1月2日

大晦日は心待ちにしていた脇下一族列伝新京都編が投稿されていて、それでとても満足して年を越した。年越しの瞬間はガキ使をみていて、わたしはやっぱり、おもしろいものがすきなんだなあと思う。あけましておめでとうございます。今年はゆったりした正月で、たっぷり昼寝したり、ゆっくり家事をしたり、こんなのもいいなと思った。たまには。年末は雪が降ったり、かと思えば今日は晴れてあたたかくて、季節についていけない。でも、不安定のなかに安定を見いだしながら、変わらず生きていく。今年のわたしはひとつの岐路に立つことになるので、こころが多少ざわざわしている。まあでもやるしかないし、なんとかなるよね、という感じ。わたしは、時間がないと焦る人間ではなく、あれをする時間これをする時間、ときっちり分けて生活する。だって時間はあるし、それをどう使うかは、じゆうなのだし、焦ることなんてない。ざわざわしているのは、岐路に立つその瞬間を、まだ経験していないから。そんなことはないだろうその歳でと思うひととは、これはあたりまえのことだけれど、単に考えかたや価値観が異なっているだけだと思う。このことって、作品にひっそり組みこんでみたりしっかりおもてにだしてみたりしてきたけれど、さいきんはあまりそれもしなくなったな。
大晦日のといいこれといい、段落を変えてもひとます開いていないのは、これをスマホで書いているから。近く、iPhone6についにさよならして、新世代iPhoneをお迎えする。イヤフォンジャックが恋しくなる未来はみえているから、まだどれにするかきめかねているけれど、2021年最初のおわかれがまっている。確実な未来のことを、いちいち憂いたりはしない、じぶんのこの性質を、心底気にいっている。柔軟かつ、確固たる、わたしでいたい。
今年もよろしくお願いいたします。

1月2日

1月2日

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-01-02

CC BY-NC-ND
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