色彩王国短編集

加月ゆずみち

挫折した設定より、キャラクターに焦点を当てた短編集。
ゆるゆる設定、ご都合主義の産物です。
軽く読んでください。

影の魔女と白き牙狼

 色彩王国≪ファルベ≫。
 歴代の聡明な≪虹の女王≫の統治により、その平和は千年以上になる。
 大地を支えるのは、天まで届かんばかりの巨大な大樹であり、そこに宿る精霊夫婦は、信仰の対象になっているほどだ。
 その王国に漆黒の帳が落ち、月上がりだけが皓々と降り注ぐ。風もなく雲もない静かなある日。
 王国の外れに位置する黒き森と白き山で、小さな再会があった。

 ◇◇◇

 黒き森――そこは恐ろしき≪影の魔女≫の棲家。決して近づいてはならない。
 白き山――そこは誇り高き≪白き牙狼≫の棲家。決して近づいてはならない。

 王国の人々は、その二つの場所には決して近寄らない。それこそ、赤子の頃から怖い言いつけとして、聞かされる話だからだ。
 実際、森には偏屈で嫉妬深い≪影の魔女≫が住まい、白き山には、冷厳たる誇り高き≪白き牙狼≫の狼たちが住んでいた。
 その白き山から、一匹の狼が魔女の家にやってきて、歩みを止める。白狼族の長だ。
 大きな身体は純白の毛に覆われ、瞳は銀色。赤子であれば丸のみできそうな鋭い牙。

「久しぶりだな、影の魔女」

 狼は響く心地よい低声で挨拶をした。
 だが、答えたのはつれないひどくしゃがれた声。

「あいさつなんぞいらないよ。さっさとおし。あたしは待ちくたびれてんだい」

 ≪黒き森≫の奥にある、さびれた一軒家。その入り口の前に、小柄で醜く皺だらけの老婆が佇んでいた。腰は曲り、薄汚れた外套を羽織っている。
 狼は老婆の間近に歩み寄ると、鼻先で足元に触れた。そのまま横たわり、老婆が乗りやすいように背を下げる。
 狼が一つ鳴くと、どこからともなく風が吹き、老婆の身体を持ち上げた。そのまま白狼の背に乗せると、老婆は容赦なく純白の毛を引っ掴んだ。
 白狼は音もなく立ち上がると、ゆっくりと走り出す。行く場所はすでに知っているようだ。老婆の偏屈顔も、この時は真剣さを帯びていた。
 二人が目指すのは森のさらに奥、山脈のふもとに近いある場所だった。黒い木々を抜け、黒岩を越えていくと、そこに通じる。
 黒き森と白き山の境にある秘密の泉。そこは、二人とって大切な場所であり、彼らだけが知る特別な場所だった。
 ≪満月の泉≫と呼ぶ、清澄な水溜り。
 山脈から流れる雪解け水が、岩のさけ目から吹き出し、水溜りとなって流れているのだ。
 着くと同時に、老婆は勢いよく狼の背から降り立った。とっさに転びそうになるのを、狼の頭が支えてもらい立ち止まる。
 老婆はいきなり服を脱ぎ捨てると、一糸まとわぬ姿で、泉の中へと入っていく。その手にはいつの間にか何かが握られていた。
 白狼はそれを見守るように、その場で体躯を伏せる。
 二人が見上げるのは夜空――空に浮かぶ真円を描く銀月。今夜の月は満月だ。
 老婆はその時が来るのを、待ちきれないかのように、必死の形相で月を見上げる。
 そして月が天上に迎えるその時、待ち望んでいた変化が訪れた。
 月影を湛えていた水面が、淡く輝き出し、幾重に波紋を打つ。月と水面が眩い光に満たされると、不思議な音が響く。

 リィン、リィィン、リィイン……――。

 不思議な余韻を残す鈴の音。それが周辺になり響き共鳴する。最高潮に鳴り響く時、老婆が握っていた『それ』を突き上げ鋭く叫んだ。

「初代虹の女王の祝福を。我に一時の自由を。呪い枷より解き放てっ!」

 彼女の手に握られていたそれが輝き、月明かりの揺らぎとともに、老婆の全身をつつみこんだ。

「ああ、うあああ……っ!」

 絶叫とともに陶器が割れるような音。幾度かの激しい明滅の後、唐突に静寂が訪れる。光の浸食が止まると、湖の波紋が消え、輝いていた『それ』も元に戻った。
 すべてが終わっていた。
 しかし――湖の中にいた老婆の姿は一変していた。
 漆黒の長髪に、黒瑪瑙(くろめのう)の瞳。白雪のごとき柔肌。華奢な身体つきに、豊かな双丘を持つ立ち姿。荘厳でありながら妖艶な黒の美。
 その容姿は、虹の女王とは瓜二つであり、真逆の相似形(そうじけい)。影の魔女の真の姿である。

「初代も酷なことをしたものよ」

 老婆の変貌ぶりに憂いを含んだ眼で、白狼は見つめた。
 湖から上がった魔女は、濡れた黒髪を軽くしぼり、脱ぎ捨てた衣服をタオル代わりに身体を拭く。
 魔女がずっと握っていたのは、初代≪虹の女王≫に与えられた、王国の秘宝の一つ≪無彩花≫。
 銀茎と白と黒、最後一つは空洞になっている色花弁。
 百年に一度、影の魔女の姿は呪いから解放される。
 初代虹の女王が残した魔女への赦しであった。そしてそれを成し得るのは、月と初代が創りし秘宝の力。すなわち無彩の色彩花である。

