかったら・・・死んでたんだよ」
怒っているような泣いているような顔をしている。
「水分は必ず取って下さい。危険な状態じゃなかっただけ良かったです」
そう言って看護婦さんと先生は病室を出ていく。
「琴絵、何かあったの?」
しばらく黙ってから、大きく息を吸って過去のことを思い出せたことを話した。
「そうなの!お父さんにも言わなきゃ、今仕事中かしら」
スマホのトークアプリに簡単に連絡しておく。
「もういくら気を引かせるためだとしても、変な嘘つかないでよ」
“さっさと図書室で出会った時、告っちゃえばよかったのに“と小さく呟いた声は丸聞こえだった。
「それからね・・・お母さん、私って子供の頃に誰かと喧嘩したの?」
「・・・」
母は何か言いたそうだが黙っている。
「さっき、倒れる前に見たの。小さい時の私が私に向かって“思い出せてないって”言ったの。そしたら、急に倒れちゃった。ねぇ、教えてよ」
「みき、リリーズのコーヒー飲みたくなっちゃたから買ってきてくれる?」
「えぇ!遠いじゃん」
「若いから大丈夫。コーヒー以外に、好きなの買ってきていいから」
2千円をみきに渡し、受け取った彼女は病室から出ていった。
2人きりになりたいがために嘘をついたんだ。
「みきには聞かせたらショックだろうと思ってね。あなたが喧嘩したわけじゃなくて、お友達をかばって言っちゃったの。“言霊”でね」
「それって・・・」
「あの時も、おばあちゃんに助けてもらったのよ。あなたから今話す記憶を消してもらうように。けど、おばあちゃんはこっちに来られないからお父さんにやってもらったの。ほら、お父さん、力が弱いでしょ?それも長くはもたないとも言ってたしね。お水、飲む?」
ペットボトルを受け取ると熱中症の手前で倒れたのでけっこう喉が渇いていたのか、勢いよく飲んだ。
「今から話すこと、みきにはまだ言わないでね。もっと大人になってから話してあげる予定だから」
それは小学校4年生の時に起きたこと。
琴絵がまだ自分の力の下限に気づいていない時の話。


小学校4年生の時、彼女は根岸ではなく東京の方に住んでいた。
放課後に学校の中庭で女の子と男の子のグループが何か言い合っている。
「この場所は俺たちが先に使ってたんだから俺らのもんだ」
「中庭はみんなで使うとこだよ。今日じゃなくたっていいじゃん」
「今日じゃなきゃダメなんだ」
「昨日だってそう言って、他の子達追い出したじゃん」
「なんだと」
他のクラスの子達は、この喧嘩を止めようと先生を呼びに行った。
当然、この騒ぎを見ている子供たちがちらほらといた。
琴絵はたまたまトイレから戻ってきたところでこの言い争いをみていた。
そして、中庭に入っていく。
「まいちゃん、どうしたの?」
「あ、琴絵ちゃん。聞いてよ、この子達昨日も今日も中庭を取っちゃったんだよ。他の子追い出して」
「だから、俺らが使う場所は俺らのもんだ。他の奴らにやるもんか」
そうだ。そうだ。と他の男子も叫びだした。
まいちゃんと呼ばれた子は泣きそうな顔をしながら「違うもん、違うもん」言い返している。
「ほら、見ろ。泣けばいいて・・・なんだよ、お前」
琴絵は男の子に近づいた。
「たいきくんなんか嫌い・・・・嫌われちゃえ」
すると、まるで騒いでいた子達も黙った。この光景を見ていたクラスの子はたいきくんを嫌そうな顔で見始めた。
こそこそと噂話みたいに話をしていると、近くの先生達がこちらに来る。
「たいきくん、あなたが悪いのよ。謝りなさい」
先生達全員と子供たちに悪者のように見られている・・・そう、これが琴絵の力だ。みんなから嫌われてしまったのだ。
「う、うわあああああん。僕悪くないもん」
たいきくんはそこで鼻水と涙を流しながら大泣きし始めた。
「泣けばいいってもんじゃないでしょ。あっちが悪いんじゃん」
当然、たいきくんの傍にいた子供たちも睨むような目つきで見ていた。
「みんな・・・職員室に来なさい」
琴絵の担任先生が駆けつけてみんなを職員室に連れていった。

まいちゃんたちの中庭の件は他の子が謝ったのでことは済んだが、琴絵の言葉のせいでたいきくんは嫌われてしまった。
しかしそれは近くにいた人だけにしか効果がなかったので、あとから駆け付けた先生達には効果はなかった。
琴絵たちの家族も職員室にきていた。
「玉野さんの事情は知っています。・・・」
「ごめんなさい、そんなつもりで言ったわけじゃないの」
そう、ここまでみんなから嫌われるなんて思ってもいなかった。
それほど彼女の力は強かったのだ。
「琴絵、たいきくんに“○○○○”って言うんだ。おばあちゃんに聞いたら、“言霊”を解く呪文だって」
他の人には聞き取れてもなんて言っているのかわからない言葉だった。
その言葉を言い終えると同時にたいきくんの母親が職員室に来た。
「たいき」
「お、お母さん」
「事情は聴きましたけど、あなたのお子さん、化け物なんじゃないの?」
「“言霊“なんですよ。そういう家系なんです」
「家系だかなんだか知りませんけど、うちの子にはもう話しかけないでください」
そう言ってたいきくんを引っ張って連れていく。
たいきくんはこちらをチラッと見ては“悪かった、ごめん”と目で合図した。

