冬のきりりとした空気愛好家
近年稀に見る暖冬のせいで、我々はしなびたシナモンロールのように腰をまるめて床に寝転がる日々を送っていた。気温、生活、おでん並びに肉まん、何もかもが生温かった。コンビニのホットスナックは、空気が冷たいからこそその熱々さが際立つのに、こうも空気が暖かいと魅力が半減してしまう。クリスマスの日さえも暖かく晴れ、大晦日も穏やかな気候となった。天気予報士は、暖かいので大掃除に向いた歳末となるでしょう、と手袋もマフラーもせずジャケット一枚羽織っただけの格好でテレビの前の皆さんを湧かせたが、我々はこの生温い空気に気持ちまで掬われてしまい、大掃除どころではないのだった。
ああ、あのロイヤルブルーのセーターを着たい。あれは手持ちのセーターの中でとびきり寒さに強いセーターだった。秋に着ようものなら、帰りにはまず間違いなく小脇に抱えることになる代物である。厚く柔らかな編地は体温であたためられた空気を逃さず、がっしりホールドしてくれるのだ。極寒の中、あの綺麗な群青色に半身を包むと、漏れなく最強になれる。最強になった我々は、せっせと大掃除をする。そして大掃除を終えたあと、冷たい手指をあたためるためにホットミルクにほうじ茶のパックと砂糖を入れてほうじ茶ラテにして飲むのだ。ああ今年も無事に終わったな、今年の汚れも全部置いてこれたな、新年万歳、二〇二一年万歳、などと思いながら、勝利と清々しさをもラテに溶かしてぐいっと気持ちよく飲み干すのだ。
なんて思いながらブランケットに包まっていると、予報が大きく外れ、大晦日には強烈な寒波がやってきた。三十日の夜には轟々と風が吹いており、賑やかな夜だなあと暢気に思っていたのだが、どうやらそれらが暖かい空気を何処かに連れ去って行ってしまったらしい、翌朝起きてみるとそこは極寒の地と化していたのだった。こんなことになるなんて聞いてないが、これは我々にとって最大の好機であった。やっと、我々が輝く時代がやってきたのだ! しかし、ベッドから一歩踏み出してみると、床の冷たさにぞっとした。次いで、無防備な身体一面に冷気が纏わり付き、一瞬のうちに頭の天辺から足の先まで鳥肌が立った。すかさず家じゅうすべての暖房器具を起動し、厚手の靴下とカーディガンを羽織って難を凌ごうとした。心ばかり強くなれたところで、寒さに怯えたちょこちょこ歩きで寝室を後にした。
冬のきりりとした空気愛好家としては、起きた直後に窓を全開にして空に向かってお早う素敵な朝だねと叫ぶのが粋な姿なのだろう。しかし、なんていうのか、すみませんが言い訳をさせてください。今日は、きりりとした空気から少し逸脱している気がするのだ。きりりというか、びりりというか。横殴りの寒気が激しくぶつかってくるような、とくかく我々の愛する空気とは違った。愛好家の中には、情けない! これが冬の空気というものなのに! と我慢強く耐え忍ぶ過激派も居そうであるが、私は御免被りたいし、幸いにも我が家の愛好家たちも、まあちょっとぐらい寒い方が身が引き締まるよね、程度のゆるゆる派であった。私の最強の武器であるロイヤルブルーのセーターも着用してはみたものの、芯まで冷えた体にはさして効果はなくなんとも心許なかった。あんなに頼りにしていたのに。憎いのが、寒色系だから目にも寒いというおまけつきなところだ。
我々が幾ら嘆こうとも、この一日はすでに始まってしまったのだ。切らしていた掃除用具やちょっとした食材を買いに街へ繰り出す。やっと寒くなったね、とうきうきしていた我が家の小さな愛好家も、外に出て五分後には、ねえ家まだ、と繰り返す壊れたメッセージカードのようになってしまった。大人の方はもっと早く、二分経った頃には顔が死んでいた。買い物ついでに散歩でもしようか、と出掛ける前に言っていたが、買い物が終わるころにはそんな約束はなかったことになっていた。
そんな瀕死間際の愛好家たちであったが、大掃除はそれなりのかたちで行われた。たとえ、普段の掃除に毛が一本生えてきただけの掃除であっても、日頃拭かないようなところを一拭きしたならば、それは立派な大掃除である。だいたい、掃除なんてものは日頃からやっておくべきである。夏休みの宿題みたいに最後に一気にやるのはあまりやりくり上手とはいえない。それでも我々は年末にあえて掃除をする。それは、掃除が目的なのではなく、すっきりしたい、心から何かを手放したい、というのが目的だからなのではないだろうか。であるならば、別に無理して完璧な掃除をすることはないのである。
綺麗になったところもあれば、そうでもないところもある。でもまあがんばったし、休みはまだあるし、明日でも明後日でもやったらいいよね、と、そこそこに体を動かしすっきりした愛好家たちは笑った。いつの間にか、空気はちょうど好く感じられた。自分たちが暖まったからか、昼になって気温が上がったからか、もしくは両方だろう。きりっとした空気に背筋を伸ばして、すうっと勢いよく息を吸い込んだ。そして、吐いた。心の中のもやもやまでをも吐き出すようにして、終わりゆく今年にさよならをして。
冬のきりりとした空気愛好家