うさぎと男の子

あおい はる

 よろこばしいことがあった日は、なんとなく、土星のことを想像してみる。冬の海って、いつも、黒い。うさぎが好きな男の子が、ときどき、私の飼っているうさぎに、逢いにくる。男の子は、何時間でも、うさぎを見ていられるという。私は、そのあいだ、仕事をしたり、料理をしたりする。見ているだけでなくて、触ってもいいよ、というと、男の子は、ぶんぶんと必死に首を振る。さわって、死んじゃうのは怖いから。男の子はちいさな声で、そう答えて、ゲージ越しに、うさぎのことをじっと、見ている。すこしくらいなら死なないのに、とも思うのだけれど、男の子のようすからするに、ぜったいにさわらないと、かたく誓っているのだと思う。なにか、かなしいことがあったにちがいないと、私は想いながら、おやつのドーナッツを揚げる。さいきんは、もう、外出も制限されて、スーパーマーケットや、ドラッグストアに、食糧や日用品を買いに行く以外は一切、出かけておらず、こうして誰かが家に来てくれるだけでも、ああ、まだ自分は、世界から疎外されてはいないのだなぁと、妙に大仰な実感に浸っている。男の子とは、とくに、会話らしい会話は、していないけれど。となりの、となりの家に住んでいる、高校生の男の子、ということしか、知らないので。あと、うさぎが、とても好き。
 春のにおいを、わすれてしまった。
 思い出そうにも、思い出せないで、でも、冬がおわればまた、ふと思い出すのが、春のにおいだった。
 揚げたてのドーナッツに、粉砂糖をふるう。おやつができたよ、というと、男の子は、こくんとうなずく。小動物みたいだ。高校生の男の子って、こんなにかわいらしい生きものだっただろうかと、おのれの当時をふりかえりながら、ドーナッツを皿にのせる。うさぎのなまえは、ネネという。男の子は、たまに、いまにも消えてしまいそうな声で、ネネ、と呼ぶ。鼻を小刻みに、ひくひくと動かして、ネネは、でも、私たちの方を、見ない。

うさぎと男の子

うさぎと男の子

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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CC BY-NC-ND
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