それから琴絵は家に帰ると叱られると思ったが、父に頭を撫でられた。
「まったく、人の子を化け物呼ばわりするなんてどうかしてる」
「でも、たいきくん、謝ってた。ごめんねって合図で教えてくれた」
「明日からいじめられたりしないかしら?」
「たいきくんと琴絵は和解できてるし、大丈夫だと思うが・・・おばあちゃん曰く、この記憶を忘れるための言葉を教えてもらった。その方がいいかもしれんな」
もう二度と同じことが起こらないように・・・。
父は琴絵と向かい合うと、○○○○○○と何かわからない言葉でそう言った。
「目を閉じなさい。それで、さっきの言葉を心の中で繰り返すんだ」
目を閉じるとなんとなく静かになった気がして、言葉を思い出す。
不思議と体が軽くなった気がして、目を開けるころには今日の出来事を思い出せなくなっていた。
「お父さんの力じゃ弱いからもしかしたらいつかは思い出してしまうかもしれない。それも仕方ないことだ」

その日からなのか琴絵は人の前でおとなしい、あまり喋らない子になったという。


琴絵は泣いていた。
自分にあった過去を思い出してきて、苦しくなっていた。
「だから勇くんが良かったのよ」
「え?」
母は琴絵のことを抱きしめると背中をさすった。
「勇くんみたいに何かを気にしないような性格・・・だから琴絵の記憶探し頼んだの」
確かにそうだ。
勇は初めて出会った祭りの時も入学式の時も図書室で会った時も・・・いつも同じ感じだった。
だから、きっと記憶のない琴絵は話しかけやすかったのかもしれない。
「そういえば、みき遅いわね」
「そうだね」
2人がそう話しているのを病室のドアの向こうで、みきが背を持たれて立っていた。
「私だって大人だもん。話してくれてもよかったのに」
みきはリリーズから早く戻ってきてしまい、2人の話を少しだけ聞いてしまった。
このことはそっと心の中に隠しておき、病室のドアを開けて「買ってきたよー」と何事もなかったかのようにそう言った。

***

夕方頃、戸塚に帰ってきた勇は母のいる居酒屋に寄った。
駅から約10分程度の割と広くて、店舗もない言わば個人店の居酒屋である。
裏側に駐車場もあるのでそこに車を止めた。
「旦那さん、息子さんと仲直りできたみたいね」
「そうね。距離は少し縮まったかしらね」
「すみませーん、ウーロン茶とレモンサワーください」
勇はお酒が飲めないのでウーロン茶を頼む。父はレモンサワーを頼んだ。
「はーい」
母が注文を書き足すと厨房に声をかけた。
「父さん、俺に合いそうな大学ってあるかな」
「そうだなぁ。俺が通ってた大学は理系の奴が行くところだからなぁ・・・。そうだ、会社の同僚に総合系の大学入った奴が一人いたなぁ。そいつに聞いてみる」
「ありがとう」
「だ・か・ら、そう言う話は家でしてね。ここはご飯を食べるとこよ。楽しく食べてちょうだい」
母がウーロン茶とレモンサワー、おつまみの枝豆を持ってきて、テーブルに置いた。
「すまん」
でも、母は少しうれしかったし、ほっとしていた。
(釣りにでも行ったらって提案したのが正解ね)
「母さん、揚げ出し豆腐ある?」
「それから塩手羽先4本セットも」
「はいはい、お待ちください(ホント、お父さんったら手羽先好きなんだから)」
塩手羽先は母の得意料理で、これが父の好物になり母に惚れたきっかけでもあった。
そうしているうちにスマホがピカッと光った。
トークアプリから琴絵のアカウントが消えていることに勇は気がつかなかった。

