第六話 ヘヴン!
夜風が吹き荒れる──高度三◯◯メートル。
煌めく海のごとき都会を眼下に、Pは駆けていく。
抜刀。
左手首が外れて、刀の先端が顕になる。ヘリからのライトを反射して鈍く光っている。
刀の悪魔へ──変身。
足は止めない。
加速していく。
『彼』が、肉薄せし敵を潰さんと腕を振り上げる。そして──拳の落下。衝撃で屋上に亀裂が走り、薬指まで鉄筋コンクリートに沈んでいる。
Pはそれを足場として、ひょいと飛び乗ると、右腕を器用に駆け上がっていく。刀を突き立て、移動と共に切り裂いていく。Pの軌跡を追うようにして、赤い噴水が上がっていく。
「……らァ!!」
上りきり、動脈への斬撃。
たちまち溢れ出す血の飛沫。
それを避けるようにして、『彼』の髪を片手で掴むと、くるり、頭上を側転で通り抜ける。反対の肩へと着地する。
──このまま首の残り半分を切断! で、優勝!! ──
刀を振り上げる。
ふと、『彼』がこちらを向いた。
その顔を見て、
「……ッ」
一瞬の躊躇。
脳裏によぎったのは仮定の悪夢。
もしも──、
あのサンタクロースをそのまま殺してしまっていたなら──。
否。
殺したようなもんじゃないのか──。
どのみち彼らは死んでしまった──。
俺は、
メイプルスタジオの、
「イだぁッ!」
『彼』の左手がPを吹き飛ばした。
全身をぶん殴られ、床に叩きつけられ、Pは思わず血を吐き出す。
「あ~……、クソ」
苛々苛々。
覚悟なら、ここに向かう途中のタクシーでしてきただろう。
しゃんとしろ!!
立ち上がる。こちらに歩いてくる『彼』を見据える。
──瞬間。
Pは我が目を疑った。
*
「間に合うの?」
「いや間に合わない。行かないだけマシだろう」
ステアリングを握るクロダが、助手席に座るサトウと話している。
コツ、コツ、コツ、と人差し指が焦燥の拍を取っている。
先程から、無線の向こうは大混乱で騒ぎっぱなしだ。
「……うるさいから消してくれ」
「うん」
サトウが、ダッシュボードの上に投げ出された無線を持ち、無理矢理バッテリーを外す。
途端に車内は静かになった。
一定のエンジン音。人差し指のリズム。
室内ドアハンドルに頬杖をつき、窓の外を眺める。片手にだけ付けたピンクの手袋に顎を乗せている。
上りの高速道路は空いていた。外灯の光がすいすいと気持ちよく過ぎ去っていく。
一方、反対車線は渋滞気味だ。
恐らく騒ぎから逃げてきたのだろう。
「強欲の悪魔……。7日に公安が取り逃がしたやつか? だが今の今まで被害報告がゼロなのもおかしな話……」
クロダの独り言に、
「まぁ」
サトウが勝手に応える。
「日本って、世界で一番諜報員が多いらしいしね」
「なら最後まで面倒みろってんだ……」
舌打ちをして、クロダは車のラジオを付けた。
流れ出したのは米軍放送網。
「それでは今週のリクエスト曲──、」
流暢な英語が登場を誘い、
「──セックス・ピストルズで、『Problems』」
荒々しいギターがかき鳴らされた。
「あれは!?」
突如サトウが叫び、上空を指す。
急ブレーキ。
つんのめった勢いのまま、クロダが身を屈めて覗く。
「……なんだ……ッ!?」
目的地であるはずの高層ビル。
その屋上。
の、さらに上空で──
闇夜に巨大な『門』が浮かび上がり、ゆっくりと、開きかけていた。
*
「コイケ! コイケ!」
身体が揺すられている。
目を覚ます。
地面の固い感触。
頭がガンガンと痛む。
「……良かった」
上体を起こすと、膝をついたPが安堵の表情を浮かべているのが見えた。
寒い。
風が強い。
黒い……。世界が黒い。
元の世界の匂いだ。
どうなった? 何が起こった?
