手紙

加月ゆずみち

  1. 置手紙 去りゆく者
  2. 遺書 残された者
  3. 残された手紙 造られた者
  4. シエラルナ=オルニディ
  5. フィスカ=オルニディ
  6. シエラルナ
  7. おまけ【金の指輪】

去りゆく者、残された者、造られた者。
手紙で綴られる三人の心境について。
暗い話です(全6話)
おまけ(1話)

置手紙 去りゆく者

 フィスカ先生へ

 これを見つけたあなたは、きっと激しく怒っているでしょう。
 だけど、私はもう耐えきれないのです。
 愚かで精神的に弱く、先生や過去や未来からも、そのすべてを投げ捨てて、逃げ出す出来損ないです。

 ずっと前から、あなたのすべてが、私の重圧になっていました。
 追いかけても先に立つ先生。いつも見ているのは、あなたの背中と影でした。
 私は結局、先生の背中に触れることはできない。
 必死に手を伸ばしても届かないのです。

 周りの方々は、決して私を貶めるようなことを、言うことはありませんでした。
 でも、言葉になくても含まれるものは、自然と積もっていたのです。
 あらゆる人からの期待や称賛はありました。
 さすが先生の弟子だという、お言葉も頂きました。
 しかし一方で、やはり先生には及ばないのだという、妙な見切りがあったのも事実なのです。
 それに気づいてしまった時、私は心に決めました。ここを出ていくことを。
 誰も、私や先生を知らない遠い場所へ行くのだと。

 だけど私は弱くて臆病だったから。先生に認められない不安と恐れから、せめてあなたにはきちんと認められたいと。
 その一心で、先生の届かない背中を必死に追いかけていきました。
 先生がようやく、私を一人前として認めてくれた時、これで大丈夫だと思いました。安心さえしました。
 私はこれで、すべてを心置きなく捨てられる。
『先生の弟子、継承者』という肩書きや立場から解放されます。
 今までのシエラルナ=オルニディを消せる。
 あなただけを見つめて、意に従って生きてきた自分から。

 恩を仇で返す、最悪最低の卑怯な弟子です。
 どうぞ裏切り者と罵ってください。怒ってください。憎んでください。
 許されようとも思っていません。

 だけど、弟子であった者として、感謝だけは言わせてください。
 今まで本当にありがとうございました。
 こんなありきたりな言葉じゃとても伝えられないけれど。
 どうぞお元気で。さようなら。

 シエラルナ

遺書 残された者

 シエルへ

 これをきみが読むことは、ありえないかもしれない。
 だが『もしも』という可能性を捨てきれない、愚かな僕の気持ちを残しておく。
 遠くへ行ってしまったシエルへ。もう会えない最愛の弟子へ。
 きみがこれを読む時があったとしても、僕はもうこの世にはいないから。

 まずは本当にすまなかった。申し訳なかった。今更だけど。
 きみが笑顔の下で、とても苦しんでいることに気づいてやれなかった。
 シエルはずっと頑張っていて、僕が心から認める誇りだったから。
 僕を支えてくれて、その後を継いでくれる――ずっと隣にあり、やがては僕の先に立つ者だと勝手に思い込んでいた。

 僕は魔法師長として常に全員に眼を配ってきた。
 この国には幸い、僕やシエル以外にも、優秀な薬草師や魔法師がいるのは事実だ。
 だが、次代の魔法師長になる者は、きみしかいなかった。だからきみを継承者に選んだ。
 言っておくがその継承者を選ぶ時、決してきみだけを贔屓したわけではない。
 国王陛下、宰相などと交え、最終的には話し合って決めたのだからね。
 他の者たちと違い、きみの持つ強い精神、先を見据えて立つ者、相手の意に立ち思いやれること。何よりも己を切磋琢磨するその強い信念にこそ、僕はきみを選んだんだ。

 ああ、違う。
 そんなことじゃない。そんなことはどうでもいい。
 最初に話しておけばよかったんだ。僕の寿命が尽きようとしていたことを。
 身体は老いることはなくても、死が迫っていたことを。
 僕は外見こそ若く見えるが、その肉体も精神も、もう死に向かっていたんだよ。
 一言でもこのことを伝えておけば、きみはここにいてくれただろうか。

 シエル、きみがいなくなってしまった時、怒りはなかったよ。
 衝撃と驚きはあったが、その後には激しい後悔が残った。
 きみの抱えていた苦しみや辛さに、気づいてやれなかった自分に。
 さがそうと思えばできる。だけどそれをする気はない。
 もしかしたら、金の指輪も捨てたいと思っているだろう。
 だが、それは壊せないし捨てられない。それはきみの物であり、僕の物でもある。
 一つくらい、僕とのつながりがあった証を、残すことを許してくれないか。

 今はどうしているだろうか。心配ばかりが尽きない。
 僕の知るきみは止まっていて、可愛い弟子であり、誇りであるシエラルナしか知らない。
 だから、シエラルナ=オルニディ。ここに置いていった、きみのすべてを僕は持っていく。
 それが、僕にできるせめてもの償いだろうから。

