たましい
2021年1月1日、おめでとうございます。茸幻想小説です。今年もよろしくお願いします。
青い茸の傘から煙が立った。
てっきり胞子だと思った。
ところが、煙は青くなり、透き通った玉となって宙に浮かんだ。
青い玉がでた青い茸は透明になった。
やがてしわが寄って茶色くなってしなびていった。
茸から球がでた。
何だろう。そうつぶやいた。
だけど、ははは、と誰かが笑っただけだった。
隣にいた三毛猫の玉に、わかる、と聞いたわけだが、猫が首を立てに振ったので、さすがーっと思って答えを待った。
猫の玉は恥ずかしそうに、
「たましい」
と答えた。
「茸の魂なのか、きれいだった」
玉もうなずいた。
「生き物の魂は自由に遊ぶのよ、寝ているときにね」
「茸は寝ないだろう」
「茸も動物も植物も生まれる直前は魂がここで遊ぶのよ」
「最後はどこにいくのかな」
そう聞くと玉はキョロリと大きな目を上に向けて
「天」と言った。
森に生えているすべての茸の魂がそこに行くと、一杯になっちまうだろう、と心配していると、
猫の玉は笑った。
「おほほ、魂は次元がないの、あんたが見ている茸の魂は、あたいには太陽ほどの大きさに見えているのよ」
「人の魂の大きさは点にもならないのかな」
「そう、主観で三次元が決まるの、だから見る生き物によって大きさが違う」
「そうすると、いくらたくさんの魂がいても一杯にならない」
「形があって大きさがないわけよ」
「魂がぶつかったらどうなるの」
玉は言った。
「気に入った同士は重なった一つになるけど、だめだと重なっているだけ、同化しないの」
猫の玉は本当に魂のことをよく知っている。
「動物の魂も人の魂も同じなのよ」
「猫の魂と人間の魂が出会ったらどうなるの」
「猫の魂を人間の魂がよく追いかけているわよ」
何てこった。逆かと思った。
「生きている人や動物や茸はその魂そのものよ、抜け出た魂もそのままということ、猫は独立家、人間は猫の機嫌をとるわ、猫好きだった人間の魂は猫を追いかけるストカーよ、独立心が低いのよ」
俺もそうなるのか。
「茸の魂と猫の魂どうなの」
「どっちも独立、重なっても同化するかどうかはそのとき次第」
「あ、また茸から魂が抜けた」
赤い茸が透明になっていく。赤い玉がふわふわと上昇している。
釣り糸が点から垂れてきた。透明な針がさきについている。
「あ、」斑猫が叫んだ。
赤い茸の魂が釣り針に食いついた。
猫の玉も目をむいて驚いた。
「あの魂かわいそうに」
玉がそう言ったとたん、釣り針が赤い魂から赤を吸い取った。釣り糸が見るみる赤くなっていき、魂には色がなくなって、消えてしまった。
「魂を釣られちまった茸はもう生えてこないか、生えても毒茸よ」
なんだか魂にも運命があるんだと思って、可哀想になってくる。
「誰なんだ釣り針を垂らしていたのは」
「あんたじゃない」
「僕は釣りはだめだよ、魚が見えていても釣れないんだ」
「魂の国じゃ、釣りの名人が、茸の魂にいたずらしてるのよ、あんたよ」
「僕が茸の運命をいじっているっていうのかい」
「そうよ、ほら、あんたの臍から突き出ている釣り竿に、黄色い茸の魂が引っかかったじゃない」
「自分じゃ見えないよ」
「そうでしょ、あんたのからだからいろいろなものが飛び出ている、中に入っている魂がやってるのよ」
「でも、玉は生きてるのになんでそんなものも見えるんだい」
「人間じゃない動物はね、できるのよ」
「自分の魂も見ることができるんだ」
「そうよ、だけど魂と身体は独立しているから、あたいの魂、今どこ飛んでるか知らない、でも生きている限り、糸がついているから引っ張ればからだにはいる」
「なぜ僕は自分の魂が見えないんだろう」
「人は本能が弱いからね」
「僕の魂はどこにいるんだろう」
「いるわよ、右目から半分はみ出している」
「何色なの」
「茶色」
「だから茶色が好きなのかな」
「玉の魂は何色」
「ほほ、ほのかなピンク」
「僕の魂はどんな形しているの」
「ぐにゃぐにゃ、あんたそのものよ」
「なにしてる」
