骨売り娘と黒衣の賢者
作家でごはん!鍛錬場に「骨売り娘」の題で過去2回投稿したものを、寄せられたアドバイスにもとづいて修正した作品です。
カラスの声が騒々しいある日のこと。見すぼらしい身なりの女の子が、真新しい白木の柩をひきずって町はずれの教会にやってきました。三つ編みした栗色の髪はすり切れた荒縄そっくりで、ブラウスの襟はあかまみれ。破れたスカートからは膝こぞうが顔を出し、白い素足はすり傷だらけというありさまでした。
傾きかけた門の前で、女の子はかすれた声を張り上げました。
「わたしの兄さんが死んでしまったの。お墓に埋めてくれませんか」
扉を開いて現れた司祭様は、ガウンに包んだ大きなお腹をゆすって答えました。
「それは気の毒に。土地代、穴掘り代、墓標代、しめて銀貨3枚になるよ」
女の子はもじもじとうつむいて、
「でも、わたしにはもう、お金がないんです」
それはますます気の毒に、と司祭様は肩をすくめてほほ笑みました。
「ではどこかよそへお行き。あんたに神の御慈悲のあらんことを」
扉はぴしゃりと閉められてしまいました。
どこかよそへと言われても、女の子には行くあてがありません。三年前に家を追い出されてからというもの、兄妹はずっと二人きり、町から町へ転々としてきたのです。そしてこの町に来ていくらもしないうちに、兄さんは病気になりました。日雇い仕事もできないようでは、宿代すら払えません。妹が路地裏に立って稼いだパンを食べる力もなく、やせ細った彼は広場の片隅で息を引き取りました。最後に残ったわずかなお金で、彼女は兄さんの柩を買ったのでした。
大切な柩をくくった縄を肩に、女の子はあてもなく歩きだしました。ずるずる、とぼとぼ進むうちに、美しい森にさしかかりました。
「そうだわ、兄さんを森に埋めてあげましょう。夏は木陰で涼しいし、冬は落ち葉で暖かいもの」
彼女は森の入口にある農家の戸を叩きました。
「お願いです、鍬を貸してくださいな。兄さんを森に埋めてあげたいの」
顔を出したお百姓は言いました。
「墓掘りなんて縁起でもない。大事な道具を貸せるものか」
どんなに頼んでもらちは開かず、あきらめた女の子が素手で森の土を掘っているところへ、狩人がやってきました。
「ここは国王陛下が鹿狩りをなさる森。穢らわしい死人を埋めたりすればしばり首だぞ」
がっかりした女の子がまたずるずる、とぼとぼ歩いていくと、こんどは大きな川に出ました。
「そうだわ、兄さんをここに流してあげましょう。川は幸せの国に通じていると言いますもの」
岸辺から柩を押し出そうとすると、渡し守がとんできました。
「ここは国王陛下がお使いになる渡し場だ。死人が桟橋にひっかかって、蝿が湧いたらどうしてくれる」
女の子は仕方なく、またずるずる、とぼとぼ歩きだしました。
「そうだわ、兄さんを海に流してあげましょう。広いから誰の迷惑にもならないし、たくさんの魚がいるから兄さんもさびしくないはずよ」
はるばる浜辺にたどりつき、柩を波に乗せようとすると、漁師がとんできました。
「この海で獲れた魚は都に運ばれ、陛下のお口にも入るのだぞ。死人が網にかかったら、魚がみんな売れなくなる」
どこへ行っても嫌がられ、歩く勇気も失せた女の子が途方にくれているところへ、黒いローブをまとった背の高い男が現れました。大きな黒い鳥を肩にのせ、ひどく青白い顔には短くとがったあごひげを生やしていました。
「こんなところで、なぜ泣いている」
顔はあくまで無表情ですが、その声にはどこか人をからかうような響きがありました。女の子がわけを打ち明けると、男は肩の黒い鳥をなでながら言いました。
「では、おまえの兄を葬るのにうってつけの場所を教えてやろう。この世で一番天国に近いところだ」
言い終わるやいなや、黒い鳥は翼を広げ、「クエエ」と叫んで舞い上がりました。
「さあ、ついておいで」
せかされた女の子は、男への礼もそこそこに、急いで鳥を追いかけました。