 これからの人生に、どうか後悔がないように精一杯生きてほしい。
 僕がいなくなっても、きみの行く末に幸せがあることを、ずっと祈っている。

 フィスカ=オルニディ

残された手紙 造られた者

お師匠さまへ

 これをあなたが見ることはないでしょう。
 だけど、私は『私』であることを残すために、ここに手紙を書くことにしました。
 どんなことをしても結局、彼女の影にしか過ぎないとわかっていても。

 時に、真実は残酷といいます。本当にその通りでした。
 この真実を私は知りたくなかった。知らないままに過ごしていれば、こんな感情も持つことはなかったと思うのに。
 あなたにとって私は彼女の影。いや、彼女に酷似していたからこそ、憎悪さえ抱いたのでしょうか。
 私はあなたを憎むことができません。恨むことも、嫌うこともできないのです。
 彼女のようにお師匠さまを捨てて、飛び出すこともできないのです。
 それをしてしまえば、本当に『彼女の影』であることを証明するようだから。
 だけど苦しくて悲しくて胸が痛むのです。紛れもない私の心があるのです。
 あなたが私を見ることはなくても。私はあなたのことが好きです。
 刻まれた記憶から生まれた人格でもなく、今この瞬間の私の心(気持ち)として。

 私は、シエラルナ=オルニディ。彼女の影として生まれても、確かに『私』は存在するのです。
 造られてから、四年しか経っていなくても。この記憶は私だけもの。
 たとえ、いつか消されるとわかっていても。
 大好きです、お師匠さま。

 シエラルナ=オルニディ

シエラルナ=オルニディ

 私の名は、シエラルナ=オルニディ。とある王国に仕える魔法師です。
 魔法師というのは、公に出る以外は意外と地味で目立ちません。ですが、とてもやりがいのあるお仕事です。
 四歳の時に孤児院でお師匠さまと出会い、養子に引き取られました。お師匠さまはとても厳しくてやさしい人でした。
 六歳になると魔法学院へ入学し、魔法の基礎を学んだ後に卒業、その後はお師匠さまのもとで魔法の応用や技術をさらに学びました。
 そして、厳しい修行の末に、彼とともにお城で働くことになったのです。
 それからは、お師匠さまの仕事を手伝いながら、自分でも魔法の研究をして過ごしていました。
 
 ある日のことです。
 私はお師匠さまの留守中に、彼の部屋を片づけようと室内に入りました。
 本や書類、実験の融合植物や調合の材料や、とにかく乱雑に物が置かれています。
 それを一つ一つ整理しながら、私は片づけをしていました。
 長い時間をかけて片づけを終え、部屋の中を見回した時、目についたのは壁の違和感でした。
 今までそこは、本で隠されていたからわからなかったのです。
 物がなくなって壁一面の色が見えたから、違和感を覚えたのでしょう。
 だから、それを見つけたのは、必然だったのかもしれません。
 
 壁に触れるとカタンと音がして、壁板が外れました。その奥は空洞になっており、あったのは底の深い木箱。
 木箱のふたをとると、中には一通の手紙と一冊の書物が入っていました。
 それに嫌な予感を覚えながら、いけないと思いつつも、つい手に取ってしまいました。
 食い入るように手紙を読みました。震えながら書物のページをめくりました。
 そこで真実を知りました。知ってしまいました。
 同時に、ずっと奥底で感じていた疑問や、不条理な思考に対して、紐とかれるように理解したのです。
 
 ――ここにいる、私は。
 
 一度だけ、お師匠さまが言った言葉がよみがえりました。
 今でもはっきりと覚えています。
 
「僕は、影を追っているのに過ぎないのか」
 
 その時は、何のことなのかまるで解りませんでした。
 意味を尋ねても、お師匠さまは何でもないと首を振り、独り言だよとだけ言いました。
 私は深く考えもせず聞き流してしまいましたが。
 あの言葉の意味は。お師匠さまの想いは。
 
 そして、ここにいる私は。私は……っ!
 
 意識を乗っ取ろうとする強い衝撃。
 しかし我に返り、私は急いで手紙の封をして、書物を閉じて元のように隠しました。
 帰ってきたお師匠さまには、すぐにばれてしまうのではないかと、強い不安や焦燥がありましたが、彼は気づかないようでした。
 私は全てを知りつつも、彼に話すことはせず、今までのように過ごすことにしたのです。
 それは所詮、自分に対する欺瞞にすぎないとわかっていました。身に染みて感じていました。
 
 ◇◇◇
 
 お師匠さまが血を吐き倒れてからは、ベッドに寝込むことが多くなりました。
 彼の面倒をみる時がとてもつらく感じました。
 私と眼が合うと視線を逸らし、窓の遠くを見つめることが度々あったからです。
 その度に、私の中に重苦しい澱(おり)がたまっていきます。同時に、ひび割れていく悲嘆の欠片。
 自分が本物ではないのだと、突きつけられる瞬間でした。
 
 私は彼の罪。彼の償い。彼の妄執。そして、彼女の影。
 本物の、本当のシエラルナ=オルニディは。
 
 ここに存在する私は、一体なんなのでしょうか。私は私として今、確かに存在しているのです。
 胸に手を当てれば、偽りの心臓が動いている。偽りであっても、確かに脈動しているのです。
 肌を触ればその感覚が伝わり、つねれば痛い。
 切れば、赤い血に限りなく近い潤滑液を流す。
 涙さえ流せるのに。胸は悲しみで痛むのに。
 すべては、この頭の中にある、疑似記憶と人格の衝動に過ぎないのでしょうか。
 繰り返します。私は、私として確かに存在しているのです。
 