七章 ありがとう

夏休みが終わり、2日目くらい経ってくるといつもの学校の日常が戻ってきたと感じる。

最終日までゆっくり過ごそうと思っていた勇は翔太に呼ばれ、弘明寺の図書館で宿題を写させてあげた。最後の日だけは学校とかわらないなぁといつもと同じ気分だった。
「マジで助かったわ。あ、これ、お礼もかねてのおみあげの八つ橋。後で香奈ちゃんたちにもあげるんだけど、気にいるかな?」
京都に行ってきたようだ。ちらっと中を覗くと、生八つ橋と細いせんべい風の八つ橋が入っていてどちらとも味は定番だ。
「ありがとう。母さん、これ好きなんだ。他には何買ったの?」
「定番のあんこが入ったやつもある。パリパリとどっちがいいかわからなくて・・・」
「家族で行ったの?」
「いや、父さんと2人で行った。ばあちゃんは年齢があるし、弟はインドア派でゲームばっかりでさ。友達とカーレースしていたよ。まぁ、弟がいると好き嫌い激しいから父さんとだけの方が気楽なんだけどね。勇はどっか行った?」
「父さんと釣りに行った」
「お、やっと仲直りか?別に嫌いだったわけじゃないんだろ」
「まぁ、そんなところかな」
全ての話をするのも今じゃなくていいとも思い、今は黙っておいた。
もしかしたら、勇だけは引っ越さず神奈川に残るかもしれないのだから。
昼食時間は終わり、昼休みに図書室に向かう。
廊下を歩きながらトークアプリを開いた時だった。琴絵の名前がなくなっていた。
気がつかなかったのか?いや、トーク整理中に間違って消してしまったのだろうか・・・。
「なぁ、玉野のアカウント。消えてない?」
「俺もそれ言おうと思ってたんだよ。機種変かなと思ったけど、でも香奈ちゃんが俺にメッセージしてきたんだよ」
人が来ないかを確かめて、壁側に立ち止まりスマホを覗く。

“琴絵ちゃんのアカウント消えたんだけど、翔太さんなんか知ってる?”

“いや、気がつかなかった。機種変更でもしてんじゃない?”

“そうかな??うち電話番号は交換してなかったわ。学校始まったら聞いてみる”

いつからそんなに仲良くなったのか。そこはまあ、気にしないで続きを聞く。
「香奈ちゃんは夕子さんにも聞いたんだけど、習い事が忙しくて返事が遅いから俺に聞いてきたんだ。でもって、今日の授業の合間の休み時間にこれ来たんだよ」

“休み時間になったらどっか行っちゃったんだけど。夕子と相談して探したけど、どこにもいないの。勇さんと今日の昼休みに図書室来てくれる?”

“おう!”とスタンプが押してあった。

琴絵のことだから何かあったら必ず連絡をするはずだ。
それをしないということはよっぽどの理由があるのだろうか。
「なんか、勇は知らないの?」
「いや、俺もわからないんだ」
「だよなぁ」
再び歩き出して、図書室に着いた。2階の階段を上がると、勉強会をした机に香奈と夕子がいた。
「お久しぶりです。あ、これとりあえず渡しておきます」
先ほど勇に渡したお見上げを2人に渡す。香奈はあんこの入った八つ橋をもらい、夕子はパリパリの方をもらった。
「ありがとうございます。琴絵ちゃんどうしたんでしょうね」
「授業には出ているんだろ?」
「はい、特別かわったところはないんだけど・・・授業終わった瞬間にどこかへ行っちゃうんです。すぐいなくなるから話しかける暇もなくて」
「心当たりある場所は探したの?」
「学校内はだいたい探したと思います。一昨日、始業式終わって放課後に一緒に帰ろうと思ったら先に帰っちゃったし・・・」
「何か変わったこととかあった?」
「琴絵ちゃん、前のおとなしい子に戻ったんかな。1年の時も休み時間にすぐどっか行っちゃってたんです。うちが昼食時間に話しかけてからグループで一緒にいるようになったんだけど・・・。でも、急だよね。夏休みなんかあったのかな?」
前のおとなしい子に戻ったということは・・・記憶喪失が治ったということではないか。
でも、それは彼女にとって何か嫌な事まで思い出してしまったのかもしれない。
高校の話は特別悪い事は聞いていない。ならばその前の中学校の時かもしくは小学校・・・。
話すべきだろうか“言霊”のこと。
「放課後、もう一度玉野のこと探してみよう。翔太も部活まだ休みだろ?」
「明後日からまた練習だから今日は平気。案外、屋上とか行ってたりしないよな」
「ここの屋上、立ち入り禁止なんですよね。先生しか鍵を持っていないし、だからいないと思います」
屋上・・・校内の思いつくところは探したはずならそこしかない。琴絵なら開けられないこともない。
「当てがないよりも屋上に行ってみよう。放課後、職員室に鍵を借りてくるよ」
「じゃあ、私と香奈は空き教室を探してみます」
「勇は屋上行っている間、俺は他の奴に聞いてみるよ」
昼休み終了のベルが鳴り始めて、一旦は教室に向かった。


