茸の牛肉(ぎゅうじし)ー茸の書店物語2

草片文庫(くさびらぶんこ)

茸の牛肉(ぎゅうじし)ー茸の書店物語2

茸書店の不思議物語2


 一月ぶりに神田にきた。文房堂に入るのは久しぶりだ。一階にいろいろな国の雑貨というか、可愛らしい作品がたくさん置いてある。それをながめて二階の版画の材料売り場を覗いた。若い頃、大学ノートに架空の生き物のスケッチをして、その気になったとき、それを木版画にしていた。ここの版画用のインクはとてもいい。さらに、銅板画に手を出して、文房堂製プレス機を買った。今は部屋の隅に飾りになっている。また始めるにしても木版画からだろう。などと考えながら三階に登ってみると、喫茶室になっている。昔は額縁が置いてあったのだがと戸惑っていると、ウエイトレスさんが「額は六階になりました」と教えてくれた。額を見てもしょうがないので、下に降り外に出た。
いつものように古本屋を覗いて、昼を食べにランチョンにはいった。その日はステーキランチにした。ここのステーキは薄切りだが、家庭的な味付けでおいしい。たまに食べたくなる。
ランチョンはビルの二階にある。窓側の二人席にすわると、道路が見渡せる。ランチが来るまで人の往来を眺めていると、黒い長い裾まであるスカートをはいた背の高い金髪の女性が歩いてくるのが眼にはいった。どこかで見たような人だと思っていると、その女性はランチョンに入った。すぐに店に上がってきて、ウエイトレスに一人よと言っている。常連のようだ。私のところから少し離れた席に腰掛けた。誰だったかと考えていると彼女がこっちを向いた。そうだ、草片書店の店主である。
このあいだ神田に来た時にはじめて気がついた書店で、茸の伝承の小冊子を買った。という叢書の一号である。茸の幽霊の、とても奇妙な話だったが、その作者の岐阜まで足を運んだが、作者に会うことはできなかった。しかもその冊子に書かれていたことに関わるような古い男女の遺骨を森の中で見つけてしまったのだ。なんとも奇異なことだった。今日昼を食べたらその本屋によってみるつもりだった。
ステーキランチが運ばれてきた。彼女が食事を終えて、店に戻るまで、ゆっくりと食事をするしかないだろう。やっぱりビールを頼もう。
 食べながらちらっと、彼女の方を見ると、いつの間にか老人が同じ席についている。後ろ姿からすると、私と同じくらいの年、七十くらいだろう。彼女と老人は親しそうに食べながら話をしている。老人もビールを飲んでいる。彼女はウェイトレスに一人よと言っていたということは、偶然に一緒になったのだろう。老人もランチョンの常連さんなのだろう。
 老人の脇には、紫色の風呂敷に包んだものが、テーブルの上に置かれている。本のようだ。本屋さんの仲間なのだろうか。
 そうこうするうちに、ゆっくり食べたつもりなのだが、私の皿が空になってしまった。ビールももうない。彼女がここにいるということは、本屋はあいていないかもしれない。他の古本屋によってから、草片書店に行こうと私はランチョンを出た。
 その足でヒノキ書房に行った。ここはサイン本を多く集めているところである。昔は泉鏡花賞をとった本を集めていて、サイン本を探しにここによく来たものである。本がところ狭しと置いてあるが、見ていくとなかなか面白いものが多い。木下順二の戯曲、蛙昇天のサイン本をここで買った。蛙の世界の話だ。寓話である。しばらく棚をながめた後、草片書店に行った。
大きな赤い紅天狗茸が画かれている木製の扉を開けて中に入ると、店主の女性は戻っていて、机に向かって書類に目を通している。
棚の一番奥の地方で出版された茸の本のところに行くと、店主の女性がふっくらとした色の白い顔を上げた。大きな目で私を見ると「いらっしゃいませ、茸の亡魂はいかがでした」と声をかけてきた。
覚えていてくれたようである。話がしやすくなる。
「面白かったですよ、それで、作者の宿を探していったのですが、住所のところには違う宿があり、本の中で出てくるような骨を見つけてしまいました」
「おや、そんな不思議なことがあったのですか、作者の方が見つからなかったというのはどうしてでしょう、有名な方ですよ、それで、こちらからお願いしたのですが」
「そことは違う宿に泊まりましたが、その宿の主人も茸の好きな方でした」
「あら、いやだ、きっとその方ですよ、本にはペンネームを使われたのですよ、あの方あまりご自分を外に出さないから」
彼女は橙色の口紅を塗った大き目の口を大きくあけて笑った。そういう可能性を全く考えていなかった私は、考えが及ばなかったことを悔やんだ。ちょっと間抜けである。分かっていれば、もっと突っ込んだ話が出来たに違いない。
あーあと思ってふと店主のデスクの上を見ると、紫色の風呂敷に包まれたものが置いてある。ランチョンで老人が持っていたものだ。それに目がいっていることに気づいたのだろう、彼女は「今、語草片の2号を受け取ったところです」と、風呂敷を解いた。あの老人は印刷会社の人だったようだ。
出てきたのは前買った「茸の亡魂」と同じ形式の小冊子で、やはり綺麗な茸の絵が表紙に書かれている。今度は赤っぽい、猿の腰掛の形をした茸である。タイトルは「茸の牛肉」とある。変な題である。
「これは、福島の茸農家の方にお願いして書いてもらったものです、さっき受け取ったばかりなのですが、いかがです」
彼女が一冊私にわたした。裏を見るとやはり三百円と安い。
「ええ、いただきます」
私は財布から三百円出して、本を袋に入れてもらった。
「ありがとうございます、次は一月先になります」
「そうですか、面白い企画ですけど、ずいぶん安いですね」
「これは、私たちの楽しみです、儲けはないのですけど」
と、店主は楽しそうに微笑んだ。