 ある時、ふと思いつきました。あの置手紙。
 本物のシエラルナ=オルニディが、お師匠さまあてに書いた手紙です。
 彼女の心情、すべてが綴られていたまぎれもない証。
 苦しかったのでしょう。辛かったのでしょう。だけど、私とは違うのです。
 私もお師匠さまあてに、手紙を書こうと思いました。私自身のために。
 彼女がいなくなったのは六年前。私が創られたのは、その二年後の四年前。
 ああ、合致しています。正確に刻む時の感覚で、頷けるものがある。とても納得するものでした。
 実質、私は四年間しかお師匠さまと過ごしていない。
 だけどその四年間は、まぎれもなき私が過ごしてきた、日々であり記録なのです。これは私だけのもの。
 私はこっそりと、お師匠さまあてに自分の心情を込めて書きました。
 まるで忽然と出奔した彼女と同じよう。
 お師匠さまへの消えぬ思慕も込めて。
 人型の魔法生物にすぎない私。彼女の影にしかすぎない私。
 手紙を綴る自分は、まるで死にゆく人間が記す、遺書を残しているようでした。
 だから、なんとなく予感があったのでしょう。
 
 お師匠さまの調子が少しだけ良くなりました。
 身体は若々しく起きている時には、本当にこの方の寿命が尽きようとしているか、気づくのは難しい。
 私はお師匠さまの世話をするべく、いつものように彼の部屋を訪ねました。
 緊張と痛む心を抑えつけ、笑顔を見せて。
 そして、窓際に置かれた花瓶の花をかえようとした時。
 
「シエル」
 
 不意に呼ばれたので、どきっとしながらも振り返ろうとした瞬間。
 
「あ、はい。お師――」
 
 首に何かが走り、奇妙な浮遊感がありました。
 
「すまないな。僕の勝手で造り出したのに、お前を殺して」
 
 視界が激しくぶれ、何かが離れていく感覚。ごとん、と音がして。ぶれていた視界がはっきりとしました。
 瞬時に悟りました。首を断たれたのだと。今転がっているのは、自分の頭なのだと。
 流れていく潤滑液。それとともに思考が急速に薄れていく。
 ああ――最期に見た光景は。泣いているお師匠さまの顔。
 すべてが途絶える瞬間、浮かんだのは歓喜。
 生まれてきた意味はあったのだと。
 だって、お師匠さまは私に謝罪して、お前を『殺して』と言ってくれたのだから。『壊して』とは言わずに。
 ただ、満足でした。

フィスカ=オルニディ

 置手紙を残して、シエルがいなくなった。 
 その事実は、僕の精神も肉体も脅かし、急速に身体が衰えていく。
 時に吐血し、呼吸が苦しい。
 この身体は確実に死に向かっているのだ。だが、シエルはいなくなってしまった。彼女はどこへとも知れずに消えてしまった。
 僕は耐えきれなかった。だから、彼女を造ることに決めた。
 人の形をした魔法生物。ほぼ人間と同じであり、外見ではほとんどわからない。
 魔法生物の疑似脳に、僕は記憶の中にあるシエラルナ=オルニディを写した。
 さらに時間をかけて、細かい点でいくつも調整はした。本人が魔法生物だと決して分からないように。
 二年をかけてようやく完成し、眼を開けた人型の魔法生物。瞳も髪も肌も、表情も、すべて僕の記憶の中にあるシエルだった。
 限りなくシエルに出来上がった魔法生物。
 『彼女』はシエラルナ=オルニディとして、本人であるように振る舞う。
 しかし、なぜか変わったところもあった。その原因は不明だが、先生ではなく「お師匠さま」と呼ぶ。
 彼女の魔法師としての知識や技能は、僕の経験から得たものが反映されている。
 そのため、本物のシエルよりも総合値は高い。
 そこには、継承者として相応しいシエラルナ=オルニディがいた。ともに話し、ともに笑い合う。
 僕は彼女を取り戻せたのだ――そう思い込もうとしていたのだろう。
 シエラルナが『変わった』ことで、同時に周りの人間の評価が変わった。

「シエラルナ様も変わられましたな。いつも貴方にはむかい、違うものは違うと啖呵を切るようでしたが。だけど今は素晴らしい継承者だ。あなたのことに対して順応で、常々守ろうとする。後を継ぐにふさわしい」

 それを聞いた瞬間、頭が殴られるようだった。突きつけられた言葉は、僕が奥底で無視していた感情を、容赦なく暴いたのだ。
 彼女は僕に対して反抗をしない。すべてを水のごとく受入れ、当然のようにこなしていく。
 おかしい。シエルだったらわからないことはわからないと言い、とにかく自分が納得しないと受け入れてくれない。
 自分で造っておきながら、傍に置いておきながら。吐き気がする。彼女はシエルではない。当たり前だ。
 急にシエルがわからなくなり、久しぶりに手紙を見た。シエルの残した置手紙。
 ああ、やはりこれだ。この筆跡、文章で語られるシエルの感情。手紙から伝わる『彼女らしさ』がちゃんとある。
 しかし、それ以外にもう一通の手紙があった。手帳の下に、隠されるようにしてあった真新しい封筒。
 何かと思い読んでみれば、それは『彼女』が書いた手紙。
 悲痛とも思える心情が書かれていたが、僕には嫌悪を抱く内容でしかなかった。
 まがい物はまがい物。所詮、僕が生み出した幻影にすぎないのだ。
 今まで、まがい物と過ごしてきた時間が、急速に色あせていき、虚ろな膜に覆われていく。
 それでも手紙を破く気にはなれず、そのまましまいこんだ。
 やがて、まがい物が僕の部屋にやってきて、いつものように窓際の花をかえようとする。
 僕は気づかれないよう彼女の背後に立ち、そして名を呼ぶ。

