学校戦争 エピソード$01 「母の味」
プロローグ
時は2020年。新しい年代に入った日本は、その幕開けから既に灰色の空気に包まれていた。アメリカ・ヨーロッパ・アジア・アフリカを含むすべての地域の世界情勢は不安定になり、それらが飛び火して日本の社会においても火を噴いていた。国内では世間を揺るがすような衝撃的な事件が続発して社会不安が高まり、人々は先行きへの不安を抱えながら日々を過ごすこととなった。新聞やテレビのニュースは間髪なく起こるテロ事件を報じ、都市をはじめに無差別殺人も頻繁に起きるようになっていた。物価はインフレを起こして高騰し、社会福祉制度はなかば形骸化し、格差社会が決定的なものになり、一部の新興富裕層が豪勢な生活を送る一方、貧困層はただ行く当てもなく街角にあぶれた。そして国外から流入した銃をはじめとする武器類は闇ルートを辿って社会全体に広まり、その相互不信をより壮絶化して、時にその銃口は火を噴いた。
この社会情勢の中、学校もまた、それらの止めどない影響を受けていた。生徒の中には親の失業などの様々な理由により、学業を続けられず、脱落していくものが続出した。そして政治の干渉を強く受けるようになった学校は、公権力および学生運動の衝突の場として学園紛争のるつぼと化し、文字通り燃え上がっていったのである。この物語は、日本の或る一角にある、一つの高校を中心に起こっていく、その舞台に立つ者たちの苦悩と闘争の物語を描く──。
母の味
「あなた、彰、ご飯できたわよ!」
三月のある日の夕方、夕食の料理を作り終えた島野家の母・則子は、夫の滋と息子の彰に、エプロン姿のまま夕食の時間を告げた。則子は二人が動くのを待ってイスにつかないまま声をかけたが、テーブルの上に置かれたあんかけチャーハンの湯気はほうったまま、二人はそれぞれ無言で新聞とパソコンの画面に顔を向けている。
「ちょっと、聞いてるん? お母さんご飯だって言っとんのやないの」
既に食卓に座っていた娘の裕美は、手に中華スープの入った椀を持ったまま振り向いて、全く動こうとしない二人を注意した。だが、二人はそれでも動かない。そして4人の間に少しの間が流れたのち、その空気に気付いた父親の滋がまず、新聞から顔を上げて言った。
「ちょっと待ってくれ、今新聞読んでるからさ。もう少ししたら読み終わるから」
そういってまた滋はニュース映像の流れるテレビを横目に、手に持った新聞に視線を落とす。そしてパソコンを見たままの彰も、
「今、俺いそがしいから、残しといて。後で食べる」
とぶっきらぼうな声でそれに続いた。
そういわれるだろうとわかっていた則子は、音もなく息をつくと、そのまま席に着いた。しかしその言葉にカチンときた裕美は、彰に食ってかかる。
「彰、忙しいって、パソコンで動画見てるだけやないの。なんでお母さんがご飯作ってもすぐに食べんの。いっつも冷えてしまって。あんたいっつもサッカーの映像ばっかみてるやない。それなんに忙しいとか、ご飯作ってくれたお母さんに失礼だと思わんの?」
しかし彰はその言葉をかけられてもパソコンに視線を向けたままだ。そして横に座っている滋の方に目を移すと、面倒くさそうに言った。
「そういうことはまず親父に先に言えよ。一家の長が真っ先に食卓に向かうべきなんじゃないの。だいたいいっつも飯前になるとテレビつけっぱで新聞読んでてよ。どっちかにしろっての。それにさー、テレビだの新聞だの古くさいし、時代遅れだし、何でいっつもチェックするのかわからんね」
「なに人ごとみたいにいってんの、あんたこそ夕食前にはいつもパソコンにばっか向かってるくせに。」
裕美は彰の言葉に怒った。そして父親の方を向くと「ねえ、お父さんも、何で新聞見てるん? おかあさんご飯だっていってるんよ」
今度は父親にむかって注意した。しかしとうの滋は、
「いや、もうちょっと待ってくれよ。すぐ読み終わるから。」
耳が痛いといった顔で目を上げてそういう。そして言い訳のようで悪いかもしれないけど、といった口調で弁明した。
「──俺は新聞読むときは一気に読みたくてさ。そっちの方がまとまりがわかるっていうか、時系列の関連性がわかるっていうか、集中できるんだよ。うん、だから、読み終わったらちゃんと食べるからさ。もうちょっと待ってくれないか」
そういって滋はまた新聞を読み始めた。
「……、もう……」
裕美はあきれ果てた不満顔のまま、食卓に顔を戻す。そして裕美がため息をついているうちに、新聞をめくりつつ、後ろから滋が何ともなしにつぶやいた。
「なんだなあ、今はインターネットとかパソコンとか、そんな時代になったけど、昔はどこでも新聞取ってて、家族そろってテレビに向かってその日のニュースに耳をそばだてたもんだ。インターネットが便利で重要なのはわかるけど、俺はどうしてもなじめないんだよなあ──。」