 家に戻って図鑑を本棚から取り出した。保育社の原色日本菌類図鑑の正続の二冊である。なぜか高校生のころ、保育社のカラーブックスを好んでいて、カラー自然ガイドの「きのこ」をもっていた。特別茸に興味があったのではないのだが、綺麗なものはみんな好きだった。あるとき、自分とは直接関係のない科学関係の古本屋で、この図鑑が破格の値段で出ていた。それで買ってしまったのだ。おそらく、頭のどこかに茸への興味が潜んでいたのであろう。
それを開いた。この冊子の表紙の茸の名前を知りたかったのである。腰掛の仲間のところを見ていくと、あった。カンゾウタケ科、カンゾウタケとある。肝臓のような色と形をしているからのようだ。
 肝臓茸をウキペディアで調べると、フランスでは牛の舌、アメリカでは貧者のビーフステーキとある。どちらも牛だ。といっても、この茸は食べられるようだが、ビーフステーキの味がするわけではないようである。この小冊子のタイトルが「茸の牛肉」だから、肝臓茸をスケッチしたのだろう。それにしてもタイトルから内容が想像できない。
 短いものだから夕食までに読み終わってしまうだろう。ベッドに寝転がって読むことにした。書いたのは、福島の郡山で茸を栽培している茸園の社長のようである。