「シエル」

「あ、はい。お師――」

「すまないな。僕の勝手で造り出したのに、僕の勝手でお前を殺して」

 壊すのは簡単だ。首を風の刃で一断ち。
 まがい物なのに、なぜか謝罪と涙が溢れた。転がった顔には、奇妙なほどに『嬉しそうな笑み』が浮かんでいた。
 僕は激しい嫌悪と恐怖を抱き、その場で残骸を焼き尽くした。灰も残さず魔法で焼失させた。
 それからシエラルナに関する過去の情報を、すべて消すことにした。
 そのくらいの根回しは可能だからだ。
 シエルと最初に出会った孤児院は取り壊し、その記録帳にあったシエルの書類は燃やした。
 魔法学院の入学から卒業時の記録も消す。とにかくシエラルナ=オルニディを消す。
 彼女がここに残した、すべてを持っていくのだ。
 僕だけが持っていればいい。知っていればいい。シエルのことは。
 僕が死ぬその時、彼女に関わった者のすべての記憶を消すように。
 そう念入りに魔法を施して。

 だがどうしても、遺さなければいけないものもある。
 シエルの置手紙、僕の書いた遺書と日記帳、そして捨てることができなかった、まがい物の手紙。
 シエルの持つ指輪を証として、もしこの地を訪れてくれたのなら。
 この部屋へ導き、遺していく手紙を見てくれるように。
 最後にその魔法を僕の部屋に施した。

 すべての事を終えて満足した時、『それ』は待っていたように訪れた。
 かなり前から肉体は衰えていたが、まだ動かせていた。しかし、大量の血を吐き僕は再び倒れた。もう手の施しようがないと自覚していた。
 ベッドに運ばれたらしいが、朦朧としている。
 ああ、ただ重い。身体が動かない。
 それでも、何度も遠ざかりかける意識が、時々浮上する。
 同時に、シエルと出会ってからの無数の思い出が、押し寄せては消えていく。
 出会ったばかりの幼いシエル。
 魔法の学習で難しい顔をするシエル。
 褒めたとき喜んだシエル。
 
 ああ、最期に。
 本当に会いたかった。
 シエル。

シエラルナ

 私の名はシエラルナ。魔法薬や調合薬の販売を営む、しがない魔法師だ。
 地下と二階建ての建物が私のすべてだ。
 地下が倉庫、一階が店舗兼仕事場、二階が住居になっている。
 そこに休日や時間がある時など、弟子がやってくる。一四歳になったばかりの少女だ。最近は反抗期のせいか、家を飛び出して私の元で過ごすことが多い。
 近くに住む彼女の母親には、本当にすまないね、と謝られた。
 弟子の家とは近所だ。彼女の母親にはかなり助けられたことがあり、感謝しかない。
 だから、娘が魔法を学びたいと、お願いされた時も、快く引き受けたのだ。
 今日は何が嫌なことがあったのか、弟子は朝からやって来て、むすっとしている。
 理由を聞いたら父親に叱られたのこと。
 小さなことだと思ってしまうけれど、本人にとっては大きなことなのだ。
 弟子をなだめつつも、彼女ばかり相手にしていられない。
 今日は休日であるが、急ぎの仕事で調合薬を作らなければいけないのだ。
 だからついでに、課題をいくつか出しておく。
 弟子は魔法に対して嫌な顔を見せない。意欲が高いことは良いことだ。
 私は材料を用意し、調合薬を作るための準備をする。意外と手作業が多いのである。
 専用の道具に原料を入れて、粉末にするために砕き始めた。
 ゴリゴリと砕く音が響く。
 近くの席に座った弟子は気にした様子もなく、課題と参考書を睨み始めた。
 真剣そのもので、こちらが口を挟むのもはばかられるほどだ。
 作業を進めながら、それとなく彼女を見ていると、自然と過去の自分が浮かんできて、情景が重なった。
 かつての私も彼女のように、何の嫌な思いもなく懸命に魔法を学んでいた、弟子の時代があったのだと。
 この地で暮らして長いが、私の過去を知る者はいない。
 長年の紛争から暗い過去を持つ者が多く、いちいちそれを詮索する者などいないのだ。みな、日々の生活と生きることに必死なのだから。
 でも、困っているものには、できる限り助けようとする。
 人々は根っから明るく気さくだ。
  私にとって気楽で、本当にこの地と人々が大好きなのだと思う。
 それこそ第二の故郷と思っているほどに。