「な、何が……」
「コイケたち、あそこから出てきたんだよ」
Pが指した方向には、巨大な肉塊──いや、あれは……。
強欲の悪魔が仰向けに倒れている。
膨らんだ腹がぱっくりと開き、でろっと腸がはみ出ている。
あそこから……出てきたってのか? と、いうより……。
「ンだあれ……!?」
見上げると、遥か上空に巨大な『門』が浮いている。
その異様な色や質感、そしてナニカが蠢くような装飾──。オーギュスト・ロダンの『地獄の門』を彷彿とさせる。
嫌な予感がする。
ふと、空に沢山の粒が浮かんでいるのも見えた。
目を凝らすと──鐘だということが分かる。黄金の鐘が散らばっている。満天の星空の様だ。
と、金属製の鐘の音が響き出した。連鎖し、反響し、東京の夜を震わす。
呼応して、門が開いていく。
ビヨンドの白い光が溢れ出す。
それは外気に触れると実体を持ち──手のような姿となった。
二対の手がそっと下ろされる。
柔らかく包み込まれたその拳が、花開くようにして、なかにいるナカハラを見せた。
*
コイケは思わず噴き出した。
「は、あはははははははは! ぽ、ポッターさん……。ポッターさんが! ふわふわって! 手のなかから……!」
「ちょ、ちょっと」
笑ってる場合ではないだろ、とPが狼狽える。
「あの野郎ォ、」
いつの間にか起きていたソラが、背後で悪態をつく。
「天国の悪魔がどうとか云ってやがった……!」
「───Pィィィィィッッッッ!!!!」
ナカハラが手から降りてきて、叫ぶ。
こちらに人差し指を向けている。
「お前を殺す!」
「はぁ?」
「いや、忘れたんですかポッターさん!」
コイケが叫ぶ。まだちょっとニヤけている。
「俺たち、このまま皆で逃げるんですよ!」
「ダメだ」
ナカハラが──人差し指をくいと曲げる。
瞬間、Pの身体に重力のようなものが働き、正面へと吸い寄せられた。
「う、わっ!?」
吸い寄せられ、飛んでいき、Pは顔から床に倒れる。
そこへナカハラが歩み寄り、足で後頭部を踏みつけた。
「おい!」ソラが吠える。
「……これ、なんの悪魔ですかポッターさん……」
「なぁ、覚えてるかP……」
「はい?」
「去年、お前はマツミを殺した…! その償いをして貰う」
「何 何云ってんだ アンタ……ッ」
「真空」
ナカハラの人差し指が、つい、と横に動いた。
──ズバン──
太い管を斬るような音がして、両断されるPの首。
「……心臓をヤらなきゃァ、ダメなんだよな」
ナカハラが呟き、Pの胸へと手を伸ばす。
瞬間、その手首が、消えた。
顔を上げると、刀を振り切ったポーズでコイケが睨みを効かせている。
「……殺しちゃダメです」
「コイケ、俺の目的はコイツだ」
「Pは公演に出るんです」
「見逃してやるよ」
交差する視線。
数秒間の沈黙。
──コイケは無言で、切っ先をナカハラへ向けた。
「そうか」
ナカハラは憐憫を表情に浮かべると、残った手の人差し指をコイケに向けて、
「ばん」
空気の振動。
不可視の斬撃が走る。
「ちょっと!」
ソラが慌てて海月の触手を伸ばし、コイケの胴へ巻きつける。身体を浮かび上がらせる。
その直前にコイケはPの胴体を抱えており、ナカハラから遠ざけるのには成功していた。
Pの足が斬撃に触れ、虚空に消える。
海月の触手が数本切り落とされる。
やがて体重を支えきれなくなり、どさり、落ちてしまった。
「コイケさん次はないですよ!」
「はいはい」
コイケはPの首なし死体を横においた。
そして這いつくばったまま、刀の柄へと力を込めて、釘を抜く。柄に差し込まれていた刀身の部分──『なかご』と呼ばれる箇所を引っ張り出す。
『なかご』には目釘孔を中心として、歯型のようなくぼみが拵えられていた。
ぴったりと噛む。
口に刀を固定する。
そして、獣の姿勢を取った。
──ザシアンかよ。
そんな感想を抱きつつ、ソラは自身の靴をコイケに投げやった。
その靴を、コイケは両手にはめる。紐を乱暴に締め上げる。
完全なる四足歩行と化したコイケが、駆け出していく。
ナカハラが斬撃を射出する。何発も、何発も、何発も、何発も、
幾度と空間が痺れる。
跳ねるような動きでそれらを躱し、コイケは疾走、跳躍、疾走、疾走し──、
獲物に飛びついた。
「く……っ!」
咄嗟に両手でガードするナカハラ。
その中心を、コイケは刀で狙う。身体を捻り、回転をかけて、遠心力でもって穿つ。
銀色の凶器は腕を貫通し、そのままナカハラの額に突き刺さった。
刀を口から離し、二足で着地。
「イでで……」
コイケが顎をさする。大分負荷がかかるので、この戦闘方法は好きじゃない。
脳を突き刺されたナカハラが、大袈裟に倒れていく。
と、同時に消えた。
「え」
そして、
「ごめんソラ」
ソラの背後に立っていた。
「─────ッッッ!!!」
振り返る、のも、間に合わず。
「10」
多量の殴打がソラを襲った。
吹っ飛び、屋上に叩きつけられる。
「がはッ! ……──く、そが」
取れてしまった奥歯を吐き出して、ソラが立ち上がる。