「茸の魂にちょっかいだしている」
「ちょっかいって」
「いっしょになろうとしてるわよ」
「どんな茸の魂」
「茸なら何でもいいようね、今、花落葉茸に声をかけている。あんたの右目から飛び出して、つんつんしている」
「でちゃったらどうなるんだろう」
「あんたが生きていれば、糸を引っ張ればからだにもどるわよ」
「どうやったら引っ張れるのかな」
「あ、あんたの魂、花落葉茸の魂といっしょになりそう」
「まだ撲は生きているよ」
「花落葉茸ももうすぐ生えるのよ」
「どうしよう」
「あーあ、いっしょになっちゃった」
「どうなったのかな」
玉の髭が目の前に見える。
玉の髭が僕に当たって、僕はふらふらと揺れた。
玉の大きな目玉にピンクの花落葉茸が映っていた。
自分の魂をひっぱらなきゃ。
臍をかいた。
と目がさめた。
ベッドの上で脇に玉が寝ている。
夢を見ていたようだ。
今日は日曜日だ。もう少し寝ていようかと時計を見ると八時である。仕事のある日は六時起きで、七時には家をでる。睡眠時間はだいたい六時間ほどであるが、今日は九時間寝ている。これだけ寝ればさっぱりしていそうなのに、なぜか頭がもやもやしている。久しぶりに夢を見たためだろうか。
玉のしっぽを引っ張った。玉の奴、大きなあくびをして伸びをした。猫っていうのは、実にマイペースで、好きなようにしている。見ているだけで気分がほぐれる。
一人暮らしなので、なにをしなければならないということはないのだが、いつもの習慣で顔を洗って歯を磨いてと、朝の儀式を終わらせて、朝食の準備をした。
親が残したこの家は昭和に建てられたので、造りは良くないが、庭だけはちょっと広い。子供の頃からここで育った。大学や今の会社に近く、通えるところにあった関係で、この家から離れて生活をしたことがない。父親も都内の会社に勤めていて、結婚を期に土手沿いに開発された団地のこの家を買ったという。昭和の中頃のことである。その両親ももういない。
親が飼っていた猫の孫が一匹残っている。それが玉である。嫁さんはいない。と言うより失敗した。もう二十年も前のことだが、お見合いをして結婚式まじかまでいった。映画の卒業と同じと言ったら、想像するのはあのダスティン・フォフマンが結婚式場に乗り込んで花嫁を奪っていく、格好いい姿を浮かべるかもしれない。奪われたまじめな婿さんを覚えている人はいるだろうか。まともに撮していなかったかもしれない。それが自分であって、結婚式場まで行かなかったので、皆の前で醜態をさらすことはなかったが、彼女の元彼に嫁さん予定者はもっていかれた。お詫びの手紙を参加予定者に送った時には、惨めではあった。
庭にでた。今日も青空で薄い雲がたなびいている。庭の木々の根本には、ほんのたまに茸が生える。ほとんど名前がわからないが卵茸だけは知っている。しかし最初に生えたときは毒茸だと思って踏みつぶしてしまった。その後美味しい茸であることを知ったが、今では鑑賞のため大事にしている。今年は沈丁花の下に三本しか生えていない。緑だらけの中に朱色の茸はとてもきれいだ。
庭を出て家々の間をほんのちょっと歩くと鮎川の土手にでる。朝早く起きたときなど、天気が良ければ散歩にいく。今日は土手から川の中州を見ると白鷺が集まってなにかしている。土手にはいろいろな植物が生えるので、自然と名前を知ることになったが、茸は生えない。町の反対側の丘には雑木林がある。そこまで行けば生えているが、社会にでてから行くことがなくなった。それなのに、今日見た夢には茸が出てきた。花落葉茸と言う名前が頭に残っている。どこでこの茸を知ったのだろう。記憶にない。本当にあるのか頭が勝手に作ってしまったのかあとで調べてみよう。
土手の上を橋からもう一つの橋までいくとだいたい二十分だろう。土手の道は簡易舗装されていて歩きやすい。ランニングコースでもあって、老若男女が自分のペースで走っている。
程々に眺めて家に戻ると、玉がよってきた。ふすふすと足下をかいだ。
「何だ、玉」と頭をなでると、きょろんとした目で見上げている。なにしてきたという顔だ。