 ◇◇◇

 かつて、私はある国の宮廷魔法師だった。
 魔法がどの国よりも発展し、文化もこの地よりはるかに優れていた所だ。
 しかし、とても生きづらい場所であった。
 生まれた時から親はなく孤児院で育てられた。
 孤児院は貧しくてろくな食事がなく、いつも飢えていたことを覚えている。
 孤児院にある時、とても裕福そうな男性がやってきて、世話人と話をしながら、私たち孤児の様子を見ているようだった。
 不思議と引き寄せられるものがあり、私はお気に入りの人形を持って、自然と彼の前に出ようとしていた。
 世話人にはすぐに押さえつけられ怒鳴られたが。
 それを止めて男性は私の前にしゃがみこんだ。
 今でもはっきりと覚えている。その深い瞳の色を。
 彼に一度だけ頭を撫でられた感触を。
 ああ、この人のそばにいたいと思った。
 その思いは叶えられ、私はすぐに彼の養子として引き取られ、弟子になった。想像もしていなかった、大きくきれいな建物――彼の屋敷に住まうことになり、びっくりしたものだ。だがそこでは、徹底した礼 儀作法から魔法の基礎を叩きこまれた。
 つらくなかったと言えばうそになるが、彼に拾われた者として恥ずかしくないようにすることで必死だった。
 何よりもおいしい料理が食べられ、柔らかい布団で寝られることが嬉しかったのだ。そして、先生がやってきて、寝る前に話をしてくれることが一番の喜びであった。
 六歳になると魔法学院へ放り込まれ、そこで魔法の基礎と応用、理論と技術を学んだ。
 首席で卒業後は先生が教師となり、古代魔法の研究に古文書の解読、複合した魔法紋様の解析など、現代でもなお不可思議といわれる、古代魔法学の分野に足を踏み入れた。
 成人になると優雅な祝宴が開かれた。
 先生からは祝福の言葉と、国の宮廷魔法師になることを伝えられたのだ。
 先生の研究や仕事を手伝いながら、自分も魔法の研究ができるようになる、と言われた。
 ああ、私にとってそれは夢だった。
 いつか先生と同じ場所で、彼とともに働くことが、夢だった。
 しかし、夢は夢でしかなかったのだ。
 私には夢を現実とするための、努力や才能、精神が足りなかったのだ。
 二週間の準備期間を得て、私は正式な宮廷魔法師となった。先生とともに国の魔法塔へ入る。
 最初の二年は良かった。
 皆、私が学院の首席卒業者であること、先生の弟子であることに期待しており、尊敬の眼差しが強かった。
 研究して導いた成果を、論文として上司に提出する。
 私はオルニディ魔法師長の直弟子であるが、新人の扱いであった。
 だからすぐに、先生の直下の部署に入れるわけではなかった。けれど、間接的に先生の協力は得られていた。
 当時、まだ解明されていなかった、ある魔法紋様についての成果を発表した。
 これはあくまでも自分で研究や調査を行っていた、正式な研究題材だ。
 発表後、友人らは私を祝福してくれた。
 だけどほとんどの人は、私を『先生の弟子』として褒めた。
 そして協力者の『先生』を一番に称えていた。さすがは国一の魔法師。古の魔法師長だと。
 どうして、先生が称賛されるのだろう?
 これは私の名で発表した成果であり、決して先生のものではないのに。
 その周囲の評価と、自分の認識の『温度差』を初めて感じてから、私の中で少しずつ歯車が狂い始めていった。
 この論文の発表以降、何をしても『先生の弟子だからできて当然』と、実力以上のものを、求められることが多くなった。
 先生を外し、自分ができる最大限の研究題材を選び、必死に求めるレベルに応えようとした。
 だが結局は、『先生の弟子だから』と『私自身』は正当評価されなかった。
 一方で、私が先生に追いつくことはなかったのである。
 彼は真の魔法師であり化け物だ。
 長年研究されつつも、なかなか解明されていなかった魔法の事象を、ついに解き明かしたのだ。
 背後には複数の協力者や、先人たちが残した資料の積み重ねがあったけど。
 しかし、『協力者』の中に直弟子の私はいなかった。
 彼がその研究をしていたことさえ、知らされていなかった。
 なぜなのかは不明だ。これは憶測にすぎないが、たぶん私が新人だったからだろう。 経験不足で重荷になるからと、入れられなかったのかもしれない。
 だが、この出来事が決定打になった。
 先生の評価はさらに高まった。一方で周囲の人間は、私に微妙な態度を見せ始める。
 先生の影響はとても強く、決して周囲の人間は、私の前で貶めるようなことは言わなかった。言おうものなら彼に消されるからだ。

 上司、同僚、先輩後輩、私の世話役に召使い──シエラルナ=オルニディに関わるすべての人からの、上面だけの期待と過剰なほめ言葉。
 こびへつらいと冷徹な見切りの眼。
 いや違う。最初から誰も『私』を見ていなかった。
 見ているのは私を通りすぎて『先生』なのだ。
 あくまでも先生の弟子であるが、魔法師長という偉人にくっつく、こびへつらいをするための産物にすぎないのだと。
 そう、実感させられた。
 逆にようやくそれに気づけた自分は、ただの馬鹿だったのか。
 食欲がなくなり、眠れないことが増えた。
 周囲の人間の眼を異常に気にするようになった。
 誰もいないところで、声を殺して何度も泣いた。
 だけど、重圧から周りの人間には相談できなかった。一言でもそれを言おうものなら、呪縛のごとく『先生の弟子なのだから』と、言われることはわかっていたから。
 袋小路になっていく自分がすがりついたのは、やはり先生だ。
 彼の存在は重く、顔を見るのも嫌になっていたが、思慕と信頼は消えることはなかった。
 最後の心の拠り所だ。先生なら私の苦しみを聞いて、受け止めてくれるだろう。
 本当にそう思っていた。
 忙しい中、先生と出会った時に、自分の苦しい状況を伝え、相談に乗ってほしいと持ちかけた。
 しかし──