放課後になると勇は職員室に行き、屋上の鍵が借りれるか担任に聞いてみた。
「先生、屋上の鍵を借りたいんですけど」
「屋上はな、この学校の設備の人以外は危ないから立ち入り禁止なんだ。だから貸せないんだ」
「でも、友達がいるかもしれないんです」
「鍵がないのにどうやって入るんだ?」
「それは・・・」
確かにその通りだった。鍵がなければ入れないのはわかっている。
ならば、2年生の先生に聞いてみるしかない。
「わかりました。あ、そういえば2年生担当の先生って今いますか?」
「いるよ。ほら、あそこだ。それより、10月入ったら三者面談だぞ。どうするんだ?」
「父の知り合いに僕に合いそうな大学を聞いてもらっています」
「そうか、進学か。また話聞かせろよ」
「はい、ありがとうございます」
勇は2年の先生一人に声をかけた。
「玉野??あ、隣のクラスだよ。1年生の時は僕が担任だったけど、今は向井先生だよ。ほら、丁度今来た」
ハンカチで手を拭きながら自分の机に着く。
「ありがとうございます」
向井先生のところに勇が行くと先生は眼鏡をはずして、吹き始める。
「玉野さんね、さっき屋上の鍵を借りに来たのよ。今なら空いてるんじゃないかしら?」
「わかりました。ありがとうございます。失礼いたします。」
勇は職員室から出ると屋上に向かう端っこの階段まで廊下を歩いた。
やっぱり、琴絵にならできる気がしていた。琴絵は“言霊“で先生から鍵を借りれるよう操ったのだ。
操ったという言い方だと失礼になるが、「貸してくれると言いますように」とでも言えば行けると思った。
階段に到着すると、一段一段とゆっくり上がっていく。
元の琴絵に戻れたのだ。それは悪いことではない。
では、どう話しかけようか。戻ってしまった彼女に話しかける言葉はなにがいいだろうか。
屋上のドアの前に着いて、少し考える。
ドアノブに手を置いて、回し始めた。
「玉野、いるんだろう?」
いつも通りに話しかけよう、それがいいと思った。
屋上で空を見上げながら琴絵は勇に気づいた。
「やっぱり、わかっちゃいましたね」
「他のみんなが心配している。急にどうしたんだよ?」
「・・・」
「思い出したのか?前の記憶?」
「私、小学校の時に1人の男の子を傷つけてしまったことがあるんです。この“言霊”で・・・」
琴絵は母から聞いた小学校の時に起きた事件の話をした。
「おばあちゃんの呪文で記憶が忘れていたけど、きっと心の中でおとなしい子を演じなきゃ誰かが傷つく・・・そう思い込んでいたんです。あの入学式までは」
「入学式の時にコインを渡した相手、玉野だったんだな」
「私もあの時、励ましてもらえなかったらずっと一人だった思います。助けてもらってばかりでした。特に勇さんには・・・私、勇さんのことが好きなんです」
なんとなくそんな気がしていた。
香奈がからかっていたからというわけじゃなく、家でご飯をご馳走になったり、鎌倉に行ったり、祭りに2人きりで行こうとしていたり・・・。
おとなしい時の自分にはできなかったことをしたんだ。
記憶がないからこそできたことなんだ。
「まだ、俺は恋愛とかわからない。けれど、これから卒業するまでにそれがわかるかもしれない。だから、みんなのところに戻らないか?・・・怖いんだろ?」
「怖いです。怖いですよ」
大きな声で言いだすと、目からは涙を流していた。
「勇さんにはたぶん、わからないと思います。これから先、何気なく言った言葉で誰かが傷つくかもしれない。喧嘩した時言っちゃうかもしれない・・・後で“いわなきゃよかった”と思いたくないんです。だったらいっその事、ずっと一人でおとなしくいるほうがいいです」
「俺が止めるよ。例え、玉野が言いそうになった時は俺がそうさせない。それに今のみんななら話せばわかってくれる。信じてくれる」
「嫌なんです。私のために言葉を選んで話してもらうのは嫌なんです。“普通”でいたいんです。だから、“勇さんも皆さんも、私のことを忘れてください”」
そう言われた時だった。勇の頭の中で琴絵との記憶がシャッターを押すように消えていく。
「ちょ、ちょっと待てよ。勝手に消えるなよ」
頭を両手で抱え込む。
「私がいつか・・・いつか勇気をもって皆さんのところに戻ってきたら。その時は思い出してくださいね」
「待ってよ、琴絵・・・・・・。」
最後に消えた記憶は鶴岡八幡宮で撮った2ショットの写真・・・。しばらくすると頭を抑え込んでいた手を離して、前を向く。
まるで今ここにいるのが不思議な気分だ。
「あれ、なんで俺屋上にいるんだ?」
「勇さん、今までありがとうございました」
小声で聞こえないようにそっとそう言って琴絵は勇の隣をそっと通り過ぎる。
それと同時に他のみんなが屋上に来た。
当然、みんなは琴絵のことを忘れていて声をかけてこない。
「勇、こんなとところで何しているんだ?屋上は立ち入り禁止だぞ」
翔太や香奈、夕子たちは勇のことを忘れていなかった。
「翔太にみんな」
「うち、翔太さんが屋上に来いって言うから来たんです。勇さんが屋上に来てって、さっきトークで言っていたから・・・なんで?」
「賀上さん?」
勇は目を閉じて何かを思い出そうとした。しかし出てきたのは誰かの何かを言っている口パクのセリフ。
「帰ろうぜ、勇。屋上の件は先生にはみんなで謝れば大丈夫だって」
「そうだな。行こうか」
4人は屋上から出ていくとそっと静かに鍵を閉めた。