だっこしてやると、長い尾っぽをぱたんぱたんさせて喜んでいる。
さて、朝食の用意だ。朝食は紅茶とトースト、ヨーグルトと今日はグレープフルーツ。いつも決まっている。
テレビのニュースを見ながら朝食を終えると、片付けてから居間でPCを開けた。メールを見てから茸を調べた。ずいぶんたくさんの茸のサイトがある。茸好きが多いのだな。それだけではなかった。茸のウェブ図鑑がいくつもある。一つ一つ開くのはよして最初から花落葉茸と打ち込んで検索した。でてきた。きれいじゃないか。実際に存在する茸だ。でも出くわしたことがないが。
写真の検索をすると、ずい分たくさんの花落葉茸がでてくる。色々な色があるようだ。茶色っぽいもの、黄土色のもの、薄黄色のもの、ピンク色のもの。
夢で見たものはピンク色のものだ。かわいらしい茸だ。ずいぶん普通に見られる茸のようで、素人の投稿も多い。なぜ夢に出てきたのだろう。
夢の中では花落葉茸の魂と僕の魂が同化した。少なからず縁がある。久しぶりに丘の雑木林に散策にでもいってみよう。小学生の頃よく遊んだ。
そう思い立って、支度をすると出かけた。
あまり使わないカメラを胸からつるした。一人で林の中をさまよっていると怪しい人と思われるかもしれない。本気で写真を撮ろうというのではないところが、何とも情けないと思うのだが、こういう性格だから仕方がない。だから嫁さんを取られたんだ。誰かがそういったようだが、振り返っても誰も居ない。
ともかく、ぼーっとしている玉に行ってくるよと家をでた。
日曜日に町を歩くのは久しぶりである。駅前のスーパーで勤め帰りに買い物をするくらいで、大学生になった頃から自分の町の中を歩くということをしなくなった。小学校、中学校の同級生がやっている店はたくさんあるのだがご無沙汰している。
丘の林は江戸時代から続く大地主のもので、その一角を残して、あとは家が建ってしまっている。地主もその丘の一角を大事にしているようで、下草が刈ってあって、行き届いた管理がなされている。散歩にはいい所である。自分が子供のころからそうだった。小学生のときにはカブトムシを見つけて喜んだし、中学生の頃は友達と中を歩いて、宝探しなどしたところだ。宝って、ちょっと光っている石に過ぎない。
駅を通り越して大きな街道を横切ると、住宅の間を通って丘の麓に着く。林の様子は昔と変わりがない。
さて、中に入ろうと思ったとき、後ろから声をかけられた。
「早坂じゃないか」
振り向くと見たことのある男が立っていた。年格好は自分と同じである。そこで思い出した。小学校のときの同級生だ。
「ああ、平か、久しぶりだなあ」
「三十年ぶりだな、変らないな」
平は中学から私立に行ったので、それ以来である。小学校の卒業二十年の集まりにも顔をだしていなかった。
「いや、お前も変らないな」
「なにしている」
「サラリーマンだ、渋谷までかよっているよ、家は昔のまま、土手の脇の団地」
「そうだったな、何度も遊びに行ったことがある」
「俺もお前の所にいったことがある、鈴木の家はこっちの方じゃなかったよな」
「うん、前は駅の近くだったが、今はこの林の近くにいる」
「なにしてるんだい」
「今はアパート経営だ、五年前事業に失敗してね、おやじの残した物を食いつぶしている。もう一度何かやりたいと思ってはいるんだがね、やるとなるとこの林を担保にするか、売らなきゃならから考えているんだ」
「ここ、お前の家の物だったんだ」
平が地元の人間だということは知っていた。だけどこの丘の持ち主だということは全く知らなかった。
「うん、小学校のときはカブトムシ捕まえたり、よく遊んだよな、だから手放したくはないんだけどね、これから散歩かい」
「本当に久し振りなんだけど来てみたよ」
「俺は近いものだからたまに歩くよ、カブトムシはいなくなったけど、カミキリやまれに小さなクワガタがいることがあるよ」
彼はこれから商工会議所の会議にでなければならないので、そのうち飲もうと名刺を渡してくれた。