「シエル、きみなら大丈夫だ。今は苦しくても自分でなんとかできる。僕の弟子なんだから」

 軽い調子で言われた。
 そして、『僕の弟子だから』――最後の言葉が、私の拠り所を破壊した。
 ああ、壊れる。自分が先生によって壊されていく。
 どん底に突き落とされた衝撃の中で、そう思った。
 同時にすべてを捨てて逃げ出そうと決めた。
 だが決意しても、私は先生の弟子という立場に束縛され続けた。
 なぜなら、まだ彼にはきちんと認められていなかったから。
 一人前になること、あるいは継承者として認められること。
 それがまだ出来ないから、逃亡を決意させても、逃げられないでいた。
 だからその後は、徹底して自分をだました。
 悲鳴を上げる心を無視し、ただ逃れるためだけに。先生の届かない背中を追い続けたのだ。
 自分から願い出て彼の下に移動し、小さな研究に携わり続けた。過剰な努力を惜しまなかった。
 ただ、精神も肉体もぼろぼろだったけれど。
 そして、ついに待ち望んでいた時がやって来る。
 ある時、大事な話があると言われ、私は先生と顔を合わせた。
 その場で先生の正式な継承者として認める、と伝えられた。
 先生の継承者になるということは、国の魔法師長――すべての宮廷魔法師の長になるということだ。
 この瞬間、私は泣いた。心から大泣きした。恥も何も一切ない。
 心底、嬉しかったのだ。先生に認められたからこそすべてを捨てられると。
 心置きなく自分を解放できると。
 先生もその場にいた人間も、私の喜びの涙だと信じ込んでいたが。
 それからは直ちに行動を起こした。先生への置手紙を残し、わずかばかりの物を持って飛び出した。
 とにかくこの人の元から離れたかった。自分も彼も含めて何もかもが嫌だった。
 逃げ出すための道順や手順は、慎重に探り何度も確認を繰り返していたから、迷うこともない。
 皮肉なことだが、魔法は使えなかった。
 魔法塔には魔法の使用に厳しい制限があるし、私が魔法を使えば、すぐに先生が気づくだろう。
 先生がいない時を見計らい、魔法塔を抜け、王城の脱出用の裏道を使い、そこから王都に出ると、遠回りにしながら国を後にした。
 出ていくことが目的で、先のことなど一切考えていなかった。
 ただ怖れていたのは、先生がやってくるかもしれなかったこと。あるいは追っ手の存在だった。
 だが現在に至っても、それらしい存在が来ることはない。
 後から考えればよくぞうまくいったものだ。
 しかし、先を考えていなかったから、出奔が成功しても、当てもなくさまようことになる。危険なことに何度も遭遇したけれど、私は死ぬことはなかった。
 やがて辿り着いたのは、遠い異国の地。そこは同じ大陸であっても、文化も言葉も習慣も違っていた。
 なによりも当時は治安が悪く、医療や魔法技術の発展が遅れていた。不衛生な街中での怪我や心傷、疫病が流行っていた。
 私にとって、苦しむ人々は他人事ではなかった。だって自分も流浪の中、怪我や病気をした時、助けてくれた人がいたのだから。
 そこでは、忘れていた人の心配や配慮といった、人の思いやりや気づかう心を思い出させてくれた。あれは本当に嬉しかったのだ。そして、自然と浮かんできたのはある言葉。