それから香奈たちと交流もなく、10月に入った。
時々、学校が一緒なのですれ違うことがあるけれど、挨拶くらいになってしまった。
仕方がない、記憶喪失のあの頃はいつも中心に誘っていたのは琴絵だったからだ。
三者面談の今日、勇は母親と担任の先生と話をしている。
「先生、町田にある大学に行こうと思っています」
そうハッキリ言って少しだけ、昨日の話をする。

勇は昨日の夜、父親から電話をもらって一人で新宿駅に来た。そこで、前に話していた同じ会社の人に出会った。その人がお勧めしてくれた大学なら総合的にいろいろ目指せるらしいという。
新宿駅から少し歩いて東口の近くのイタリアンに入った。
夕飯を3人で一緒に食べながら、話し合ったという。
「勇くんは具体的に何になりたいとかあるのかい?」
「恥ずかしながら、実は目標がないんです」
その会社の人は大きく笑ってこう言った。
「ハッハッハッ、素直でいい子じゃないか。僕もね、特別な目標なんてなかったんだ。でも、大学入って勉強してからお父さんのいる会社に入りたいと思ったんだ。別に急がなきゃいけないわけじゃないんだ。君のお父さん、厳しいからね。ハッハッハ」
「厳しいのは親だからに決まっているじゃないか。お前も子供ができたらわかる」
「その前に彼女がいませんけどね」
体も大きくて、すごく父と違って穏やかな人だと思った。

「うん、あの大学なら今の成績ならなんとか行けるかもしれない。あそこは閑静でいい場所だ。今度、見学に行きなさい」
「はい」
「“なんとか行ける”だからな。もう少し頑張れよ」
「先生、最後まで息子をよろしくお願いします」
そして三者面談が終わって、次の休みの日に大学見学は翔太と行くことにした。その代わり、翔太の学校にも見学一緒に行くことになったけれど・・・。

***

一方、琴絵の方は一人で学校を過ごしていた。
寂しさはない、一人にはもう慣れっこだった。香奈も夕子も話しかけてこない。
用事がある時に「玉野さん」と呼んでくるくらいだ。
(これでいいんだ。これなら人の迷惑にならない)
元々、おとなしかった自分はこうなんだと言い聞かせていた。
帰り道ももちろん一人、駅までの道のりも一人だった。
電車の中で、他学校の生徒たちが小声でおしゃべりしているのを見ると、なんだか懐かしく思えた。
あれ、どうして懐かしいと思うんだろう。
根岸駅について電車を降りると、家まで向かう途中歩いていると後ろから背中をポンと叩かれた。
「お姉ちゃん、お帰り」
「わぁ、みき。脅かさないでよ」
隣ならんで一緒に家に帰る。たまたま下校時間が重なったみたいだ。
「どうしたの、沈んだ顔して?なんかあった?あ、もしかして勇さんに何かされたの?」
「べ、別に沈んでなんかいないよ」
「お姉ちゃんって、ホント嘘つくの下手だよね」
「そうかな」
「だって、お姉ちゃん。顔に出やすいんだもん。ほら、目がいつもと違う」
鋭い、さすが妹だ。というより、琴絵は表情を出してしまうところがあるのだろう。
根岸森林公園に向かう細道の階段まで来て、上り始める。
「何があったかは聞かないけど・・・。言わなきゃよかったって顔だよ、それ」
“言わなきゃよかった“・・・あぁ、自分がさっき勇に言ったセリフじゃないか。
立ち止まるとやっぱりなぁっと思った。思った通りの寂しさと涙がこみあげてきた。
「みき、お母さんには話さないって約束して。いろいろ聞かれるの嫌なの」
「じゃぁ、今度横浜で売ってるワッフルケーキの店にあるカリカリのやつ買ってくれる?」
「あのコロコロしたやつね。みき、それ好きだもんね」
「クリーム入ったのは苦手なんだけど、あれはもう最高なんだよ。無限に食える」
琴絵はみきに勇とお別れをした話をした。
「そっか、その気持ちわかるよ。勇さんは気を使うイプじゃないけど、他の子にも同じようにって言うのは無理だよね。それにこの先、他の人だってそうしろったって信じるかどうかわからないし。でもさぁ・・・」
「でも?」
「こういう展開はよくない。ちょっと、公園行ってもいい?」
みきは琴絵の腕を掴むと返事を聞く前に歩きだしてしまった。
根岸森林公園に入ると、すれ違う人が何人かいた。もう夕方の6時近く、家に帰るのが普通だ。そろそろ秋になってきていて、葉が茶色や黄色に色づいていく頃だ。
イチョウ並木を通り抜けてさらに進んでいくと、根岸の森を通り過ぎる。
そのままずっと歩いて行き上に向かうと、競馬場跡地の前まで来た。
そこにはベンチと遊具がある。ここから見える景色もとてもきれいだ。
立ち止まって滑り台に上ると両手を口元にあてる。
「お姉ちゃんは、勇さんが好きだ―」
「ちょっと、こんなところで大きな声で言わないでよ。恥ずかしいじゃん」
「いい場所と景色に叫ばずにいられないでしょ」
ここは山じゃないんだから、住宅街なんだからとため息をつき琴絵はみきの後に滑り台に上ってきた。
「漫画の展開であるの。叫んだらその通りになるって。神社でもあるじゃん、願いが叶う場所って」
「はいはい、漫画ねぇ。いつもここに来てるの?」
「そうだね、ここでもあるし。違うとこも行くよ。とにかくいい景色の場所と高いところに来たらこうして何でもいいから叫ぶんだ。すっきりするんだ。誰が叫んだかなんてわかんないしね」
みきはネガティブなこともこうしてポジティブ言葉に変えて吐き出しているから“言霊“が“プラス思考に働く”んだ。
「お姉ちゃんも言いたいこと言っちゃいなよ」
琴絵も口元に手を当てると「私、普通になりたーい。勇さんが好きだー」と叫んだ。
「普通って意外と難しいけどね。すっきりはしたでしょ?みんなには内緒だよ。ご近所どうたらこうたらって言われたくないし」
「わかった。みき、私ね、写真家になることお母さんに言うよ。もう少し自分に正直になってみるよ」
うんうんとみきは頷いて「よし、帰ろう」と言った。

