「花の女王」

「花の女王」

ある日、お城の庭師リンデの孫のヴァインはは庭園の片隅で不思議な花を見つける。お日様の様に朗らかな物言う花に毎日会いに行くヴァインだったが…。

  「花の女王」

六月の城の庭園は、まるで女王様の宝石箱。
先ほど上がった雨に、薔薇が輝き、アヤメは生まれ変わったよう。木や草の葉は意気揚々と萌えあがり、清らかに薫っている。

ヴァインは草取りの手を休めて見とれた。
この景色のほとんどを手がける、お祖父さんのリンデが誇らしかった。七つになり、やっと手伝いを許されたことがうれしくてならない。

リンデは城の庭師だ。無口で人付き合いが悪い。庭園の隅に城とは独立した小屋を結んで、孫と二人暮らしていた。

ヴァインには両親がいない。そのことについてリンデは多くを語らなかった。
ヴァインは城に住むお友達のお母さんが、夕暮れ時になると子供を呼びに来る声を聴きながら、「うちはどうして違うのかしら」、と思うのだった。
人々が、賢い顔立ちの自分のことを、「リンデはご落胤を育てているのに違いない」、と噂し合うのも、ヴァインにはまだ知らないことだ。

ヴァインは雑草を抜きながら前進する。太陽は背中を心地よく照らしている。どこかでひな鳥が鳴いている。いつしか蔦の生い茂る、初めて来る庭園へと迷い込んだ。

中央の噴水から水路がさらさらと流れていた。花々は手をかけているようには見えないが、その色相は響き合っている。
「あれ、お墓があるよ」
クレマチスにおおわれた十字架が傾いでいた。まだ新しい花束が置かれている。

ヴァインはせんさくをやめて草むしりにぼっとうした。
不意に頭の上から、暖かな笑い声が降って来て、顔を上げた。

大きな花がゆらゆら揺れていた。背は高く、花弁の色は教会の色ガラスのよう。深い青、神秘の紫、静かな緑、燃ゆる赤。なんて気高い花なのだろう。

「まあ、おまえヴァインね。大きくなったこと!」
花はまろやかな女の人の声でヴァインに話しかけた。
「花がしゃべった!」
「ふふふ、私は特別ですもの。何しろ花の女王様ですからね」
その笑い声はお日様の様だ。
「僕を知っているの?」
「ええ、土に植えられるよりも前から」
包み込むようなその声は、毎晩眠るとき、闇の中に求める音色だった。

「やっと会いに来てくれたのね」
その言葉を聞くと、ヴァインは急に胸いっぱいになり、なぜか涙がこぼれた。
何を言ったらいいのか分からず、その輝く花びらにおでこをくっつけた。それはひんやりしていたが、奥に人肌のぬくもりがあるように思われた。
風がそよいで、その花芯からムスクの香りを立ちのぼらせた。花は、「ふふふ」と笑って、声でヴァインを抱きしめた。

ヴァインは毎日花に会いに行った。彼女の周りからは丁寧に雑草を抜いた。日照りの季節にはじょうろで水をかけてあげた。
一緒に歌をうたい、今朝見た夢の話をした。身分の高い子が馬鹿にしてくることや、可愛い下働きの女の子のことまで話した。花はいつも明るく笑っていた。

やがてヴァインは、今まで誰にも言えなかった空想を打ち明けたくなった。

「ねえ、花の女王様。僕ねえ、庭師のおじいちゃんの孫だけれども、時々、流浪の王子なんじゃないかって思うときがあるの」
「そうね、おまえのお母さんも、きっと高貴な人だったのでしょう」

その晩ヴァインはリンデにたずねた。
「僕のお母さんって、高貴な人だったの?」
リンデはヴァインの頭に手を置いた。
「もう少しお前が大きくなったら、教えてあげよう」

やがて夏は秋になり、冬枯れにおおわれた。不思議な花は咲き誇ったままだ。春になるとその花びらは、明るくなったお日様に透かされ、ヴァインの頬に色の影を作った。

それが三回繰り返され、ヴァインは十歳の夏を迎えた。

ある日、蔦の生う庭園に、九歳の女王ロゼッタが、赤い髪に真珠を飾り、供を引き連れて現れた。

ヴァインは黙ってひざを折った。花も口をつぐんだ。ロゼッタはあちこち指さして、色とりどりのブーケを作っている。

すると、
「まあ、なんてきれいなお花!あの花が欲しいわ」
ロゼッタはあの不思議な花を指さして、頬を上気させた。
「駄目です」と言いかけた時にはもうはさみが、花の長い首をパチンと摘み取っていた。