小学生の頃、この林のことを虫の森と呼んでいたことを思い出した。もちろん仲間内での名前である。平も仲間だった。理科で虫の取り方を教わった。椚の木に砂糖水を塗りつけておいてカブトムシやクワガタをおびき寄せたり、空瓶を林の中の土に埋めて中に食べ物をいれておいて、入り込んだ虫を捕まえたりして遊んだ。虫がたくさんいたこと、小学生にはこの林が大きな森に思えたところからそんな名前をつけたわけだ。林の中に入るとそんなことも思い出した。
今日は虫ではなくて茸探しである。林の入口付近から茶色っぽい茸がいくつも生えている。名前などはわからない、ともかくデジカメのシャッターを押した。
林の中の小道を行くと、結構茸が生えているものである。小学生のときにも生えていたに違いないが、動く虫ばかりに気をとられていた。平だったと思うが大きな茸を見つけて、茸には茸虫がいるんだということを言っていたような気がする。今度平に会ったら聞いてみよう。
林の中の斜面を見ると、羊歯に覆われているところに石の固まりのような物が見えた。近寄って羊歯をよけてみると、高さ三十センチほどの墓のような形の石が隠れていた。表面はずいぶん欠けていて地位類が緑色の斑点をつけている。文字が刻まれているようだが読むことができない。魂というような漢字が読み取れる。
それをじっくり見ていたら思い出した。小学生にはちょっと大きな石に見えたのだろう。墓があると騒いだことがあった。確かに墓のような形をしているが、墓ではなくなにかの碑のようなものなのだろう。写真を撮った。これはきっと平の家が作ったものに違いない。
それからも茸の写真を撮ったが花落葉茸には巡り会わなかった。
林の中を一時間ほど散策して家に戻った。玄関から上がると、いきなり玉が足下にこすりついて見上げた。今日はやけに甘えてくる。抱き上げるとごろごろ喉をならした。
足元に下ろすと、玉はとことこと居間にいき、ガラス戸の脇に行くと振り向いた。玉の目玉が庭にでたいと言っている。開けてやると飛び出した。大手鞠の下までかけていく。玉が走るところを見たのは何年ぶりだろう。いつもやっこら歩いている。
大手鞠の隣の沈丁花の下に卵茸の橙色が目立つ。玉が何かを見つめている。サンダルを突っかけて庭にでた。玉の見つめる先を見ると、なんと花落葉茸が生えている。ピンク色のかわいい傘に黒く細い柄、始めて本物を見た。虫の森でみつからなかったのに、まさか自宅の庭に生えるとは。夢の中で魂が同化したからだろうか。
玉が花落葉茸をふすふすと嗅いだ。
僕を見上げると、またふすふすと嗅いだ。夢の中で玉の髭が目の前で揺れていたのを思い出した。
その夜、玉と話をした。
「やっぱり花落葉茸がやってきたわね」
「なにしにきたの」
「あんたを見にきたのよ」
「どうして」
「あら、あんたの魂と花落葉茸の魂がなぜか気に入って一緒になったじゃない」
「そうだけど」
「魂は死んだとき抜け出るのよ、だから相手を見に来たのよ」
「うん、わかる」
「本当にわかってらっしゃるの」
「なにが」
「死んだとき一緒に抜け出るのよ」
「俺が死ぬとき、花落葉茸の魂も抜け出るのだろ」
「そうよ、一緒だから」
「そうか死んだら花落葉茸の魂と一緒になって俺はなにに生まれ変わるのだろう」
「地球じゃないわね」
「そりゃ楽しい」
「私も次の飼い主捜さなきゃ」
「どうして」
「あんたが死んだら、花落葉茸の魂が抜けるじゃない、花落葉茸が死んだらあんたの魂も抜けるの」
「どういうこと」
「あんたは相手のことを考えられない人ね、だから見合の相手に逃げられたのよ、花落葉茸の命は一晩よ」
ぴんとこなかった。
「庭にはえた花落葉茸は朝には枯れるの」
「え」
「まだわからないの、明日の朝、あんたの魂は花落葉茸の魂と一緒に身体から出て行くの」
玉のきょろんとした目が自分を見ている。
髭が頬にふれた。それで夢は終わった。
次の日、ベッドの上でピンク色の電灯の傘をかぶった男の死体が発見されるのである。小学校の同級生の平が警察を呼んだからだ。
玉が検死官の女医さんの足に擦りついた。
たましい