うとうと、とろとろ

あおい はる

 まどろむ、冬の、よるごはんの、あと。テレビの音が、てきどな、子守唄で、よくしらないひとたちの、声が、わあわあとしていて、でも、わずらわしくはない。それから、きみが、じゃあじゃあとお湯をながして、食器を洗っている音も。
 ずっと、春ならばいいのに、と思う。
 夏は、ばかみたいに暑いし、冬は、なきたいくらいに寒いから。暑くもなく、寒くもなく、ぬくぬくとあたたかくて、ときどき、ぴゃっ、と風がつめたいだけの、春が、一生、えいえんにつづけばいいのに、と思う。秋も、まぁ、あってもよし。夏と、冬さえ、なければ。
 でも、それだと、あらゆるものが狂ってしまうのだと、きみが云っていた。自然。生態。星の循環機能。季節が四つだからこそ、ぼくらはこの地球で生活できている気がする、と、べつに、なにか専門的な勉強をしているわけではなく、二十三年のあいだ、生きてきたうえでの、ひじょうに感覚的な意見であったけれど、たしかに、そうかもしれないと、ぼくはうなずいたのだった。食料。たとえば、野菜や、果物のなかには、夏のうだるような暑さや、冬のきびしい寒さがあってこそ、おいしく育つものがあるのだから、夏も、冬も、ほんとうはなくてはならない存在だということを、ぼくはちゃんと、わかっているのだ。季節が、春と、秋だけになってしまったら、おそらく、いままでふつうだったなにかが、いつのまにか、きえてなくなっているかもしれないと、ぼくは、うとうとしながら、漠然と想像している。浅はかで、ただ、寒いのが苦手だからという理由で、そんなことをかんがえている、ようでいて、じつは、はんぶんも、かんがえていない、この、いいかげんさ、が、いかにも、おなかいっぱいになったあと、という感じで、きらいではない。よるごはんは、豆乳鍋だった

うとうと、とろとろ

うとうと、とろとろ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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CC BY-NC-ND
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