ヴァインは人目もはばからず泣きじゃくった。一行の中、ロゼッタだけが不思議そうに、それを振り返って見やった。

ヴァインは激しくロゼッタを憎んだ。聞くところによると彼女は、部屋に季節の花々を絶やすことの無いという。だが少しでもしおれると、用済みとばかりごみに出してしまうのだ。

ヴァインは城のごみを漁った。五日後、やっとあの花を見つけた。色ガラスのように輝いていた花びらはしおれて、半分乾きかけていた。

「花の女王様…」
話しかけても応えない。祈る気持ちでコップにさした。だが、しおれた花がヴァインに応えることは二度となかった。

その晩ヴァインは夢を見た。宵とも明け方ともとれる深い藍色の空。月のように浮かび、星を消し去って輝いているのは、摘み取られてしまったあの花だ。その姿からは幻であるはずなのに、確かにムスクが薫っていた。

天上の花から柔らかな声が降って来た。
「ヴァイン、私達これから毎日は会えません。しかし、私にはまだおまえを護れます。私の花びらを燃やして祈りなさい。そうすれば願いごとがひとつずつ叶うでしょう。よいですね、願いごとは慎重に選びなさい。本当に大事なことだけを願いなさい」

目を覚ますとヴァインは花びらの数をかぞえてみた。ちょうど七枚あった。
早速青い花びらを燃やし、祈ってみた。
「おじいちゃんの悪い足を治して下さい」
翌朝、リンデの体の痛みは消えていた。

「花の女王様の奇跡だ!」

忙しい夏が終わり、駆け足で秋も過ぎた。そうしてお日様が封印されてしまったような十二月が来た。

ヴァインは雪遊びで落とした手袋を探していた。ひざまでの雪を踏みしめ、城の窓の下をきょろきょろする。不意に、氷のように厳しい女性の声が空気を割いた。

「一国の君主たるものがその様なことでは!しばらくそこで頭を冷やしていなさい。」
見上げるとロゼッタが、寒いバルコニーにしめ出されていた。ヴァインはせせら笑った。

だが、見上げるヴァインに気付いたロゼッタは、赤い目を拭いて微笑んだ。
「まあ、あなた、あの時はどうして泣いていたの?」
その悪気ない声に、ヴァインの怒りは再び沸騰した。

帰るなりヴァインは赤い花びらを燃やして祈った。
「ロゼッタが不幸になりますように」

その晩夢にあの花が現れて言った。
「このような願いはするべきではありません。私はそんなこと望んではいませんよ」

三日後、ロゼッタが即位以来頼みにしてた老宰相のダンデが病気になった。宮廷は混乱し、ロゼッタは一人ぼっちになった。

春になると、お城には近隣の国の王子たちが押しかけて来た。仲の良いお小姓のお兄さんに教えてもらった。
「みんなロゼッタ様と結婚して、この国をのっとるつもりなんだよ」

その中でも、隣国のミル王子の愚かさは、人々のうわさの種だった。昼から飲んだくれ、侍女たちのお尻を追いかけまわしている。

お小姓は憎々しげに言った。
「ミルは成り上がりの王子だ。あいつの父親は、主君であるアザレア女王を追放し、王位を奪い取ったんだよ。そのアザレア様の妹君が、ロゼッタ様のお母様だ。あいつだけは『陛下』だなんて呼びたくないね」

だがヴァインの心には、意地悪な考えがむくむくと育った。
「あの愚か者と結婚させるのもいいな」
ヴァインは緑の花びらを燃やし、ロゼッタとミル王子の不幸な結婚を願った。

その晩夢にあの花が現れた。いつもの静かな青の世界はどこへやら。空は赤黒くにごり、きな臭い稲妻が幾つも幾つもひらめいている。

「ヴァイン、私は悲しくてなりません。あの子の孤独と重圧を知っていても、そんな願いをかけられるのですか?二度と人を呪うような願いはかけてはなりません。前の二つの願いを打ち消すために、朝起きたらすぐに新しい二枚の花びらに願いなさい。いいですね!」
花がぴしゃっと言い放つと、耳をふさぎたくなるほどの雷鳴が響いた。

そこで目が覚めた。
「僕はなんて愚かで恥ずかしいことを願ったんだろう…」
すぐに青と紫の花びらを燃やして、前の二つの願いを打ち消して下さいと祈った。

ダンデの病は治った。だが、王子たちには出ていく気配がない。お小姓は言った。
「じいさんには先が短いことを、みんな知っちゃったんだよ」

ヴァインの胸に苦い後悔の味が広がった。
「あとの二枚は大切に良いことに使おう」

四年間、ヴァインは一枚も花びらを使わなかった。いい子にしていると、誕生日にはあの花が夢で会いに来てくれた。
「あと二枚使いきるまで、それまでは会いに来ますからね」
ヴァインは、花びらを使い切る日が来ないようにと強く願った。