「……なるほどなァ……。不死には不死ってわけかい、ポッターさん」
ナカハラを睨む。
その左眼には──包帯が巻かれていない。
切り落とされたはずの右手も健在だ。
「いや、俺は死んだ」
「あァ?」
「ここではね」
ナカハラが、さらにまた、人差し指を向ける。
触手の移動で避けよう──と、ソラが腰を落としたとき、
頭上に大量の門が出現した。
「なァ……!?」
10や20ではない。
40、50──否、100近くの門が、
半球体に、ずらり、所狭しと。
現れ、その口を開けた。
眩しさに思わず目をしかめる。
やがてビヨンドからは、肌色の手がにょっきりと生えてきて、
ナカハラと同様に人差し指を向けてきた。
鐘の音が鳴り響いている。
「102」
ナカハラが、はぁ、と溜息をつく。
「102の真空を撃つ」
身体中を戦慄が走り抜ける。
本能が、避けられない死の気配を察している。
「コイケ、ソラ……。Pの心臓を渡してくれ」
ナカハラの訴えを無視して、ソラは必死に頭を回した。
なにか、なにかあるはずだ。
打開策が、なにかあるはず。
下は床。
上は門。
空にびっちりと敷き詰められた指──。
回避は不可能。
僕らの明日はサイコロステーキ。
──いや。一つだけ、生き残る方法があるじゃないか。
Pを差し出す。
……。
…………。
…………………否。
それはできない。
誰かが犠牲になってコトが済むのなら──それが自分であればあるほど、気が楽だから。
あ。
そうか。
そもそも、回避しよう、という発想が間違ってンだ。
僕が死ぬ前に海月に眼を差し出して、治療を契約すればいい。
そうすれば、コイケさんだけでも復活できる。
それだ。
それが最善策だ。
「海月──」
「──僕の最後の眼をやる。だから──」
その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「痛でッ」
後ろから殴られたからだ。
振り返る。
──コイケさん。
呆気にとられている間に、コイケが云う。
「化け猫さん……」
──やめろ。
「俺の全部をあげるから……」
「化け猫さんの全部 使わせて」
しゃん
鈴の音。
しゃんしゃんしゃん
赤い提灯が灯り、その輪が空に現れる。
ヘリポートを示すHの字が、赤く染まり、線が動き出し、
鳥居へと変貌した。
しゃんしゃんしゃんしゃんしゃん
もう屋上は滅茶苦茶だ。
「は、ははははは! はははははは!!」
ナカハラが高らかに笑う。
「あ、これ」
コイケがポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出す。
そしてソラに手渡した。
「メメの絵?」
「お前、もう嘘つくなよ」
「は?」
「じゃあ!」
描かれた鳥居に、コイケが飛び込んだ。
その身体が溶けるように消えていく。
しゃんしゃんしゃんしゃんしゃんしゃんしゃん────
「撃て」
ナカハラが呟く。
102の指の先から──不可視の斬撃が繰り出された。
*
*
*
*
*
白く、柔らかい。
そして暖かい……。
冬の布団のようだ。
ずっとここにいたい。
後ろ髪ひかれる思いで、ソラは冬毛の草原をかき分けて行った。
そして、外へ出る。
ヘリのスポットライトが眩しく、思わず顔をしかめてしまう。
「……」
ナカハラが不服そうな顔で立っている。すぐに追撃してこないところを見ると、連続しては使えないのかもしれない。
ソラは、たったいま自分が潜り込んでいたモノを見上げた。
巨大な三叉の化け猫が丸まっている。
身体には数多の切り傷。
あちらこちらから血が流れ出している。
そっと手を触れた。
血の暖かさだ。
──フン、と。
化け猫は迷惑そうな顔をして、鼻から息を出した。
そして透明に消えていく。
消えたその跡にPの首なし死体が倒れている。
ソラは駆け寄ると、左手首を抜刀させた。
*
「Pさん」
目を覚ますや否や、ソラが話しかけてくる。
「アイツをぶっ殺すまで手を貸して下さい」
「……ソラ……」もちろんナカハラのことだろう。
「アイツ、俺のバディを殺しやがった……」
Pは自身の身体を見下ろした。
既に悪魔と化している。
今夜何回目の変身なのだろう……。血の残量はすっからかんだ。貧血でクラクラする。数分と戦えやしないだろう。
「いいですかPさん。ポッター先輩は死にません」
「え、マジで?」
「正確には、死んでもまた現れます。恐らくほぼ無限です」
「じゃ、じゃあ……」
「Pさんはとにかく殺し続けて下さい。人がいないので、死んだらオシマイですからね」
「ちょっとしか無理だよ、もう」
「大丈夫です。その前になんとかします」
ソラの頭には一つの策が浮かんでいた。
賭けのような、綱渡りのような策が。
──ナカハラを見る。
相変わらず憮然とした態度で突っ立っている。
……アイツの動機は分からない。
分かりたくもない。
あるのは、クソ野郎だって事実だけだ。
「──腹ァ決めてくださいよ、Pさん」
「応ッ!!」
つづく
第六話 ヘヴン!