2人は遅く帰ってきたので、怒られはしなかったが注意された。
「気を付けてよ、女の子なんだから。さ、ご飯食べましょ」
「そうだぞ、世の中物騒なこともあるしな」
今日のご飯は生姜焼きだ。おかずのサラダにはポテトサラダとひじきがあった。
「お母さんとお父さんに話したいことがあるの。私、写真家になりたいの。おばあちゃんの後継ぎにはならない」
2人は黙ってしまった。当然、そんな気がしていた。でも、口を先に開いたのは父だった。
「まぁ、母さんならきっと“娘のしたいようにさせな”って言いそうだもんな。わかった、後継ぎの話はなしにしよう。みきもそうだろう?なりたいものあるだろう?」
「私はまだわかんないけど、お姉ちゃんと同じ高校に入りたい」
「そうなの?みきなら入れるとは思うけど、他に行きたいと来ないの?」
「だって、あそこの学校。私の好きな声優さんの卒業場所だから」
そこかよっと突っ込みたくなるが、みきにはそこが一番の狙いだろう。
そのことは置いといて・・・しかし、みきにはまだ先が長いからゆっくり決められる。
「写真家になるなら専門校に行くのかい?父さん写真には詳しくないからなぁ。学校選びはちょっとアドバイスできない。すまないな」
「大丈夫、自分で何とかする」
そうだ。自分で決めることはできるんだ。
思考をポジティブに持とうと思った。
「お肉、冷めちゃわないうちに食べましょ。また勇くんに食べに来てもらうために今日は気合入れたのよ」
勇くんか、つい少し前にお別れをしただけなのになんだか懐かしい響きに感じた。
母親と父親にはみんなと別れた話はしない。みきとの内緒の約束だった。
(いつかは思い出してもらうんだ。勇気を持てるようになった私になれたら)
まだ足りない、けれど、少しずつでいい。
まだ卒業まで時間もあるし、卒業したとしてもこの“言霊”で会いたいと言えば、会いに行くことはできるんだと。
あの学校に入る前に私は“あの人に会いたい”と、あの平塚神社で願ったのだから。

八章 幸せのコイン

1年が過ぎて、3年生の卒業式の日が来た。
翔太と勇は狙い通りの大学に行くことができ、卒業式も無事に終えることができた。
勇が四国に引っ越すことはなくなったので、これから先きっと連絡を取るであろう翔太にだけ本当のことを話しておいた。
香奈と夕子はもちろん連絡くらいは取るけれど、大学に入ってしまったら高校みたいになかなか会いに行くことも気軽にはできない。
遊ぶことだって少なくなるだろう。みんな家が違うのだ。
卒業式は無事に終わり、一度教室に戻り、皆と別れを告げる。
「卒業しても遊ぼうな。よし、早速明日から会おう」
「いや、だから明日は引越しの続きで向こうの家着いたら準備あるから無理だって。落ち着いたら連絡するから」
「絶対しろよ。しなかったら俺からするから」
翔太は一生の別れのように大泣きしていた。
写真くらいは思い出に残しておこうと、勇はスマホを取り出し、翔太と一緒に撮ってもらった。
「ありがとう、親友」
「翔太くーん」
野球部を応援に来ていた女の子たちが、まるでファンクラブのように写真を撮りたがっている。翔太は「あ、写真撮ってくれる?」と勇に頼む。
やれやれ、これではチェキ会と企画者みたいじゃないかと突っ込みたくなるけれど、今日くらいはいいかと勇は思っておいた。