ヴァインは十五歳になった。陽に焼けた顔は彫の深さが際立ち、賢い眼差しはいよいよ隠しおおせぬようになった。城仕えの娘たちが遠巻きに騒いでいる。

その中に彼は未来の花嫁を探し始める。
「僕と一緒に生きてくれる人は、どんな人なんだろう?きっと花の女王様のように、優しくて強くて、気高い人じゃないと駄目だ。あそこに群れている女の子たちの中には、見つけられないなあ…」

ある日、ヴァインは言いつけられて、朝摘みの薔薇を重く束ね、ロゼッタの部屋へと運んでいた。

ドアを開けた瞬間、わずかな隙間から、荒々しい声が聞こえてきた。
「この私を夫と選びなさい。自慢の髪を切り落とされたくなければ」
「あなたと結婚するぐらいなら、丸坊主になります」

はっとして様子をのぞく。ミル王子がロゼッタの赤毛をつかみ、剣を振り上げているのだ。深酒の臭いが鼻をついた。ロゼッタは気丈ににらみ返している。

ヴァインは静かに怒ってドアを開けた。
彼は二人の様子に今気づいたように一瞥(いちべつ)して、ミル王子に冷たく笑った。小男のミルはヴァインに見降ろされて、悪戯を見とがめられた子供のようにおどおどした。
「失礼、お花でございます」
ヴァインの目の中に犯しがたいものをみとめた王子は、剣を手に怖気づいた。ヴァインは馬鹿丁寧に言った。
「王子様、失礼ながらこの花を持っていていただけませんか?花を生けたいのです」

「無礼だぞ!後で注意させるからな!」
ひっくり返った声でそう言いながら、ミル王子は退散した。

ロゼッタが後ろで震えながら、深く大きくため息をついた。
「大丈夫ですか?」
振り向こうとした上着の裾が、小さな手に引き留められた。背中に丸い額が押し当てられる。
「しばらくこのままで…」
上着の肩をつかんでロゼッタは泣きじゃくった。たたきつける夏の雷雨の様な涙だった。
ヴァインは急に、腕の中の薔薇の香りに気が遠くなりそうになった。

それは五分と経たない時間だったかもしれない。ロゼッタは最後には微笑みかけた。

「あの王子がしたこと、私がここで涙したことは、誰にも話してはなりません」
それからこう付け足した。
「いつもきれいなお花をありがとう。このお花が、私の唯一のお友達なの」

その日からヴァインはぼんやりと空を見上げるようになった。仕事にも身が入らない。
リンデは何か察した様に言った。
「もしもお前が、庭師の外に何か道を見つけるのなら、わしはそれでも一向にかまわない」
「いいんだ、いいんだ、おじいちゃん」
ヴァインは激しく否定した。
「こんなことは続かないんだ。一時の気の迷いなんだ。仕事に打ちこめばそのうち忘れるんだ」

ヴァインは大勢の人を挟んで、いつも遠くからロゼッタを見つめる。彼女も不思議に感情のない目で見つめ返すのだった。

秋になるとミル王子が正式にロゼッタに求婚した。ヴァインは思わず紫の花びらに祈った。
「あの愚かな王子に、国よりも酒よりも、ロゼッタよりも大切な人が出来ますように」
ロゼッタが拒むうち、ミルは突如として侍女の一人と駆け落ちしてしまった。
それでも求婚者の列は絶えることはない。

夜眠る前に、木の細工箱に入れた花びらを取り出す。くすんだ赤い色をした最後の一枚。

「花びらに願いたいことは決まっている。でもこれを使ってしまえば、花の女王様には会えなくなるだろう。
こんなことを望むなんて、僕は花の女王様を裏切ってしまった!」

十六歳の誕生日に花が現れて祝ってくれた。楽しみにはしていたが、待ち焦がれたりはしなかった。

「願いを隠している顔ですね」
ヴァインは顔を赤くしてまごついた。

宮廷ではダンデが亡くなり、いよいよ王子たちの求婚はしつようになった。
しかしロゼッタは決して「はい」と言わない。そのことを怪しむ声が聞かれるようになってきた。

季節は六月である。結婚に適した時期に間に合う様に、王子たちはロゼッタを説得しようとやっきになっていた。

その晩も、悩み疲れたヴァインは灯りを消し、ベッドに体を投げ出した。その時、
「ヴァイン、ヴァイン、居りますか?」
小屋の外で呼ぶ声がする。

戸を開けると、月明かりも青い真夜中の庭園に、ロゼッタが立っていた。その顔も髪も、月の青さをはね返す様に赤く輝いていた。

「私の心を知っているでしょう?あなただけが心の支えなの。どうか、どうか我が夫となり、一生私を助けて欲しい!」
ロゼッタの声は熱をはらんでふくらんだ。
「誰が許してくれるんですか」
「皆は私が説得してみせる。私の心に映るのは、あなただけなのよ!」
ロゼッタは叫んだ。池に小石を投げた波紋のように、その声は庭園のしじまに響きわたった。