滋はまた新聞をめくる。島野家では滋も彰も、いつもこんな感じだった。
裕美は不満顔のまま、目の前のあんかけチャーハンのご飯にスプーンを突っ込む。裕美が憮然とした表情のまま、口に突っ込んだチャーハンをもぐもぐさせて壁の方を見ていると、今度は滋から食卓の二人に向かって呼びかけた。
「おい、見てみろよ、テレビ。またテロ事件だってさ。」
滋の視線の先には、家の中で一番大きくて薄いデジタルテレビがあった。テレビの画面は今さっき起こったテロ事件の様子を映し出している。画面の中では最高裁の灰色のいかつい建物が映され、入り口の門と建物が、夕闇を背景に炎と煙を上げていた。滋がその炎の照り返しを大きな画面から浴びながら目を凝らすと、画面の中では今まさに門と周りのコンクリートが崩れ落ちていく。周囲では救急車のサイレンの音が響き、パトカーの横で遠巻きに、警官たちが燃え上がるオレンジの炎を眺めていた。
そしてカメラが切り替わって、画面はバリバリとうなるヘリコプターの爆音のもと、爆発時にケガをした最高裁判所の関係者と、それに巻き込まれた民間人が運び出されているようすを映し出した。カメラの前にたつ女性レポーターは早口にまくし立て、カメラの方を振り向き振り向き現場のほうまで走っていき、さらにそれを追っていくカメラがガタガタと揺れる。
「皆さん、見えますでしょうか、今、最高裁判所の入り口の警備棟が、炎を上げて燃えています。信じられません。いったいどこのどいつがこんなことをやらかしたんでしょうか。ほら、なにやってんの、芳男。あの炎撮って!そっちじゃない。むこうよ!」
「ちょっと納富さん、待ってくださいよ。今、服の上に火の粉が飛んできて……」
「カメラマンは事件の決定的瞬間を撮るのが役目でしょ!あんたそれでもジャーナリストなの!?」
「ほんと、いやねえ。またテロ事件だなんて。この前は池袋で散弾銃の乱射事件があったばかりなのに。」
テレビの中の騒ぎを見て、則子はチャーハンの手を止めた。裕美はテレビの方は見ずに、テーブルの上のスープをすすっている。そして新聞をたたんだ滋は、炎の燃え上がる音を後ろに則子のほうを見て言った。
「今度は最高裁の前に仕掛けられてた爆弾が爆発したらしい。最近こんな事件ばっかだけど、今回はついに司法への攻撃ってことだな。まったく、一体どこの国のテロ組織がやったんだか。」
テレビの中のレポーターの報告はなおも続く。そして一瞬画面が乱れたかと思うと、映像はスタジオに切り替わり、今しがた原稿を受け取ったアナウンサーがそれを読み上げた。
「えー、今入ったニュースです。今回の最高裁判所爆破事件において、報翼会と名のる組織が犯行声明を発表しました。もう一度繰り返します。今回の最高裁判所爆破事件において報翼会と名のる組織が犯行声明を発表しました。声明は警視庁と首相官邸に電話で直接通知されたほか、インターネット上でも犯行組織によって犯行声明が公開され、首相は急遽、この事件について明日の午前に記者会見をすると発表しました。はい、そして今回の犯行で狙われた最高裁判所の最高裁判事の美濃達三氏は報道陣のカメラの前に怪我はない様子で姿を見せ、ええ、怪我はないとのことです。そのまま車に乗り込んで現場を離れる様子が確認されました。……ハイ。では現場の納富アナ?……つながりますか?」
「うわ、報翼会って、日本の組織かよ。日本人がやったのかよ?信じらんねー。」
ずっと部屋の隅でパソコンの画面に見入っていた彰も、顔を上げてテレビのほうを見た。滋は今度は爆煙に包まれるテレビに見入っている。現場に戻された映像の中では、既に消防車が出動して消火活動を行っていた。そして少しの間テレビを見ていた彰も、またパソコンの画面に目を戻す。作った当人以外の家族では、裕美だけが、則子の作ったご飯を黙々と食べていた。
しばらく則子は裕美の前で自分が作ったあんかけチャーハンを食べながら、テレビの画面を眺めているようだったが、裕美が目の前のチャーハンに目を下ろしていると、テーブルの向こうから、一言こういった。
「……あの二人、似た者同士ね」
「え?」
則子の唐突な言葉に裕美が後ろを振り向くと、滋も彰も、居間の奥でそれぞれ自分の前に映る光景に見入っていた。そして裕美が則子のほうを見ると、二人の方を見る則子の表情は、なぜかどことなくやさしかった。その顔をしばらく上目遣いで見ていた裕美だったが、中華スープをすすると、心の中でつぶやいた。
(おかあさんのつくる料理、いつもおいしいんよね……)
島野家の夜は更ける。
■TO BE CONTINUED...
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