鳥はたびたび翼を休めながら、川を越えて森を抜け、西へ西へと飛んでいきます。柩を引きながらずるずる、てくてくついていく女の子を、沿道の村人たちが薄気味悪そうに眺めます。お腹が空いても、食べ物を恵んでくれる人はありません。そんなときは、黒い鳥がどこからか木の実やパンのかけらを見つけてきて、頭の上に落としてくれるのでした。
やがて、広い草原を渡った先に、大きな高い山が見えてきました。鳥は険しい山道を、岩から岩へとぴょんぴょん登っていきますが、柩を引いている女の子はさすがについていけません。
「ちょっと待ってよ、鳥さんたら」
女の子は柩を開いて兄さんの細い体を抱き起こし、背中に負って山を登り始めました。喉はからから、膝はがくがく、何度も転びそうになりましたが、兄さんに語りかける声は弾んでいました。
「覚えてる? わたしったら旅の途中で疲れると、いつも兄さんにこうしてもらったわ。大きな背中があったかくて、ついうとうとしてしまうのよ。ほら、いまのあなたそっくりに」
頭はぐらぐら、手足はぶらぶらの兄さんを揺り上げながら、とうとう女の子は山の頂上にたどり着きました。そこにはまな板のように平らな大岩がそびえ、あの黒い鳥が翼をたたんで静かに彼女を待っていました。
「ありがとう、鳥さん」
眼下には、これまでに越えてきた草原や森が広がっています。森の彼方にはいくつかの町、そして国王の住む大きな都が青くかすんで見えました。女の子は目を細めて、ゆっくりと流れる白い雲を仰ぎました。
「あの男の人が言ったとおりだわ。もう少しで天に手が届きそう」
彼女は岩の上に兄さんの体を横たえ、干からびた唇にそっとキスをしました。すると黒い鳥は大きく喉をふくらませ、空に向かって「クエエ」と一声鳴きました。
それが合図だったのでしょう。どこからともなく何百羽ものカラスが現れたかと思うと、先を争って兄さんのからだをついばみ始めました。たくさんの羽毛が舞い、無数のくちばしが振り下ろされるたびに、兄さんの手足はくるくるとダンスを踊りました。
女の子もなんだかうれしくなって、兄さんと手をつないで岩の上に横たわりました。
「鳥さん鳥さん、わたしも食べて。この人と同じところに連れていって」
けれどカラスたちは妹に目もくれず、くちばしどころか爪一本触れようとしません。そのかわり、兄さんの体はあっという間に真っ白な骨になりました。
「どうして一緒に食べてくれないの。わたしにはもう、お金もないし愛する人もない。生きていても仕方がないのに」
女の子が懸命に訴えても、カラスたちは互いに顔を見合わせるばかりです。そのとき群れの間から、人をからかうような声が聞こえました。
「おまえにはまだ、天国は早すぎる」
目を丸くしている女の子の前に、道案内してくれたあの大きな鳥が進み出て、ふたたび口をききました。聞き覚えのあるあの男の声でした。
「金がほしいなら、おれがいいことを教えてやろう」
他の鳥たちよりも一回り大きなその体には、いかにもカラスの王様らしい威厳が漂っています。
「この骨を都の市場に持って行け。きっと良い値で売れるだろう」
「売るですって? わたしの大事な兄さんを?」
女の子は、まだ少し髪が残っている髑髏を胸に抱きしめました。
「そんなことできるもんですか。兄さんも言っているわ、これからもずっとそばにいてほしいって。おまえもはやくこちらにおいでって」
「うそをつくな」
鳥は少し苛立ったように、足元の岩肌を爪でひっかきました。
「おれは手下どもからすべて聞いているのだよ。あの日、病に倒れた若者が広場の隅で息絶えるとき、妹に何と言い遺したのかを。自分が死んだら構わずさっさと埋めてほしい、おまえは器量よしなのだから、いい人を見つけて早く幸せになってほしい――そう言われたのを忘れたのか」
驚きのあまり声を失う女の子をとり囲み、カラスたちが騒々しくはやし立てます。大きな鳥は続けました。
「おまえも知っているだろう。教会の司祭どもが言うことに、みずから命を絶つのは人殺しや姦淫に劣らぬ大罪だ。おまえの魂が地獄に落ちれば、兄と永遠に離ればなれになるのだぞ」