 「茸の牛肉」

 昔から、このあたりには茸がよく生えた。山の中に入れば、滑子や天然の椎茸、もちろん奥の方では舞茸なども採れることがあった。民は田畑を作り、山の茸や山菜を採って生活をしていた。暮らすには良いところであったことから、後に統率者が現れ、村社会が形成されたころには、農家はかなり恵まれた生活ができるようになったという。
 その証拠が牛耕である。その昔は牛で田を耕すなどという楽が出来た農家は少ない。しかしこの地では牛で田畑を耕していた。
牛は飛鳥の時代に中国より伝来されたとされるが、その当時から貴重な家畜であって、とても庶民がもつというようなことはなかった。牛は車を引くという役割を担い、牛車に乗ったお姫様や公家のイメージは意外と一般的である。
 しかし、牛が農家の手に渡るのはよほど後のことで、江戸時代になってからであろう。牛の乳を飲むなどということはもっと後になる。何しろ、牛豚馬、日本人にとって、どれも食べてはならない動物であったからだ。しかも牛は人間の何十倍もの力で田畑を耕してくれる貴重な生きものである。肉を食べるなどということはとんでもないことだったに違いない。
この地は、自然に恵まれていただけではなく、稲がよくできたことから、米を他の地に分けることができた。そのようなことから農家は牛を手に入れることができたのである。驚くことに、その時代に一つの農家に一頭の牛がいることがあたりまえのようだった。牛が飼われることで、さらにこの地を富ませた。
 どこの農家も子沢山で、六、七人の子どもがいた。多いところは十人もいる。おかみさんたちは赤い顔をして力持ち、旦那達も筋肉隆々で、力仕事は任せとけといった立派なからだをもっていた。農家というと、なんとなく貧相なイメージを持ってしまうが、ここではとんでもない、男どもはどちらかというと、荒々しい海の男といった感じだ。
 子供たちは秋になると、山に遊びに行っていろいろなものを採ってくる。食べられる茸のこともよく知っていて、飯の時には子どもの採ってきた茸が美味しい惣菜としてだされた。
 そういった生活が営まれているところだったが、ある年に、この地からかなり離れたところにある山が火を吹き、あまりにも大きな噴火だったので、影響をかなりこうむった。
その山というのは磐梯山のことである。平安時代に大爆発を起こし、明治になってからも有名な大噴火があった。そのときはそれほど大きな爆発ではなかったのだが、飼っていた牛達が、何かにつけ神経質になった。
 平安時代に起こった爆発では、直接的な被害はなかったのに、このあたりに異様なことが起きたことは古くからの書物に記載されている。そのころ、家に牛や馬がいたわけではないが、林や森にいる動物達、猪、鹿、兎、鼠まで動きが活発になり、木々や草木もなぜか立派に生い茂ったことから、森が大きな怪物のように見え、子供たちが怖がったとある。それに森や林の中では、とてつもなく大きく育った茸が、一面に覆いつくしたとある。何がそうさせたのかちょっと想像がつかないが、空気の温度、湿度の変化、それに、土の中の何らかの成分の変化によるものだったのかもしれない。
 江戸時代にも記録には残っていないが、磐梯山の小噴火があったという。そのときは山火事が起きたりしたが、遠く離れたところまでは影響が及ばなかったようである。
 磐梯山の小噴火があった数日後、郡山のその村の一軒の家が火事になった。その煙はあたりを覆い、山の森の中にまで漂っていった。家が一軒焼けたが、幸いなことにその家の者たちは誰一人怪我もせず助かった。ただ、牛小屋が焼けて、牛が一頭焼け死んでしまった。
 その日のお昼過ぎ、火事のあったところから、少し離れた農家の子供が、裏山から、籠いっぱいの茸を入れて帰ってきた。すると、それを認めた牛小屋の牛が、いきなり立ち上がり、後ろ向きになって、隅に行ってしまった。子供は、「どうしたん」と、牛小屋に近づくと、後ろを向いた牛が縮こまっていて動こうとしない。
 「父ちゃん、牛が変だよ」
 家に駆け込んだ子供が声をかけると、父親がでてきて、「どうした」、とあわてて牛小屋に行った。子供も籠を土間に置くと、後を追った。
 牛小屋で父親と子供が見たのは、後ろを向いて、ぶるぶる震えている牛の姿だった。
 「ほれ、五郎、どうした」
 父親が声をかけると、しばらくして牛はやっと後ろを振り向いて、のそっと、歩いて寄ってきた。顔を父親の手にこすり付けると、べろっと舌を出して父親の顔を舐めた。
 「なにがあったんじゃ」父親は五郎と呼ばれた牛の鼻筋をなぜ、肩の辺りをたたいた。五郎はそばにいた子供の顔もべろりと舐めた。いつも牛に優しくしている末っ子の末松だ。
 牛は落ち着いたようである。二人は家に戻った。
 「どうしたんだべ」
 「山菜採りから帰ってきたら、おらを見てあんなになった」
 「ふーん、なんだべ、わからんな」
 土間に入った父親の平蔵は籠の中の茸を見た。
 「春なのにずい分たんと茸が採れたな」
 「うん、山菜はあまり採れんかったが、あかんべろばっか採れた」
 あかんべろは赤っぽい舌の形をした、木につく茸である。今まではたまに見かけるだけであった。このあたりではこの茸を炒めて食べる。生だと酸っぱいが塩で炒めると飯とあう。
 「こんな茸あまり生えんじゃったのに、山が火吹いたからかも知れんな」
 二人が家に上がると、母ちゃんが帰って来た。隣の家から竹の子をもらってきた。
 「今日は竹の子ご飯にしてやるぞ」
 父ちゃんも子供たちも、竹の子ご飯が大好物だ。
 と、外で大きな声がする。
 「五郎がおかしいぞ」
 残りの四人の兄弟たちも帰って来たようだ。四人も山菜取りに山に行ったのだが、末松よりもっと山の奥まで入っていった。四人は家に入ってくると、それぞれ背負っていた籠を土間に下ろした。
 「さっきもおかしかったんじゃ」
 父親は、子供たちと牛小屋に行った。五郎がまた後ろを向いて震えている。
 「どうした、大丈夫だぞ」
 父親が言うと、さっきと同じように、のそりと、五郎は近寄ってきて、顔をこすり付けた。しばらくすると、落ち着いたようで、皆家に入った。
 父親が土間の籠をみた。
 「なんだ、みんな、あかんべろばっかり採ったのか」
 「うん、山菜はあまりなかったんだが、この茸ばっか生えていた」
 「おかしなこともあるな、この茸は古い大きな木にしか、生えんじゃろ」
 「いや、どの木にも、この茸が生えていた。他の茸はぜんぜんなかった」
 他の茸というのは、やはり木に生える猿の腰掛のことである。腰掛けの仲間は春でもいたるところに出ているものである。
 「今日は竹の子ご飯じゃから、この茸は食わんよ、明日にしよう、それにしても、こんなに食えんな、皆に配るか」
 父親はそう言って家に上がった。子供たちも入ってきた。
 その日は、腹いっぱい竹の子ご飯を食べたものだから、みな気持ちよく床に入った。