その声が胸に落ちた時、あの花の面影は、夜空の遠くの星に小さく去った。後には輝くロゼッタの顔が、太陽のように、ヴァインの世界の全てをおおった。

ヴァインはためらいながらロゼッタの手を取った。燃えるように熱かった。彼女もまたぎゅっと握り返した。

二人の幼い恋人たちは、しばらくそうして黙っていた。

ゴトリ、音が響いて、二階のリンデの部屋に灯がともされた。二人は慌てて手を離した。
「明晩も参ります。私を信じて下さい」
ロゼッタは急いで庭園の茂みに消えた。

ぎしっ、ぎしっとリンデが降りてきた。手にはビロードの包みを持っている。
「ロゼッタ様は帰られたかね」
答えずにいるヴァインに、リンデは穏やかに切り出した。
「さあ、掛けなさい。お前にお母さんのことを話してやる時が来た。」

 「アザレア女王様のことは聞いているね。あの方は十六年前、王妃様を頼って一人この城へと逃れてきた。身重だった」
 ヴァインは戸惑いの眼差しを問いかけた。
 
 「先代の王様は、あからさまにアザレア様を助けようとはなさらなかった。わしに命じ、密かにこの小屋へとかくまわせた。わしは一人身で、誰一人ここを訪ねては来ない。
 一か月後、アザレア様は子を産んで命を落とされた。わしは庭園に墓を掘った。その一人息子を、今日の日まで慈しんで育てたのだよ。ヴァイン、お前のことだ」

 ヴァインの開きかけの口からは、言葉が出てこなかった。

 「これがお母さんの形見だよ」
 リンデは包みを解いた。大きな宝石の付いた金の冠が現れた。

 宝石の色合いには見覚えがあった。
 深い青、神秘の紫、静かな緑、燃ゆる赤。
はっとして数をかぞえる。七個の石が付いていた。

 記憶の中の六月の陽が、四色の花びらを透かしてさんさんと降り注いだ。

 リンデが自室へと帰った後、ヴァインは一人寝室に座っていた。ロウソクの灯りに冠の宝石が、揺れて輝いている。

 箱を取り出して花びらを手に取った。

 しなびた赤一枚。本当にお終いの一枚。

 ヴァインはロウソクの火を、乾ききった花びらに点けた。
 ボッと炎が上がり、花びらは白い灰になった。

 突如として粗末な木の小屋は煌々と輝いた。百個のロウソクが照らし出すかのような、赤く、明るい光。それはほのかに瞬きながら、その人を照らし出した。
背は高く、髪は黒く、ヤグルマ草のように青い目は優しく、威厳が、背筋に首筋に輝いていた。

 「ヴァイン、ようやく本当の願いをかけてくれたのですね」
 低くまろやかな声は、あの花のものだった。

 ヴァインは黙って立ち上がる。その人を見つめ、口を開きかけて迷う。
 ややあって、ようやく言葉が出てきた。
 「僕はあなたのものだったのに、いつから違っていたんだろう?」

 「おまえの幸せが私の幸せなのです。何にも気に病むことはありません」

 彼女は近づいてヴァインの頭に手を回した。もうそれは、見上げる格好だ。

 「願いは確かに聞こえましたよ」
 ヴァインは子供のように抱きついた。柔らかな肉は、咲き誇る花びらを思い出させた。髪の香油は、花芯に漂うムスクだった。

 その体はカゲロウのようにすうっと透明になった。と思うと、それはまさに、あの色ガラスのような花の姿となり、ヴァインの手を離れて、窓から空へと昇って行った。

 ヴァインは夢中で叫んだ。

 「お母さん!」

 きらめく花びらが、一枚一枚、流星となって飛び散ってゆく。
 後にはビロードのような声だけが響いた。
 「ヴァイン、幸せに!」

 ******************
 
ヴァインはロゼッタと結婚し、平和に国を治めた。王となっても庭仕事を愛し、「庭師の王」と呼ばれた。

 あの庭園には花びらの七枚ある花が咲き乱れるようになった。物言う花は一輪も無かったが。
 
 花の名前を問われたら、ヴァインはおだやかに答えるのだた。

 「『花の女王様』だよ」

               (了)

「花の女王」

お読みいただいてありがとうございました。少しでも暖かい気持ちになってくれれば幸いです。

「花の女王」

お城の庭園で暮らす庭師の男の子の成長と、母と子の愛情の物語。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-01-12

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