この頃ことだが、勇は何となく何かを忘れているような、その何かをふと思い出すようになった。
もう一人いた気がする。誰かいたような・・・。
思い出せるのは図書室の風景と勉強会をしたこと・・・後ろ姿までは思い出すことができた。
でも、そこまでで記憶は消えてしまう。
これの繰り返しだ。

家に帰宅後、父の実家がある大和に引っ越すために部屋の片づけをしていた。
元々、物をため込まないのでそんなに大荷物というのはなかった。
洋服ダンス、勉強用の机。大学生になったら制服はいらないんだ。
新しいカバンは今度買おう。
「昼にな引越しの業者が来て荷物を詰めてたし、手続きもしてきた。明日に俺が車で実家に送ってやるから。お母さんと父さんは4月7日にここから引っ越す。忘れものとかあったら取りに来いよ」
「ありがとう。頑張るよ」
「気を使うな、昔はよく遊んでもらっていたんだぞ。特に俺の親父も釣りが好きだから連れていってもらうといい。ただし、海釣りが基本だがな」
「わかった」
そう言えば、5歳くらいの時に父の実家に行って船に乗せてもらったのを覚えている。海釣り友達がたくさんいると自慢していたような。
仕事も漁業で、主に藤沢のどこかで魚を売っていた。時には東京まで行ってマグロの解体もやっていたらしい。
けっこう元気な祖父と、忘れっぽいけど体は丈夫な祖母だった気がする。
「こっちにもたまには帰ってきてね」
ちなみに母はもう祖父も祖母もいない。
あまり、体が強くなかったので勇が小学校6年になる頃には病気でもう2人はいなかった。
しかし、四国は母の実家に近い、愛媛とかその辺りだ。実家に帰ることがあったらたまにはお墓参りしに行こう。
「大学とも近くて良かったよ」
「前会った俺の同僚、覚えているだろ?あいつの連絡先教えておく。学校のことで何か分からなかったら聞くといい」
小さなメモをもらうとポケットにしまいこんだ。
「このお店ともお別れね。寂しくなるなぁ」
この居酒屋に来ることももうないだろう。母はお店の人に別れを言った。
田舎暮らしの母が神奈川の大学に行くために四国から一人で来て、ずっと大学生の頃からお世話になった場所だ。
「戸塚に来ることがあったらまた来てね」
店長は涙を見せるのが嫌だから、帽子で顔を隠している。
「勇くんも一回くらいは一人で来な。サービスしてあげるね」
「ありがとうございます」
会った回数は少ないけれど、みんないい人たちばかりだ。
「さて、今日は俺のおごりだ。いっぱい食べてくれ」
店長は大きな牛すじ鍋を持ってきてテーブルに置いた。彼の自慢の鍋料理は味が濃い目でとても美味しかった。

次の日、昼の13時頃に勇と父は大和に車で来ていた。
駅から少し離れた住宅街に一軒家があり、そこで2人は住んでいる。荷物はもう届いて業者が全部片づけてくれたそうだ。
「じゃあ、元気でやるんだぞ」
「うん。わかった」
勇だけが降りると車が発車していく。車の姿が見えなくなるまで見送ると、家のインターホンを鳴らした。
「おお、勇か。よく来たな」
「お世話になります」
「なにぃ、そうかしこまってんだよ。じいちゃんとばあちゃんだぞ。遠慮すんな」
「う、うん」
久しぶりに会うとなんとなくだが緊張してしまうことがある。
家の中に入ると“ワン”という鳴き声が聞こえて、こちらに犬が走ってきた。
小型犬で茶色のポメラニアンだ。勇を見ると初めて会ったのに懐いてきて、前足をあげている。
「じいちゃん、犬飼ったの?」
「ばあさんがな、一人になったら寂しくなるって言うから飼い始めたんだ。わしはまだ元気じゃわい」
「だって、あんたがこの前具合悪くなったから心配したのよ。勇くん、いらっしゃい」
「こんにちは」
「そりゃあ、ただの風邪じゃ」
「名前はなんて言うの?」
「はて、忘れてしもうた」
祖母は忘れっぽい性格なのだ。話を聞いていてもすぐに忘れることが多い。それは昔からのようだ。
もちろん、嫌がらせではない。
「また忘れたんかい?ノブじゃ。ちなみに名前の由来はわしが大河ドラマをよく見ていてな。それが丁度、織田信長だったんじゃよ。その日に来た犬で、妙にテレビに食いつくように見とるから“ノブ”と呼んだら、返事したんじゃよ。そこからそう付けたんじゃ」
「はぁ、そうでしたっけ?それよりも勇くんにお部屋案内してあげて」
勇は居間から奥の部屋、和室になっているところに案内された。そこには勇の荷物が置いてあった。
そう言えば父から聞いていた、敷布団があるからベッドはいらないということを言われた。
昨日、引越しの荷物も届いていて机も窓の近くにある。
窓を開けると、小庭があり犬小屋もと花壇がそこにあった。
祖父は勇の隣に立ち、小声で言った。
「最近、ばあさんがな犬もそうだがガーデニングしてみたいって言うから花を植えたんじゃ。じゃが、あの性格だろ?わしが結局水やりしとるんだ。思い出した時にあの人もやるがな」
「みんな、ちょっとおやつにしましょ。勇くんも座んなさい」
祖母が持ってきたのはヨモギのまんじゅう、これは祖母の好物である。
たぶんまんじゅうは父が昨日送ったものだろう・・・本来なら昨日のうちに食べてほしかったと思う。一日だけ賞味期限が過ぎていた。