 あくる朝、末松が一番最初に目を覚ました。まだ薄暗いときである。しょんべんがしたくなったのだ。末松は寝小便をしたことのないしっかりした子どもだった。だからしたくなると、すぐ目が覚める。土間に下り、戸をカタカタと揺すって外に出ると、家の脇で外に向かってしょんべんをした。
 いつものように、ちょっと牛小屋をのぞいてみようと、行ってのだが、末松は驚いた
 五郎がいない。いつもなら、喜んで擦り付いてくるのだが、まだ薄くらい牛小屋の中に牛はいなかった。
 大変だと思って、末松は父ちゃんを起こしに行った。
 両親はそろそろ起きる時刻である。父ちゃんも母ちゃんもちょうど床から出てくるところだった。
 「五郎がいない」
 末松がいうと、父ちゃんがあわてて、外に出た。あたりが少し明るくなってきている。末松ももう一度後をついて走った。
 牛小屋を覗いた父親が「うわー」っと大きな声を上げた。
 「なんなん」末松も中を覗いた。
 牛小屋の中に白い大きなものが倒れている。末松は始めそれが何だか分からなかった。
 母ちゃんが外に出て来た。牛小屋のところに来ると「きゃあ」と叫んだ。
 「父ちゃん、なんでだ、五郎が骨になっちまっている」
 母ちゃんがそう言ったので、末松は、そこにあるものが、白骨になった牛の五郎であることがわかった。
 「恐ろしいことだ、狼か、それとも、鬼の仕業だ」
 父親は、隣の家に駆け込んだ。戸をたたいて、隣の佐助を起こすと、隣の家の牛小屋を見た。やっぱりそこには、牛の骨が横たわっていた。
 起きてきた佐助とそのかみさんは、それを見てびっくりした。
 「どうなってんだ、平蔵さん」
 「わかんねえ、うちの五郎も死んじまっていた」
 「おら、富安の爺さんのところに知らせてくる」
 「ああ、たのまあ」
 若い佐助は駆け出した。歩くと半時ほどのところの、村の長の家に行ったのだ。富安爺さんは還暦になる、この村を治めている物知りの爺さんだ。
 平蔵は自分の家に戻ると、かみさんと末松を伴って家に入った。その時、平蔵がおかしなことに気づいた。
 「お前達が採ってきた、茸がどこかにいっちまった」
 子供たちが山から採ってきた沢山のあかんべろが籠から消えている。
 父親は牛をあんなにしちまったやつらが、茸を盗んだと思った。とすると、あかんべろが好きな獣が五郎を襲ったに違いない。
 その出来事は、すぐに村中に知れ渡った。大事な牛を守ろうと、どの家でも牛小屋の周りに柵を作った。
 そうしたにもかかわらず、二日後、平蔵の家からちょと離れたところの一軒の家の牛が骨になった。頑丈な囲いを牛小屋の周りに作っていたにもかかわらず、牛を守ることができなかったのである。
 村の長の富安爺さんは、隣の大きな町にある神社に祈祷を頼むことにした。

