無彩色ののろい

しょっちゅうってわけじゃないけど、このへんにはよく迷いガメが出現する。小さいのもいれば大きいのもいるし、鮮やかな色合いの甲羅を持っているのもいれば落ち着いた色のもいる。しかし揃ってみんな性格はおだやかで、朝日が昇って夕闇に包まれるこの騒がしいリズムなんて何も気にしていないふうに、静かに首を伸ばして生きている。
 そして弟のチヤキは、しょっちゅう迷いガメを拾ってくる。見つけ次第、必ず拾ってくるのである。そして、名前をつける。初めは張り切って、とびきりおしゃれな名前をつけていた。出会った川の名前からつけたり、昔落書き帳に書いた長編物語の登場人物の名前をつけたりした。しかし見つけ次第拾ってくるその頻度の影響でアイディアは底をつき、今回のカメには八郎と名付けられた。
 八郎は、ほとんど無彩色だった。まるでモノクロ写真から飛び出てきたかのようだ。彼(なのか彼女なのか判らないが八郎という名前の便宜上彼ということにしておく)のいるところだけ、時代が逆行したような錯覚に捉われる。しかし八郎の周りはとても鮮やかで、明るくて、やはり騒がしく朝日が昇ったり沈んだりしている。
 チヤキは以前の七匹と同様、八郎をとても大事にした。水を代えてやり、食べ物を与え、甲羅を干し、時には一緒に散歩をした。チヤキが世話できないときは僕が代わりに面倒をみたけれど、それも数えるほどだった。チヤキはよく八郎に話しかけていた。でもチヤキの表情だけが鮮やかで、八郎のほうは別の世界にいるみたいに、いつもその灰色の首をチヤキのいない方向に向けているのだった。
 僕は、八郎のことがあまり好きになれなかった。他の七匹のことは、好きでも嫌いでもなかった。まして、街の中で見かける迷いガメに何を思うこともなかった。でも八郎だけは、なにかいやな感じがした。その物体に時間を費やしているチヤキにも、何でこんなにも甲斐甲斐しく、と不満に思ったりした。そんな日々が数日続いた。チヤキはある朝、「夢を見た」と言った。
「八郎が、とても鮮やかな緑になったんだ。夏の生い茂る葉よりも青く、川の水をさえ美しく透き通らせる鮮やかな緑に」
 僕はうんざりした。だって、朝から嫌な話題を吹っかけられる身にもなって欲しい。しかしチヤキは嬉しそうに語る。そこにいるカメは、依然として古い写真の中にいるっていうのに。
 不満が致死量を超えないうちに、破裂した嫌悪が大事な人を傷付けないうちに。僕は、八郎を黙って野生に返すことに決めた。チヤキが寝入っているときに、僕はひとり布団を抜け出した。そして、八郎のいる水槽の前に立った。彼は前足でかりかりと水槽の壁を引っ掻いていた。他の七匹も同様のことをして壁に歴史を刻み込んでいたから、壁は傷付いて少し白く濁っていた。僕は無慈悲に八郎を引っ張り上げる。八郎は名残惜しそうに足をばたつかせていたが、じきにおとなしくなった。八郎を抱え、そっと家を抜け出した。そして、近くの川に八郎を放った。
 翌朝チヤキは、「八郎が逃げちゃった」と騒いで、あちらこちらを方々に捜索した。その捜索には、もちろん僕も参加した。しかし、八郎は見つからなかった。道中、他の迷いガメには出会うのに、あの色のないカメだけには一切出会わないのだった。チヤキは泣いた。しかし、一晩だけだった。次の日にはすっかり忘れ、八郎と出会う前のチヤキに戻っていた。
 しかし、僕だけは八郎を忘れなかった。僕こそが忘れたかったはずなのに、弟を騙した代償で、呪いみたいに記憶に焼き付けられていた。今度は僕の夢に八郎が出てくるようになった。八郎は僕に拾い上げられる。僕をじっと見つめ、前足で何かを掴むように踠き、そして悟るように前足をだらんと下ろす、あの瞬間の八郎を、未だに夢に見る。

無彩色ののろい

無彩色ののろい

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-01-06

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