それからしばらくして4月にすぐに入って、大学の初めての登校日が来た。
大和から歩いて20分先に駅があり、小田急線に乗る。新しいカバンは入学祝いにと祖父が買ってくれた。
長持ちが一番ということで、黒い革製品のリュックだ。

町田までは一本で行けるのでとても通勤は楽だった。学校までの道のりもそこまで遠くない。すぐに着いてしまった。
入学式、校長先生の話を聞きながら勇は翔太のことを思い出した。
翔太はというと、一度だけ引っ越してから横浜で遊んだ。彼はどうやら大学から家が遠いので独り暮らしをするみたいだ。
まだすぐではないが、家はもう探した。そのうちにバイトも見つけるみたいだ。
独り暮らしする先にコンビニが傍にあるのでそこで働こうと考えているようだ。たまに試合があるので遠くには行けない。
同じようなスポーツ仲間も働いていて、シフトも組みやすいというのでそこに決めた。
たまには会おうと言われた。
勇はバイトをするのかまだ決めていない。祖父に相談してみてからにしようと決めていた。
入学式が終わる頃、眠いながらに退場する生徒たち。
ここからどんなことが起こるのだろうか、まだ何も想像できなかった。

何も水分を取っていなかったせいか喉が渇いていた。
学校を出て自販機を探しながら、駅に走っていく。一つ見つけて、財布から小銭を出そうとしたとき、何かが落ちて転がっていった。
コインだ。そのコインを追いかけていくと、何かにあたって止まる。
それは靴だった。左足のしたに落ちているコインをゆっくりと拾ったのは女の子だった。
首から一眼レフカメラを提げていて、学生カバンを持っている。3年生のバッジ・・・どこかで見たことのある制服だ。
「あ、それ、俺が落とした奴なんだ」
「かわった模様ですね」
よく見ると落としたのは、父から前にもらったコイン・・・そう、あの外国のコインだ。
「ありがとう。玉野・・・あれ?俺今なんて言った?」
女の子は勇にコインを渡す。その女の子も首元にコインのネックレスをしていた。
そしてその子はこう言った。
「勇さん、やっと会えましたね。玉野 琴絵です」
私はもう勇気が持てるようになりました。

すれ違う駅の中、2人は顔を合わせて笑った。
「おかえり、玉野」

完結済み

幸せのコイン

【解説】
たまには不思議系のお話よりも何でもない青春物を書いてみたく、今回はそうしました。
ちょこっとだけ”言霊”というのは入っていますが、ほとんどは何気ない日常です。
ジブリ作品で例えるなら「耳をすませば」のような「海がきこえる」そういうものです。

しかし、お気づきの方もいると思いますがこの物語のキーワードは”言霊”です。
勇の視点と琴絵の視点で物語は進んでいますが・・・琴絵は”言霊”が使えるんです。
彼女は記憶をなくしていますがカメラ撮影は衰えていませんでした。
では、能力は?
みきよりも強い能力を持っていると父親は言っていました。
そうです。すべて、琴絵がこの物語を動かしているんです。

そう考えて読むと、勇って主人公だったのにいつの間にか動かされているということになります。
考え方をかえると怖い話だと思います。
今度読むときは琴絵の視点で読んでみてください。

幸せのコイン

高校3年生になったばかりの賀上勇は、進路に悩んでいた。 そんなある日、寄り道がてら図書室にいくと、机の上に本を広げて、頭を乗せて眠っている女の子に出会う。 その子は高校2年生のバッジを付けていた。名は玉野 琴絵。 図書委員が見回りに来る時間が来てしまい、その子を起こしてあげる。 彼女は急に「私は誰なんでしょう」と変なことを言い出した。 元の記憶を取り戻してもらうために琴絵に協力するが、彼女にはちょっとした”秘密”があった。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-01-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 一章 嘘がまことへ
  2. 二章 言霊
  3. 三章 記憶探し:鎌倉
  4. 四章 夢の中で
  5. 五章 テストとお祭り
  6. 六章 思い出せてない記憶
  7. 七章 ありがとう
  8. 八章 幸せのコイン