女の子はまばたきもせず鳥をにらみつけていましたが、やがて観念したように息をつきました。
「……どうすればいいの」
「簡単なことだ」
鳥がくちばしを振って合図すると、眷属のカラスたちは嬉々として骨を拾い集め、彼女の膝の上に積み上げました。
「これをきれいに洗って箱に詰め、都でこう言って売り歩け。
あなたが一番欲しいもの
この世で一番欲しいもの
あなたの望みがかなうもの
売り値は金貨百枚。決して値を下げてはいけないし、中身を他人に教えてもいけないよ」
言い終わると、黒い鳥は岩を蹴って飛び立ち、手下のカラスたちも一斉に続きました。
残された女の子は東の空に遠ざかっていく群れを呆然と見送っていましたが、やがてのろのろとスカートのすそをまくり上げ、骨を包んで立ち上がりました。山すその清水で一本一本をきれいに洗い、ふもとの村でどうにか木箱を手に入れると、骨を収めてしっかりとふたをして、もと来た道をはるばるたどって都の市場にやってきました。
あなたが一番欲しいもの
この世で一番欲しいもの
あなたの望みがかなうもの
歌声を聞きつけて、さっそく物見高い都の人たちが集まりました。
「何を売っているんだね」
「わしが一番欲しいものだって?」
「そりゃお金かね」
「名誉かね」
「わしの望みがかなうって?」
「何が手に入るんだね」
「大きな屋敷かね」
「美しい女かね」
「いくらだね」
「金貨百枚? そりゃ高い。まからんかね」
金貨百枚となると、なかなか買い手はつきません。けれど女の子は言いつけどおり、くる日もくる日も木箱を抱いて歌い歩きました。屋根の上や路地裏など、いたるところでカラスたちが目を光らせているのを知っていたからです。
あなたが一番欲しいもの
この世で一番欲しいもの
あなたの望みがかなうもの
いったい幾日売り歩いたことでしょう。ある日、女の子はとうとう城の役人たちに呼び止められました。
「どんな望みもかなう魔法の品を、声高に売り歩く娘とはおまえのことか。国王陛下がお召しであるぞ」
生まれて初めて入る王様の城は、窓もシャンデリアもすべてが大きく、すべてが立派でした。めまいがするほど天井が高い謁見の間に引き出され、平身低頭させられた女の子の鼻先に、金貨の入った皮袋がじゃらりと投げ出されました。
顔を上げると、壁のように大きな玉座の真ん中に、しわだらけの小さな老人がぽつんと腰掛けているのが見えました。ずり落ちそうなほど大きな金の冠と、豪華な刺繍のガウンをまとったその老人は、品定めするかのように女の子を見下ろして言いました。
「娘。余が心の底から欲しいと願うものが何か、わかるか」
返事に困ってうつむいていると、王様は玉座から精一杯に身を乗り出しました。
「余は金も名誉も領土さえも、これ以上欲しいとはつゆほども思わぬ。余が欲しいのは、永遠に消えることのない命。つまりその箱には、どんな病も治す長寿の妙薬が入っていなければならんのだ。もしそうでなかったら、おまえの首をはねてやる」
木箱を抱きしめたまま凍りつく女の子を、役人たちが取り囲みました。力づくで箱をもぎ取らせた王様は、みずからふたを開いてのぞきこみました。
「これは……なんだ」
中には真っ白な人の骨が入っているばかり。髑髏のうつろな目に見つめられて、王様の顔が強張りました。
「さては、おまえはわしをからかうのだな」
子供のように手足をばたつかせ、甲高い声で怒鳴り散らします。
「人は皆いずれ骨になる、王も運命には逆らえぬ、そう言いたいのであろう。だが嫌じゃ、わしは嫌じゃ。誰か、この娘の首を斬れ」
衛兵たちが剣を抜いて詰め寄ったとき、からかうような声が広間に響きわたりました。
「陛下ともあろうお方が、その宝の価値をご存じないとは嘆かわしい」
王様は眉尻を上げて声の主――玉座のかたわらに控えていた黒衣の男に振り向きました。
「ほう、賢者どの。稀代の博学とほまれ高いそなたは承知なのか。これがいったいどういうものかを」