 ──相手の身になり、相手の立場を思いながら接しなさい。

 他でもない先生から幼い時より、ずっと言い聞かされてきた言葉。
 なぜそれを今になって思い出したのか。
 疑問に思いながらも、それと熱情が私を動かした。とにかく自分の持つ知識や技術が役に立つのならば、と。
 出奔から九年。もう三十四歳になっていた。長いようだが、あっという間だった気もする。
 異国の地は第二の故郷となり、親しい友人や馴染みの客人もできた。
 私は店を持ち弟子がいる。これほど幸せで安穏な暮らしはない。魔法そのものを疎んじていたこともあったが、決して嫌っていることはないと気づかされた。
 当時は吐き気がするほど、追い詰められていたのに。
 時が経つにつれ徐々に収まっていき、落ち着きを取り戻した。
 実に皮肉なことだが、先生の教えは染みついている。
 現在でも魔法師の仕事をする際の指標となっていた。
 正直、あの人のことは二度と思い出したくない。
 ふとしたことで、私を壊したあの言葉がよみがえることもある。
 だが、確かに私の先生で、大きな影響を与え続ける恩師だったのだ。
 だから、自然なことだったのかもしれない。故郷へ行ってみようと思えたのは。
 不思議なもので、そう思いついたら心は高鳴った。
 弟子には、しばらく長期休暇をとることを伝えた。
 自室に入った私は早速準備をすることにした。
 長らく開けていない引き出しから、小箱を取り出す。
 そこに入っているのは小さな金の指輪。
 故郷を飛び出してから、ずっと持ち続けてきた呪いの指輪だ。
 何しろ捨てても戻ってくるのである。
 金だから融かそうとしたら、自分に呪いが降りかかってきた。
 そのため手放すことを諦め、小箱に入れたまま放っておいたのだ。
 それが、私が故郷に関わるもので唯一残ったもの。
 先生とのつながりを、完全に断ちきることを許さなかったもの。
 指輪は久しぶりに見たが、色褪せずに輝きを放つ。
 これをする必要はないはず。
 むしろ、指輪はしないほうがいいはずだ。いや、しなければならない。
 二極した感情にとらわれ、懊悩した後に指輪をすることにした。
 そっと指に通せば、ぴったりと収まった。
 一瞬、指輪が熱を持ち、すぐに私の魔力と同化する。
 ちなみに指輪に刻まれているのは紋章だ。オルニディ家の者であり、故郷の宮廷魔法師を意味する、鷹と杖の紋章。
 今でも故郷と先生を断つことが出来ない、重枷にしか思えなかったが。
 指輪をしていれば先生は気づくだろうか。
 だが、かなり魔力は弱まっているため、気づかないかもしれない。
 準備を終えると店を閉め、故郷へ旅に出た。
 道中は平和ともいえるほどに順調だった。治安の安定から交通手段が発達し、道が舗装されているところも増えていたから。
 あっけないほど故郷へ入った私は、まずは警戒した。
 だが魔法の仕掛はない。いきなり先生が登場することもなかった。
 それに深く安堵しながら訪れた故郷は、とても大きく窮屈そうに見えた。
 通りの適当な土産物店に入り、私は先生の現状を探ることにした。
 下手に疑われないように、認識魔法をかけて。

「オルニディ魔法師長のことだって?」

「ええ」

 それとなく先生のことを尋ねてみた。
 あの人は一般人にも有名な魔法使いで、下町にも姿を見せていた。
 なぜか、愛想の良かった店員の顔が曇る。

「亡くなられたよ。三年前のことだ」

「は?」

 その言葉が頭に入ってこない。え、亡くなられた?

「そんな、うそですよね」

 私のぽかんとした顔に、店員は表情を変えなかった。

「あんたここの人かい?」

「え、ええ。昔は住んでいたんですが、今は違うところにいまして。久しぶりに来たんですけれど」

「亡くなられたのは本当だよ。知りたければ、城の庭園の奥へ行ってごらん。墓地があるから」

 質の悪い冗談かと思った。
 だって先生は――記憶の中の彼は、ずっと笑っていて元気なはずだ。
 焦る気持ちを抑え、王城へ向かう。
 顔つきも髪型も違うからばれることはないだろう。
 一抹の不安を抱えつつも、見学者として簡単な身持ち検査を受けてから、受付を済ませる。無事に通過し、一般人にも解放された場所に入った。
 そこは王城の一部を解放し、設けられた庭園のようなところだ。
 王家と人々が近しいことを示すために造られた場所だった。
 だがその時、突然指輪が熱を持ち、意識がぐにゃりと曲がった。
 強烈なめまいに意識が遠のきかけるが、気づけば世界が変わっていた。
 そこは見覚えのあるところ。王城の近くにある魔法塔だ。
 すぐに冷や汗と嫌な焦りが出た。
 幾人かの人影が、私の前を素通りしていくのだから。

『え、あれっ、あ、あの!』

 混乱から変な声を出してしまった。
 でも誰も気づかないし、私に眼も向けない。一体どうなっているのか。
 困惑が激しくなる一方で、指輪は光を放ち、導くように私を引っ張る。こっちへこっちへと。
 そのまま見覚えのある廊下を渡り、階段を上がる。塔の最上階。
 そこは、二度と入らないはずの先生の部屋だ。
 むしろ絶対に入ることは許されない、最高位の魔法師がいるところ。
 ところが扉を開ければ何もない空間だった。
 おかしい。
 寝台も机も本棚も、魔法道具に調合薬に魔法薬、古代の魔法書から古文書など、溢れんばかりであった物が一切ない。いるはずの先生もいなかった。
 その代わり、壁と床に茶色い染みがあった。
 まるで、拭いきれなかった血がこびりついたかのように。

 ――何があったの!?

 焦燥すると指輪はさらに私を引っ張り、壁の方へ歩み寄る。
 そこはよく見れば違和感があり、壁に継ぎ目があった。
 そっと押すと板が外れ、奥があらわになる。
 奥には木箱があった。木箱を取り出し、ふたを開けると手帳と封筒が三通あった。私は震える手でそれを持つ。その途端に再びめまいがして引っ張られる。
 気づいた時には、王城の庭園にあるベンチに座っていた。
 白昼夢のような出来事だったが、手帳と古びた封筒をしっかり握りしめている。
 指輪もまだ熱を持っていた。
 今のは、一体なんだったのか。
 魔法の感触から、先生が仕掛けたものだとわかった。つまり先生が望んで起こしたことだ。
 動揺を押さえつつ、私は持っている手帳と手紙を確認することにした。