 牛の事件が起こる数日前のことである。森の中に春の茸がそこそこ生えていたのであるが、その茸たちがこんな話をしていた。
 「磐梯山の噴火は大したことがなかったということだな」
 「ああ、磐梯山の麓の林に生えている茸がそう言っていたということだ、磐梯山の方から逃げてきた鶯がいろいろ話をしてくれたよ」
 「しかし、一つの林が燃えたそうじゃないか」
 「そうらしいな、そのあたりの人間の家も、牛小屋も燃えちまったそうだ」
 「それがな、火がついた牛が、逃げてきて、森に逃げ込んだのはいいが、そこで、燃えてとうとう死んじまったそうだ」
 「ほー、そりゃかわいそうに」
 「ところがな、その燃えた牛の匂いがいいこと、たまらなく、腹が減ってきたそうだよ」
 「我々茸が腹を減らすということがあるのか」
 「ないはずだけどな、そりゃ、動物たちは喰って生きている、だから、腹がすかなきゃならないのだが、我々は腹がすく必要はない」
 「だけど、そこの茸がいうにはな、今までになかった気持ちだそうだ、腹が減るというのは悪い気がしないそうだぞ、何とかそれを満たしたくなる、あらたな本能がそなわったということだな」
 「だけど、満たされないと、つらいということになるな」
 「そうだ、その欲求が大変なことを引き起こしたらしいぞ」
 「どんなことが起こったんだ」
 「そこの茸が歩いて、燃えた牛の上に集まったのだそうだ」
 「茸が歩いたのか」
 「本能の欲求とはすごいものらしい」
 「それは分かるが動物の世界だと思っていた、人間なら、性の欲求から、人間の本質である抑制が消えて、男は女の後を追うという」
 「そうだ、よく知っているな」
 「人の世界を飛び回っているカラスが言っていたよ」
 「そうだよ、もし、我々茸に人間の本能、欲求がそなわったら、動くようになるし、何かを喰おうとする」
 「それで、焼けた牛の上に集まった茸はどうしたんだ」
 「牛を食った、焼けた牛の肉は言葉にはならないほど旨いものだそうだ、骨までしゃぶって、その牛は白骨になったそうだ」
 「ほー、焼けた牛はそんなに旨いのか」
 「それからどうなったんだ、その茸は」
 「いろいろな茸だったのが、皆同じような形になって、牛の焼けた肉のように真っ赤になると、木にぶら下がるようになったそうだ」
 そこへ、鶯がやってきた。
 「牛を食った茸たちが、疎開して、この森の方に向かっているそうだよ」
 「なんだい」
 「なんでも、また、磐梯山が火を吹きそうで、森ごと燃えちまうといけないから、猪苗代湖の周りを通って、郡山の方に向かっているそうだ。このあたりなら大丈夫だからな、俺もあそこじゃ怖いからここまで逃げてきたのさ」
 鶯は糞を一つ落すと、飛んでいった。
 「どんなやつらだろうな」
 茸たちがそんな話をしていた数日後に、赤い茸が群れて、森の中に入ってきた。
 その茸たちは、木の幹に取り付いて、草の中を見下ろした。
 下草の間に生えているもともといる茸が見上げて、その茸に尋ねた。
 「燃えた牛の肉はどのような味がした」
 「ああ、何というか、昔なら、土の中から栄養たっぷりの濃い水分を吸い込んだような感じというのかね」
 「我々も牛の肉を食えるかね」
 「そりゃ、喰えるさ、喰いたいという欲求が強まればな」
 「どうしたら、欲求が生まれるものかね」
 「時を待つしかないだろう」
 その時である。疎開してきた茸たちが一斉に傘を動かした。
 「牛の焼ける匂いじゃないか」
 地上に生えている茸たちも傘を動かした。確かに、何かが焼ける匂いがしてくる。確かにいい匂いである。それは一軒の家が火事を起し、牛小屋にいた牛が焼け死んだ匂だった。
こうして、この地の茸も腹が減るという現象を味わうことになったのである。煙が森の中にはいってくると、だんだん喰ってみたいという思いが強くなった。茸たちはぴょいと動いてみた、動ける、すると、木の上に登ってみたくなり、疎開してきた茸たちと同じように木の幹に取り付いたのである。
 そこに、農家の子供たちが籠を背負って登ってきた。
 「末松、おらたちはもっと上に行くから、お前はこのあたりで山菜探して帰れや、ここなら危なくない」
 「うん」
 という声が聞こえると、子供が木に付いている茸を採り始めた。
 「あかんべろばっか生えてる」
 子供はそういいながら、籠一杯茸を採った。