賢者と呼ばれたその男は、肩にとまらせた黒い鳥を撫でながら、あいかわらずの無表情で答えました。
「古い書物によりますれば、貴い聖人の骨は万病に効く薬とか。とくに白く美しいものほど高い霊力を持つと聞きます」
国王の怒りは、みるみる喜色に変わりました。骨を高々と掲げ、眺め回して嘆息します。
「黒衣の賢者――さすがは諸国に名を轟かせるだけのことはある。なるほど言われてみれば、かように見事な骨は見たことがない。まるで真珠のようではないか」
黒い鳥が賢者の頭に飛び上がり、胸をそらして大きなあくびをしてみせました。青白い顔の男はそれに構わず、
「胸が痛めばあばらの骨を。精が弱れば腰の骨を。智が衰えたなら頭蓋の粉を煎じて飲めば、どんな病も失せましょうぞ」
それを聞いた王様は叫びました。
「素晴らしい。娘よ、おまえにはどんなに礼をしても尽くせぬほどだ。百枚では足りぬ、この者に金貨を宝箱ごとくれてやれ」
こうして女の子は、柩ほどもある大きな宝箱を引きずって都を出ました。頭上ではいつになく多くのカラスが飛びかっており、城門を出る彼女を騒々しい鳴き声で見送りました。
大金を得たとはいえ、彼女には喜びを分け合う家族も、帰る家もありません。とぼとぼと町はずれの教会の前にさしかかったとき、頭の上から聞き慣れた声が降ってきました。
「どうだ。それだけの金があれば、しばらくは天国を憧れずにすむだろう」
傾きかけた門柱のてっぺんにあの大きな黒い鳥がとまり、悠々とこちらを見下ろしていました。
「おまえの兄はあの日、最期に『許してくれ』と言ったそうだな。不甲斐なく死んだ自分が大金に化けたのだから、骨も満足しているだろう」
「あれは――本当に素晴らしい薬なのですか」
女の子が尋ねると、鳥は尾羽根を震わせて笑いました。
「信じる者は救われると言うではないか。あの王は命が続く限り死なぬだろうよ」
それを聞いた女の子は金貨をひと握りだけつかみ出すと、残りを箱ごと鳥の方へ押しやりました。
「ありがとうございました、賢者様。どうぞこれをお納めください」
鳥は首を横に振りました。
「おれは自分の齢すら忘れるほど、長い生を重ねてきたよ。人語を覚え死人操りの術を得てからは、人間どもから世界一の有識などともてはやされるようになったが、いまだに金というもののありがたみだけはわからんのだ。なにせおれは鳥だからな」
そして楽しそうにくちばしを鳴らし、
「要らぬなら捨てていけ、飢えた人間どもが寄ってたかって片付けてくれる。だが、幸せになれという兄の言葉を忘れるな。おまえはこれから良き伴侶を見つけねばならんのだぞ。そうだ、おれにいい考えがある――」
そこまで言いかけたとき、突然教会の窓がばたんと開いて、手桶の水がざばりと鳥に命中しました。
「ガアガアうるさいぞ、忌まわしいカラスめ」
窓から身を乗り出した司祭様は、驚いて飛び去る鳥を勝ち誇ったように見送りました。そして女の子の足元に大きな箱があるのに気づくなり、真っ赤になって怒鳴りつけました。
「妙に鳥どもが騒がしいと思ったら、いつぞやの乞食娘か。こんどは誰の死骸を捨てに来た。柩もろともさっさと失せろ」
追い立てられた女の子は、教会の尖塔が見えなくなったところでようやく立ち止まりました。あたりはいつのまにか日が傾き、森の影が長く伸びてすぐ足元まで迫っています。都がある東の方角を眺めると、幾重もの雲が赤い夕日に照らされて、ひどく眩しく輝いているのでした。
女の子はぼろぼろのスカートのポケットに手を差し入れ、白いかけらを取り出しました。たった一つだけ残しておいた、小さなのどの骨でした。
「賢者様はご存知ないんだわ。……わたしたちはどうせ天国なんかに行けやしないっていうことを」
彼女は骨をそっと口に含み、粉になるまで噛み砕きました。
「これが毒なら良かったのに。そうすれば、地獄であなたと結ばれるのに――ねえ、兄さん」
涙とともに飲み下すと、女の子は箱の縄を握り直して、またずるずる、とぼとぼ、歩きはじめました。
【おわり】
骨売り娘と黒衣の賢者