 手帳は、先生のものだった。
 一通目の古びた封筒は、あの日書いた私のすべてだった。
 二通目は、先生の遺書。彼の激しい後悔が書かれ、死が迫っていること。そして、私へ抱く一方的な執着があった。
 三通目には、いないはずの『私』がいた。シエラルナ=オルニディが。

 手帳を読んで、手紙を何度も読み直して、実におぼろげながら状況を理解した。
 その時、全身を支配した感情は、理不尽な怒りだった。


 ◇◇◇


 王城の庭園の奥、静まり返った林に囲まれた、その最奥部。そこは墓地だ。
 どの墓石にも花が絶えず置かれている。ここは国に仕えた高官や、国のために功績を上げた者か眠る、守護された所。
 一つ一つを確認しながら私は、ついに見つけ出した。
 墓碑に刻まれた名は、フィスカ=オルニディ。
 見つけた瞬間の気持ちは、とても言葉にできない。全身が震えた。
 先生は、確かに亡くなっていた。

「……、先生お久しぶりです」

 ようやく言葉にできた。

「まさか、亡くなられているとは思いませんでしたよ」

 硬い声。彼が亡くなっていた衝撃、手紙と手帳から知り得た、私が知らない間に起きた出来事。師の非道で理不尽な行い。
 私が故郷を捨ててから、私の知らない間に起きたこと。
 私のことを知る者は誰一人いない。
 手帳と手紙は燃やした。だが、『彼女』の手紙は燃やすことが出来なかった。存在を示すために彼女の『意思』が宿っているようだった。
 私の手元に残ったのは、その手紙と金の指輪だけ。
 はっきり言ってすべてのことは他人事。むしろ気持ちが悪い。ふつふつとした怒りとともにぞっとするほどの悪寒が走る。
 あまりに自分勝手な先生の行い。生まれた魔法生物は結局、一方的な感情で消されたのだ。
 先生の寿命が尽きようとしていたとは、今でも信じられない。だが、確かに彼は死に掛けていたのだ。
 手帳に書かれていた記録には、彼が命を削り、狂っていくさまがありありと伝わってきた。
 先生は、私の代わりとなる魔法生物を創り、一時期的に『彼女』は私になった。
 脳裏にさまざまなことがよみがえってくる。
 しかし、当時のことを振り返っても、やはりあの時には出奔しかない。その逃げ出した決意があって、旅をして現在(いま)の私があるのだ。
 だが、私の行いによって先生は狂い、もう一人の『私』を生みだした。
 シエラルナ=オルニディとして創られ、まがい物とされて殺された、もう一人の私。
 そして、私は『過去のすべて』を失った。
 死と引き換えに、先生はこの国で存在していた『シエラルナ=オルニディ』の痕跡を抹消したのだ。
 誰も私を知る者はいない。そのことが大きな衝撃として残る。
 故郷で過ごした記憶は私の中にしかない。孤児院も無くなっていた。
 私を知っているはずの人たちは、本当に私を覚えていなかった。
 私は、先生によって過去を奪われたのだ。
 別に困ることはないはずだ。むしろ誰一人として私を知らないのは、都合がよいのかもしれない。
 現在の私は、店を持つあの場所にあり、知っている人もいる。
 だが、二十年以上過ごした故郷で、私を知る者はもういないのだ。

 ふと思う。
 これほどに先生が私に執着し、狂ってしまう心情はなんだったのかと。

 考えてももう意味のないことで、すべては終わってしまったことだ。
 私は白い花を先生の墓に添える。そして手紙を持つ手に力を込めた。
 彼女は一時でも、先生と歩む私の『夢』を叶えてくれた、もうひとりの私だから。
 そして、これは私が死ぬべき時まで、抱えるべき罪なのだろう。

おまけ【金の指輪】


「シエラルナ、おめでとう」

「ありがとうございます、オルニディ魔法師長」

 オルニディ家の屋敷にて、フィスカ=オルニディの弟子――シエラルナ=オルニディの成人の祝宴、同時にお披露目が行われた。
 普段は地味な服装しかまとわないシエラルナは、清楚なドレスを纏い、髪もきっちりと結われている。
 その姿は垢抜けなさは残るものの、どこか眼を奪われる。
 フィスカと語り合う彼女の眼は希望に満ちていた。なぜならこの先、彼の思いに応えられるような立派な魔法の研究ができるのだから。

「シエルにこれを贈ろう」

 話が途切れたところで、フィスカが待っていたように、懐から小さな箱を取り出した。ふたを開けてシエラルナに見せたのは金の指輪。

「指輪ですか。これは?」

「オルニディ家の紋章と、シエルが正式な宮廷魔法師であることを示す証だ。二週間の準備期間を経て、きみは正式に、宮廷魔法師になる」

 真剣な顔をしてシエラルナが指輪を受け取った。

「左手の中指に付けてごらん」

 金の指輪を言われた通り、左手の中指に身に付ける。そして、フィスカが触れると熱を帯びて輝いた。指輪にシエラルナの魔力が満たされ同化する。

「これで、きみ以外には身に付けられない」

「ありがとうございます!」

 シエラルナの心から喜びと興奮に満ちた笑顔。それに柔らかい笑みを浮かべる師匠フィスカ。
 
 ――この先に訪れる崩壊を、二人はまだ知らない。

 【おわり】

手紙

手紙

全6話+おまけ1話

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-01-05

Copyrighted
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