 その夜、土間に置かれた籠の中に詰め込まれていたあかんべろは抜け出すと、牛小屋に行った。そこで、五郎に災難が降りかかったというわけである。茸たちは生の牛肉でも良かったようである。
 あかんべろたちは五郎を骨だけにすると、隣の家の牛の骨もしゃぶって、裏山に帰っていった。
 「生もなかなか旨いな」
 食欲がとまらなくなった茸たちは、少し離れたところの農家の牛小屋も襲ったのである。

 さて、村の長の富安爺さんが、隣町の神社で鬼退治の祈祷をしている時、一人の少年が、平蔵の家の裏の森に火を放った。火はあっというまに燃え広がったが、上に登る風にあおられ、平蔵の家や隣の家には火が移らなかった。その山は丸ごと燃えてしまい、丸裸になった。それ以来、牛が骨になるようなことはなかった。
富安爺さんは祈祷のお陰と、みなに自慢をしたが、その少年は理由を知っていた。その少年は、平蔵の家の牛が食われてしまって、しばらくして牛が襲われた農家の長男だった。
 この長男は平蔵の隣の佐助、やはり牛が食われたうちだが、その長女とねんごろになっていた。夜中に二人で牛小屋の脇の藁置き場でまぐわっていた。夢中になって、何度も楽しみ、彼女が家に帰った後に、少年はその場で寝込んでしまった。夜も更けてから、ふとぺちゃぺちゃという音でその少年は目が覚めた。
 すると、牛小屋で牛が倒れている。しかも、もう骨だけになっている。その骨に、無数の赤っぽい茸が取り付いてぺちゃぺちゃ舐めている。あかんべろだ。茸が何でこんなことをするのだ、と気丈なこの少年は、茸たちを追い払った。茸はあわてて、猛烈な勢いで走り始めた。少年も追いかけた。
 そして、少年が見たのは、あかんべろたちが、平蔵の家の裏山を駆け上がっていくところであった。少年は後を追って森に入った。しかし、月夜ではあったが、真っ暗でほとんど何も見えなかった。ただ、一番後ろを走っていたあかんべろの姿がほんのりと赤く見えたので追いかけると、脇の木の上に登り、すまして取り付いてしまった。もう少し先まで行ってみると、すべての木にあかんべろがくっついていた。
 少年は悟ったのである。あかんべろは牛を食っちまう。
 それで、誰にも相談せずに、夜中に平蔵の家の裏山に火を放ったのである。
 こういう話であった。

 そこまでは、伝承的なもので、ある書物から読み取ったもののようだが、その後は現代の、筆者の経験であった。
 原発事故で放射能が漏れ、郡山のあたりの茸も採取できなくなった。それはずい分長い間続き、今でも放射能量の検査はなされている。放射能の風の通り道のようなところで、原発事故現場から離れてはいるが、無視することのできない量が降りそそいだところだ。今では普通に生活は出来るが、茸の生産は気を使わなければならない。
私は避難する必要はなかったが、茸栽培はもう出来ないと、とりあえず、影響をほとんど受けていない長野の茸栽培の会社に雇われて、そちらに移住した。安全になり、自分の茸園が再開できるようになったら戻ろうと思ったのである。それで、五年経った2016年に戻って茸栽培を再開した。
 戻ってきたとき、住んでいるうちの近くの山に行ってみた。以前は自分のよい散歩道であり、自然の茸を採取するところでもあった。ここは余り人が入らないところのためなのか、放射能チェックはなされていなかった。歩いてみて驚いた。カンゾウタケ、すなわちあかんべろが、木々に鈴なりになっている。まさかと思いながら、山の奥にまで歩いてみた。恐るべきものを見た。猪が数頭、白骨死体になっていた。何かの原因で死んで白骨化したのか、それとも他に原因があるのか。ついつい、木にすずなりになっている肝臓茸に目をやってしまったのである。
どこかで、牛が犠牲になっているのではないか、もし、ここのあかんべろが牛を襲っているところを目撃したら、必ずこの山に火を放そう、あの話の中の少年のように、そう決心したところである。これも、大地震と原発事故の後遺症である。