「美しいな、お前の姿は」
「あなただけよ。わたくしの真の姿を知るのは」

 寂しくも優しい魔女の笑顔。姿は二十歳前後の女性であるが、創世の初期から生きている。
 その精神は本質が現れたことにより、穏やかで優しく気弱な一面に戻っていた。ただ、孤独に震える娘がいるだけだ。
 一糸まとわぬ姿を見た、白狼の心臓が高鳴る。愛するがゆえの熱情とともに、たぎるような情欲が支配する。
 のそりと伏せていた体躯を上げると、大きな白狼の全身が眩く光を放ち、瞬く間に姿を変えていく。人の姿へと。
 純白の長髪、頭からは獣耳がつき、瞳は鋭い銀色。纏う衣服は白一色であり、唯一腰に差した黒晶剣が、異様さを醸し出している。
 雄々しい立ち姿。
 白狼も魔女も、どちらも百年ぶりに正体をさらした。
 人の姿をした狼に、たまりかねたように若き魔女が飛びつく。そのまま唇を貪り合うと、草地へお互いの身体を押し倒す。
 そのまま、再会の歓喜と悲哀と、様々な感情や魂のつながりを確認しながら、互いを貪り合う。
 百年一度の満月の夜。一晩にも満たぬ短い時間。それが二人に許された、再会の刻なのだ。
 それはお互いに愛し合うことであり、想いとつながりを確認し合う行為でもあった。
 つながっているのだと、決して独りではないのだと、魔女と狼に知らせるために。
 若き魔女は何度も咽び啼く。そのたびに白狼は愛と誓いを捧げる。
 白き人狼は何度も精を放つ。そのたびに魔女は快楽と彼の熱に打ち震える。

「わたくしはまた歪んでしまう。この姿も感情も醜くなってしまう……恐い」

 行為を終えても尚震える魔女の身体を、白狼の男が自らの脱ぎ捨てた白衣にまとわせる。

「眠れ。朝を迎えてもお前が歪んでも。私はそばにいよう。お前が目覚めるまでは」 

 白狼の言葉とともに、景色が揺らぎ、二人は魔女の古びた家に戻る。白狼は、魔女を古びた寝台へと横たわらせ、その手を強く握りしめた。
 男は朝を迎えれば、白き山へ帰らなければならない。牙の長として。厳しい雪山には数少ないものの、白狼の一族が暮らしているのだ。
 白狼に涙を拭われ、魔女もまた強く手を握り返した。そして瞼をつぶり、静かな時間が過ぎていく。やがて、魔女の全身から力が抜けていき、穏やかな安息が訪れた。
 ただ白狼はそれを見守り続け、動かないでいた。静寂だが狂おしいほどの時間。確実に別れは迫っているのだ。
 そのまま時が止まればいいのに、と思う。だが現実は無情で、空が徐々に白み始める。
 雪山が輝き、黒き森にも爽やかな朝が忍び寄る。やがて太陽が顔を出し、本格的な朝が訪れる。
 魔女の姿は、室内に入り込む朝日を受けると、全身に呪いを焼きつかせる。
 眠ったまま姿は束縛され、老いていき、身体も小さく歪んでいく。それでも白き狼は、彼女の手を放さない。
 ふと、魔女の身体が揺れて、しわだらけの瞼が開いた。それは濁った灰色。澄み渡った黒瑪瑙は消えていた。
 老婆は一瞬、警戒したように白狼を見つめ、すぐに力を抜く。だが警戒を解いたわけではない。

「なんだい、お前かい」
 
 しゃがれた声。あれほどの啼いた極上の美声は封じられている。すべては呪いによって元に戻ったのだ。

「起きたか。よく眠れたか?」

「うるさいね。さっさと帰りな、お前の見守りはあたしにはいらないよ。ほらっ!」

 老婆になった魔女はすっかり歪んだ口調で、白狼を追い立てた。

「邪魔をしたな」

「山へお帰り。二度と来るんじゃない!」

 白狼は気にした様子もなく、ゆっくりと玄関の方へ背を向けた。
 家を出るその瞬間、足を止めて振り返る。銀の瞳に鮮明な熱情を湛え一言。

「愛している、ノワン・ブラシュ・トルミア」

 老婆にそう言い残し、白狼は山へと帰っていく。玄関から外に出て、老婆は遠くなっていく姿をじっと見つめていた。
 歪んだ感情と思考を抑え込み、影の魔女はささやく。

「愛しているわ、シュネー・トライデン・キュール」

 しゃがれたささやきは、すぐに森にとけてしまう。
 狼の姿は完全に雪山の中に消えていき、老婆は背中に腕をまわして、ゆっくりした歩みで家に戻る。
 また始まるのだ、陰鬱な日々が。影の魔女として、孤独にありながらも虹の魔女を羨み、妬み憎む日々が。王国に住む人々の幸せを忌まわしく思う日々が。
 それでも、白狼は白き山中で見守ってくれている。影の魔女のことを、愛してくれている。

 ――だから、願うのならば。
 ――どうか、真の呪いから解かれる時が来ますように。

 心の奥底に眠る、魔女の真の願いは、いつか届く時が来るのだろうか。それは魔女自身にも、白狼にもわからない。
 変化の時が訪れるのは、まだ先の話であった。

色彩王国短編集

色彩王国短編集

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更新日
登録日 2021-01-11

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