蠕動

 テレビではスーツを着て、いかにも自分の発言が論理的道筋に沿ってゆくさまを恍惚とさえ感じていそうな男性が、近年の「若者の欧風文化への憧憬」を議題に雄弁と語っていた。名前のテロップの肩には有名な大学が載っており、彼のれっきとした意思ではないだろうが、そのことが余計に彼を後ろ盾しているような気がしてならない。
 本当なら、私も彼のような人物の元で勉学に勤しんでいたのかもしれない。家計的な都合上、私の選択肢は家業である漁師を継ぐことくらいしかなかった。地元に一軒だけある古本屋に立ち寄っては頭の良さそうな本を買ったところで、大学に通う同級生のようにはなれないのである。
 彼はここ数年で急激な盛り上がりを見せるハロウィンを引き合いにしはじめた。私はテレビを消し、スマートフォンで天気予報を確認する。もう漁場へ向かわなければならない時間だ。
 とっくに出掛けている親父を追いかけるように、私は薄汚れた黒のビーノに跨る。仕事場に近づくにつれて、潮風がヘルメットを抜けてまで伝ってくるようだった。
 港には、黄色い物体があった。短い波止場の先に、静置されている。その、まるで自らの存在がそこにあって然るべきといった雰囲気と、明らかな警戒色である黄と黒の色が、気味の悪くなるほど協力的に同居しており、得も言えぬ吐き気を自覚する。その物体の周りには数人の漁師が物珍しそうに囲んでおり、仔細なところまではこの距離からはわからない。
 私は原付きをいつもの駐輪場に雑に駐車し、波止場に駆け寄る。
「ウニか?」
「いんや、カボチャじゃねが?」
 彼らの議論がはっきりと聞こえるようになってきて初めて、私はその物体の大きさを知った。成人男性の肩あたりくらいの高さはある。大きな襞のように凹凸を繰り返した形状はその物体の周りをぐるりと一周囲っており、見方によってはスカートのプリーツにも見えたが、その気味悪さからはむしろキノコの傘の裏側を想起した。凸の部分にはもれなく黒いドット柄が群生しており、気軽に人を寄せ付けないような奇妙さがあった。物体の頭上には斜めに倒れた(へた)のようなものがついており、そのことが余計にこの物体の植物的な面を強めていた。
「これ、なに」
 私はしばらく前からこの物体の周りで会議していたであろう漁師たちに尋ねる。
「こっちが訊きてえもんさ」
「昨日の夜はなかったべ」
 老人たちは思い思いの感想を口走るが、特に有用な情報はなさそうである。
「おそらく植物だろうとは思うけど、見たことないな」
 私はその物体に一歩近づき様子を詳細に眺めてみることにした。果皮のような細か凹みが全体に渡って見て取れる。人工的な艶めきはない。しかし近づいてみても全くの無臭であり、プラスチックのような無機物らしさも垣間見える。そっと掌を物体の表面に合わせてみる。触覚を自覚した途端、ウルシのような触れただけでかぶれる危険性を危惧したが、危惧するには遅かった。
 どうやら接触皮膚炎を起こす類のものではないようで、掌に予想どおりのザラザラともツルツルともつかぬ感覚が伝わる。しかし、問題はそこではない。触れた箇所を中心にまるで私の手を避けるように円形に黒いドットが移動したのだ。シャクシやスイフヨウなどのように、ある程度の時間幅の中で色が変化するならまだしも、これほどまでに一瞬で色が変わるような事例を私は知らない。
 私は気がつけば、未知の物体に対しての恐怖が知的好奇心に変異していた。どうやって発生したかもわからないこの生物は生物史に名を刻むほどの大発見なのではないか。とそこまで思考が及んだ時点で、不意に今日の漁について思い出した。私は慌てて腕時計を見る。とっくに船の出る時間は過ぎている。まだ自分で船を出すことを認められていない私は、父親の船に乗って漁の手伝いをすることが常であった。これはあとで大目玉を食らうなと思った反面、船が戻ってくるまでの間、この物体についての調査を進められるといった喜びが湧き上がった。

蠕動

蠕動

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-01-15

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