読み終わると、なぜか今頃になって、ランチョンで食べたステーキの匂いが胃の中から漂ってきた。
福島の郡山に行ってみたほうがいいだろう。そう思いつくと、三日後に行く手はずを整えた。著者の茸園にいくつもりだった。その茸園をインターネットで調べると、電話がかいてあったので、尋ねたい旨を伝えると、いつでもどうぞということだった。
行ってみると、山間のかなり広い敷地を持つ茸園であった。その茸園は茸だけではなく、他の野菜も作っていた。
その冊子を書いたもうすぐ六十になろうという茸園主の武田さんは、端正な顔をした背の高い人であった。小さな声で、
「いや、お恥ずかしい、読んでいただけたのですか、文章というものを始めて書いたものですから、分かっていただけるかどうか自身がありませんでした」
俯きかげんに言った。
「いや、面白かったですよ、こんな伝承が残っているとは面白いですね、しかも、原発事故のご経験もすごい」
そういうと、農園主は私を見て笑窪を寄せた。正直そうな人だ。
「いや、すみません、あかんべろの言い伝えは聞いたことがあったので、そのように書きましたが、私の経験は、確かに猪が一頭死んでいたことは事実です、しかし白骨になっていたわけでありませんし、何で死んだか分かりません。あかんべろがあったことも事実ですが、まさか、伝承のようなことが起こるわけがないでしょう、ほとんど想像です、作り話です」
「その森は遠いのですか」
「すぐそこですよ、行ってみますか」
そう言われて、私は「是非」と案内してもらった。
 そこは茸園のすぐ隣であった。森の中は明るい光が差していて、よく外国の森の写真にあるような気持ちのよい場所である。
 広葉樹林の森で、歩きやすい綺麗な道が続いている。
十分も歩いただろうか。道の脇の下草の中に、白骨化した猪の死体があった。
「そのままにしてあるのですよ、余りいじりたくありませんから、この中の放射線量を調べたのですが、人には影響のない値でしたけどね」
そう言って、茸園の主人は白骨したいの脇の大きな?の木の幹を指差した。そこにはずい分大きな肝臓茸がくっついていた。
 「大きな、あかんべろでしょう、あれを書いたときより、大きくなっていますよ」
そう言って、彼は目を木の裏側にやったとき、なぜか、顔を青くした。
「あれは」
 と言いながら、下草の中に入ると、?の木の裏を覗いた。私も付いていって驚いた。
大きな猪の白骨死体が二体、少し黄色かかってきた羊歯や菊の類が覆いかぶさってころがっていた。
「あれを書いた時には、ありませんでした」
彼はあかんべろを見た。ぶなの木の裏側にも二つ付いていた。
 「戻りましょう」
 彼は私に帰るように促した。
 茸園に帰ると、
「奇妙なことですが、何か理由があると思います。保健所と相談します」
 と彼はちょっと緊張していた。
 彼は茸園の採り立ての椎茸を持たせてくれた。勝手に押しかけて、土産をいただいてしまっては悪いと断ったのだが、彼は読んでいただいたお礼だと言った。こうして、私は椎茸をもらって家に帰りついた。
 まさか、彼があの森に火をつけたりしないだろう。と、ちょっと、そんなことも考えなかったわけではない。
しかし、武田さんにお礼の電話をいれると、解決しましたと、明るい声に戻っていたので、なぜかほっとした。どうしたのですかと聞くと、
「あそこは、年老いた猪の死に場所のようです」
と答えた。
本当だろうか。また、頭の中で疑問がもたげてきたが、打ち払うことにした。彼は小説家の素質を持つ人なのだろう。

「あそこは、年老いた猪の死に場所のようです」
と答えた。
本当だろうか。また、頭の中で疑問がもたげてきたが、打ち払うことにした。彼は小説家の素質を持つ人なのだろう。

茸の牛肉(ぎゅうじし)ー茸の書店物語2

茸の牛肉(ぎゅうじし)ー茸の書店物語2

茸本の書店で見つけた小冊子、それには茸たちが、牛肉をと食べることが書かれていた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-01-15

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著作権法内での利用のみを許可します。

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